ヒロインでは無い少女とヒーローでは無い少年
馬車襲撃シーンのシエナ視点です。
♢
ナルドットへ向けて王都を旅立って、4日目の昼過ぎ。
「ねぇ、シエナ。ナルドットの街には、いつ頃着くかしら?」
フィコマシーの問いかけに、シエナはハッと顔を上げる。
過去から未来へ。
回想から予感へ。
漠然とした不安の中、意識を浮遊させていた自分に気付く。
(お嬢様の前でボンヤリしてしまうなんて、使用人にあるまじき失態だわ!)
シエナは己を叱責しつつ、フィコマシーに笑顔で答える。
「明日の夕方には、ナルドットに到着するでしょう」
「そう。もうすぐ、お父様に会えるのね」
嬉しそうなフィコマシー。これほどの喜びの表情をフィコマシーが見せるのは、久方ぶりだ。
シエナは、願う。
(侯爵様が、お嬢様のご期待を裏切るような真似をなさいませんように)
王都を出てから、ここまでの旅は順調だった。
護衛の2人の騎士はいつも無愛想だったが、フィコマシーは少しも気にする素振りを見せない。フィコマシーは、使用人や側付きの者たちの無礼な態度にスッカリ慣れてしまっている。
それがシエナには悲しかった。
先日旅の宿に泊まった際、シエナは騎士2人の雑談を物陰で耳にしてしまった。
「まったく、白豚のお守りとはツイてないぜ」「ああ。オリネロッテ様の護衛役なら、この上も無い光栄なんだけどな」と軽口を叩き合う騎士たち。
幸い、フィコマシーはこの場には居ない。部屋で休んでいる。
だからと言って、騎士たる者が主君の娘に対する侮辱を公然と口にするとは……。
いくら何でも、酷い。悪質だ。
シエナは、血が出るほど唇を噛みしめる。
今すぐ騎士たちを咎め立てて発言を撤回させたいと、少女は思った。
けれども、シエナはフィコマシー付きのメイドに過ぎない。騎士への口答えが許される身分では無い。
(彼らは、護衛。任務を果たしてくれれば、それで良い)
シエナは、そう割り切ることによって己を納得させた。
シエナも念のために使い慣れた細剣を持参してきているが、自分1人でフィコマシーを護りきれるなどという慢心は抱いていない。
旅におけるフィコマシーの身の安全を考えると、騎士2人の存在は必要不可欠なのだ。
(あと2日。何事もなく、旅を終えられますように)
馬車の揺れに身を任せながら、シエナは胸中で呟く。
少女の細やかな望みは、叶えられなかった。
♢
ガタン!
前触れも無しに、馬車が急停車する。
フィコマシーがあやうく座席から転げ落ちそうになり、その身体をシエナは咄嗟に支える。
馬車の外で何か騒動が起こったようだ。
確かめる間もなく、複数の男の喚き声と金属のぶつかり合う音が馬車の内部まで響いてきた。
(馬車が襲撃されている!?)
シエナは窓に掛かっている覆いの隙間より、外を覗いてみた。
4~5人の男が馬車に襲いかかってきており、護衛の騎士が馬を駆りつつそれを迎え撃っている。
「シ、シエナ……」
「大丈夫です、お嬢様。騎士たちが、お嬢様をお護りします」
気丈に振る舞いながらも怯えを隠しきれないフィコマシーを、シエナは言葉を尽くして励ました。
「騎士の方々は無事でしょうか……」
道中、騎士たちはフィコマシーからの労いの語りかけをことごとく無視してきた。そんな彼らの身を案ずるフィコマシーの優しさに、シエナは思わず頬を崩す。
これまで散々理不尽な目に遭ってきた、フィコマシーとシエナ。
しかし、命の危険を直接感じる事態は初めてだ。
シエナはフィコマシーに寄り添いつつ、いつでも情勢の変化に対応できるように、片手で窓に掛かったカーテンを捲って外の様子を観察しつづけた。
騎士と襲撃者の激しい攻防が、否が応でも目に飛び込んでくる。
(フィコマシーお嬢様への言動に難があったとしても、彼らもバイドグルド家の誇り高き騎士。賊ごときに後れを取るはずが無い)
シエナは冷静さを保とうと、自分に言い聞かせた。
だが、シエナの予想は外れた。最悪の方向で。
しばらく賊と剣を交えていた騎士2人は、敵わないと悟ったのか馬車をほっぽり出して逃げ去ってしまったのだ。御者も、その後に続く。
(アイツ等!)
信じられない。名誉ある騎士が、護衛対象を見捨てるなんて。それも、侯爵家のご令嬢たるフィコマシー様を!
シエナは怒りのあまり目の奥が真っ赤に染まるのを覚えたが、今は感情的になっている場合では無い。フィコマシーとシエナ――2人の少女は、敵の真っただ中に置き去りにされてしまったのである。
フィコマシーを護れる人間は、もはやシエナ1人しか居ない。
「お嬢様は、馬車の中に居てください」
「シエナ!」
フィコマシーの悲痛な叫び。
シエナは、ともすれば竦み上がりそうになる己の身を叱咤する。僅かでも躊躇すれば、恐怖を自覚して動けなくなってしまうに違いない。
(お嬢様。お嬢様は、私が護る!)
シエナはフィコマシーに少しでも安心して欲しくて、懸命に微笑んでみせた。そして思い切って馬車の扉を開き、全力で外に飛び出す。
すぐに馬車の扉を閉じて、レイピアを抜き放つシエナ。
彼女の目に映ったのは、武器を構えた4人の男。どいつも屈強な面構えをしており、防具もシッカリ装備している。
(ただの物盗りじゃ無さそうね。もっとも単純な金品目当てが、騎士が護衛している馬車を襲うはずも無いか。でも、今は誰の指図を受けた刺客だろうと関係ない。お嬢様を護るだけだ!)
シエナは4人の襲撃者を相手にレイピアで渡り合った。
かつて女剣士と冒険者に武芸を習い、その後も訓練を地道に重ねてきた甲斐あって、4人の敵と一度に相対してもしばらくは持ちこたえることが出来た。
襲撃者たちも、召使いの格好をしたシエナの意外な手強さに驚いている。
右に左に――と、敵からの攻めを巧みに捌くメイドの少女。
レイピアはその軽さもあって、女性のシエナにも扱いやすい武器である。しかし、その細身の刀身では〝敵を強打して倒す〟といった芸当は出来ない。レイピアの攻撃方法は突きに特化しており、装備で身を固めた相手に致命的なダメージを与えるのはなかなか困難だ。
しかもレイピアには、折れやすいという弱点もある。
加えて、4対1の戦闘。
メイドの少女は、ジリジリと追い詰められていく。
シエナは焦燥に駆られた。
危機を乗り越えるためには、時間を稼ぐだけではダメなのだ。4人の敵を、全て倒さなくてはならない。
今まで敢えて考えないようにしていた現実に直面させられて、灰色の髪の少女は全身が氷漬けになったような錯覚に陥った。
(4人全てを倒す? 私、1人で?)
シエナは、ゾッとする。
――――無理だ!
絶望の叫びが、頭を過ぎった。
奇跡でも起きない限り、4人の襲撃者全員に勝利するなど不可能だ。
必死になって戦っているのに、まだ1人の敵も倒せていない。
防戦するだけで、精一杯。
シエナは泣きそうになった。
この残酷非道な状況を、誰かに訴えたい。でも聞いてくれる人は、何処にも居ない。愚痴をこぼしているヒマも無い。敵は、一瞬たりとも待ってはくれないのだ。
少女の体力が、時間とともに削られていく。気力も、どんどん萎えてくる。そもそもシエナにとって、これが初めての実戦なのだ。
フィコマシーを護りたい一心とは言え、4人の敵相手にここまで戦えていることだけでも奇跡的な状態なのである。
シエナのレイピア捌きが乱れてきた。
汗が目に入って視界の邪魔になるが、それを拭う余裕は無い。
呼吸音が激しい。
息が続かない。
レイピアを持つ腕が重くなり、次第に動きが鈍くなる。
もう、崖っぷちだ。
男たちも勝利を確信したのだろう。あたかも、獲物を嬲るような攻め方だ。中には下卑た笑みを浮かべている者も居る。
(負けられない! 絶対に、負けられない! 負ける訳にはいかないんだ!)
シエナは心の中で自身を鼓舞する。
自分が負けたら、どうなる? 誰が、フィコマシーを守るのだ。誰が、これからもフィコマシーの側に居るのだ。
けれど、シエナの劣勢は加速度的に酷くなる。未だ致命傷は負っていないものの、かすり傷は増える一方だ。
ついに、少女は悟る。
自分は、保たない。局面は、破滅寸前だ。
(怖い!)
シエナは、声にならない悲鳴を上げる。
自分が傷つくのは怖い。自分が死ぬのは怖い。それ以上に、フィコマシーを1人ボッチにしてしまうのが怖い。
追い込まれたシエナの背が、馬車に当たる。
敵の包囲は完全だ。活路など、カケラも見出せない。逃げ場も無い。
度重なる衝撃に耐えかねたのか、とうとうレイピアが折れた。
剣先が砕け飛んだ瞬間、シエナの緊張の糸はプッツリと切れてしまった。
ここが、こんな場所が、フィコマシーと自分にとっての〝行き止まり〟だったのだ。
どれほど、苦労が多くても。どれほど、辛くても。どれほど、やりきれない気持ちを抱えていたとしても。
昨日までは――――いや、一刻前までは、まだまだ将来へと続いて行くであろうと信じて疑わなかった、〝フィコマシーとシエナの、人生の旅路〟。
明日への道は、突如途切れて。
(申し訳ありません、奥様。私は、愚かで弱いシエナは、フィコマシーお嬢様を守りきれませんでした)
シエナは亡き侯爵夫人に謝罪する。
「フィコマシー様……私は」
少女が抵抗を諦めかけた、まさにその時。
「あぁぁぁぁぁ!」
「おぉぉぉぉぉ!」
唐突に、遠方より叫び声が聞こえてきた。しかも音量はどんどん大きくなる。
敵の新手かとシエナは怯えるが、すぐに考えを改める。シエナと交戦中の男たちも戸惑っていたからだ。
声の方角に目を向けると、2人の人間が武器を構えながら走ってくるのが見えた。
1人は大きな体格の青年で、もう1人は少年のようだ。彼らの敵意は、4人の襲撃者へと向けられている。
(もしかして、私たちを助けにきてくれたの?)
突然すぎる救援者の出現。
シエナは歓喜するよりも、混乱した。心当たりが全く無かったためだ。護衛の役割を放棄した騎士2人が戻ってくるほうが、まだ信じられる。
シエナを牽制するために1人を留め、残りの敵3人は、急接近してくる乱入者2人へと襲いかかっていった。
(危ない!)
少女は未だに危機を脱していない我が身を忘れて、心配してしまう。特に少年のほう。
青年は立派な身体つきだし、如何にも戦い慣れている雰囲気を醸し出している。対してもう1人は、街中で良く見掛けるような普通の少年だ。人間相手だろうとモンスター相手だろうと、とてもではないが戦った経験があるようには見えない。
シエナのピンチをたまたま目撃して、なけなしの勇気を振り絞ってくれたのだろうか?
でも、現実は非情だ。思い通りになんてならない。
シエナはイヤと言うほど知っている。意思の強さだけで、力量の差は覆せないのだ。
もちろん、シエナは世界のありとあらゆる事象を理解している訳ではない。ひょっとしたら、常識では考えられない出来事が起こることも、世の中にはあるのかもしれない。
しかしそんな〝奇跡〟との出会いが許されるのは、選ばれた人間だけだ。
そう。オリネロッテのような特別な存在のみが、〝奇跡〟を手にする資格を持っている。
だが、自分は凡庸なメイド。何処にでも居る、ツマラナイ人間。間違っても、ピンチをヒーローに救われる〝ヒロイン〟ではあり得ない。
そして少年もまた、〝ヒーロー〟では無いのだ。
もし仮に自分がヒロインに相応しい人間だったら、彼もヒーローになり得たのだろうか?
自分を助けにやってきてくれた勇敢な少年がアッと言う間に襲撃者に切り伏せられる未来を想像し、シエナは絶望をより深くする。
(貴方を、私とフィコマシー様の運命に巻き込んでしまった。ごめんなさい。ごめんなさい!)
名も知らぬ少年に、ひたすら謝る少女。
死ぬのは自分が先か、彼が先か。
けれどもシエナとフィコマシー、そして少年の物語は、ここで終わりでは無かった。
シエナの目の前で、彼女にとって到底信じられない常識外の事態、すなわち〝奇跡〟が起こる。
少年は奇妙な形をしている刀を振るって最初の敵をアッサリ打ち倒し、槍を持った2番手も瞬く間に戦闘不能にしてしまう。息もつかせず馬車に近づいてくるや、シエナにトドメを刺そうとしていた襲撃者の顔面を刀の峰で横殴りに吹っ飛ばしたのだ。
あまりにも異常な展開に、シエナの理解は追いつかない。
まるで、白昼夢を見ているような。
今まさに、死の顎に噛み砕かれんとしていたにもかかわらず。
(救われた? 私、彼に?)
呆然とするシエナの目と、少年の目が合う。
ブラウンの瞳とグレーの髪の平凡な少女。
黒い瞳と黒い髪の平凡な少年。
それが、シエナとサブローの初めての出会いだった。




