240円の誘惑
「白鳥じゃ無くて、白豚だったなんてよ!」
口汚く罵声を上げる男。
フィコマシー様は辛そうに顔を歪め、シエナさんはもの凄い早さで男に駆け寄った。続けて勢いそのままに、男の無防備な腹部を容赦なく蹴り上げる。
「グェ!」
蛙が潰れたような呻きを発し、男が白目を剥く。
シエナさんは再び気絶した男を冷酷な目で見下ろしつつ、片手で折れたレイピアを弄び始めた。
おいおい。まさか男の不敬な物言いに腹を立てて、トドメを刺す気になっちゃったんじゃないよね?
ヒヤヒヤしながら眺めていると、シエナさんは大きな溜息を吐いた。そして、泡を吹いている男の口を布で塞ぐ。
男がこれ以上余計なセリフを口にできない状態にすることで、何とか我慢したようだ。
フィコマシー様は、俯いたままだ。
ミーアが、心配そうにフィコマシー様を見上げている。人間語が良く分からないミーアにも、男の叫び声がフィコマシー様の心を傷つけたという点は理解できたらしい。
やっぱり〝白豚〟って単語は、フィコマシー様を指してるのかな。
……それなら、〝白鳥〟という単語は誰を示したものだったんだ?
僕が疑問に思う中、マコルさんがこれから後の行動方針をシエナさんに伝え始めた。
何故か、今の展開を完全にスルーして。
マコルさんの話によると、ココより東へ凡そ100サンモラ(5キロ)ほど行ったところに〝ロスクバ〟という小さな村があるそうだ。『そこから荷車を借りてきて、身動きできない男たちを運搬するつもりだ』と、マコルさんは述べる。
マコルさんが、シエナさんに尋ねた。
「私たちは、この男たちをロスクバまで運びます。早めに手当てしないと死んでしまうので。フィコマシー様とシエナさんは、どうなされますか? もし、このままナルドットへ向かわれるのでしたら、護衛にモナムを付けますが」
キクサさんが、1匹のマルブーからテキパキと荷物を下ろす。そして身軽になったマルブーに乗り、ロスクバ村へ出発した。
荷車を借りに行くのだろう。
マコルさんは、この場でフィコマシー様たちと別れる可能性も視野に入れているようだ。
モナムさんはマコルさんの意見にチョット不満そうだが、黙ったままだ。リーダーの指示には異議を唱えない人柄なんだね。バンヤルくんなら、大声で抗議しそうだけど。
それにしても『僕(サブロー)をフィコマシー様たちの護衛に付ける』という選択肢は、マコルさんの考えの中には無いのかな?
え~と……僕が、フィコマシー様の護衛になる。
すると、ミーアも当然、僕に付いてくる。
で、マコルさんたちは、ミーアとこの場でお別れしなくちゃならなくなる。
♢
『マコルさんたち、もう一生会うことも無いと思うけど、元気でニャ~』
「「「「ミーアちゃん――――――――!!!!」」」」
♢
……うん。そんな思案が、マコルさんの頭に浮かぶはず無いね。
シエナさんはフィコマシー様と少し相談した後、「私たちも、ロスクバ村へ同行させてもらいます」とマコルさんに告げた。
え? フィコマシー様たちは、一刻も早く御領主様が待っておられるナルドットの街に着かなくちゃいけないんじゃないの?
ナルドットはこの主要街道を北に向かった先にあるため、東のロスクバ村を経由すれば完全に遠回りになってしまう。
現在の時刻より勘案して、多分今夜はロスクバ村に泊まることになる。1日のロスだ。にもかかわらず、フィコマシー様とシエナさんは僕たちと一緒にロスクバ村へ行くことを決めた。
……何だろう。釈然としない。チグハグな感じがする。
僕がモヤモヤとした思いに囚われていると、シエナさんが「フィコマシーお嬢様が馬車の中でお休みになられますので、サブローさんとミーアさんはお嬢様の話し相手になってくださいませんか?」と提案してきた。
面倒ごとの予感がする。『いやいや。男の僕が、お嬢様と同乗するなど恐れ多いので遠慮します』との断り文句なら、角は立たない……はず……だよね?
僕がどうやって上手に拒否しようか悩んでいる間に、ミーアはアッサリとフィコマシー様に連れられて馬車の中に入っていってしまった。
ミーアァァァァァ! 無警戒にも、ほどがあるよ!
バンヤルくんの「サブロー! ミーアちゃんの身に何かあったら大変だ。早く行け!」との声に急かされて、僕は慌てて馬車に乗り込んだ。
分かっていたことだけど、バンヤルくんにとってもミーアのほうがお嬢様より格上の存在なのね。
僕に続いて、シエナさんが馬車の中に入ってくる。
バタンと、メイドさんが馬車の扉を閉じた。
馬車の中には、フィコマシーお嬢様・シエナさん・ミーア・僕の4人。
馬車の内部は対面座席になっていた。
こういう場合は、2対2で向かい合って座るのが普通じゃないのかな? それなのに一方の席にはフィコマシーお嬢様が1人で座り、もう一方の席にはシエナさん・僕・ミーアの3人が座っている。
いや、分かりますよ! 人間には、それぞれの体格に応じた占有面積ってものがありますからね!
この1対3の変則的な座り方のほうが、バランス的には丁度良い。
でも無理すれば、フィコマシー様の隣にシエナさんも座れるでしょ? どうして、僕とミーアが座っている席のほうに来るんですか?
おかげさまで僕は、奥に居るミーアとドア側に座ったシエナさんに挟まれる形になっちゃいましたよ。
何だろう、この状況?
僕の左側にミーア(猫族少女)、右側にシエナさん(モブメイド)、正面にフィコマシー様(ふっくらお嬢様)。
閉ざされた空間に、美(?)少女3人と一緒。
ウェステニラ転移前の僕だったら、狂喜するようなシチュエーションだ。
♢
小学校6年生の時の遠足で、近場の山に登ったことがある。
頂上に到着した後の、楽しいランチタイム。「さあ、お昼ご飯にしましょうか」との先生の合図とともに出来上がった僕のグループは、男子6人だけだったっけ。
あれは、苦い思い出だ。
「何で、このグループには女子が居ないんだよ!?」と悔し涙にくれる僕たちの目に映ったモノ。
それは、クラスで1番女の子から人気を集めていたサトシくん(仮名)が女子5人に囲まれながら、お弁当を食べてる姿だった。
サトシくんのグループは、男1に女5。僕たちのグループは、男6。
……どっちも人数は6なのに、この圧倒的格差感。
僕が『人間は平等では無い』という残酷な現実を、生まれて初めて思い知った瞬間だった。
お母さん、あの日の卵焼きの味はしょっぱかったよ……あと、山の頂きからの景色は涙で霞んで見えなかった……。
小6にして早くも中二病を患ってしまった僕は、世の不平等に憤り、革命思想に目覚めた。
子供向けの世界史漫画で、フランス革命のページを読み漁った記憶がある。
フランス革命の指導者ロベスピエールは、中学時代の僕が最も尊敬する偉人だった。
高校生になって、36歳で死んだロベスピエールが生涯独身で童貞であったと知ったときは「神よ……」と呟いたものだ。
でも、日本の歴女の間ではロベスピエールの同僚だったサン=ジュストのほうが人気があるね。
何故だ!? ロベスピエールがフケ顔で、サン=ジュストがイケメンだからか! 偉大なる革命家たちでさえも、顔面偏差値という絶対的な上下関係より逃れることは出来ないのか?
ああ、無情……〝自由〟と〝平等〟と〝友愛〟はどこ行った……。
まぁ、既に中二病より卒業している今の僕は、ウェステニラで革命を起こそうとかコレっぽっちも考えちゃいませんけどね。
ギロチンで死にたくなんてないし。
世の中に必要なのは、革命じゃなくて改善なのです。
ベースアップは要求しますが、会社が倒産しちゃ元も子も無いのです。
♢
そして現在微少女……じゃ無くて、美少女3人に囲まれている僕は、まさに〝富める者〟。
革命において打倒すべき対象だ。
「ウハハハ。どうだ、モテない男どもよ。羨ましかろう!」と豪語しても不思議ではない身分に上り詰めた僕。
なのに、どうしてかな? ちっとも、嬉しくない。むしろ、冷や汗が出る。壁際でウロチョロしているネズミになった気分だ。
〝肉まん〟に釣られて誘いだされたところを〝猫〟に捕まり、〝メイド〟に処分される未来図が脳内に浮かぶ。
「そう、ミーアというお名前なのね」
「ミーアにゃ」
「『ミーアちゃん』って呼んでも良い?」
「良いニャ」
「ミーアちゃん。私の名前は、フィコマシーよ」
「フィコマシー様にゃ」
僕の困惑とは無関係に、フィコマシー様とミーアのお喋りは弾んでいた。ミーアも少しずつだけど、人間語を聞き取って言葉を返せるようになってきている。
フィコマシー様とミーアの会話を余所に、シエナさんがスリスリと僕に身を寄せてきた。
「サブローさん。襲撃者から私を助けてくださって、ありがとうございました」
潤んだ瞳で僕を見つめるシエナさん。
「あの時は、本当にダメかと思いました。怖かったです。颯爽と現れたサブローさんの勇姿が、瞳の奥に焼き付いて離れません」
「シ、シエナさん……」
「〝さん〟付けなんて止めてください。『シエナ』と呼んで」
シエナさん……シエナの囁き。甘い吐息。少女の右手が、ギュッと僕の左手を握った。
人間の女の子に、ここまで身体を密着されたのは……記憶にない(ミーアは、獣人なので)ぞ。初体験だ。
胸が高鳴る。頭がクラクラする。
突如として、車内がピンクの空気に包まれたような感覚に……。
え? シエナって、もしかして僕に惚れちゃったの? さっきの戦闘のせいで?
これが、噂の吊り橋効果ってヤツか。
シエナは確かにモブ的な容姿だけど、改めて見るとなかなかキュートだ。『自分に好意を寄せてくれる女の子は、無条件に可愛く感じられる』という都市伝説は、真実だったんだね。
グリーン! ひょっとしたら、僕に彼女が出来るかもしれないよ。
これで、僕もとうとう〝彼女持ち〟か。デートの行き先と予算を考えないとね。
いや~、モテる男は辛い。
僕は〝彼女無し〟と〝彼女持ち〟の間を隔てる階級の壁を、乗り越えることに成功したのだ!
自分が〝支配する側〟に回ったら、革命なんて必要じゃ無いね。
『パンが無いのなら、お菓子を食べれば良いじゃない?』と言ってやるぜ!
〝彼女無し〟の愚民どもよ! 〝選ばれし我〟の前に、ひれ伏すのだ。
現体制を覆そうとする革命家など、徹底的に弾圧してやる。
と、そんな妄想にふけっていると……。
「サブロー……」
シエナ(←既に呼び捨てが定着)が、腕を絡めてくる。
シエナ、ちょっと大胆すぎない? フィコマシー様やミーアが変に思うかも。
そ、そ、それにシエナ、胸が当たってるよ。まるっきり、『当ててんのよ』状態になってるよ。
シエナの胸の膨らみはモブ少女に相応しく、やっぱり平均っぽい。女子の胸の大きさの平均なんて知らんけど。
でも、少なくともミーアのようにペッタンコでは無い。それなりに、存在感があるおっぱいだ。そう、ちょうど肉まんくらいの大きさ……。
その時、僕は正面に座っているフィコマシー様の顔をたまたま見てしまった。
ミーアと楽しそうに言葉を交わす、フィコマシー様。
笑みを浮かべているためか、ホッペタが膨らんでいる。
フィコマシー様の、もちもちのホッペタ。なんか、肉まんが口の両端に付いているような感じ。
つまりフィコマシー様のホッペタとシエナのおっぱいは、同じ程度の大きさなのか……どちらが柔らかいんだろう……しかしながら、どっちにしろ肉まんか……税込み定価120円……おっぱいは胸に2つ付いているから、合わせて240円……。
240円の誘惑に堕ちる男。
それが、今の僕。
あまりにも、チョロすぎない!? 飢餓状態が長かったとは言え、どんだけガッツいてんだよ!
5人の女子に囲まれつつ悠然と弁当食ってた、小6のサトシくん(仮名)を少しは見倣えよ!
僕の頭は急速に冷えた。
脳みその温度が、冷凍ピザまんくらいになる。
シエナ……いや、シエナさんの態度が不自然すぎることに、ようやく僕は気が付いた。
ロベスピエールの「童貞説」には異説もあります。内縁の妻が居たとか居なかったとか。「ハッキリしてくれ!」と作者個人としては言いたいです。
あと、フランスの歴史上の人物で作者が憧れているのはルイ15世です。
あんな風に、無能で怠惰で恵まれた一生を送りたい……(←ダメ人間の発言)。




