馬車への襲撃
猫族の村を出立して3日目のお昼頃、僕たちはようやく獣人の森を抜け出ることが出来た。
森の外は、小高い丘がところどころ点在している平原地帯だ。草木はまばらで、気持ち良い風が空間を吹き抜けていく。
広い空に、広い大地。
日本に住んでいる限り、北海道を除けばあまりお目に掛かれないような雄大な光景だ。
獣人の森とは違い、歩きやすい地形であることに取りあえずホッする。
『ふぉぉぉぉ』
歓声を上げるミーア。
ミーアが森の外に出るのは、これが生まれて初めてなのだ。貴重な初体験。何もかもが、新鮮に感じられるに違いない。
『サブロー、見て見て! 空を遮るものが何にも無いニャ! お日様、ポカポカにゃ』
はしゃぎ回る猫族の少女を見ていると、ついつい頬が緩んでしまう。
ミーアは、ホント可愛いなぁ。
しみじみ感慨に耽っていた僕だったが、ふと、我に返って行商団一行の表情を確かめてみた。
みんな、ミーアを微笑まし気に眺めている。バンヤルくんに至っては、直射日光を浴びた雪だるま並に顔が蕩けきっていた。
もしかして僕と彼らのミーアに向ける〝想い〟には、何の違いも無いんじゃなかろうか?
いや、そんなはずは無い!
それじゃ、まるで僕もケモナーみたいじゃないか!
第一、僕が猫族の女の子で可愛いと思ったのはミーアだけで、ブリンデやモッケに対しては後退りの感情しか抱かなかったぞ!
何と言っても、あの2人は、物欲に忠実で金銭にがめつかったからね。
『私の夢は、獣人の森で〝金のなる木〟を見付けることなんニャ!』と白猫ブリンデが宣言した時は、「この子、頭は大丈夫なんだろうか?」と本気で心配したものだ。
単なる比喩的表現だったにしろ、実際に〝金〟が生っている木を探す気だったにしろ、どっちにしても思考回路がヤバすぎる。
ミーアの『立派な冒険者になるニャ!』という夢とは、雲泥の差だね。
ミーアには、いつまでもその純真さを失わないでいてもらいたいものだ。
地面の上で軽快に跳びはね、クルクルと回るミーア。猫耳と尻尾をつけた少女の姿はとても可憐で、眺めているだけで胸が一杯になる。ああ、僕も幸せな気分に…………あれ? ミーアが、人間バージョンになってるぞ?
どういうことだ?
ゴシゴシと、手で目をこする。深呼吸し、今一度、見る。
……やっぱり、ミーアが人間の容姿になっている。
何でだか、真美探知機能を使用しちゃってるみたいだ。
思い出す。
そう言えば、ホワイトカガシにミーアが重傷を負わされた折も、特に意識はしなかったにもかかわらず、探知機能が発動したな。
…………つまり、知らず知らずのうちに、探知機能をONしてしまうケースがあるってことか?
ミーアの例を考えると……おそらく僕が対象の女性に好意を持っていて、しかも感情が高ぶると、無自覚に探知機能を起動してしまうんだろう。「その女性の美しさの本質を捉えたい!」との思いに火がつく感じ?
これは、注意しなければ。真美探知機能の乱用は、高リスク案件にしてNG事項。
地獄の特訓で鍛え上げた、自制心・克己心・禁欲の心構えを再確認し、精神の底に据え直す。
ま、僕は〝自分に厳しく、易きに流れず、都合の良い妄想とか絶対にしない、ストイックな人間〟だから、殊更に不安がる必要は無いと思うけどね。
天空の遙か高みより爺さん神が「間中三郎よ! お主の自己認識はどうなっとるんじゃ? ストイックな男が、美少女ハーレムや豪遊や酒池肉林を望むわけ無いじゃろが!!!」とツッコむ声が聞こえてくるような気がしないでもないが、スルーする。
ウェステニラの大地のもと、無邪気に世界と戯れる猫耳の少女(女子中学生風)。その活き活きとした様を充分に堪能したあと、僕は真美探知機能をOFFにした。
うん。ミーアは、どっちの姿でも魅力的な女の子だ。
♢
森から平原へと続いている道をしばらく辿っていくと、やがて幅の広い街道に合流した。
簡素ながらも石畳で舗装されている道路の出現に、僕は驚く。
「王都ケムラスとナルドットの街をつないでいる街道ですよ。順調にいけば、明日の夕暮れ時までにはナルドットに到着できるでしょう」
マコルさんが、僕とミーアに説明してくれる。
森を抜けてモンスターに襲われる確率がグンと減ったためか、マコルさんたちも緊張を解いているようだ。
僕とミーアの人間語の授業に、バンヤルくんが強引に参加してきた。
「ミーアちゃん。俺の名前は、バンヤルって言うんだ」
「バンニャルにゃ」
「バンヤル」
「バンニャル」
バンヤルくんが、何とか自分の名前をミーアに正確に発音してもらおうと四苦八苦している。
2人のやり取りを面白半分に見守っていた僕の耳に、微かな剣戟音が響いてきた。
「ミーア、バンヤルくん。ちょっと、静かにして」
耳を澄ます。
金属のぶつかり合う音と複数の人間が発する怒声が、前方にある丘の向こう側より聞こえてくる。
僕はミーアとバンヤルくんにこの場に留まるように言い訊かせ、全速力で走り出した。前に居るマコルさんとキクサさんを追い越し、道が延びている丘を一気に駆け上がる。
丘の上からは、随分と先まで見通せた。
思わず息を呑む。
現在の僕の立ち位置より10サンモラ(500メートル)程度離れた場所で、1台の大型馬車が襲撃に遭っていたのだ。
正直、異世界に転移して最初に出会うテンプレシーンは〝馬車襲撃〟じゃないかと予想(夢想?)したこともある。
盗賊に襲われる馬車。
颯爽と救いに駆けつける僕。
救出した馬車の中より出てくるのは、当然ながらお姫様。お姫様から感謝の言葉を頂いて、その後はお城に同行。たくさんの褒美を貰って、王族や貴族とも懇意になる。「僕の異世界生活は楽勝だ!」という流れ。
しかし、いざ現実の馬車襲撃場面を目撃してしまうと、どうして良いのか分からない。
だって、そうだろう?
僕は、事件の内情について何も知らない部外者なのだ。
ひょっとすると、襲っている側は仇討ちにやってきた元被害者で、襲われている側がかつて残虐行為を働いた元加害者なのかもしれない。ヘタしたら、「味方したほうが、悪人だった」なんてケースもあり得る。
どちら側にも、安易に加勢なんて出来ない。
ともかく、良く観察してみよう。
襲撃しているのは、4人の男たち。いずれも屈強な体格と顔立ちで、装備もそれなりにシッカリしている。単なる盗賊といった雰囲気じゃない。
馬車を背にして戦っているのは、2人の護衛。格好からして、おそらく騎士階級の人間だ。両人とも馬を乗り回しつつ、襲撃者に対抗している。
2頭立ての4輪馬車は、見るからに立派な代物だ。天井付きの箱形で窓も閉め切られており、内部の様子は分からない。
けれど騎士が2人も護衛に付いている以上、中に居るのはそれなりに重要な人物である可能性が高い。
ミーアが追いついてきて、僕の腰にしがみつく。マコルさんたちも、すぐに丘の上にやってきた。
「どうしましょうか?」
マコルさんにお伺いを立てる。彼が、この一行のリーダーなのだ。
「すぐに、この場を離れましょう」
「え!?」
馬車を見捨てるんですか? とまでは口にしなかったが、マコルさんは僕の言いかけたセリフを察したらしい。
「サブローくん、理解してください。私が守るべきなのは、仲間と同行者である貴方がたなのです」
マコルさんの意見は正しい。
バンヤルくんはちょっと不満げだが、キクサさんとモナムさんは頷いている。
そもそも身体を鍛えてるとは言え、マコルさんたちは商人だ。あの戦闘現場に割って入れるのは、この中では僕とモナムさんぐらいだろう。
僕の浅はかな好奇心のせいで、行商人の皆さんやミーアの身を危険に晒すわけにはいかない。
…………く! 納得しなくちゃ。
息を吸い、軽く頭を振る。
マコルさんの提案に同意する前に、今一度事態を確認しておこう。
改めて、襲撃の現場に目を向けてみる。すると、とんでもないことが起こっていた。
何と、騎士の2人が馬車を放置してスタコラ逃げだしたのだ。
ナルドットの方向へ馬を走らせ、アッと言う間に見えなくなる。馬車の御者らしき男も、騎士を追って現場より遁走していった。
襲撃者4人と大型馬車1台が、ポツンと取り残される。
僕もマコルさんも他のみんなも呆気に取られながら、事態の推移を見つめるしかなかった。
どうして騎士たちは馬車を見捨てたんだ? あの馬車は囮で、中は空っぽなのか?
僕が丘の上でアレコレ想像を巡らしている間にも、襲撃者たちはソロソロと馬車に近づいていく。
護衛を失った馬車は、完全に無防備状態だ。
襲撃者の1人が馬車の扉に手を掛けようとした次の瞬間、馬車のドアが突然内側より開いた。
あっ! やっぱり、馬車の中には人が居たんだ。どんな人が乗ってたのかな?
立派な馬車を利用できる立場の人物なのだから、貴族か裕福な商人に違いない。
そんな僕の読みに反して、馬車の中から飛び出してきたのは、1人のメイドさんだった。
黒いワンピースに、白いエプロン。頭にはカチューシャ。
そう、全日本男子高校生の憧れ、〝リアルメイド〟が現れたのである。
もう、訳が分からない。
しかし、襲撃者たちは〝メイド出現〟という異常事態にも全く動じず、メイドさんへ攻撃を仕掛けた。
凄いな、あの襲撃者たち。僕が彼らの立場だったら襲撃を一旦中止し、メイドさんに詳しい事情の説明を求めてしまうよ。
メイドさんは腰に提げていた細剣を抜き放ち、4人の襲撃者と渡り合う。
あのメイドさん、強い。
もしかして、さっき逃げ去っていった騎士モドキどもより、腕が立つかも?
けど、4人を同時に相手するのはさすがに苦しそうだ。
ジリジリと追い詰められていく。
それでもメイドさんは逃げずに、必死になって馬車を護っている。
馬車の中には、彼女にとって大切な人でも居るのだろうか?
僕は救援に駆けつけたくなった。
先程とは、状況が違う。メイドさんは、どう見ても10代の女の子だ。僕と無関係の人間であっても、見殺しにはしたくない。
モナムさんとバンヤルくんも、僕と同じ気持ちらしい。今にも、丘を駆け下りそうだ。
そんな2人と僕を、マコルさんが窘める。
「ダメですよ。モナム、バンヤルくん、サブローくん」
マコルさんの目は厳しい。
「確かに、あの女性は気の毒です。しかし、私には貴方たちの身の安全のほうが、はるかに重要なのです。勝手な真似は、許しません」
「でも、マコル様!」
「レスキュー、メイド」
バンヤルくんとモナムさんの訴えにも、マコルさんは耳を貸さない。
「ダメったら、ダメです。私は、1度口にした言葉は絶対に翻しません」
どうやら、マコルさんの決意は固いようだ。説得は不可能な模様。
マコルさんたちとこの場で決別して、メイドさんを助けに向かうか? いや、そんな軽率な判断は……。
悩んでいる僕に、ミーアが語りかけてくる。
『あにょ女の子、襲われてるニョ?』
『ああ』
『サブロー、お願いニャ。あの子を助けてあげて欲しいニャン』
ミーアは、僕と森のモンスターたちとの戦いを何度も見てきた。だから、僕の強さに対して絶大な信頼を寄せてくれている。
僕が救援に向かえば、必ず勝てると信じているのだ。
『ミーアちゃんは、馬車を護っている女性を助けて欲しいニョですか?』
マコルさんが口を挟んできた。
バンヤルくんが述べていたな。マコルさんは、猫族語が話せると。
『ハイですニャン。マコルさんにも、お願いしますニャ』
『ミーア、無理を言ってはいけないニャン。マコルさんは1度口にしたことは絶対に翻さニャいと……』
『承知しましたニャ。ミーアちゃんの頼みを、断る訳にはいきませんニャ』
え!?
マコルさん、一瞬のうちに掌を返しちゃったよ。
ミーアの〝お願い〟によって、マコルさんの固い決意は雨に濡れた泥団子同然になってしまった。
「ミーアちゃんが、あの女性の救出をお望みだ」
マコルさんが、キクサさん・モナムさん・バンヤルくんの3人へ告げる。
「ミーアちゃんの依頼は、受諾必須事案だ」
「勇気100倍」
「うぉぉぉぉ! ミーアちゃんの期待に応えてみせるぜ」
彼らの勢いにビックリしたのか、ミーアの瞳は丸くなり、シッポの毛が逆立った。
メイドさん、待っていてくれ!
今、ケモナー一行(と僕)が助けにいく!
『女中』や『侍女』と聞いても「フーン」てなるのに
『メイド』と聞くと「ウォォォォ」てなるのは何でだろう……




