ククリちゃん
猫族の村を出て、最初の夜がやってきた。
猫族の村からベスナーク王国の辺境の街ナルドットまでは、森の中で2日、街道で2日、計4日の道程になる。
夜営で欠かせないのは、見張りだ。2人1組、3交替制とのこと。
「俺、ミーアちゃんと組みたい!」
早速バンヤルくんが自薦してきた。即座に、拒否させてもらう。
今日1日、バンヤルくんとジックリ話し合って僕は悟ったのだ。
彼はミーアと2人きりにさせちゃいけない人種である、と。
バンヤルくんはブツブツ愚痴を零していたが、キクサさんによる「獣人はあくまで愛でるものであって、無遠慮な接近は失礼だ」「少しは道理を弁えろ」などといった叱責もあり、最終的には引き下がってくれた。
マコルさんやキクサさんはケモナーであっても、バンヤルくんとは一味違うね。
《世界の片隅から獣人を愛でる会》会員は《世界の中心で獣人への愛を叫ぶ会》会員より、理性的な人たちなんだろうか?
行商人の皆さんを、秘かに観察してみる。
すると、夜営の準備をしている合間合間に、マコルさん・キクサさん・モナムさんがミーアへ向けてさりげなく視線を走らせていることに気が付いた。ちなみにバンヤルくんは、ミーアをガン見している。
目が血走っているバンヤルくんとは異なり、3人の眼差しには温かい慈しみの光が籠もっていた。
しかし僕は、そこに得体の知れない邪悪さを感じてしまう。
〝邪悪な慈しみ〟って自分でも何を言ってるのか分からないけど、ともかく僕にはそう思えるのだ。
礼儀正しく親切で穏やかであっても、ケモナーはケモナーなのである。ミーアの身を守るためにも、警戒を怠らないようにしよう。
見張りの順番を決める際には、マコルさんが僕とミーアの組を3番目に回してくれた。
夜営の準備が終わったらすぐに眠れて、夜明け前に起きれば良いのだから、1番楽な時間帯だ。
「ミーアちゃんに、無理をして欲しくはありませんので」
大人の笑みを浮かべる、マコルさん。
さすがは、ケモナー紳士。
ミーアへの心配りは万全だ。
「やんごとなきミーアちゃんに、夜営の見張りなんかさせられっかよ! 俺がミーアちゃんの分まで見張りする。別に、ミーアちゃんとペアになれなかったから言ってんじゃねーぞ」
バンヤルくんがひとしきり騒いでいたけど『冒険者にニャるんだから、見張りをするのは当たり前ニャ』とのミーアの意向を伝えると「さすがは、ミーアちゃん! まさしく、ノブレス・オブリージュ! ミーアちゃんの尊い考えに気づけないなんて、俺もまだまだ未熟だぜ」とすぐに納得した。
うん。バンヤルくんは、もっと精神の色んな部分を成熟させたほうが良いね。
出来れば、ケモナーから遠ざかる方向で。なんかもう、手遅れのような気もするけど。
あと、ノブレス・オブリージュ……〝高貴なる者の義務〟とか、なに訳の分からない単語を口にしてるの?。
バンヤルくんの身分感覚は、あからさまにオカしい。それをスルーしているマコルさんたちの秩序感覚も、そこはかとなくオカしい。
♢
明け方近く、見張りをしつつ僕はミーアに人間語のレッスンをする。
まずは、単語からだ。
「あれは、〝星〟」
「星ニャ」
「今は、〝夜〟」
「夜にゃ」
……ミーアは人間語で喋るときも、語尾に〝ニャ〟が付くな。チュシャーさんが人間語で話した際には、その語りはとても流暢で、語尾に〝ニャ〟とか〝ニャン〟とかは付いていなかったのに。
これって、僕の教え方が悪いの?
取りあえず、人間語の授業を中断して一休みすることにした。
僕は、ダガルさんより譲り渡された山刀を改めて握りしめる。
猫族が使っている普通の山刀より一回り大きく、ズッシリとした重みを掌に感じた。
おそらくだが……ダガルさんは「この刀でミーアを守ってくれ」という願いを込めて、自分の愛刀を僕に贈ってくれたんだろう。
ダガルさん、貴方の思いを僕はシッカリ受け止めましたよ!
ウェステニラの夜空に、2つの月が浮かんでいる。
山刀を抜き放つ。
昼間の日光のもとでは、ひたすら物騒に感じられる山刀の刃。けれど闇夜の中、月光によって仄かに照らし出された刀身は鈍い輝きを放っており、妖しくも美しい。
ダガルさんの刀に時間が経つのも忘れて見入っていると、ミーアが声を掛けてきた。
『パパがいつも身に帯びていた刀を、サブローが持っているって、何か不思議ニャ』
そうだね、ミーア。
もう、〝ダガルさんの刀〟じゃ無い。〝僕の刀〟だ。
『この刀に、号はあるのかニャ?』
僕の何気ない呟きに、ミーアが反応してくる。
『号?』
『うん……「この刀に名前はあるのかニャ?」と思って』
これだけ立派な山刀なんだ。号やら銘やらがあっても、当然のような気がする。
『刀の名前なら、あるニャ。パパが、良く口にしてたニャン』
『やっぱり、あるニョ! ミーア、僕にも教えてくれニャいかな?』
どんな名前かな? 刀の名前なんだから、お洒落でハイセンスなものに違いない。
正宗とか、虎徹とか、エクスカリバーとか。
時代劇のサムライがしばしば口にする〝刀名を絡めた決めゼリフ〟には、昔から憧れてたんだよね。
僕も、ここぞという時に活用するつもりなのだ。「我が名刀ムラサメマルに切れぬもの無し!」なんてね。
『その刀の名前は、〝ククリちゃん〟ニャ!』
『え!?』
『ククリちゃん』
ククリちゃん!? この山刀の名前は、〝ククリちゃん〟って言うの?
確かに形状は地球のククリナイフに似ているけど、地球とウェステニラの間に情報の行き交いは無いはずだよね。
僕が地球よりウェステニラへ送られる初めての転移者だと、爺さん神は話していた。
どのような関連性があって、そんな名前になってるの? 誰か教えて。
強敵との戦いで「貴様を、ククリちゃんの錆にしてくれよう」と相手に告げたり、宵闇の中で「今宵のククリちゃんは、血に飢えている」とか呟いても、ちっとも格好良く無いよ!
よもや、〝ククリちゃん〟ってネームはダガルさんが付けたんじゃないだろうな?
だとしたら、センスが無さすぎる。せめて〝ちゃん〟付けは、止めて欲しかった。ダガルさんには、ガッカリだ。
落ち込んでいる僕の側で、ミーアがお喋りを続ける。
『アタシは、ママから〝お護り代わりに〟って小刀を貰ったんニャ。ママが呉れた小刀と一緒に立派な冒険者になるのが、アタシの夢なのニャ。サブローの夢は、何なのかニャ?』
その時の僕は刀のネーミングのほうに気を取られており、ミーアとの会話に集中できていなかった。
なのでウッカリ、ミーアからの問いかけへ反射的に答えてしまう。
『ああ、僕の夢はハーレムを作ることなんニャ』
『ハーレム? サブロー、いま〝ハーレム〟と言ったのニャ?』
ミーアの声の響きに、剣呑さが混じる。
ハッとして、ミーアの顔を見た。
ミーアの瞳孔が狭くなり、眉間には微かにシワが寄っている。
シマッタァァァァァ!
痛恨のミスだ。
気を抜いていたせいで、ポロッと本音を漏らしてしまった。
ヤバいよ! 迂闊な一言のために、シコシコと積み上げてきたミーアとの信頼関係が一挙に崩壊してしまうかもしれない。
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『〝夢がハーレム〟なんて、サブローは最低にゃ! そんなにハーレムを作りたいんにゃら、オットセイにでもなるとイイにゃ!』(※注 オットセイのオスはハーレムを作ることで有名です。50人もの子供を作った徳川11代将軍家斉は、オットセイ将軍と呼ばれました)
ミーアが僕を軽蔑の眼差しで見つめてくる。
違うんだ! ミーア、誤解しないでくれ!
夢を高いレベルに設定すればするほど、叶えられる現実も少しは嵩上げできると言うだろう? ハーレムを夢見て努力すれば、何とか彼女1人ぐらいは出来るかもしれないって思ってるだけなんだ。
〝ハーレム王〟や〝ハーレム将軍〟なんか、決して目指しちゃいないよ!
『言い訳は、見苦しいニャン。〝ハーレム〟と口にした時点で、サブローは好色一代男の同類にゃ。女護が島へ船出するのをお勧めするニャ。ナルドットへは、マコルさんたちと一緒に向かうニャン。さよにゃら、サブロー』
僕の懸命な釈明を無視し、ミーアは行ってしまった。
~バッド・エンド~
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〝ミーアに罵られ、去られるシーン〟を想像して青くなったり赤くなったりしている僕を変に感じたのか、ミーアが不審げに尋ねてきた。
『サブローは何を慌ててるのかニャ? ところで、ハーレムって良く分からニャいから、何なのか教えて欲しいニャ』
……………………助かった!
純心なミーアは、ハーレムという単語の意味を知らないみたい。早いとこ、ミーアを言いくるめてしまわないと。
『ミーア、ハーレムっていうニョはね……』
困ったな。何て説明すれば良いのか分からんぞ。
ヘタな嘘を吐くと後でバレる可能性があるし、正直に話すとミーアの中の僕の評価がガタ落ちになる怖れがある。
言い淀んでいると、ミーアが何かを思い出したようだ。
『そう言えば、パパが「ハーレムは男のロマンにゃ」って言ってたニャ』
ダガルさん、貴方って猫は!
僕の両眼より、涙が溢れだす。
〝娘に向かって、なに口走ってんだ!?〟と思わないでもないけど、それ以上に同志を見付けた喜びに僕は打ち震えてしまう。
猫族の村に滞在していた折、もっと良くダガルさんと語り合うべきだった。より、親交を深められただろうに。
『そうニャんだよ、ミーア。ダガルさんの言うとおり、男のロマンにゃんだよ』
『でも、オカしいにゃ』
『何がだニャ?』
『パパがそう言った時、パパの後ろにママが居て、ママに気付いたパパはガタガタ震えだしたんニャ』
『…………』
『パパは「ち、違うんニャ、リルカ。話を聞いてくれニャン。全ては誤解なんニャ」と口早にママに懇願してたニャ。あんなに焦ったパパの姿を見たニョは、生まれて初めてだったニャン』
『そ、それで、どうニャったのかニャ?』
『パパは、ママに折檻されたニャ』
『…………』
『1ヶ月会話してもらえニャくて、最後は泣きにゃがら土下座して許してもらってたニャン。ママが〝男のロマン〟に何であんなに怒ったニョか、未だに分からないニャ。謎なのにゃ』
『そうなんニャ……』
リルカさん、とっても優しそうな猫だったのに。
やはりハーレムは、女性よりしてみれば地雷そのものなんだな。
『ハーレムについてもっと知りたかったけど、パパにもママにも訊きにくかったから、長老に質問してみたんニャ』
ミーアは好奇心旺盛だね! でも〝好奇心、猫を殺す〟という諺もあるし、ほどほどにしようね。
『それで、長老は何て答えたのニャ?』
年の功で、上手く誤魔化したのかな?
『長老は「ハーレムは男の永遠の憧れニャ」と教えてくれたニャ』
長老、貴方って猫は!
涙が止まらない。
猫族の村には、多くの同志が居たんだね!
『「ワシがあと50歳、若ければ……」と長老が語ってる最中に、チュシャーさんがやって来たニャ』
『…………』
『チュシャーさんは「長老、呆けるのはまだ早いですニャン」と穏やかに語りかけつつ、長老の肩を激しく揉みだしたのニャ。……爪を立てて。長老、悲鳴を上げてたニャン』
……チュシャーさん、もっとお年寄りを労りましょうね。
『それから、チュシャーさんは1ヶ月、長老を〝その場に居ない者〟として扱ってたニャ。最初は「ワシは嘘は吐いていニャい。全ての男を代表して、脅しには屈せんぞニャ」と息巻いていた長老も、次第に萎れていって、最後は土下座しながらチュシャーさんに許しを請うハメになってたニャ』
あんなに威厳があった長老の真実の姿なんて、知りたくなかった。
あと、猫族の村の最高権力者って、実はチュシャーさんだったんじゃね~の?
『それで、サブロー。ハーレムって、結局何なんニャ? 〝サブローの夢〟なら、その実現にアタシも協力するニャ』
ミーアの純粋な好意が、僕を追い詰める。
僕が〝好みドンピシャの美少女(仮)〟に出会って、お近づきになろうとお茶している光景が、何故か頭の中に浮かぶ。僕の傍らには、ミーアの姿。
将来、あり得るかもしれないシチュエーションだ。
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「サブローさん、貴方の夢は?」
「僕の好みのタイプの美少女(仮)さん、僕の夢は……」
「サブローの夢は、ハーレムにゃ! 目標達成へ向かって、アタシも全力で協力している最中にゃ!」
「……ミーアちゃん。私と共に行きましょう。2度と、この人間の屑に近づいてはいけませんよ」
「え!? 美少女さん(仮)は、どうして怒ってるんニャ? 何でアタシを抱えて、全速力でサブローから離れていくのニャ? ああ、サブローが遠ざかっていくニャン。サブロー、サブロー!」
「ミーアァァァァァ!」
~バッド・エンド~
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あかん。このままでは、お先真っ暗や(謎の関西弁)。
『ハーレムは怖ろしい呪文ニャので、これからは絶対に口にしないようにするニャン』
ミーアに必死に言い聞かせる。
純粋無垢な猫族の少女は、コックリと頷いてくれた。
『パパも長老もお仕置きされた上に無視されて、土間に正座までさせられていたニャン。確かに、〝怖ろしい呪文〟ニャ』
世の男性を惑わせ、世の女性を激怒させる。
ホントに、〝ハーレム〟は怖ろしいね!
次回、サブローたち一行が馬車襲撃現場に遭遇します。




