女神との出会いは幸運か?
え?
「地獄を経由して、異世界へ転移するんですか?」
老人の言葉をオウム返しにして、僕は尋ねた。
どういう意味だろう?
「うむ。地獄にはいろいろな種類があるのを、お主は知っておるか?」
「血の池地獄や針地獄、それに蟻地獄とかですね」
「蟻地獄は、昆虫の名前なんじゃが……。ともあれ、多種多様な地獄の中に、特訓地獄と呼ばれる場所がある」
イヤな予感がする。由緒正しき現代っ子として、僕は努力が嫌いなのだ。
「ひょっとして、そこでスパルタ特訓を受けてこいと?」
「その通り。特訓地獄で心身ともに鍛え上げれば、ウェステニラに転移してもやっていけるじゃろう」
「どれくらいの期間、特訓を受ければ良いんですか?」
「それを決めるのは特訓地獄の監督官たちじゃから、ワシには分からん。じゃが、心配無用じゃ。地獄には、時間という概念が無いからの。どれだけの期間、特訓を受け続けても、歳を取ることは無い」
「冗談じゃないですよ! それなら永遠に地獄に居続けることになるかもしれないじゃないですか!」
僕の抗議に、老人は優しげに眼を細める。
「大丈夫じゃ。お主が特訓地獄の監督官たちの期待に応えれば良いだけじゃ。お主なら、きっと出来る! ワシは信じておる」
「根拠無き信頼が痛い!」
「いずれにせよ、異世界に行きたいなら、お主の選べる選択肢は3つじゃ。記憶をリセットして転生するか、このまますぐに転移するか、特訓地獄で鍛錬に励んだ後に転移するかじゃ。どれにする?」
どうやら、これ以上の譲歩は無さそうだ。
考えてみれば、異世界へ転移する前にわざわざ特訓場所を紹介してくれるなんて、大サービスなのは間違いない。せっかくの親切、受けるとしよう。
特訓地獄なら、地獄の浅い階層行きを熱望する特殊な性癖を持った罪人さんたちも居なさそうだし。
「特訓地獄に行きます」
僕の決断に、爺さんは満足そうに頷いた。
「よし、それなら紹介状を書いてやろう。この書簡を渡せば、監督官たちがウェステニラ行きに相応しい訓練を施してくれるはずじゃ」
「重ね重ね、ありがとうございます」
礼をしながら、老人より書簡を受け取る。
「それでは、お主を地獄の入り口へ送るぞ」
爺さんが、どこからか杖を取り出した。多分あの杖を振り回すことによって、僕をこの場所より地獄の入り口へと移動させるのだろう。いわゆる転移魔法というヤツだ。
何も無い空間から書物やら杖やらを取り出すし、ホントに不思議な老人だ。
「お別れの前に、1つだけ質問しても宜しいですか?」
僕には、どうしても確かめたいことがあった。
「何じゃ?」
「ご老人、貴方は何者なんですか?」
「今頃それを訊くとは、お主もノンビリしておるのう」
老人は愉快そうにカッカッカと笑う。
そう言われても、死亡通告に始まり、異世界行きのチャンスの提供と、動揺の連続だったからね。爺さんの正体を気にする暇なんて、無かったよ。
「ワシは神じゃ」
老人は、誇らしげに僕へ宣告した。
「そんなの酷い! あんまりだよ!」
僕の心よりの叫びに、爺さんはビクッとする。
「な、なんじゃ。ワシが神で、何が不満なんじゃ」
「異世界転生を担当する神様と言えば、女神様に決まってるじゃないか! ボン・キュ・ボンのセクシーダイナマイツゴッデスや美少女形態のぴちぴち女神が異世界行きを勧めてくれるから、ストーリーが盛り上がるんだ。だいたい語尾に『のじゃ』を付けるのなら、ロリ女神様にしてくれなくちゃ意味が無い。爺さん神の『のじゃ』発言とか、誰得なんだよ! ガッカリだ。ああ、心底ガッカリだ」
「お主、言いたい放題じゃの」
世界の不条理を嘆いている僕に、爺さん神が述べる。
「ワシとしては、女神に転生を担当された者は不幸じゃと思うがの」
「どうして? 女神様に転生させてもらえるなんて、最高じゃないですか。『あなた、不器用そうだから特典スキルをオマケしちゃう』とか『しょうがないわね。私が異世界まで付いていってあげる』とか言ってくれるんですよ」
「お主が女神にどんな夢を抱いているか知らんが、そんな女神は居らん。むしろ、女神の殆どは気まぐれで残酷じゃ。女神の思いつきで酷い目に合った転生希望者は極めて多く、天界でも問題になった程じゃ」
言われてみると、そうかもしれない。
僕はラノベ基準で女神を想像したけど、ギリシャ神話や北欧神話に出てくる女神には、お近づきになりたくないタイプがけっこう居る。
「思い当たる節があるようじゃの。ある女神は『お気楽な人生をプレゼントするわ』などと告げて、人間をミズクラゲに生まれ変わらせたりしておった」
女神に残酷さに、どん引きだ。イタズラってレベルじゃないぞ。
「ワシが叱りつけると、『だって、クラゲって海にプカプカ浮かんでいてお気楽そうじゃない?』と反論してきおった」
「許せませんね」
「更にその女神は、『刺激的な人生が欲しい』と申し出た人間の転生先を電気クラゲにしてしまいおった」
「どっちにしろ、クラゲなんですね。それに電気クラゲは刺激を与える側であって、クラゲ自身が刺激を楽しんだりはしていませんよ」
クラゲの感情とか、知らんけど。
あと電気クラゲは本当に電気を発している訳ではなく、刺された際の激痛が電気ショックのようなので、そう呼ばれているだけだ。本当の生物名はカツオノエボシ。これ、マメ知識。
「アイツはな」
爺さん神は忌々しそうに、ついに女神の1人をアイツ呼ばわりした。
「『持ち家所有の人生と賃貸暮らしの人生、どっちがお好み?』なんぞと転生待ちの人間に尋ねて、持ち家と答えた人間はカタツムリに、賃貸と答えた人間はヤドカリに転生させおったんじゃ。アメーバやゾウリムシに転生させられた人間も居ったのだぞ」
言葉を失う。
いくらなんでも、単細胞生物には生まれ変わりたくはない。分裂だけが楽しみの人生(?)なんてまっぴらだ。
爺さん神に転生を斡旋してもらえた僕は、本当に幸運だったんだ。
「失礼なことをいろいろ口にして、申し訳ありませんでした」
僕は爺さん神へ、腰を90度に折って深々と礼をした。
「ワシは、人間を単細胞生物に生まれ変わらせたりは絶対にせん!」
「さすがです! 貴方様こそ、神の鑑!」
「最低でも、脊椎動物は保証する!」
「そこは、せめて哺乳類と言って欲しかった」
やはり、神様と人間の相互理解の道は遠そうだ。
血の池地獄や針地獄は、あくまで俗称です。
次回、特訓地獄回。