誰が為の異世界
流血注意。
ホワイトカガシの牙によって串刺しにされた、ミーアの躯幹。
頭の中が真っ白になる。
思考が、目の前の光景を受け入れることを拒絶する。
でも、身体は動いた。
ホワイトカガシの口が完全に閉じられれば、何もかも終わりだ。
「あぁぁぁぁぁ!」
自分から、ホワイトカガシの口の中に飛び込む。
ミーアの身体をかき抱くや、全力で牙より引き抜いた。傷口から、鮮血が迸り出る。
激痛のためか、ミーアが悲鳴を上げる。
ごめん、ミーア!
大地に転がり落ちた僕ら2人を、ホワイトカガシが襲ってきた。
「キッサマァァ!!」
目の裏が真っ赤に染まる。
脳が沸騰する。
コイツだけは、絶対許さない。ここで殺す。殺してやる。
この世界から、消え失せろ!
2人まとめて呑み込めるチャンスだと思ったのか、大蛇の顎が極限まで開かれている。
左腕でミーアのぐったりした血まみれの身体を抱えつつ、僕は右腕を蛇の口内に突っ込んだ。
「《火炎放射》!!!」
火系統における攻撃魔法の基本は《火球》だが、《火炎放射》にはその何倍もの威力がある。
そんな強力魔法を、ホワイトカガシの体内めがけて撃ち込んだ。それも、最大出力でだ。
クソ蛇野郎! 体の中から、焼き殺してやる!
ホワイトカガシの内部に、膨大な熱量が充満する。
大きく膨らんだかと思うと、次の瞬間、蛇の体は内側から弾け飛んだ。頭部が巨体より切り離され、炎の渦に巻かれながら吹っ飛んでいく。
頭を失った胴体が地響きを立ててのたうち回っているが、もうそんなことはどうでも良い。
ミーアを横たえて、傷の具合を確かめる。
無残だった。
大きな裂傷より、絶え間なく血が噴き出している。
ショック状態にあるのか、ミーアの小さな肢体が小刻みに震える。
「ミーア、ミーア!」
必死になって、呼びかける。
僕は何て馬鹿だったんだ。
風と水以外の魔法が使えることを知られたところで、どうだって言うんだ? 些細なことを、さも深刻げに考えて。
ただ、猫族の村の人たちに嫌われるのが怖かっただけなのに。
何が大切で何を優先すべきかを、真剣に検討しようとはしなかった。
異世界での生活を、どこかゲーム感覚で捉えていたのだ。
迂闊だった。間抜けだった。臆病だった。卑劣だった。
そんな僕の愚かさの代償が、ミーアの命なのか。僕と出会わなければ、ミーアがこんな目に遭うことは無かった。
イヤ。そもそも、僕がウェステニラに来なければ――。
『サブロー』
ミーアが、うっすらと目を開く。
『ミ、ミーア?』
『サブローは……火の魔法も使えたんニャね……ほんと、サブローは凄いニャ……』
途切れ途切れのミーアの言葉。
『そんなこと無い! 僕は、凄くなんか無いニャ。ミーア、ごめん。僕は、僕は……』
〝傷一つ付けられることなく、ホワイトカガシに勝ってみせる〟なんて、大口を叩いたくせに。
『サブローは、ケガしなかったんニャね?』
自身は大怪我を負っているミーアが、僕を気遣う。
『ああ、ミーアが庇ってくれたおかげニャ』
『そう。良かったニャ』
ミーアが微笑んだ。
『サブロー、ミーア!』
ダガルさんとムシャムさんが駆けつけてくる。
『サブロー、お前は……』
僕を見る目に戸惑いと微かな恐怖が籠もっている、ムシャムさん。
ダガルさんは腰に携帯していた袋から小瓶を急いで取りだし、中身の液体をミーアに飲ませようとする。
『ミーア、ケガを治す回復薬にゃ。飲むんにゃ』
ダガルさんは小瓶の口をミーアの口もとまで持っていくが、ミーアはポーションを飲めずに口まわりを濡らすだけだった。
『ミーア、しっかりしろ!』
怒鳴るダガルさんの肩を、ムシャムさんがつかむ。
『分かっているワン? ダガル。自分たちが持っている薬草やポーションが効くのは、あくまで軽いケガだけだバウ。骨折や傷の治りが早くなることはあるが、この傷では……出血が、あまりにも……』
〝手の施しようが無い〟とまでは、ムシャムさんは口にしなかった。
ダガルさんはミーアの傷の酷さに今更ながら気付いたのか、絶望した表情になり崩れ落ちてしまう。
『ミーア……』
父親が、震える手を娘に伸ばす。
『パパ……勝手な真似ばかりして……ゴメンナサイにゃ』
ミーアの、か細い声。
ダガルさんは、返事も出来ない。
『サブロー、昨夜はアタシ……サブローに酷いこと言ったニャ……』
ミーアの黄金の瞳が僕に向けられる。どこか、ボンヤリした眼差し。
『そんなこと、もう、どうでも良いのニャ』
『許してくれるニャ?』
『当たり前ニャ!』
『怒ってないニャ?』
『ほんのチョッピリも、怒ってないニャ』
『良かったニャ』
ミーアが安堵したように呟く。
少女の傷口より、血とともに生命も流れていく。このままじゃ……このままじゃ……。
『ミーア。「旅に連れてって欲しい」って、僕に言ったニ? 分かったニャ。一緒に行くニャ。一緒に冒険するニャ。一緒に、ウェステニラのアチコチを見て回るニャ。美味しいものも、お腹一杯食べるニャ。2人で旅したら、きっと楽しいニャン。そうニャ! ミーアの夢は冒険者になることだったニャよね? 2人で冒険者になって、チームを組むんニャ。モンスターを次から次にやっつけて、あらゆるダンジョンを征服して、スナザ叔母さんをビックリさせるくらい活躍して、国から表彰状ニャんか貰っちゃったりして――』
ひたすら、口を動かす。
喋りつづける限り、ミーアの命も保つ気がした。
『サブローと一緒の旅……嬉しい……ニャ……夢みたい……』
ミーアの声が、掠れていく。
虚ろな瞳。もう、僕とダガルさんの姿が見えていないのかもしれない。
『ミーア、ミーア』
涙で顔をグシャグシャに濡らしたダガルさんは、ただただミーアの名前を呼び続けている。
ミーアの命が間もなく尽きることは、誰の目にも明らかだった。
ミーアが死ぬ?
嘘だろう?
どうして?
誰のせいで?
決まっている。他の何者でもない、僕の――俺の馬鹿さ加減がミーアを殺す――。
お願いだ。お願いだ、誰か。ミーアを、ミーアの命を。
神様。
頼むよ、猫神様。アンタは、猫族の守り神なんだろう? ミーアの命を、救ってやってくれ。
救って――――救っ…………て…………っ!
死にもの狂いで神頼みをしかけた時、不意に僕は覚醒した。まるで、雷に打たれたかのような衝撃。
覚束なかった思考が復調し、視界がクリアになる。
僕は、何で信じてもいない神様に祈ってんだ!? 神様になんか縋らなくても、ミーアを助けられる者はココに居るじゃないか。
僕だ。
僕は、光系統の魔法が使える。そして光系統には、傷を癒す回復魔法がある。
♢
特訓地獄で、僕はイエロー様から光魔法が発動できるようになるまで徹底的に仕込まれた。イエロー様所有の〝気合いと根性・注入棒〟でぶっ叩かれながらの訓練だった。
他の系統の魔法より光系統は難易度がとても高かったため、習得にはかなり苦労させられた覚えがある。
光系統の魔法が使えるようになった僕に、イエロー様は言った。
「よくやった、サブロー。正直、サブローが光魔法まで操れるようになるとは思わなかった」
「ありがとうございます。イエロー様」
「うむ。だが、サブロー。ウェステニラへ行ったら、光魔法を安易に使用しないようにな」
「何故ですか?」
「ウェステニラで光系統の魔法を操作できる者は、それなりに居る。しかし、殆どが低レベルの使い手だ。光魔法は高度になるほど、覚えるのが極端に難しくなるのでな。練達者は極めて少ない。回復魔法でチョットしたケガや病を治せる者は多いが、重傷者や重病人を癒やせるほどの魔法使いは殆ど居ない。高位の聖職者などに、稀に存在する程度だ」
そうなのか。
「僕の光魔法は……」
「かなり、レベルが高いぞ。下手に披露すると、貴族や教会に目を付けられたり民衆に祭り上げられる可能性があるくらいにはな。そうで無くとも、回復魔法は極度に体力を消費する。使い方を誤ると、自分の命を危険にさらしてしまいかねん」
「分かりました。僕の異世界生活は安全第一ですので、人前で光系統の魔法は使用したりはしません。回復魔法を使うのも、自分のケガを治すときだけにします。約束します」
「うむ、約束だ」
♢
僕は「自分が楽しみたい」というエゴイスティックな理由で、異世界ウェステニラへやってきた。ハラハラドキドキは大歓迎だが、それも自分の命が保証されていることが前提だ。
異世界を、自分の〝遊び場〟にするつもりだったのだ。
なので、好んでリスクを負おうとは思わない。
光系統の魔法が使えることも、誰にも内緒にする予定だった。
だって、赤の他人に「私の傷を治してくれ」なんてお願いされても、煩わしいだけだろう? 回復魔法は、あくまで自分専用だ。
ウェステニラに転移する前に、そう決めていたのだ。
でも、今ミーアが僕の目の前で苦しんでいる。ポーションも効かない。
放っておけば、ミーアの命の灯はすぐにも消えてしまうに違いない。
ならば、やるべきことは1つ。迷う必要など、無い。
僕はミーアを左腕で抱きかかえると、右の掌を傷口に翳した。
『サブロー、何を……』
ダガルさんの当惑した声。
余計な事に気を回すな。ミーアのみに、全意識を集中するんだ。
心を澄ませ、傷を癒すための回復魔法を唱える。
「《外傷治癒》」
右の掌が熱くなり、眩しいほどの光が溢れ出す。
温かい光に照らされたミーアの傷口が、瞬く間に塞がっていく。
『おお……』『これは何だワン』
ダガルさんとムシャムさんが驚きの声を発する。
説明している余裕なんて無い。
懸命に、回復の光をミーアに当て続ける。
傷の表面が塞がっても、内部の組織が損傷したままだったら意味が無い。治すなら、傷の全てが対象だ。
そして、ミーアがホワイトカガシより受けたダメージは極めて大きい。何と言っても、お腹から背中まで牙が貫通したのだ。ショック死しなかったのが、不思議なほどの大怪我だ。
ミーアの傷を治療するには、半端な魔力じゃ足りない。
可能な限りの回復魔法を傷口に注ぎ込まないと。
魔法をひたすら発動しつづけていると、もの凄い勢いで体力が無くなっていくのを感じる。
そもそも魔素を魔力へ変換する際のエネルギー効率において、6系統の魔法の中で光魔法は最悪だ。更にマズいことに、ホワイトカガシとの戦いで、僕は既にかなりの体力を消耗している。莫大な魔力が要る《火炎放射》まで撃ってしまった。
もともと、僕の体力は残り少なかったのだ。
そこからの回復魔法行使。
身体の中のエネルギーが、余さず搾り取られていく。
自分の命が削られていくような感覚。
ひょっとして、これは、僕の一命に関わる――――――だから?
構うもんか。やれるだけ、やるんだ。
ここで全力を出さなかったら、必ず後悔する。
僕は何のために異世界にやってきた? これから、何のために生きていく? 自分のためか? それだけか?
自分のためだけだって言うんなら、僕はウェステニラの人々にとって単なる迷惑以上の存在にはなり得ないだろう。
目が霞む。
耳鳴りがする。
頭がグラグラする。
何かが、鼻よりポタポタ漏れ落ちる。鼻血を出してしまっているみたいだ。
気が遠くなる。
くそ! こんなところで、気絶してたまるか。気合いだ、根性だ!
唇を強く噛みしめる。その痛みで、少しでも長く意識を保てるように。
頼む、僕の魔力。僕の体力。僕の精神力。
僕とミーアの生命が等価交換って言うのなら、それでも。
それでも、俺は――――
『サブロー……』
気が付くと、ミーアの右手が持ち上がって僕の頬に触れていた。プニッとした肉球の感触。優しい、ぬくもり。
ああ。見える、輝きが。
戻っている。
ミーアの瞳に、輝きが戻っている。
こんな僕へ、微笑んでくれる少女――腕の中の重みが愛しい。
けれど、今のミーアの姿は――そんなこと、どうでも良いか。ミーアが無事であってくれさえすれば、僕は――。
ホッとした次の瞬間、意識が途切れた。




