アナタとだったら、破滅しても構わない
「もしかしてシエナの居場所が分からなくなっている……なんて事はない? だったら、あたしは力になれると思う」
真夜中の侯爵邸。意外な時間に意外な場所で、意外な人物――ドリスが、驚くべき発言をする。
思わず両手で、ドリスの両肩をガッと掴んだ。彼女の金色のツインテールが揺れるのも構わずに、そのまま部屋の中へ引っぱり込む。
「きゃ!」
ドリスが小さく悲鳴をあげた。
「ご、ごめん」
「気にしないで。あ、あたしは平気」
「サブロー、落ち着く。ドリスも落ち着く」
そう言いつつ、ドリスの後ろに立っていた人物が室内に入ってくる。
ドワーフのキアラだった。彼女は低身長な体格であるとはいえ、語りかけられるまで、その存在が目に入らなかったとは……僕も相当に焦っているな。
ドリスが部屋の内部を見回す。そこに、シエナさんの姿は無い。
この場の状況を素早く確かめた後、ドリスはフィコマシー様に一礼して、僕の顔を見た。
「シエナが居なくて、フィコマシー様とサブローの、その凄く憂慮している様子……やっぱり、シエナの身に何かがあったのね。それも、大変な……危ないことが」
「シエナさんは、行方不明になっている。詳細な事情は判明していないけれど、何処かに掠われた可能性が高い」
「掠われた……つまりシエナは自由に動けない状態で、連れて行かれている……」
思い当たる件があるのか、ドリスは納得したように小声で呟く。
「ドリス。知っていることがあるのか? だったら、頼む。どんな些細な内容でも良い。教えてくれ! いや。そもそも、シエナさんの危機に、どうしてドリスは気付いたんだ?」
「うん。それはね――」
ドリスは部屋の中央まで歩いて行った。そこにあるテーブルの上に、小物入れから取り出したゴーちゃんを置く。
『ピギー! ピギピギ』
小さなゴーレムは体を激しく動かし、何ごとかを訴えはじめた。
「え? ゴーちゃん?」
「ドリスさん……?」
僕もフィコマシー様も、戸惑う。
「フィコマシー様。あたしの名前は呼び捨てで」
「……ドリス。その……ゴーちゃんさんは、とても一生懸命ですね。私たちに何を仰っているのでしょうか?」
「今から、ご説明いたします。……ねぇ、サブロー。宝石商であるカルートンの屋敷へ行く前に、あたしが魔法でゴーちゃんを分身させた事を覚えている?」
「もちろん。随分と沢山のゴーちゃんのボディを用意してくれたね」
そしてカルートンの屋敷で、探索や連絡をするなど、ゴーちゃんは大活躍してくれた。
「あの時、あたしは、自分のところのゴーちゃん、サブローに預けたゴーちゃん、カルートンの館の中を動き回ったゴーちゃん、倉庫のほうを調べに行ったゴーちゃん――合計4体のゴーちゃんの他に、もう1体のゴーちゃんを作っていたの」
「え! それは初耳だよ」
「あくまで、念のためだったから。何ごとも無く終われば、そのまま回収すれば良いと思っていたし」
「つまり、ここに居るゴーちゃん以外に、まだ1体のゴーちゃんが存在していて、いまだ回収されていない……?」
「うん。そのゴーちゃんは、シエナが持っている」
ドリスの発言に、衝撃を受ける。
「ど、どうして? 何故、シエナさんがゴーちゃんを?」
「あたしが、この屋敷を出る直前に、彼女に渡したから。万が一を考えて」
「万が一?」
「ある意味でシエナは、ナルドットにおいて、最も危険な立場にある……あたしは、そう思っていたの」
ドリスが発する言葉の内容が、理解できない。
侯爵令嬢のフィコマシー様でも無く、その妹のオリネロッテ様でも無く、現に誘拐されているミーアでも無く、シエナさんが最も危険な立場にある……?
動揺する僕の眼前で、ドリスが話を続ける。
「サブローとクラウディさんの2人が先刻、ハギウズの船を発ったあと、ゴーちゃんが騒ぎ出した。それで、あたしは知ったのよ。シエナに預けたゴーちゃんが、北へ向かっている。トレカピ河を越えて」
「え!」
トレカピ河!?
「渡河地点は、かなり離れた場所だったみたいで……最初は勘違いかと思ったわ。どういう事態が進行中なのか、正確に把握することも出来なかったから。でも、もう一体のゴーちゃんがトレカピ河を渡っていることに強い異常さを感じたので、思い切って、その発信元を追いかけようか? とも考えた……」
「ドリス。それは、無策で軽挙」
キアラが、口を挟む。
「分かってる。あの時もキアラは、そう言ったわね」
「行き当たりばったりで動いても、良い結果は得られない。追跡するための手段も無い。追いついても、空振りに終わる可能性がある。目当てどおりにシエナを見つけたとして、彼女と同行している犯人とぶつかることになる以上、下手したらドリスも窮地に陥る」
ポンポンと喋る、キアラ。しかしながら、その発言の中身は説得力に富んでいる。
確かに……突然の状況勃発で、ドリスには何の準備も無かった。それでは、最良の行動は出来ない。もともと、その時点で、シエナさんが分身したゴーちゃんと一緒に居るのかどうかも不明だったのだ。
「キアラが、忠告してくれたの。『多少の時間を費やしても、まずはサブローに相談するべきだ』って。シエナが今、フィコマシー様の側に居るのか、居ないのか、それもキチンと確認したかった。なのでスケネーコマピさんやリラーゴさんに断りを入れて、急いでここに来たのよ」
「私も、ドリスについてきた」
とキアラが言う。
ドリスが、唇を噛みしめる。
「そうしたら、ここにシエナは居ない……。トレカピ河で感じた、あの気配は、やっぱりシエナのものだったのね。それも、おそらくは自由を奪われている状態での」
ドリスはフィコマシー様のもとへ静かに歩み寄り、スカートが汚れるのも意に介さず、床へ片膝をついた。
「フィコマシー様、申し訳ありません。シエナを――アナタの腹心を、アナタのお側から離してしまいました」
「いえ。それは、ドリスが私に謝るべきことでは……」
「不安になられるのも、もっともです。でも、あたしにお任せください。必ずシエナを助けて、アナタの隣へお戻しします。サブロー、お願い。あたしに協力して」
ドリスは立ち上がり、僕のほうへ振り向いた。その淡い紫色の瞳が、力強い光を湛えている。
「ドリス。シエナさんは、僕にとっても大事な人だ。君に頼まれなくても、僕だって全力で彼女を救いに行きたい」
「良かった。こうなったら、少しの時間も無駄にしていてはダメ。すぐにシエナを追いかけましょう。シエナに預けたゴーちゃんは、通常のものよりも、かなり小型なの。使用する場合があるとしても、それは連絡・通信だけになるはずだったし。今日の…………時刻を考えると、既に昨日かな? 昨日の一件では、やむを得なかったとはいえ、ゴーちゃんの分身体を増やしすぎた。そのため、魔力の消費を抑えたかったのよ」
早口で、ドリスが語る。そんな彼女へ、テーブル上のゴーちゃんが『ピピピ』と報告した。
ドリスはゴーちゃんに頷き、僕へ改めて視線を向ける。
「ゴーちゃんが言っているわ。トレカピ河の周辺は魔素が薄いこともあって、確実な情報は掴めない。けれど、もう一体の小型ゴーちゃんは間違いなく、この侯爵家の屋敷からドンドン離れていっている。トレカピ河の向こう、タンジェロ大地を目指して移動している」
「タンジェロ大地……」
あの広大な、未開の荒野へ、シエナさんが――
「サブロー、ぐずぐずしないで。ゴーちゃん同士の距離があまりに出来てしまうと、連絡を取るのが難しくなってしまう。そうなったら、シエナの跡を追えなくなる。今なら、まだ大丈夫だから」
「……待ってくれ」
「どうしたの? サブロー。シエナを追うために、出発しましょう? シエナは、アナタにとって大事な人なんでしょう? その彼女が、とても危険な状態にあるのよ。その……魔族との戦いで、あたしを庇ってくれて……サブローの体調が良くないことは分かっているけれど、もちろん、あたしも付いていって、出来る限りサポートするから」
「…………」
「それとも、タンジェロ大地に赴くのに懸念があるの? 確かに、あそこは何かと問題が多い土地よね。でも、心配しないで。タンジェロについては、あたしが詳しいから。あの地の事情を、あたしは良く知っているの」
「違う! そういう事じゃないんだ!」
意図せず、大声を出してしまう。
ドリスのみならず、フィコマシー様もキアラも、驚いて僕を見た。
「シエナさんのもとへ行きたい! すぐにでも、追いたい。シエナさんを救いたい! 彼女の無事な姿を見たい。当然だ。しかし、そうしたら、ミーアは? ミーアは、どうする? 僕は、まだミーアを救えていない。ミーアは誘拐されたままだ。怪しげな宗教集団に囚われていて、だから僕は――!」
血を吐く思いで、叫ぶ。
「それに、ミーアのことだけじゃない。フィコマシー様だって、こんな……孤立を強いられている場所に、お一人で置いておけない。シエナさんが居ないんだ。フィコマシー様を残して、侯爵家の屋敷を出て……この上、フィコマシー様の身にまで変事が起こったら……」
「サブローさん! 私は――」
フィコマシー様が声をあげるが、それに言葉を返す余裕がない。フィコマシー様の顔を見るのが辛くて、そちらへ視線を向けることが出来ない。
思案の迷路を抜け出せない。正しい答えを見つけられない。
「サブロー。アナタは……」
ドリスが僕の正面に立ち、手を伸ばしてきた。けれど僕に触れることはせず、そこで動きを止める。
ドリス……彼女の顔には深い疲労の影が差しているが、それにもまして、こちらを案じ、僕を励まそうとする明白な意志の輝きが見える。必死になって駆けつけ、貴重な手掛かりを提示してくれた、誠実なドリス……そんな彼女へ、自身が持て余している激しい感情を、ひたすらぶつけるだけの僕は、なんて見苦しいんだろう。
「ドリス。崖っぷちに立っている状況で、なおも選択できない僕を笑うか? 愚か者だと、臆病者だと、卑怯者だと、そう思うか?」
「サブロー……」
「その意見は正しい。この期に及んで迷っている、決断できない僕は最低だ。選べない者は、全てを失う者なのに――」
「…………」
「ミーアだって、シエナさんだって、フィコマシー様だって、こんな僕じゃ無くて、もっとマシな男が側に居たら、パートナーになっていたら、味方になっていたら、今みたいになっていなかった。より素晴らしい未来を得ていたに違いない。僕と出会ってしまったために、ミーアも、シエナさんも、フィコマシー様も不幸になって――」
「サブロー!」
バシンと音がして。
その瞬間、左の頬に痛みが走る。
宙に浮いていた、ドリスの右腕。それが振り抜かれている。
え? 彼女が掌で、僕を引っぱたいたのか?
「サブロー……。あたしは、アナタを笑わない。愚かだとも、臆病だとも、卑怯だとも思わない。アナタがミーアとシエナ、それにフィコマシー様の、その誰をも優先できない……アナタの苦しみは、よく分かる。今は、平穏な時じゃ無い。非常事態で、誰かを後回しにしたら、それが、その人にとっての最悪の結果に繋がりかねない。そうなるのを恐れるのは、当たり前の気持ちよ」
「……ドリス」
「人には、それぞれ性格がある。アナタは、見捨てることが出来ない人。救済の対象を選別する行為を、アナタは受け入れられない。全てを守り、救おうとする。無謀かもしれない。傲慢かもしれない。過度な理想論に溺れているだけなのかもしれない。でも、あたしは絶対にサブローを非難しないし、軽蔑もしない。だって……だって、あたしも守られた側だから……」
「ドリス。それは――」
「あの時、魔族の攻撃からアナタはあたしを守ってくれた。身を挺して庇ってくれた。全身が傷だらけになり、血を流し、背中に大火傷を負ってまで。その命を懸けてくれた」
ドリスの真摯な言葉が部屋の中に響いた。キアラが大きく目を見張り、フィコマシー様のハッと息を呑む音が聞こえる。
返事に詰まる僕に、フッとドリスは微笑んだ。
「サブローは本当に、面倒な性格をしているわよね」
「……僕の性格?」
「そう。しかし、今さら、その性格を変えることは出来ないでしょう? それを変えたら……他者の生命の価値を安易に計算できるようになり、そんな己を『賢い』と思うようになってしまったら、それはもう、サブローであって、サブローじゃ無い。少なくとも、あたしが知っている、あたしにとってのサブローじゃ無い」
「…………」
「だからね、サブロー。あたしはアナタに言うわ。『大事な人を誰も見捨てず、守り、救ってみせなさい』――と。ミーアも、シエナも、フィコマシー様も、アナタは助けるべきよ」
「ドリス。だけど」
「サブローの躊躇いも、理解できる。〝全てを得ようとして、全てを失う危険性〟は、確かにある」
「…………そのとおりだ」
「もしも、そうなったら……そうね。いっそのこと、皆で一緒に破滅すれば良い」
「な!」
絶句する。
「あたしも、付き合ってあげる」
「む……無茶苦茶だな、ドリス」
「そうかしら?」
「冗談を口にしている場合じゃ――」
「あたしは真剣よ。サブローとの破滅、あたしは構わないわよ。むしろ、最高に贅沢な最期かも」
「…………」
「あの戦いで、あたしは魔族によって人間から人形に堕とされて、でもサブローがあたしをもう一度、人間に戻してくれた。サブローと一緒なら、あたしは人間のまま死ねると思うから」
ドリスは、本心からの言葉を述べている……それが、伝わってくる。
これほどまでの告白を彼女にさせてしまった、意気地の無い己を恥じる。
「あたしは、我がままな事を話した。なので、サブロー。アナタも、我がままになれば良い。あたしは許すし、応援する」
ドリスの眼差しが、僕の心を射貫く。
これは……先ほどの平手打ちより、はるかに痛いな。
しっかりしろ、サブロー!
腑抜けたり、八つ当たりしている時じゃない。
この世界に僕が居る意味を、問い直せ。
助けると、守ると、共にあると、誓ったはずだ。
「……破滅なんて、させないよ。ミーアも、シエナさんも、フィコマシー様も。もちろんドリス、君も。それが僕の我がままだろうと、自分勝手だろうと、関係ない。大切な人は皆、救ってみせる!」
宣言すると同時に、決意が固まった。
と、そこにズイッとキアラが僕へ近づく。
「私は?」
「え?」
「サブロー。私は?」
「キ、キアラだって、破滅させない」
「……他に言うことは?」
「キアラも大切だ」
「良し」
満足そうに頷き、キアラが下がっていった。……何なんだ、いったい?
「サブローさん」
フィコマシー様が語りかけてきたので、彼女のほうへ顔を向ける。彼女は椅子から立ち上がり、胸の前で両手を重ねている。
「及ばずながら、私も頑張ります。サブローさんの負担になるだけの、自分でありたくは無い」
「負担だなんて――」
「いえ。まだまだ、私に出来ることはある筈なんです。それを考えず、サブローさんが来てくださった途端に、一方的に頼ってしまって……自分が恥ずかしいです。私は決して破滅しませんし、サブローさんも破滅させません。シエナだって、ミーアちゃんだって。ドリスもキアラさんも――」
「フィ――」
「フィコマシー様、ご立派です!」
僕がフィコマシー様の名前を呼びかけている途中で、ドリスが割り込んできた。その勢いの強さに、フィコマシー様はビックリして後退る。
相変わらず、ドリスはフィコマシー様に対して情熱的だ。
そんな2人の様子を眺めつつ『シエナさんを、再びフィコマシー様の元に返してあげるんだ!』と胸の中で、改めて強く決意表明する。
ミーアも、必ず取り戻す。現在、ミーアを拘束しているであろう連中……北方セルロド教団の降臨派? 知ったことか。ミーア奪還のために必要なら、その教団の一派は潰す。邪魔する者どもが居たら、そいつらは――
ドリスは、僕について『人の生命の価値を安易に計算しない』と、あたかも博愛主義者のように言ってくれたが、それは過大評価だ。僕だって、命の線引きはする。大事な人の生命を守るためなら、その他の人間の生命を見捨てる……場合によっては容赦なく奪うことだって、してみせる。
僕は、もう既に人を殺しているんだから。ハギウズの船の中の戦闘で、あの三日月刀の使い手だった男を。
愛刀のククリで、アイツの喉を突き破り――
…………いや。今は、振り返るな。悔やむのも、悩むのも、自省するのも、ミーアとシエナさんを助け出した、その後だ。
かつて、夢の中で爺さん神――主神パンテニュイは、僕へ告げた。ミーアとシエナさんは《〝この世界〟で紡がれている、大きな物語の中の端役》に過ぎないと。
そうでは無いことを、僕が今から証明してやる
僕は白馬に乗った王子様では無いけれど、2人は間違いなく、僕にとっての《お姫さま》なんだから。
ドリスとキアラとフィコマシー様が、僕の顔を見る。
「良い顔になったわね、サブロー」とドリス。
「少し前まで、しょぼくれた顔だった。今の顔のほうが良い」とキアラ。
「サブローさんは、もとより、良いお顔だと思います」とフィコマシー様。
『ピ~!』と、何かを主張するゴーちゃん。そのゴーちゃんに、ドリスが言う。
「うん。ゴーちゃんも、サブローと同じくらいハンサムよ」
『ピ!』
あの……ゴーちゃんの顔って、鼻も口も耳も無くて、穴みたいな目が2つあるだけなんですけど。
僕の顔の程度は、ゴーちゃんと変わらないレベル……?
ひそかにショックを受けている僕へ、ドリスが語りかける。
「サブロー。今はゴーちゃんに頼って、シエナの跡を追いかけましょう」
「そう……だね」
「あのね、サブロー」
「なに? ドリス」
「あたし、さっきから考えている事があるの。シエナは何者かに拉致された。ミーアはハギウズによって、北方セルロド教団に引き渡された。犯人は別であるにせよ、シエナとミーア――2人はトレカピ河を越えた先、タンジェロの地に連れ去られた。同じタンジェロの地に、ほとんど同じタイミングで。これって、単なる偶然だと思う?」




