暗幕の裏側で笑うモノ(イラストあり)
シエナ視点です。
★ページ下に、登場キャラのイメージイラスト(AI生成画像)があります。
(どうしよう――?)
シエナは焦った。
同僚であり、顔見知りであったとはいえ、サリーの言葉を安易に信じてしまい、罠に掛かった。
(私は馬鹿だ)
いや。己の愚かさを悔やむのは、後だ。今は、何とかして、この部屋から脱出しなくてはならない。
(フィコマシー様のところへ、戻らなくては……)
外出とは違い、屋敷の中の移動であったため、シエナは愛用の武器であるレイピアを持ってきてはいなかった。数日前、せっかく新品を購入したのに。
もっとも、仮に今、シエナの手にレイピアが握られていたとしても、目の前にいる2人の男性と戦って、彼らに勝てる可能性は皆無だ。
魔法使いのムロフトと、騎士のランシス――この2人を同時に相手して、勝利を得ようとするならば、それこそ、サブローやクラウディに匹敵するレベルが、戦う者には要求される。
当然ながらシエナは、そのような戦闘力を有してはいない。武器の扱いに多少、長けてはいても、彼女の本職はあくまでメイドなのである。
(だったら)
シエナは身体の向きをわずかに変え、背後に立っているサリーへ、ちらりと目を遣った。サリーは、あたかも障害物であるかのように、扉とシエナの間に立ちはだかっている。
サリーを排除して扉へ駆け寄り、解錠すれば……しかし、それだけの事をやり遂げられる時間を、ムロフトとランシスはシエナへ与えるだろうか?
不意に、サリーと目が合う。
シエナが考えている内容を、彼女は察したに違いない。サリーは唇を横に広げて、ニタ~と笑った。
「ダメですよ~、シエナさん。シエナさんは逃げられません。おとなしく、捕まってください。ケガをしたくはないでしょう~?」
極度に緊張した現在の状況とは、あまりにも不釣りあいな、ノンビリとした口調。
シエナは、ゾッとした。
サリーは、こんな笑い方をする少女だったか? こんな喋り方をする少女だったか?
17歳という年齢に相応な華やぎがあり、整っているのに、おぞましさも伝わってくる――その表情。
(サリーさん……得体が知れない)
素早くシエナの後ろへまわり込んだ、先ほどの彼女の動き方も異常だった。
今のサリーからは、面の皮が一枚ベロンと剥がれて、そこから全く同じ顔の、けれど一瞬前とは明らかに異なる人間……いや、人間の姿をした怪物が現れたかのような、そういった不気味さを感じる。
(扉からの脱出が、無理なら――)
この部屋には、ガラスが嵌め込まれている窓がある。現在はカーテンが掛けられているが、あそこに体当たりをすれば、建物の外へ出られる。窓を破る時に、ぶつかった衝撃やガラスの破片によって大ケガをしてしまうかもしれない。
しかし今のシエナは、命を失うかどうかの瀬戸際にいる。負傷のリスクがあっても、それに怯んでなどいられない。
ランシスが、つかつかと足音を立てて近づいてきた。シエナを拘束するつもりだ。もう、悩んでいる暇は無い。
思い切って駆け出そうとしたシエナの右の手首を、サリーが掴む。
「シエナさん。面倒な事は、しないでください~。人間は、あきらめると楽になりますよ。人間は、人間は、人間は…………キャハハハハハ!」
「く! 離して!」
「離しません~。あきらめる、める~」
ふざけた調子で話しながら、サリーはシエナへ身を寄せてくる。シエナは動けない。
(サリーさん……なんて、握力なの。……こうなったら!)
シエナは、左の袖の中に暗器(隠し武器)を仕込んでいた。掌の横幅2つ分ほどの長さがある、大きな縫い針だ。その針を袖から掌へ滑らせ、器用に左手で掴む。
針の鋭い先端を、シエナは己の手首を強く握っているサリーの手の甲へ、突き刺した。
「痛~い」
間の抜けた声をあげ、サリーが握力を緩める。
シエナはサリーを突き飛ばし、走り出した。
ランシスに捕まるより早く、窓へと接近していく。顔と頭を腕で庇いつつ、そのまま全力で窓へ身体をぶつけようとした。
――その時。シエナは脇腹に、激しい熱さを感じる。
「あ!」
熱と痛みを覚えた瞬間、シエナは横へと吹っ飛ばされた。身体が床に打ちつけられ、転がる。
(いったい、何が――!?)
事態を把握しようと、混乱する頭でシエナは必死に考える。倒れて横向きになった彼女の視界の中には、こちらに手を構えているムロフトの姿があった。
(私……火の魔法を――《火球》を撃ち込まれた?)
火傷による激痛と、衣服と皮膚が焦げるニオイ。おそらく、間違いない。
それでもムロフトは、放つ魔法のパワーをある程度は抑えたらしい。以前にサブローに庇ってもらった際に目撃した規模の《火球》を浴びていたら、シエナの身体はもっと酷い状態になっていただろう。
(まだ、私は動ける!)
痛みを堪え、懸命に這いずるシエナ。立ち上がろうとする彼女を、近寄ってきたランシスが容赦なく踏みつけた。
「床を舐めろ、売女」
冷酷かつ嫌味ったらしい言葉を、ランシスはシエナへ投げつける。そして幾度もシエナを蹴り、更に彼女の火傷した箇所を踏みにじった。
「うあ!」
我慢できず、シエナが悲鳴をあげる。
息も絶え絶えなシエナのもとへ、ムロフトもやって来た。
「もう、それくらいで宜しいのではありませんか? ランシス殿」
「くそ! 忌々しい女だ。こうでもしなければ、俺の腹の虫がおさまらん! この女のせいで、俺はオリネロッテ様の護衛隊長の地位から降ろされた。半月前の……あの時に、こいつがジタバタ騒がず、運命を受け入れて殺されていれば、全ては問題なく片づいただろうに」
「まぁ、それは確かにそうですが」
ムロフトは同意の言葉を口にするが、あまり関心は無さそうだ。
八つ当たり気味に、ランシスがムロフトを睨む。
「おい、ムロフト。今の《火球》の魔法は、やけに力を抜いていたな。何故、手加減をした?」
「私としても、このメイドは目障りな存在です。全身を焼いてしまいたかったのですが……『殺すな。生きた状態で連れてくるように』というのが、セルロドシア様からの御命令ですので」
「女神のセルロドシアか」
ランシスは呟いた。
「ムロフト。お前に協力すれば、俺は――」
「ええ。そうしてくだされば、ランシス殿。貴方は、あの美しきオリネロッテ様を手に入れることが出来るでしょう」
「本当だな?」
「おや? ランシス殿は、セルロドシア様のお言葉を疑うのですか?」
「俺はお前と違って、セルロド教の信者では無い。女神セルロドシアへの信仰心なんぞ、持ってはいない」
「しかし、セルロドシア様の聖なるお声は聞かれたでしょう?」
「……ああ。まさか女神が、こちら側の味方になってくれようとはな。神の声を、神の言葉を、直接に耳にした……俺は、やはり選ばれた人間だったのだ。オリネロッテ様に相応しい男は、俺だ」
ランシスは誇らしげで、それでいて、どこか暗い笑みを浮かべた。
ムロフトはランシスへ、哀れむような、軽蔑しているような、微妙な眼差しを向けている。
(ランシス……ムロフト……この2人は……)
気を失いそうになりながら、けれどもシエナは思考するのを止めない。
(女神のセルロドシア様が、今回の事態を起こすように、2人へ指示を出したの? その結果、2人は暴挙に及んだ?)
そんな奇怪な出来事が、実際にあり得るのだろうか?
シエナはベスナーク王国の一般の民と同様に、女神ベスナレシアを信仰している。しかしながら、特に熱心なベスナレ教の信者というわけでは無い。
当然のことだが、女神ベスナレシアにしろ、女神セルロドシアにしろ、その神の声を聞いた経験はシエナには無い。シエナの周りにも、司祭や修道女といった宗教関係者を含めて、そんな奇跡を体験した人間は居なかった。
(なのに……)
ムロフトとランシスは、神の声を聞いた? このような邪な者どもへ、女神セルロドシアは語りかけたというのか?
(それが真実であるにせよ、ランシスたちの妄想であるにせよ、重大な事件であることに変わりは無い。この情報を、フィコマシー様やサブローさんへ伝えなくちゃ)
そうシエナは決意するが……いまだ彼女が気絶せずに、意志を持って動こうとしているのを悟ったのだろう。
ランシスが、シエナの背中を足で押さえつける。
「鬱陶しい。サッサとくたばれ、売女」
「〝売女〟とは……随分な言いようですな、ランシス殿。このメイドは、そういった類いの女には見えません。身持ちは堅いように思えますが?」
「ふん。そうか? 思い出せ、ムロフト。あの時、この女は〝サブロー〟とかいう冒険者の小僧に守られて、いい気になっていたではないか。そればかりでは無い。剣まで捧げられていた。いかに相手が一介の冒険者であったとはいえ、たかがメイドの分際で、烏滸がましいにも、程がある」
「そういえば、そのような事もありましたな」
「おまけに、茶番劇の儀式で使われた剣は、小僧が俺から奪った剣だった」
「では、ランシス殿は間接的にですが、このメイドと縁を持っていることに……」
「女は、光栄に思うが良い。俺にとっては、ゴミのような縁だが」
「ハハハ」
ランシスとムロフトは、シエナを嘲弄する。
傷つき倒れている10代の少女を、大の男2人が楽しげに苛み、貶める……男たちの姿は、あまりにも醜い。
「この下賤な女は、冒険者の小僧に媚びを振りまき……あげく、身体を許したに違いない。侯爵家に仕える身でありながら、不品行きわまりない。まさに、売女だ」
「ふむ、確かに。だったら、あの少年が、ああまで必死になって、このメイドを救おうとしたのも納得できます」
(――っ! 私とサブローさんは、そんな関係じゃ……!)
怒りの感情で、シエナの胸の中が塞がる。しかし抗議しようにも、もはや声は出ず、手足も持ち上げられない。
「この売女は勿論のこと、あの冒険者の小僧も……クラウディも、リアノンも、俺は許せん」
「クラウディ殿や、リアノン殿までもですか?」
ムロフトが興味深げな顔になり、ランシスを見た。
「そうだ。リアノンはあの決闘で、俺が倒れている小僧にトドメを刺そうとした時、その邪魔をしやがった。しかもイロイロと出過ぎた振る舞いをしたくせに、決闘の終了後、オリネロッテ様の護衛隊へ図々しくも加入した。ふざけたヤツだ」
「なるほど」
「クラウディは……小僧との勝負でみっともない結果を出して、にもかかわらず、俺が隊長職から降ろされるのにアッサリ賛成した。目を掛けてやっていたのに、恩を返しもせずに、俺を裏切った。冒険者の小僧も、クラウディも、リアノンも、絶対にぶっ殺す」
「ランシス殿は、抱く恨みも、望みも大きいのですね。まぁ、これからも私に力を貸してくだされば、復讐の機会は確実に得られますよ。無論、オリネロッテ様のお心も、貴方のものになります。……お分かりでしょう?」
ランシスはオリネロッテを、我がものにしようとしている。それだけで無く、サブローへの殺意も抱いている。リアノンやクラウディをも、殺そうとしている。
ムロフトは、女神セルロドシアの命令を受けて行動している。何かの目的を達成するために。
(その手はじめに、私を……)
ランシスとムロフトは、傷つけ、捕らえた1人のメイド――自分を、どうする気なのだろう?
(私を殺さずに、生かしておいて――)
どんな利用の仕方をする? 異国へ奴隷として売る? 個人的な欲望の対象として弄ぶ? ひたすら加虐し、痛めつけつづける?
あるいは、何らかの取り引き材料にする? 誰かに対する人質? サブローへの? フィコマシーへの? 今更? 自分に、そんな価値はあるのか?
シエナの悲痛な自問自答。
それを止めたのは、他でもない――彼女自身の聡明さと気丈な性格だった。
(いいえ。自己憐憫に浸っていては、ダメ。判断の前提を間違えちゃいけない)
〝神〟の言いつけに従い、2人はシエナを何処かへ連れていくのだ。ならば、シエナの処分を最終的に決めるのは、ムロフトでもランシスでも無く、その〝神を自称するモノ〟ということになる。
(結局のところ、2人は〝神〟――セルロドシア様の手先に成り下がった。侯爵様の家臣である自覚は、もう2人の中から消え去っている)
ランシスも、ムロフトも、ここまでやった以上、今後の覚悟はしているに違いない。侯爵家での立場や、築き上げてきた人間関係を、残らず放り捨てたのだ。彼らには……逃亡者、いや、犯罪者となる未来しか待ってはいない。
それでも構わないほどの魅力のある提案を、女神セルロドシアは彼らへ――
(セルロドシア様は、ベスナレシア様と双子の女神様なのに)
神が信者へ、不道徳な命令を下す。
信者ではない人間に対しては、その者の野望や欲心を刺激し、そそのかす。
だとしたら、まるで。
(……邪神みたい)
シエナは思う。
今、この時――
ミーアは誘拐されていて。
サブローは、その救出に向かって。
自分は捕まり。
フィコマシーは一人になって。
神は狂って。人も狂って。
世界も狂っていく、この状況のもとで――
(フィコマシーお嬢様を、お一人には出来ない)
けれど。
熱い。痛い。苦しい。
立ち上がれない。
手足は動かない。
呼吸も上手く出来ない。
意識が遠くなっていく。
ずかずかとメイドのサリーがシエナへ歩み寄ってきて、しゃがむ。ランシスのこともムロフトのことも完全に無視した、大胆な態度だ。
床に力なく頬をつけ、瞼を閉じかけているシエナ。彼女の顔を、サリーは屈んで覗き込んだ。
「大丈夫~? シエナさん。酷いことをされたね。男って、本当に乱暴。最低」
「…………」
「でも、心配しないで。私が、ちゃんと看護してあげる。だから今は、眠っても良いよ」
(サリーさん、貴方は……)
シエナはサリーの右手へ、目を向ける。さっきシエナは、その手の甲を暗器の針で刺した。
「あ、この手の血? 痛かったよ~。シエナさん、いきなり針で刺すんだもの。しかも、太い針で。血が出たよ。けど、気にしなくて良いよ。私は優しいから、シエナさんが私を攻撃したのは、無かったことにしてあげる」
無邪気に笑って、サリーは自身の右手の甲を、左腕の袖でゴシゴシと拭く。血が拭いとられて……そこから、奇麗な素肌が現れた。
(傷跡が、無い?)
どうなっている?
シエナには、もう何もかもが分からない。
(フィコマシーお嬢様……サブローさん……私は――)
そこでシエナの意識は、闇の中へと落ちていった。
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♢かぐつち・マナぱ様より頂いた、サリーのイメージイラスト【AI生成画像】
ちょっと怖い感じでありまして……ホラーが苦手な方は閲覧注意です! 念のために、少し下げて掲載しています。
今回のサリーのイラストについては、かぐつち・マナぱ様による自主企画《AIイラスト生成ガチャ!》へ申し込んだのですよ。
『「サリーは唇を横に広げて、ニタ~と笑った」という文章から、AIイラストの作成をお願いいたします。サリーは10代後半(17歳)の少女で、メイド服を着ているほかは、特に容姿は決めておりません。〝普通の女の子だと思っていたのに、すごく不気味に(ホラーっぽく)笑う!〟という感じです』との内容で。
それで作っていただいたのが、今回のAIイラストです(2025/01/02)。
めっちゃ素敵で、めっちゃ怖いイラストですよね! おかげさまで〝サリーというキャラのイメージ〟が、自分の中でバッチリ固まりました。
かぐつち・マナぱ様、本当にありがとうございます!




