ゴーちゃんは分身し、変形し、探索する
ドリス視点です。
♢
オリネロッテが黒いダイヤモンドを元の箱に戻すと、カルートンはホッとした表情になった。
漆黒の宝石を載せていた自らの掌を、オリネロッテは名残惜しげに見つめる。
「カルートン様。私、喉が渇いてしまいましたわ。飲み物を頂けませんか?」
「これは、気が利かなくて申し訳ありません」
カルートンは使用人に命じて、飲料と菓子を持ってこさせた。
「ふふ。カップも皿も、全て銀製ですのね」
その時。
メイドのヨツヤが、オリネロッテへ静かに声をかける。
「……オリネロッテお嬢様」
「どうしたの? ヨツヤ」
〝万が一〟のケースを考えたのだろう。ヨツヤが毒味をしようと手を伸ばすが、オリネロッテはそれを視線で制した。そして躊躇なく、カップの端に口をつける。
「上品な味ですね。美味しいです」
「ありがとうございます」
頭を下げるカルートンへ、オリネロッテが問いかける。
「ところで、カルートン様。この黒いダイヤモンドは、とても貴重な宝石ですよね。どうやって、手に入れられたのですか? 差し支えなければ、教えていただきたいのですが」
「黒いダイヤモンドは、知り合いから譲ってもらったのですよ。その者も私と同じく、セルロドシア様の信奉者でして……なかなか首を縦に振ってはくれませんでしたが、同じ女神様を信仰していることもあって、私の無理な願いを聞いてくれました」
カルートンはハッキリと言ってはいないが、黒いダイヤモンドを入手するのと引き替えに、よほどの大金を積んだに違いない。
(カルートンがどれだけ散財しようと、その点はどうでもいい。そんな事よりも、気になるのは――)
金髪のツインテール少女――ドリスは胸中で呟く。
(また、女神セルロドシアの名が出てきた……)
この違和感は、なんだろう?
(あくまで、あたしの印象だけど……黒い宝石を見て、思い浮かべる神が居るとしたら、その筆頭は魔神のレハザーシアだ。にもかかわらず、セルロドシアを信仰する者たちの手を伝わって、今ここに黒いダイヤモンドがある)
ひどく不自然な感じがする。
戸惑いを覚えるドリスの前で、椅子に腰かけているオリネロッテは流暢に喋り続けている。
「カルートン様に、もてなしてもらったことは、王都に戻ってから、必ず王太子殿下に申し上げますわね」
「心より感謝します。オリネロッテ様」
「カルートン様の商会は、王都にも支店を持っていらっしゃるのかしら?」
「ハイ。ナルドットにある本店と比べれば、小さいですが」
「良いですね。機会があれば、お訪ねします。……あら、私ったら。それよりも、まずはナルドットの本店のほうに行ってみないと」
「いえ! 畏れ多い。ご希望いただければ、本日のように、私が商品を持って侯爵様のお屋敷に参ります」
「ふふふ。屋敷の部屋でゆっくりと提供いただいた品々を手に取るのも良いですが、お店へ直接に足を運んで購入品を選ぶのも、それはそれで別の楽しみがあるものなのですよ」
「ハ、ハァ……」
オリネロッテによる一方通行な語りかけに、相づちを打ちながらも、カルートンは落ち着かない様子になっている。
事前の侯爵邸でのやり取りでは、オリネロッテはカルートンへ『お屋敷を少しの間だけ抜け出して、貴方に黒いダイヤモンドを見せてもらったら、すぐに帰ってきます』と述べていた。ところが、今のオリネロッテはリラックスして、楽しげに長話を続けている。いつまで経っても、腰を上げようとしない。
やがて。
オリネロッテがドリスへ『そろそろ、良い?』という意味を込めた眼差しをチラリと向けた。
ドリスが頷く。
何げない態度を保ちつつ、オリネロッテはカルートンへ向きなおった。
「思ったよりも長居をしてしまいました。では、お暇いたします。貴重な黒いダイヤモンドを見せていただき、改めて御礼を申し上げます。本当に素晴らしい宝石でした。良い経験をさせてもらいました」
「こちらこそ、わが家に来訪していただき、身に余る光栄です」
そこでオリネロッテはカルートンと軽く視線を合わせ、話題を転換させる。
サラサラと川の水が流れるように、何の支障も感じさせず――
「カルートン様。申し訳ないのですが、屋敷に帰ったあとの予定を確認する必要がありまして……わずかな間で構いません。室内に居るのを、私達だけにしてもらえませんか? 侯爵家の内事に関わることを話しますので」
「承知いたしました。お見送りする前に、私もこの宝石を仕舞ってこなくてはなりませんから、その時間を自由にお使いください」
カルートンは一礼し、黒いダイヤが入った箱を抱えて退室した。カルートンと一緒に、用命待ちで部屋に控えていた複数の使用人も出て行く。
客間に留まっているのは、オリネロッテ達のみになった。
「アズキ」
「はい。オリネロッテ様」
オリネロッテからの命令を受けて、アズキが魔法を発動する。
「お嬢様。今、風魔法で結界を張りました。仮に盗聴されていたとしても、大丈夫です。これで何を喋っても、部屋の外へ話が漏れることはありません」
「ありがとう、アズキ。……それで、キアラさん。あの黒いダイヤモンドを見て、ドワーフである貴方は、どのような感想を抱かれました?」
「大きかった」
「……それは、そうでしょうけど」
ドワーフの少女の端的すぎる返答に、オリネロッテはちょっと困った顔になる。
それに対して、気を回したわけでは無いであろうが、そこからキアラは、彼女にしては、やけに長いセリフを喋った。
「あと、不純物が一切、混じっていなかった。ドワーフの大人から聞いた話では『ブラックダイヤモンドには鉄鉱などの内包物があって、色にはムラがあるのが普通。高値で売れる装飾品や芸術品に仕上げるのは、かなり難しい』ということだった。なのに、さっきのブラックダイヤモンドは、宝石として完璧に見えた。大きく、形も見事で、色は純粋に真っ黒だった。とても美しかった。しかし――」
「……しかし?」
「しかし、変な感じでもあった。極端なまでの欠点の無さは、むしろ歪で……輝きも、強すぎるように思える。あれは『貴重』というより『異常』――それが、私の結論」
「『異常』……分かりました。心しておきます」
キアラの回答を聞き終わり、オリネロッテは次にドリスへ緑の瞳を向ける。
「ドリスさん。私は……カルートンの邸宅に入って、シッカリと時間を稼ぐことが出来たと思います。探索に出たゴーちゃんからの報告は、どうなっています?」
「……ハイ」
ドリスは小物入れからゴーちゃんを取り出し、テーブルの上に置いた。
ゴーちゃんは盛んに手足を振りながら『ピッピピ』と勢いよく、ドリスへと告げる。
「なるほど。……オリネロッテ様。この館の内部を探っているゴーちゃんは『あやしい場所は特にない。それなりの広さの地下室はあるが、食料品などが保管されているだけ』と言っています」
「そうなのね」
「それから、館とは別にある倉庫のほうですが……」
「倉庫には、別のゴーちゃんが行っているのですよね?」
「仰るとおりです。こちらは、疑っていたとおりの結果でした。地下に大規模な空間があって、牢屋づくりになっているようです。その中に、大勢の人が囚われています。どうやら、獣人の少年少女たちみたいですね。加えて、監視の役割をしている者たちでしょうか? おそらくはカルートンの手の者も、何人か居ます」
「やはり、カルートンは誘拐事件の犯人、それも主犯だったのね。犯罪行為のための拠点は、ここにあった。……よくやってくれたわ、ドリスさん。そして、ゴーちゃん。素晴らしい働きよ」
オリネロッテが、ドリスとゴーちゃんを褒める。
ドリスは侯爵邸を出発する前、素早く庭に行き、そこにある土を使って、魔法でゴーちゃんを分身させていたのだ。しかも、分身させた数は2体では無く、更に多い。
カルートンの家に到着したあと、ドリスは2体のゴーちゃんを隠密に探索へと向かわせていた。1体はカルートンの自宅の中を調査し、もう1体は敷地内にある倉庫へ赴いた。
ゴーちゃんの報告によると……カルートンの邸宅においても、倉庫においても、そこには極めて厳しい警備体制が敷かれていた。が、どちらのゴーちゃんも、敵側の人間に見つからないように、影から影へ、隅から隅へ、巧みに移動した。綿密な探索・捜査をして、情報収集で見事な成果をあげてみせた……らしい。
大活躍なのである。
『ピッピッピ、ピッピッピ』
と、ゴーちゃんは自己の手柄を誇示するのに余念が無い。〝頑張りました〟アピールが過大で、調子に乗っている気配もあるが……充分な結果を出している以上、大目に見てやるべきだろう。
現在、ゴーちゃんは――
カルートンの屋敷の中を調べているのが1体。
倉庫へ忍び入っているのが1体。
ドリスの元で報告と説明を行っているのが1体。
サブローが持っている、緊急連絡の受け取り役が1体。
加えて、あと1体が〝ある人物〟のところに存在している。
合計で5体のゴーちゃんが同時に動いているわけであるが……ゴーちゃんの数を増やすと、それに比例してドリスの魔力消費量も大きくなってしまう。実際、今のドリスは相当な疲労感を覚えている。安易にやっても良い方法では無いが、今回は敢えて実施した。カルートンの闇を曝いて、少しでも早く誘拐事件を解決するためだ。
「それで、ドリスさん。地下牢に閉じ込められている人たちの中に、ミーアちゃんは――」
「申し訳ありません、オリネロッテ様。そこまでは分かりません……」
「良いのよ。すぐに判明することだわ。無理を言って、ごめんなさい」
オリネロッテがドリスに謝る。
ドリスの魔法とゴーちゃんの活躍に、アズキが感心の声をあげた。
「妾も風魔法で少し探ってみたが、敷地内で怪しい気配があるのは、カルートンの自宅では無くて、倉庫のほう……という事くらいしか分からなかった。凄いのじゃ、ゴーちゃんは」
魔法使いの事情に詳しいアズキへ、オリネロッテが質問する。
「土魔法で作ったゴーレムとは、こんなにも便利なものなの? アズキ。私、驚いてしまったわ」
「いえ、オリネロッテ様。ドリス殿のゴーレム――ゴーちゃんが、特別なのです。通常のゴーレムは、物の破壊や荷物の運搬など、単純な指示しか受け付けません。〝探索や調査〟といった、複雑で難度が高い命令を受けて遂行できるゴーレムを、妾は初めて見ました。ましてや、意思を持ったり、分身したりするゴーレムとなると……」
アズキが、ドリスをジッと見た。『サブローが連れてきた、この娘の正体は、いったい……?』と、今更ながら考えているのかもしれない。
ドリスへ、アズキが興味深げに尋ねる。
「それにしても、この家の内部はともかく、倉庫の中へ、ゴーちゃんはどうやって忍び込んだのじゃ?」
「ゴーちゃんは小さいですから」
「そのことは、分かっておるのじゃが」
「どれほどシッカリと戸締まりした建物であっても、思いがけない隙間や換気口は必ずあります。ゴーちゃんは変形して、そこを通り抜けることが出来るんです」
「へ、変形……とな?」
「ハイ。ゴーちゃん。《体・形・変・化》!」
ドリスが魔法を唱えると、それを聞いたゴーちゃんは人型を解いて、1本の長い棒の形になった。それから『ピーギ、ピーギ』とテーブルの上を、縦の方向に【Ω】なポーズで屈伸しつつ、前へズリズリ移動する。
ドリスが、誇らしげな顔になる。
「ご覧ください。ゴーちゃんが【人型モード】から【蛇型モード】になりました。これで、どんな狭い穴でも通過できます」
「……妾には〝蛇〟というより〝尺取り虫〟に見えるんじゃが」
ツッコミを入れるアズキに対して、キアラは「ゴーちゃん、偉い」と素直に称賛した。
「ふん、小ずるいな。ドリスとやら。お前は《冒険者ギルド》では無く、《盗賊ギルド》に所属したほうが良いのではないか?」
ヨツヤがイヤミを言う。
ドリスは反論しようとするが、そこへカルートンが戻ってきたため、即座にゴーちゃんをポーチの中に突っ込んだ。次の瞬間、何食わぬ顔で、単なるメイドの姿勢になる。
そして。
「カルートン様。今日は私のわがままを聞いてくださり、ありがとうございました。王都の王太子殿下にも、素敵なお土産話が出来ました」
「もったいない、お言葉です。オリネロッテ様」
にこやかに会話を交わしつつ、カルートンとオリネロッテたちは邸宅の外へ出た。馬車の用意がされていたが、オリネロッテはそれに振り向きもせず、スタスタと倉庫がある方向へ歩いていく。
カルートンは慌てた。
「オ、オリネロッテ様! 馬車にお乗りください! なにより出入り口の門は、あちらです。そちらは違います!」
「いえ、違いません。私は、倉庫に用事がありますので」
「そのような無茶を! 困ります!」
狼狽するカルートンとは対照的に、オリネロッテは余裕の笑みを浮かべる。
「お忘れですか? カルートン様。私はコチラへ訪問する前、侯爵家の館で貴方へ、自分のことを『好奇心旺盛で早耳なのです』と述べたでしょう?」
「それは覚えておりますが」
「更に言うなら、私は『自尊自大』で『傍若無人』でもあります。このような性格なので、許してくださいね」
「オリネロッテ様!」
カルートンの制止の声を完全に無視して進み、オリネロッテは倉庫の扉の前に着いた。
オリネロッテの眼前にある扉は、かたく閉じられている。
「随分と大きな倉庫ですね。カルートン様。扉を開けて、中を見せてください」
「オリネロッテ様。何を仰っているのですか!」
カルートンが叫ぶ。彼の使用人――屈強な身体つきの手下が、その場に数多く集まってきて、オリネロッテ達を取り囲む。アズキ・ヨツヤ・ドリスはオリネロッテを背後に庇う形で、カルートンの使用人、いや、おそらくは暴力担当の用心棒どもと対峙した。
「カルートン様は、私の頼み事を聞いてはくださらないのですね。残念です。仕方ありません。キアラさん。お願いします」
「了解」
メイド姿のドワーフ娘であるキアラは、持参していた背負い袋を地面に降ろした。その中へ手を入れて、おもむろに取り出したのはメイス――殴打用の武器である。
ひと呼吸を置いて。
キアラはメイスを振り上げ、倉庫の扉へ叩きつけた。身体を半回転させて、勢いをつけながら――
堅固に作られていたはずの扉は、キアラの激しく鮮やかな一撃によって、容赦なく破壊された。
次回、サブロー視点に戻ります。




