宝石商の邸宅
・ベスナレシア――ベスナレ教の女神。ベスナレシアの聖女が、ベスナーク王国を建てた。
・セルロドシア――セルロド教の女神。セルロドシアの聖女が、聖セルロドス皇国を建てた。
・レハザーシア――魔族に崇められている女神。過去に魔王を地上に誕生させ、ヒューマン世界を危機に陥れたことがある。
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今回も、ドリス視点です。
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ナルドットの街の中を、2台の馬車が走る。先に行くのはカルートンと彼の3人の使用人が乗っている馬車であり、その後ろにオリネロッテ達が座乗する馬車が続いている。
後方の馬車の中では、オリネロッテの隣にヨツヤが座り、2人に正対する横長の席にドリス・アズキ・キアラが腰を下ろしていた。アズキは他の少女達と比べて最年長でありながら、体格は最も小さい。ドリスとキアラに挟まれる形で乗っていて、居心地が悪そうにしている。
今、オリネロッテ達はカルートンの自宅へと向かっているのだ。
カルートンが経営している店舗――高価な宝石や装飾品を販売している――は、ナルドットの北側にある商業地区に存在している。地区中央の大通りに面した、立派な建物だ。一方、彼の自宅はそれより西に寄った、商業エリアの端のほうにある。そのため侯爵邸から、かなりの距離がある。
車中で、アズキがオリネロッテに話しかけた。
「お嬢様。カルートンの邸宅は、運河沿いに建っておると聞きましたが……」
「ええ。人気の少ないところだそうよ。カルートンがミーアちゃん達の誘拐に関わっているとしたら、掠った人たちを隠して閉じ込めておき、機会を見つけて秘かに運び出すのに都合が良い場所よね」
「なるほど……逃亡する際にも水路を利用できて、便利ですな。分かっていたことではありますが、カルートンは犯罪者であったとしても、頭が回るタイプであるのは間違いない……厄介な相手ですじゃ」
「こちらとしても、油断してはいけないわね」
「カルートンは自宅に〝使用人〟としての名目で、多くの用心棒を雇っている……と予想されます。もしも危険な事態になった時に、妾たちだけで――」
そう述べて、アズキが心配そうな顔つきで車中を見回す。
この馬車に乗っている者のうち、戦闘能力が無いのはオリネロッテだけだ。アズキとドリスは魔法使いであり、ヨツヤとキアラはどちらも固有の武器の扱いに長けている。10人以上の敵が来たとしても、彼女達だけで充分に対処できるだろう。それでも、アズキは不安を覚えるらしい。オリネロッテの身に、万が一のことがあってはならないのだ。
オリネロッテが笑みを浮かべる。
「先のことをイチイチ案ずる必要は無いわ、アズキ。馬車の跡に誰がついてきてくれているのか、貴方も承知しているでしょう?」
「サブローやクラウディ……ですね」
アズキは頷いた。
冒険者・商業ギルドの関係者としてサブロー・スケネーコマピ・モナムの3人、ナルドット侯爵家に属するオリネロッテの護衛隊の4人――計7人が、追尾してきているはずだ。
侯爵邸を出発する前、オリネロッテが着替えている間に、メイド姿の5人の女性はそれぞれの仕事をした。
ヨツヤはオリネロッテの側に控えて、彼女が外出用の衣装を身に纏うのを手伝った。
シエナはサブロー達のもとへ赴いて事情を説明し、これから外出するオリネロッテの馬車を追いかけるように頼んだ。
アズキは最初、ヨツヤによって傷つけられたキアラの左腕を、光魔法の《外傷治癒》で治療した。アズキは光系統と風系統の魔法を使えるのだ。
その後で、口が堅くて信任するに足る御者を呼び出し、「目立たないように、馬車の用意をしてくれ」と命じた。
キアラは傷を治してもらって、アズキへ礼を述べた。それから、何故か自分専用の背負い袋を持ってきた。今も、膝の上に載せている。
ドリスは、素早く庭へ行った。そこで、ある作業をした。
移動する馬車の中。
窓からチラリと外へ目を遣りつつ、オリネロッテがアズキへ言う。
「サブローさんやクラウディが居てくれたら、カルートンのところに100人を超える用心棒が居たとしても、問題にならないわ」
「あの者たちの強さは、妾も良く分かっています」
サブローやクラウディの武力に、オリネロッテもアズキも絶大な信頼を寄せているようだ。
(〝サブローが居てくれることの頼もしさ〟は、あたしも知っている。クラウディは……すごく有名な騎士ね。冒険者ギルドの中でも、彼については、時おり噂されていた。『バイドグルド家随一の剣の使い手』とか『王国屈指の優れた騎士』という話を聞いたことがある)
そこまで考え、ドリスは気になる点をオリネロッテへ尋ねてみた。
「オリネロッテ様。サブロー達はどうやって、この馬車についてきているんでしょう? 街の人の注目を過度に浴びたら、ダメなんですよね?」
「その通りよ」
「馬車の速度に遅れないように、コッソリと移動するなんて……取り得る手段が限られていて、かなり難しいような気がします」
(まさかサブロー達まで、自分らのための馬車を準備して、それに乗っているわけもあるまいし)
アレコレ思案するドリスを見て、オリネロッテが笑う。
「サブローさんやクラウディなのよ? 彼らに任せておけば、大丈夫よ。そんなの、どうとでもするに違いないわ。いざとなれば、走ってでも追いかけてきてくれる。人目に触れないように工夫しながらね」
オリネロッテは、安心しきった表情をしている。
侯爵令嬢のそんな態度に、ドリスはどのように判断したら良いのか迷い、心の内側で呟く。
(オリネロッテは、そこまでサブローのことを信じているの……?)
しかし、現在のサブローの体調は――
(普段のサブローなら、平気なんだろうけど。今のサブローは魔族との戦いで負った傷が癒えていない状態。十全な力を発揮できない可能性もある)
さすがのオリネロッテも、サブローの怪我が現状どうなっているのかまでは、把握していないのだ。
それに加えて――
(オリネロッテのサブローに対する思い入れが、深すぎる)
ドリスは頭の中で、自問自答する。侯爵家姉妹であるフィコマシーとオリネロッテが、頼れる他者を見つけ出そうとした場合。
『フィコマシーがサブローを信用する』――これは、理解できる。
『オリネロッテがクラウディを信用する』――これも、理解できる。
サブローはフィコマシーを『助けたい』と思っているし、クラウディはオリネロッテへ忠誠を誓っている。
しかしドリスが認識している範囲で、サブローは明らかにオリネロッテへ隔意をもっている。いや、むしろ警戒していると言っても良い。
なのにオリネロッテは――
(感情を一方的に向けられることは、対象者にとって『毒』にもなり得る。まして、相手がオリネロッテともなると……。〝高貴な侯爵令嬢と一介の見習い冒険者〟という身分の上下関係もある)
圧迫。
執着。
偏愛。
――常識外の魅了の力。
(サブローは、優しい。けれど、それは〝他人からの好意や依存を拒絶できない、人間的な甘さ〟も意味していて……ときに、致命的な弱点になってしまう危険性も――)
サブローのことを思い、ドリスは心配になる。
そしてアズキも、ドリスとは別の人物の事柄で憂慮しているらしい。
「あの……オリネロッテ様」
「なぁに? アズキ」
「サブローやクラウディは賢明な行動をするでしょうが……彼らと共に居るリアノンは、大丈夫でしょうか? 街中にある全ての障害を撥ねとばして、圧倒的に人目を集めながら、馬車の跡を驀進してくる……そういった無謀なマネも、彼女だったら、やりかねない気が……」
「…………」
オリネロッテは無言になって、また窓の外へ視線を向けた。その姿勢のまま動かず、アズキからの問いかけに答えようとはしない。
リアノンへのオリネロッテの評価は……強さや人柄は信頼できても、それ以外にイロイロと懸念材料があるようだ。
やがて、太陽の傾きが変わる頃。
2台の馬車はカルートンの屋敷に到着した。門が開かれ、通過する。
敷地内に入ると、本宅が見えた。少し離れたところに、倉庫がある。
カルートンが生活している邸宅は、瀟洒な外観の1階建てであった。高さはあまり無いが、広さは相当なものだ。
一方、倉庫は実用本位で頑丈に造られている。
オリネロッテたちは馬車から降りて、カルートンの案内に従い、彼の本宅へと足を踏み入れた。
その内部では家具はもちろん、壁や床もピカピカに磨き上げられており、更に数多くの彫刻や絵画が飾られている。
ドリスは思う。
(骨董品も、いっぱい置かれているわね。とても、お金が掛かっている。でも成金趣味のようなセンスの悪さを感じさせないのは、さすがね)
カルートンの屋敷では、厳重な警備体制が敷かれているという話だったが……そうは見えない。
侯爵令嬢の来訪に対応するため、物騒な気配は表に出さないようにしているのだろう。
一目で特別な貴賓用と分かる豪華な客室に通された後、オリネロッテはカルートンへ語りかけた。
「素晴らしいお屋敷ですわね、カルートン様」
「ありがとうございます、オリネロッテ様」
「少し気になったんですけど、館内に飾られている絵画や彫刻に、女神セルロドシア様の神話をモチーフにしたものが、少なからずあったように思えるのですが……」
「おお。お分かりになられたのですね。実は、私はセルロドシア様を信奉しているのです。無論のこと、ベスナレシア様への敬意も欠かさずに、キチンと持っておりますよ。なんと申しましても、ベスナレシア様は、セルロドシア様とは双子の姉妹である女神様ですから」
カルートンの発言を聞き、ドリスはちょっと驚く。
(このベスナーク王国は、ベスナレ教の女神であるベスナレシアへの信仰をもとに建てられた国なのに)
セルロドシアは、セルロド教の女神だ。そしてセルロド教は、ベスナーク王国とは緊張関係にある聖セルロドス皇国の国教なのである。
確かにベスナーク王国の現王であるメリアベス2世は〝臣民の信仰の自由〟を保障している。しかしながら、ベスナーク王国で商売をしている立場の者が『自分は、セルロド教の信者である』と公言するのは、デメリットしかないように思える。
それほどまでに、カルートンの女神セルロドシアへの信仰心は篤いのだろうか?
(まぁ、『魔の女神であるレハザーシアを信仰している』……なんて事を告白されたりするのに比べたら、セルロドシアへの信仰自体は、たいした問題では無いのかもしれないけれど。セルロド教はベスナーク王国内でも、それなりの数の信者を獲得しているし。とはいえ、セルロド教徒は一般の信者であっても《人間至上主義》を掲げて、人間以外のヒューマン――エルフ・ドワーフ・獣人への蔑視や迫害を行っている)
孤児院を運営している……シスター・アンジェリーナやブラザー・ガイラックが属している宗派《真正セルロド教》は別ではあるが。
カルートンは、どう考えても、アンジェリーナやガイラックの同志では無い。
思い返してみると、オリネロッテのメイドたちの中でも、ドワーフのキアラを見るときだけ、カルートンの目つきは微妙になっていた気がする。
(セルロド教徒の過激派となると、特に酷い輩は、狂信のためか、利益のためか、獣人を殺傷したり、誘拐などの犯罪に手を汚しているという……。許せない。うん、やっぱり今回の誘拐事件にカルートンが関わっている可能性は高いわね)
「では、少々の間、お待ちください」
そう言ってカルートンは、数名の使用人を残して1人で退室し、しばらくして戻ってきた。奇麗な外装の箱を大事に抱えながら。
着席しているオリネロッテの前にあるテーブルに箱を置き、その蓋をカルートンは慎重に開いた。
中には分厚い布に守られるような形で、黒いダイヤモンドが収められている。
ドリスはオリネロッテの斜め後ろに起立しながら、その宝石へ視線を向けた。
(これが、カルートン秘蔵の黒いダイヤモンド……)
大きい。ギュッと握ったとしても、指先が掌につかないだろう。小さめの鳥の卵くらいの体積がある。ドリスは、こんなに大きい宝石を、今まで見たことが無い。
大きさだけでは無い。その黒いダイヤモンドには、並はずれた存在感があった。そして、なにより美しい。
オリネロッテが感嘆しつつ、述べる。
「本当に真っ黒なのですね。まさに漆黒の宝石……。けれど同時に、間違いなく輝いている。不純さを全く感じさせない、深淵の色……見ているだけで、宝石の中へと吸い込まれていってしまいそうです」
「過分なお言葉、恐縮です」
「なんという見事なダイヤモンドなのでしょう。これほどまでに素晴らしい宝石は、王族の方々であっても、所有されているかどうか……。少しだけ、触ってみても宜しいでしょうか?」
「ハ、ハイ」
オリネロッテの申し出に対して、カルートンは明らかに困っている様子であったが、断るための理由を思い付くことも出来なかったらしい。仕方なしに承諾する。
オリネロッテは黒いダイヤモンドをソッと掌の上に載せて見入ってから、ゆっくりと背後へ振り返った。
「みんな。これが、カルートン様の黒いダイヤよ。素敵よね?」
オリネロッテに黒い宝石を見せられた、4人のメイド姿の女性。
彼女たちの反応は、それぞれ異なっていた。
ヨツヤはギクリと身体を強ばらせ、恐れるように一歩だけ後ろへ退いた。
アズキは奇妙な物体を発見し、不審がる目つきになった。宝石などの貴重品や高級品を見ても、それを反射的に『欲しい』などとは思わず、冷静な観察から入る――彼女は、そういう性格であるようだ。
キアラは興味深そうに、黒いダイヤを眺めている。ドワーフである彼女は、宝石や鉱物に特別な関心を抱いているのだ。もっとも『どうやって加工しようか?』といった類いの方向へ、思考は向いているが。
ヨツヤもアズキもキアラも〝一般的な感性の持ち主である〟とは、あまり言えない模様。
お洒落好きな女性であったら、まずは『宝石で身を飾りたい! あの黒いダイヤは、自分に似合うかしら?』と考えるだろうに……。
そしてドリスは、黒いダイヤモンドよりも、オリネロッテの表情のほうが気になった。
(今、オリネロッテの瞳が赤く光らなかった?)
再度、確認する。オリネロッテの瞳の色は、いつも通りの緑――エメラルドの色だった。
(あたしの勘違い? でも――)
赤い色は、鮮血のごとき紅の瞳を持っていた魔族――あのターナダクを連想させる。
オリネロッテは、人間の少女だ。それは、間違いない。魔族では、あり得ない。だが、もしも何らかの理由で、彼女の瞳の色が変化したのだとしたら――
(黒いダイヤモンドの影響によるもの?)
改めて見ると、黒いダイヤモンドが発する光は、異様なまでに雰囲気が冷たい。それどころか、その輝きには禍々しささえ感じてしまう。
(不吉な――)
思わず、ドリスは口出ししてしまった。
「オリネロッテ様。もう存分に堪能されましたでしょう? そろそろ、その宝石をカルートン様へお返しになったら如何でしょう?」
ドリスは、オリネロッテのことが好きでは無い。しかし、いつまでも、この黒いダイヤにオリネロッテが触れているのは、良くないことのように思えるのだ。それゆえの『早く、手から離すべきだ』との意見を込めた、忠告である。
ドリスの提案に、ヨツヤ・アズキ・キアラも同意のようだ。口々に言う。
「オリネロッテ様。これ以上、そのダイヤモンドは――」
「妾も、そう思う……思います」
「珍しい宝石だった。見て、納得するところもあった。もう、おしまいにするのを勧める」
オリネロッテは不思議そうに、ドリスたちの顔を眺めた。
「そう。皆は、遠慮深いのね。欲が無くて、偉いわ」
オリネロッテが黒いダイヤモンドを元の箱に戻すと、カルートンはホッとした表情になった。
カルートンの屋敷に行く前に、侯爵邸の庭でドリスが行った作業の内容については、次回で触れます。




