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異世界で僕は美少女に出会えない!? ~《ウェステニラ・サーガ》――そして見つける、ヒロインを破滅から救うために出来ること~  作者: 東郷しのぶ
第九章 誘拐事件と黒い宝石の謎

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迷宮の心

 ドリス視点です。


 妹から姉へ……オリネロッテからフィコマシーへの皮肉。いや、暴言。

 それを聞いて、ドリスの感情は沸騰(ふっとう)した。衝動のまま、危うく身体が動きそうになる。


 その時、強く固めた彼女の拳に、そっと温かいものが触れた。


(え。なに?)


  思わず視線を斜め下へ向けると、左隣のキアラが掌で、ドリスの拳を包み込んでいた。まるで「落ち着いて」と語りかけるように。


(キアラ……)


 瞬間、ドリスの頭は冷える。自分は志願し、フィコマシーのメイド役を務めるために、この場所に居るのだ。

 軽挙妄動(もうどう)しては、フィコマシーに迷惑をかけてしまう。


(イチイチ取り乱すな、あたし)


 ドリスは、自分の右隣も見る。そちら側には、シエナが背筋を(りん)と伸ばして立っていた。

 シエナも無論、オリネロッテによるフィコマシーへの酷いセリフには、激しく(いきどお)っているに違いない。しかしシエナは表情を極めて硬くしつつも、懸命に冷静さを保とうとしている。


(シエナは長い間、1人でフィコマシー様を守ってきた。メイドとして仕え、護衛役として(たて)となり、友として側に居た。あたしよりズッと、フィコマシー様のことを大切に想っている)


 そんな彼女が、主が侮辱されても耐えているのだ。自分だって我慢できないはずは無い。


 フィコマシーの顔色が透きとおるほど白くなっていることに気付いたのか、オリネロッテの口調が一転して柔らかく、優しげになった。その急激な変化が、ドリスには気味が悪い。


「それとも、お姉様にはボルトラルさんより、美しく着飾った御自身を見せたい相手……殿方(とのがた)がいらっしゃるのでしょうか?」

「オリネロッテ?」


 フィコマシーが戸惑う。

 ボルトラルは伯爵家の次男で、フィコマシーの婚約者である。けれど彼はフィコマシーを邪険に扱い、オリネロッテにばかり関心を寄せて執着(しゅうちゃく)している。


「殿方とは……要するに、ボルトラルさんより好いている男の方のことですよ。あ。お姉様はもともと、ボルトラルさんについて、何とも思われてはいなかったですね」

「ボルトラル様は……私の婚約者です」


 フィコマシーの返答を聞き、オリネロッテは小首をかしげた。


「そうですが、それが何か? お姉様」

「私はバイドグルド家の娘として、婚約者以外の異性と、特別に親密な間柄(あいだがら)になるのは――」

「不謹慎だと? 貴族の家の娘である以上、あり得ないと?」

「え、ええ」


 フィコマシーの小さな声での返事が耳に届いているのか、いないのか。

 オリネロッテは、クスクスと笑い出した。


「お姉様は、お行儀が良いのですね。でも、お姉様。そのような道徳や礼儀が重んじられるのは、世の中が平和だからです。いざ騒乱が起こり、秩序が崩壊したら、どうします? 己の生命さえ失いかねない状況になれば、倫理や誇りなど何の役にも立ちません。ささいな物事に、こだわっている余裕も無くなります。不要なものは捨て去り、大事なものだけを手もとに置きつづけなくては。掛け替えのないものは、誰にも渡したくは無い。絶対に自分のものにしたい――そうではありませんか? ましてや、それが〝運命の人〟ともなれば」

「オリネロッテ。貴方は何を言っているの?」

「ああ。つまり、お姉様は遠慮をなさっているんですね? 彼……(いと)しの君が、灰色の(・・・)髪の(・・)召使い(・・・)に剣を捧げたから。そんなの、気になさらなくても良いのに。お姉様がお望みなら、私が、その女を排除して差し上げます。すみやかに。効率よく。一切の痕跡(こんせき)を残さずに」

「――オリネロッテ!」


 フィコマシーが普段のポヤポヤした態度からは想像も出来ないほどの、鋭く厳しい声を発する。激しい叱責(しっせき)だ。

 姉が本気で怒ったのを察したのか、オリネロッテは笑みを消して、真面目な表情になった。


「冗談です、お姉様」

「そのような冗談、聞きたくありません。不愉快です。二度と、言わないで」

「ハイ、分かりました。お()びします。申し訳ありません」


 軽く頭を下げる、オリネロッテ。


 商人のカルートンは、眼前の状況に面喰(めんく)らっている。

 侯爵家の姉妹のやり取りに、ついていけないのだ。


 オリネロッテは姿勢を正し、改めてカルートンと向かい合った。


「では、カルートン様。お持ちになったアクセサリーの(たぐ)いは、お姉様に進呈(しんてい)しても宜しいですよね?」

「もちろんです! オリネロッテ様には、すぐに新しい品をご用意させていただきます。より高価で、より優れた宝石や装身具を!」


 ドリスは思う。

(カルートンの奴……。フィコマシー様より、オリネロッテのほうを、はるかに尊んでいる。その事実を、あからさまに述べたわね。ここまで露骨な言葉を吐くなんて……狡猾(こうかつ)な商人らしくもない。それだけ思考が混乱し、精神を揺さぶられているってことみたいだけど)


 (へつら)ってくるカルートンに対し、オリネロッテは素っ気ない言葉を返す。


「代わりの、新しい装飾品など私は要りません」

「そんな! オリネロッテ様……」

「それより私、カルートン様にお願いがあるのです」

「な、なんでしょう?」

「カルートン様が、とても珍しい宝石……黒いダイヤモンドを所有しているという話を耳にしました。黒い色のダイヤがあるなんて、噂であっても、王都では聞いたことがありません。富裕(ふゆう)な平民は無論のこと、どの貴族も、持っていない。王室の財の中にも無い。本当に貴重な宝石です。それが、ナルドットにある。カルートン様が手に入れられている。ぜひ、その黒いダイヤモンドを私に見せてくださいませんか?」

「え!?」


 カルートンが驚いた。

 オリネロッテは、彼を安心させるように微笑む。


「どうぞ、ご心配はなさらずに。カルートン様。私は幸いにして情報を得ましたが、貴方が隠しておきたい事柄(ことがら)を、他の貴族たちに漏らしたりはしません。また『黒いダイヤを譲ってくれ』などと、不粋(ぶすい)な申し出もいたしませんので」

「オリネロッテ様。どこで、黒いダイヤモンドのことを――」

「ふふ。王都にばかり居て、ナルドットについての関心を私は持っていないと、カルートン様は思われていたのですか? この街は、お父様の領地の中心です。そしてカルートン様は、ナルドットで指折りの、成功なされている優秀な商人。そのカルートン様が素晴らしい宝石を持っておられると聞けば、興味を抱くのは当然でしょう? 私は好奇心旺盛(おうせい)で、早耳(はやみみ)なのです」


「おそれ入ります。けれど、あれ(・・)は商品ではありませんし……私にとっては『秘蔵の家宝』とでも申すべきものでありますから……」

「まぁ! ならば尚更(なおさら)、見せていただかなくては!」

「え――」

「家宝だからこそ、店舗には置いていないのですね? ご自宅で大切に保管されている」

「そ、そんな事まで」

 

「カルートン様のお気持ちは、よく分かります。大事なもの――うかつに他人の(・・・)目に(・・)触れさせ(・・・・)たくない(・・・・)ものは、自分の家の奥にシッカリと仕舞い込んでおくに限る……そうですよね?」

「それは――ハイ」

 

「『善は急げ』と申します。さっそく本日、今からカルートン様のご自宅にお伺いします」

「い、いくら何でも、それは――」

「ご迷惑は、お掛けしません。カルートン様のところへ出向くのは、私と、あとは、そうですね……この部屋に居るメイドのうちの数人だけです。お屋敷を少しの間だけ抜け出して、貴方に黒いダイヤモンドを見せてもらったら、すぐに帰ってきます」


 オリネロッテが語り終わらないうちに、彼女の専属メイドであるヨツヤが動いた。


「お待ちください、オリネロッテお嬢様!」


 ヨツヤはオリネロッテの前方へ回り込み、制止の声をかける。


「いきなりの外出は、おやめください。護衛も無く、メイドのみの付き添いでお出掛けになるなど、無用心すぎます。せめて、侯爵様のお許しをいただいてから――」

「お黙り!」


 オリネロッテは立ち上がり、ヨツヤの顔を容赦なく平手打ちした。

 パン! と高い音が室内に響く。


 強烈な打撃を受け、ヨツヤが床に倒れる。


「ヨツヤ! 私に向かって意見するとは――お前はいつから、そんなに偉くなったのです?」

「も、申し訳……」

「分かりました。お前は今日で、解雇です。何処へなりと、行ってしまいなさい。お前は、もう私のメイドではありません」


 オリネロッテが無情に宣告した。

 鞭による一撃を浴びたかのように、ヨツヤの背中がビクッと震える。


「お許しください! 二度と、余計な差し出口はいたしません! どうか、貴方様の側に居られなくなることだけは……お慈悲です!」


 長い濃紺(のうこん)の髪を波打たせながら、ヨツヤはオリネロッテの足もとに、にじり寄った。そのまま恥も外聞も無く、必死になって平伏する。


 あまりに苛烈なオリネロッテの態度を見かねてか、フィコマシーが腰を浮かして、止めに入る。


「オリネロッテ、やりすぎです!」

「ああ、お姉様。大丈夫ですよ。本当にヨツヤを退職させるつもりはありません。ただ、(しつけ)をしなおしているだけです。私は飼い犬が敵に()みつくのは大歓迎ですが、自身に吠えかかられるのは我慢がならないのです」


 オリネロッテが口にする無神経すぎるセリフに、フィコマシーは言葉をなくす。


「お姉様は私と違って、黒いダイヤモンドに興味は無いでしょう? お留守番をお願いいたしますね。お屋敷に残って……ええっと、そうだわ! カルートン様がくださったアクセサリーを試しにつけてみたり、それに似合う衣装を探してみたり、私が帰ってくるまでの時間、いろいろと楽しんでいてください」


 不自然なほど(ほが)らかな表情で、オリネロッテはカルートンへ向きなおる。


「それでは、カルートン様。案内を頼みます」

「し、しかし、オリネロッテ様」

「カルートン様……お忘れですか? 私は、王太子殿下の最も有力な婚約者候補なのですよ? 殿下に望まれて、その立場に居ます。私は殿下に愛されています。殿下にナルドットの宝石商について、良い噂を聞かせるのも、悪い噂を聞かせるのも、私の気持ち次第です。私の機嫌を取っておけば、必ず貴方のためになります」

「…………」

「よろしく、お願いいたします。私は、黒いダイヤモンドが見たい。それだけです。私の頼みを聞いて、私を喜ばせて。出来るでしょう?」


 オリネロッテは強引な口調で(たた)み掛けるように語り、更にカルートンの眼をジッと覗き込んだ。

 侯爵家次女の緑の瞳に(とら)えられ、一流であるはずの商人は少しずつ緊張を緩め、やがて陶然(とうぜん)とした顔つきになる。


 華麗な蝶が、天敵の蜘蛛(くも)を、逆に捕獲している。

 その美しくも、奇怪な光景。


(――魅了)

 ドリスの背筋にゾクッと寒気が走る。


「承知しました」


 気圧(けお)され、惹きこまれ、ついにカルートンは頷いた。

 パッと明るい表情になり、オリネロッテは声を弾ませた。


「良かった! 嬉しいです。これより少しの間、カルートン様たちは別室でお待ちください。私は外出のために着替えなければなりません」


 オリネロッテは案内役の使用人を呼び、その人間にカルートンと、彼の供の者3人を先導させた。

 カルートンたちが、応接室の外に出ていく。この部屋の中に居るのは、7人の――既に知り合っている女性のみになった。


 ヨツヤは、まだ床に伏せ、身を縮こまらせている。その打ちひしがれた姿は、哀れなのを通り越して、無惨(むざん)なほどだ。


 オリネロッテはドレスが汚れるのも構わず、床に膝をつけた。


「ごめんなさい、ヨツヤ! 貴方に酷いマネをしてしまいました。ミーアちゃん達が誘拐された事件の手掛かりを、少しでも早く見つけたかった。それでカルートンを言いくるめるのには、ああするより他に、仕方がなくて……もっと良い方法を思いつけば良かったのに。自分勝手な未熟者ね、私は」

「オ、オリネロッテ様」

「私を許してくれる?」

「もちろんです!」

「ヨツヤ……貴方が私の身を気遣ってくれたのは、本当に嬉しい。これからも、私の側に居てね」

「ありがとうございます! オリネロッテ様」


 ヨツヤが顔を上げた。長い前髪に隠れて目もとは見えないが、彼女の感情が悲嘆から歓喜へと一瞬で変化したのは、ドリスにも分かった。


 茶番劇……とは思わない。


(でも、これは……自覚の無い傀儡(くぐつ)が、巧みな操り手に踊らされているさまを、観賞させられているみたい。見応えのある人形劇で――その演出が、イヤミなまでに完璧すぎる)


 ヨツヤを慰めるためなのであろう。彼女の肩に優しく手を置きつつ、オリネロッテはフィコマシーを見上げた。


「お姉様にも、改めて謝ります。申し訳ありません。不快な思いをなさったでしょう? こちらの意図を見抜かれること無く、カルートンに自宅まで案内させようと、私は考えました。そのために、まずは彼を思いっきり動揺させなくては……と」

「…………」

肝心(かんじん)なのは、今日中に訪ねてしまうことだと思うのです。そうすれば、カルートンが対策を立てる機会は無くなります。もしもミーアちゃん達がカルートンの自宅や、その敷地内にあるという倉庫に監禁されていたとして、別の場所に移動させる時間を、彼に与えてはなりませんから」

「オリネロッテ……貴方は、そこまで考えていたの」

「ええ」


 フィコマシーは深い溜息をつく。 


「だったら、オリネロッテ。先ほどまでの物言いは、貴方の本心では無いのですね?」

「…………」


 オリネロッテは、あいまいに笑った。フィコマシーからの問いかけに、明確な返答はしなかった。

 しかし、オリネロッテの全身を覆っていた剣呑(けんのん)な雰囲気はキレイに消え去っている。元の良識的で、清純で高貴な彼女に戻っている。


 部屋の中の全員が、ホッと肩の力を抜いた。

 同時に、ドリスは気付く。


(オリネロッテは無理を通して、カルートンに言うことを聞かせるために、わざと傲慢(ごうまん)で軽率な女を演じたんだ)


 ――ベスナーク王国の王太子に熱愛されている。

 ――実の姉を侮蔑(ぶべつ)する姿を、簡単に他人に見せる。

 ――献身的に仕えるメイドを痛めつけても、何も感じない。


 ――オリネロッテは、そんな女だ。


 ――だから、逆らわないほうが良い。要求を断ったら、何をしてくるか分からない。その一方でオリネロッテは所詮(しょせん)、わがままで甘やかされた、愚かなお嬢様でもある。たとえ自宅に招き入れても、脅威とはなり得ない。ここは適当に()びておくのが、得策だ。


 そう、カルートンに考えさせたのだ。加えて、トドメとなった魅了の瞳――


 これで今日のうちに、オリネロッテはカルートンの家の中に入り込める。この面談で、彼女は思うとおりの結果を得ることに成功したのだ。


「ヨツヤ、立って」

 オリネロッテに言われて、ヨツヤは身体を起こした。


 起立しているメイド姿の5人の女性を、オリネロッテはグルッと見回す。


「皆に、今後のことについて話します。カルートンの自宅へ赴く際に、私についてくるのは、ヨツヤとアズキと……あとはドリスさんとキアラさん。シエナは、お姉様の――お姉様(・・・)だけの(・・・)メイドですからね。お姉様と一緒に、このお屋敷に残ってください。更に可能な限り、すぐに、隣の部屋に居るサブローさんやクラウディ、リアノンへ事情を伝えるように。良いですね? シエナ」

「承知いたしました」


 少ない口数で、静かにシエナは頷く。


 灰色の髪の少女――シエナも、オリネロッテの先ほどの『剣を捧げられた、その女を排除して差し上げます』との発言には、深刻な感情を抱いたに違いない。けれど、余計な言及はしない。

 過剰な反応で傷口を広げない聡明さが、シエナにはあった。


「サブローさんのところには、腕が立つ……頼もしい人たちがサブローさんも含めて、7名ほど居るはず。彼らにはコッソリ、カルートンの家に向かう私たちの跡をつけてきてもらいます。そしてカルートンの自宅や倉庫がある敷地の外で、待機していただいて……中の私たちが不審なものを発見したり、怪しい状況に遭遇したら、合図を送ります。それを機に、即座に敷地内に踏み込んでくるように……そう、彼らに話してください」

「ハイ」


 オリネロッテのシエナへの指示が終わったタイミングで――


「あの、オリネロッテ様。宝石に詳しいキアラはともかくとして、どうして、あたしまでカルートンの家に同行させるのですか?」


(出来れば、フィコマシー様のほうに、ついていたいんだけど)

 と考えつつドリスが尋ねると、オリネロッテは彼女を正面から見つめた。


「あら、それは当たり前の話ではなくて? 外部との連絡を瞬時に取るのに、ドリスさんのゴーレム……ゴーちゃんほど役立つ存在はないでしょう?」


 オリネロッテの言葉を受け、ドリスの小物入れ(ポーチ)の中に入っているゴーちゃんがゴソゴソ動く。ドリスは、それを掌で押さえた。すると、ゴーちゃんがプルプル震えているのが、ポーチ越しに伝わってくる。


(オリネロッテから名指しされて……ゴーちゃんは、怯えている? あるいは、何かを警戒しているの?)


 フィコマシーの前では、ゴーちゃんは、あれほど喜び、はしゃいでいたのに。その妹に対しては、近寄ってきて欲しくはない様子だ。

 が、それはそれとして『ドリスも共に、カルートンの家に行くべきだ』というオリネロッテの思案は、理屈としては正しい。ドリスは従わざるを得ない。


 ドリスは、渋々ながら「分かりました……」と返事する。

 オリネロッテは、フッと笑った。


「ねぇ、ドリスさん」

「何でしょう?」

「貴方、私のことが嫌いよね?」

「――っ!」


 あまりに突然のオリネロッテによる質問に、ドリスは息を呑んだ。

 肯定はしない。しかし、否定の言葉についても、いつまで経っても返さない。


 それだけで、その場に居る者たちにとって、ドリスの気持ちは丸分かりだった。


 しばしの沈黙のあと。

 ヨツヤの怒声が響き渡る。


「貴様! 下賤(げせん)な冒険者風情(ふぜい)が、オリネロッテ様に無礼な! 許さない!」


 ヨツヤが長いスカートを(ひるがえ)し、ドリスのほうへ右手をサッと横一文字に払う。

 物凄い殺気が迫ってくるのを、ドリスは感じた。


(え! なに? 見えない――線……まさか、糸!?)


 咄嗟(とっさ)の判断ができず、ドリスは動けない。飛来する細い物体により、彼女の身体が切り裂かれる寸前。

 ドリスの前に、キアラが素早く飛び出した。そして躊躇なく、左の拳を前方に突き出し、振り下ろす。


 バシッと、キアラが何かを叩き落とす。


(やっぱり、あれは……(はがね)の糸?)


 ヨツヤが放った糸には、キアラの血が付着していた。そのため、その物騒な存在が(あら)わになっている。


「キアラ! だ、大丈夫!?」

「私は平気」


 キアラの左腕の服の(そで)は破れ、肌には裂傷が出来ていた。血が(したた)っている。けれど、それほど深い傷では無さそうだ。ドワーフの皮膚は、人間より厚くて頑丈だ。加えて、キアラは経験を積んだ冒険者であり、戦闘に慣れている。おかげで、大きなダメージを被らずに済んだらしい。


「ドリス、さがって」


 キアラは背後を見ずに、ドリスへ声をかける。専用の武器であるメイスは持っていないが、彼女は素手で戦ってでも、ドリスを守り切るつもりだ。

 攻撃してきた糸を左腕で防いだのも、今後のことを考え、利き腕である右腕を負傷させないためだったのだ。


 忌々(いまいま)しげに、吐き捨てるようにヨツヤが言う。


「そこを退()け、ドワーフ」

「断る」

「私が殺したいのは、そちらの金髪だ」

「させない」


 ヨツヤとキアラが、対峙(たいじ)する。一触即発の状態になった両者の間に、魔法使いのアズキが割り込んだ。


「2人とも、何をやっておる! オリネロッテ様とフィコマシー様の御前(ごぜん)じゃぞ。戦いの構えを解け!」


 アズキは、己の右腕をヨツヤへ、左腕をキアラのほうへと伸ばした。いざとなれば、ヨツヤとキアラのどちらへも、風魔法を発動できる体勢になっている。


 メイド姿の3人の女性が、それぞれ極度に緊張しつつ、牽制(けんせい)しあう状況に――

 オリネロッテが、どことなく浮き立つ声でドリスに再び問いかけた。


「ドリスさんは、私を嫌いで……それで、お姉様のことは、どうなの? お姉様を、好き?」

「ハイ。当然ながら」


 ドリスは、認める。フィコマシーへの自分の好意を、周りに隠すつもりは無い。


「〝当然ながら〟…………ふふふ。ドリスさん、貴方は素敵よ。お姉様を好きで、私を嫌いなんて……大正解だわ。褒めてあげる!」


 オリネロッテが、心の底から嬉しそうな表情を浮かべる。

 その異様な侯爵令嬢の態度に、ヨツヤもキアラもアズキも呆気にとられたのか、3人は戦闘の姿勢をやめ、立ちすくんだ。


 ドリスも、驚きの視線をオリネロッテへ向ける。


(オリネロッテ……。この侯爵令嬢……ニセモノの(・・・・・)聖女は――)


 オリネロッテの口から出る言葉、彼女が示す表情は、どこまでが本心のもので、どこからが偽ったものなのだろうか? 

 他者へ見せるオリネロッテの振る舞いは、どこまでが真実で、どこからが演技なのか?


 オリネロッテの心の模様は複雑怪奇で、まさにラビリンス――迷宮のようだ。


 ドリスは、サブローが倒した魔族――ターナダクが、自分に告げた言葉を思い出した。


(双子の女神様と2人の聖女様、そして聖女様の妹たちの危うすぎる現状について、アイツは――)


 何と言った?

 そう――


『妹は姉とは違い、聖女では無い。俗人(ぞくじん)だ』

『神聖力と神魔力の混在を、ただの人が浴びたら、狂ってしまう』

『狂気の(うず)が旋回し、光彩をまき散らしている様相は、人間どもにとって、はなはだ美しく感じられる』

『王国の聖女の妹は、強い魅了の力を発揮して、過剰に称賛されている』

『どちらにしろ〝破滅へ向かっている〟のは、同じこと』


 つまり。

(オリネロッテは、狂っている?)


 しかし……これまでの様子から推測するに、オリネロッテは普段、理性的な対応を保っているようだ。まれに異常な言動をするが、それもすぐに消え、元の知的な彼女に戻る。


(自制している? 狂う己を、懸命に抑えている?)


 優雅に湖に浮かぶ白鳥が、水面下で必死になって足を動かしているように。


(だったら、オリネロッテは……オリネロッテ()は――)


 そこで、ドリスはハッとなって思考を止めた。


(ダメ。考えるな。取り込まれちゃ、いけない)


 不用意に迷宮の奥へ進んだら、2度と出てこられなくなる。行き先も帰り道も、失ってしまうのだから。

 全ての希望を無くし、歩きつづけることになる。永遠に、暗闇の中で――

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オリネロッテちゃんの芝居が、冷静なら意図が確かに見え透いているところ、確かに現場にいて、真面目に商談なら見切れないな、というラインの設定が絶妙でした。相手の容姿が容姿で、まして年端もいかない少女では難…
[良い点] ミーアを助けるために、各章に登場したキャラクターたちが一堂に会するこの雰囲気がすごく好きなんですけど、オリネロッテ様がいきなり怖いムーブをかましてきて、恐ろしさで笑ってしまいました……(笑…
[良い点] 苛烈なオリネロッテの言動と行動に、読者側として一線引いているはずなのに、魅了されたかのように感じてしまいました。 これは称賛せずにいられません! [気になる点] もはや存在感がラスボス・…
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