絶頂の旗を掲げる、われらケモナー
この回の終わりに、3人称のパートがあります。
オリネロッテ様が侯爵へ『ナルドットでの滞在を延長することを、私とお姉様に許して欲しい』と頼んだとしても――
「御領主様は、よく許可をお出しになられましたね?」
僕が問うと、アズキは目を伏せつつ返答した。
「それは……オリネロッテ様は……その…稀有な御方じゃからして……」
黒髪の魔法使いが言葉を濁す。
――なるほど……ね。
僕は察した。
オリネロッテ様には、あの〝魅了の力〟がある。それを使って、侯爵を巧みに言いくるめてしまったに違いない。
意識的にしたのか、無意識のうちに力を行使したのか……オリネロッテ様の真意は、不明ではあるけれど。
アズキが口を閉じたタイミングで、シエナさんがこれまでの出来事を話しはじめた。
僕がクエスト先で大ケガを負ったという知らせを受けてから、シエナさんは毎日、冒険者ギルドへ足を運んでくれていたそうだ。僕に関する新しい情報を、少しでも早く入手するために。
「フィコマシーお嬢様も、サブローさんの負傷をお聞きになって、大変に心を痛められて……とはいえ、安易に動くわけにもいかず、お屋敷に留まっておられます。さすがにお嬢様が自ら、冒険者ギルドを訪ねるのは難しいですから」
「それでシエナさんが、フィコマシー様の代わりに冒険者ギルドへ?」
「状況がどうなっているのか、お嬢様へ伝えるのは勿論ですが、何よりも私がサブローさんのことを知りたかったんです! 《未来の嫁》として!」
シエナさんが勢い込んで言う。
……なんか、最後に変な単語が聞こえたような……気のせいかな?
僕の背後より、ドリスとキアラの声がする。どちらも、音量が小さい。どうやら、2人でコソコソと囁き合っているらしい。
「シエナは純粋すぎて〝危うい少女〟だと、あたしは前から思っていた。でも彼女、想像以上に危ういわね。心配だわ。主に頭の中身が」
「《未来の嫁》……2号さんも〝嫁〟であるのは間違いない。正妻では無いけれど。正妻はミーア」
シエナさんは冒険者ギルドへ来たその日に、コマピさん達と会い、ミーアが誘拐されていることを教えられた。とても驚き、それから彼女は事件解決へ向けて全力で協力している。
一方、アズキは――
「妾はオリネロッテ様の命令で、こちらに参っておるのじゃが……」
と、ここでアズキはコマピさんへ語りかけた。
「スケネーコマピ殿。実は昨日、このギルドで耳にした案件を、妾はオリネロッテ様へ伝えたのじゃ。するとオリネロッテ様は『それでしたら、私にも出来ることがあります』と仰ってな。今日は、その話をしに伺ったのじゃ」
「アズキ様、本当ですか!」
コマピさんがビックリした表情になっている。……ん? 〝アズキがギルドで耳にした案件〟って、なんだろう?
僕が疑問と興味を同時に抱いていると、ドアが開かれ、室内に誰かが入ってきた。現れたのは――
「マコルさんじゃないですか!」
「サブローくん、お久しぶりです。貴方ならどんな場所に居ようとも、ミーアちゃんのピンチには絶対に駆けつけてくれると、私は信じていました」
「マコルさんこそ、どうして冒険者ギルドへ?」
その慣れた様子から推測するに、この対策室にマコルさんは、既に何度も足を踏み入れているようだ。
「マコルさん。もしかして、ミーアたちの救出に力を貸してくださっているのですか?」
「当然です! 私だけではありませんよ。キクサやモナムやバンヤルくんは勿論、志を同じくする同胞――〝獣人の皆様を愛するナルドットの者たち〟は全て、この事件を知って立ち上がりました」
すごい。ケモナー総決起だ。
ナルドットの現状がよく分かっていない僕へ、マコルさんは説明してくれた。
『冒険者ギルドで新人研修を受けていたミーア(ケモノっ娘美少女ランキング3年連続第1位)・ララッピ(昨年度同ランキング7位)・ナンモ(特に無し)が誘拐され、彼女たちの指導員であった冒険者のルティユが重傷を負わされた』との情報は、まずはミーアの関係者であるマコルさんとバンヤルくんに伝えられ、そこから、獣人を愛する人々――通称〝ケモナー〟たちの間に広まった。ケモナーネットワークによって、瞬時に。
結果、ナルドットのケモナーたちは1人残らず「犯人、許すまじ! ミーアちゃん達を救い出せ!」と気勢を上げた。
ナルドットにおけるケモナーたちは
・穏健派の《世界の片隅から獣人を愛でる会》
・急進派の《世界の中心で獣人への愛を叫ぶ会》
・過激派の《飾りじゃ無いのよケモミミは~、あっは~会》
という3つの団体に分かれている。
「けれど、この非常事態に際して、私たちは大同団結することを決定いたしました。いざという時には垣根を壊し、障害を乗り越えてこその〝真のファン〟なのです!」
マコルさんが語るところによると、3つの団体のケモナー達は、臨時にファン同士の連合体――《連合ファン隊》を結成したそうである。
連合ファン隊……旧帝国海軍の連合艦隊みたいだな。すごく強そうだ。
「かねてより私たちは、獣人の方々を害する〝熊キラー〟や〝鹿キラー〟といった犯罪者どもの行方を追っていました。ヤツらは殺人のみならず、誘拐や人身売買にも手を出している。非道な者たちです。必ず全員を、駆逐しなければならないのですが――」
「く、駆逐……ですか」
「そうです。しかし今まで私たちは、やはり周囲への気兼ねもあって、自身の性癖を抑え、隠密に活動するよう心がけていました」
性癖? マコルさん、自分の〝ケモナー的な心情〟について『性癖』って、言った?
「けれども、こうなっては、そんな悠長に構えながらの怠惰な探索など、してはいられません。今回のミーアちゃん達の苦難も、あの悪人どもの仕業であることは、ほぼ確実であり…………事態は一刻を争います。私たちは一線を踏み越え、自らの魂そのものをさらけ出し、全精力をもって事件へ臨み、必ず解決することを誓ったのです。『性癖の公開、この一線にあり!』を合い言葉にして!」
誇り高く、マコルさんが述べる。
『性癖の公開、この一線にあり』……日露戦争の日本海海戦で連合艦隊の旗艦三笠のマストに掲げられたZ旗の――その意味するところの『皇国の興廃、この一戦にあり』を連想させる文言だな。
〝Zの旗〟ならぬ〝絶頂の旗〟――絶頂旗を掲揚して「コウコクノコウハイ、コノイッセンニアリ。各 員 一層奮励努力せよ」ということか!?
敵勢力の殲滅、完全勝利の予感がするぞ。
とても頼もしい。ケモナーの皆さんの心意気と頑張りには、自然と頭が下がってしまうよ。
しかしケモナーの集団が自分たちの性癖を露出させながら、聞き込み調査や犯罪者の追跡を行ったのだとしたら……ナルドットの街の人々は、どう思ったんだろう? 普通の感覚の人たちが怯えたり、警戒したり、反発したりするような状態になったりはしなかったのかな?
ちょっと不安な気持ちになっている僕に対して、コマピさんは滔々と語った。
マコルさんたちの活動について、彼は絶賛する。
「マコル先達、そして同志たちは素晴らしい活躍をしてくれました。自らの想いも性癖も愛も嗜好もことごとく解き放った同志たちには、恐れるものなど何も無かったのです。熊キラーや鹿キラーなどの凶悪の徒を、鋭い嗅覚と独特の勘によって次々と見つけ出し、捕まえていきました。お見事です!」
「いえいえ、コマピさん。賊どもを最終的に捕縛したのは、ギルドの冒険者の方々ですよ」
「それも、先達や同志たちの情報提供があってこそです。短期間で、ここまでの結果を得ることが出来て、感謝しても、しきれません」
「ただ、探り当てた悪人どもが、今のところはゴロツキや詐欺師のような小物ばかりなのは……まだまだ私たちの努力が足りていない証です。もどかしいです」
「大物にたどりつくのは、これからですよ」
マコルさんとコマピさんが、互いに褒め称え合っている。麗しくも、そこはかとなく狂気を感じるな光景だ。
あと『マコル〝先達〟』って……まぁ、コマピさんにとって、マコルさんは〝ミーア信仰への導き手〟だからな。『預言者』とか『教祖』とか『大司祭』とか言い出さないだけ、マシか。
けど、長命の種族であるエルフのコマピさんが、成人男性とはいえ人間のマコルさんを『先達』と呼んでいる状況には、とてつもない違和感を覚えちゃうな。なにかが、ズレまくっている。
※注 先達……指導者・案内人・先輩などを意味する言葉
ともかく、連合ファン隊は偉大な成果を収めているようだ。本当に素晴らしい。
更にマコルさんの話を聞くと、バンヤルくんも大活躍しているとのこと。ナルドットの街を快速で走り回り、偵察・連絡・打撃・防御など、あらゆる任務をこなしているそうだ。「誘拐犯どもを駆逐して、ミーアちゃん達を助けだす!」と昼夜を問わず奮闘する彼の姿は、まさに連合艦隊の駆逐艦。
バンヤルくんは艦船では無くて人間の少年だから、ケモナー連合ファン隊の〝駆逐漢〟だね! デストロイヤー(駆逐艦の英訳)・ボーイだ! 僕も友人として、誇らしいよ!
…………。
それはそれとして、やっぱり、どうしても気になる点が。
「でも……マコルさんやバンヤルくんや、その仲間の方々が……本性を露わに……では無くて、何ごとも包み隠さずに派手に動き回って、ナルドットに住む一般の人たちは、ドン引き……では無くて、戸惑って騒いだりはしなかったのでしょうか?」
僕の質問に、コマピさんが答える。
「最初は少しばかり不審がる方も居られましたが、もともと獣人に危害を加えるような輩は、犯罪者であることはバレていなかったとしても、日常生活で街の人々に迷惑をかけるタイプが多かったのですよ」
ほぅ。
「そのような厄介なヤツらの悪事を、先達や同志たちは続々と摘発していきました。悪人が逮捕されれば、当然ながら街の治安は向上します。住民の皆様にとって、それは歓迎すべき事態です」
おお!
コマピさんが語った内容を、まとめると…………ケモナーについて、街の人々の間から
『変な人たちの集まりだと思っていたけれど、良い人たちだったんだ』
『変態の集まりだと思っていたけれど、とても頼りになる人たちだったんだ』
『変質者の集まりだと思っていたけれど、正義感に溢れる人たちだったんだ』
といった声があがり、ナルドットにおけるマコルさん達の評判は急上昇しているらしい。現在では『変人と善人は、紙一重』と好意的に受けとめられている模様。
「それほどのことは、ありませんよ」
「謙遜してはなりません。マコル先達。これこそ、正しい評価なのですから」
ふ~む。ナルドットで、ケモナーの皆さんが肯定的に見られるようになったのは、素敵なことだ。祝福すべきことだ。
しかし『変な人』『変態』『変質者』……それって、つまり、これまでナルドットにおいて獣人への偏見があったのって、ケモナーたちの存在が原因の1つになっていた……そうとも、言えるんじゃないのかな……?
いや、まぁ、今更そんな点にツッコミを入れても無意味なので、しませんが。
しかしながら、冒険者ギルドとケモナーたちの懸命な努力にもかかわらず、いまだにミーアたちが何処へ連れ去られたのかは分かっていない。
ミーアの身を案じて焦る僕の肩へ、マコルさんが静かに手を置く。
「サブローくん。まずは、気持ちを落ち着かせてください」
「でも――!」
「私たちは『もしかして、ここにミーアちゃん達が閉じ込められているのかも?』という場所を1つだけですが、発見しています」
「何処ですか? そこは!」
僕が息せき切って尋ねると、コマピさんが口を挟んできた。
「やはり、あそこ……ですよね? マコル先達」
「ええ。そうです」
マコルさんが重々しく首を縦に振る。
「場所が判明しているのなら、すぐに乗り込みましょう! コマピさん!」
「残念ながら、そうはいかないのですよ。サブロー同志」
「どうしてですか!?」
「冒険者ギルドとしては……」
言いよどむコマピさん。彼に代わって、マコルさんが僕へ話す。
それによると――
問題となっているのは〝カルートン〟という人物で、彼はナルドットにおいて宝石や貴金属、装飾品などを商っているそうだ。
「カルートンはナルドット指折りの大商人で、その権勢はネポカゴ商会のツァイゼモ会長に匹敵するほどです」
「ツァイゼモ様に……」
僕はツァイゼモさんの店舗と住居を兼ねている、巨大な建物を思い出した。3階建てで、お客も従業員もいっぱい居た。土地も含めてツァイゼモさんの所有物であり、それだけでも大変な財産だ。
ツァイゼモさんに比肩する商人となると、相当な実力の持ち主と言えるだろう。経済にとどまらず、政治関連など他の方面にも影響を与えることが出来るはず。いざ敵となったら、手強い相手だ。
「私たち《連合ファン隊》が、熊キラーや鹿キラーといった悪人どもを片っ端から捕まえ、その犯行の中身を念入りに調査し直していると、どうにも、これらの事件にカルートンが関係しているのではないのか? との疑いが浮上してきたのです」
「大商人なのに、犯罪に手を汚しているのですか?」
「獣人キラーの中に、セルロド教を信仰する貴族や裕福な商人が少なからず居る……という噂は、前からありました。私たちが捕まえた小悪党どものうち、それなりの数は、その者らが裏から動かしていたのかもしれません」
黒幕。
指示役。
資金源。
闇組織のボス。
……そういった存在なのか?
「カルートンはナルドット有数の豪商です。その資産や事業規模を考えれば、彼こそが、この街における獣人誘拐・殺害組織の元締めである可能性さえあります。捕縛した犯人のうちの1人が『宝石を扱っている商人のところには地下牢があって、そこに誘拐された獣人の子供達が閉じ込められている』と証言しました。もっとも、ソイツはうっかり口を滑らせた……といった様子で、それ以上は喋ろうとはしませんでしたが」
「そこまで、相手側の内情が明らかになっているのなら――!」
「しかしサブローくん。確実な証拠は、まだ何も無いのです。カルートンの名前が、仮に具体的に犯罪者どもの口から出たとしても、それだけで直接の捜査対象とするのは難しい。カルートンは商業ギルドの有力メンバーです。宝飾品や装身具を製作する職人たちの雇用主でもあるため、職人ギルドにも大いに顔が利きます。ナルドットの人々から高い信用を得ている彼を、アヤフヤな証言1つで取り調べることなど出来ません。ましてや、それが下っ端の、おそらくは切り捨て要員に過ぎない者の口から出たとあっては」
「冒険者ギルドも、うかつに商業ギルドや職人ギルドと事を構えるわけにはいかず――」
コマピさんが悔しそうに言う。
そうか……。マコルさんは商人で、家族もある。コマピさんは冒険者ギルドという組織の一員だ。いかに2人が〝熱心なミーア信者〟であったとしても、気持ちひとつで不用意には動けない――その理由も分かる。
だったら僕が単独でも――
そう覚悟を決めていると、マコルさんが僕に強い調子の声で注意した。
「サブローくん。軽挙はなりませんよ」
「けれど!」
「カルートンへ疑惑の目を向けたあとに、私たちも単に手をこまねいていたのでは無いのです。商品の売り込みやお客のふりをして、カルートンの店の中を探ってきました」
「どうだったのですか!?」
「宝石や装飾品といった高価で貴重なモノを取り扱っていることもあって、カルートンの店舗は厳重に警備されています。商品の販売スペースの隣には、職人たちの工房も併設されているのですが……どちらの箇所でも、怪しい気配は感じられませんでした。建物の構造や、内部の人の流れを観察しても、おかしな点は見いだせなかったです。結論として〝特別な用途の地下室〟は存在しない可能性のほうが高いと思われます」
「そんな――」
つまり、カルートンは今回の事件とは無関係なのか?
僕はガッカリしたが、マコルさんの話はまだ終わってはいなかった。
「カルートンは〝工房を設置した商店〟とは別に、自宅も持っています。その屋敷は彼の店から随分と離れた場所にあって、しかも大きめの倉庫まで敷地内に建てられているのですよ」
「それは……かなり変ではないですか?」
自宅や倉庫なら、むしろ店の近く、なんなら隣接したところに建てても良いくらいだ。充分な土地を確保できなかったのかもしれないが、わざわざ遠い地点に屋敷を構えるなんて、意味が分からない。
「サブローくんの、仰るとおりです。カルートンの自宅は商業地区の端、人気の少ないところにあります。商品を販売している彼の店舗が、人が多く行き交う、賑やかな大通りに面しているのとは対照的ですね」
不自然すぎる。
もしかして、店舗のほうでは無くて、自宅の敷地内にあるという倉庫の地下に、監禁場所が存在しているのでは? ――そう、僕は推理する。
マコルさんもコマピさんも、経験豊富な大人だ。
もとより、彼らも僕と同じことを考えているはずだ。
僕がマコルさんの目を見ると、彼は頷いた。
「カルートンの屋敷と倉庫は、相当に疑わしいです。しかし街中にある商店と違って、客を装って訪れるわけにはいきません。自宅のほうも店と同様に、厳しい警戒体制が敷かれていますし……捜索のために立ち入るのが難しくて『何か良い方法は、ないものか?』と悩んでいます」
「あ~。その事なのじゃが。マコル殿。コマピ殿。オリネロッテ様からのお言葉を伝えるぞ」
突然、アズキが口出ししてきた。
「先ほども言いかけたが……その〝カルートンという商人が疑わしい件〟について、妾は昨日、ここで話を聞いて、それをオリネロッテ様へ申し上げた。オリネロッテ様は少しの間、考え込んでおられて、そのあとに『私に出来ることがあります』と仰った。相談をしたいため、侯爵様のお屋敷へコマピ殿か、それに代わる誰かに来て欲しいとのことじゃ。遅い時間でも構わないので、可能なら今日のうちに」
――オリネロッテ様が!
オリネロッテ様の申し出に対して、室内に居る人々は満場一致で〝コマピとマコルの両人が侯爵邸へ赴いて、オリネロッテ様に会うこと〟を決めた。
幸い、今はお昼を少々過ぎた頃だ。
コマピさんとマコルさんは今日の夕方、オリネロッテ様に面会しに行く。僕も同行させてくれるように頼んで、承知してもらった。久しぶりにフィコマシー様の顔も見たいし、もちろんオリネロッテ様の相談内容にもとても関心がある。
東の空の中ほどに、日が差し掛かった(ウェステニラは、太陽が東に沈む)。
シエナさんも僕らと一緒に侯爵邸へ帰る。加えてドリスとキアラも僕についてくるので、侯爵の屋敷を訪ねるメンバーは、計6人になった。
移動手段として、冒険者ギルドは多人数が乗れる箱形馬車を用意してくれた。背中の傷などが治っていない僕としては、非常に助かる。これで楽して、侯爵邸まで行けるよ。
6人全員が乗車して、出発だ! 御者さん、よろしく!
・
・
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♢
6人が侯爵邸へ赴く前。
午後の、とある時間。
冒険者ギルドにて。
サブローが席を外しているタイミングを見計らったかのように、くるくるツインテールの冒険者の少女が、メイド服の少女へ近寄る。そして周辺に人が居ない場所へ連れて行き、話しかけた。
「ふぅ……ようやく、2人きりになれたわね」
「あの、私に何の用事があるのでしょうか? ドリスさん」
「ねぇ、シエシエ108号」
「誰が、シエシエ108号ですか!?」
「だってアナタ、『未来の嫁』とか……発言が願望まみれで、煩悩が108個くらいありそうなんだもの」
「酷い誤解です。私が言葉にしているのは〝願望〟では無くて〝予測上、確定率が9割9分の将来〟です。あと私が所有している煩悩は、せいぜい3つです」
「煩悩を持っていることは、否定しないんだ。ともかく、まだアナタがナルドットに留まっていてくれて良かった。ホッとしたわ」
ドリスの発言に、シエナは首をかしげる。
「それは……どういう意味なのでしょう?」
「シエナは今、ミーアのことばかり心配しているようだけど、アナタの行く末だって安全じゃ無い。むしろ現在のミーア以上に、危険な状況に陥るかもしれない」
「……え」
「嫁になるかどうかは別にして、アナタは決してサブローの手を離しちゃダメよ。王都へは必ず、サブローと一緒に行きなさい。生き延びたいのなら」
「なっ――!」
ドリスの真剣な瞳、その鋭くも情を湛えた眼光に射貫かれて、シエナは息を呑んだ。
「どのような経緯でサブローとの仲を築いたのかは知らないけれど、彼との縁はアナタにとって、女神ベスナレシア様が恵んでくださった命綱そのもの」
「女神様が……?」
「それともシエナにはサブロー以外に、魔族の強者と互角に渡り合える、凄い知人が居るの? 表面的な付き合いでは無くて、何を置いてもアナタを優先してくれるような、個人的に深い関係で……よ」
「い、いません」
「そうよね。ベスナーク王国には卓越した技量の剣士や優秀な魔法使いが、確かに存在している。でも彼らの護衛の対象は、あくまで高い身分の方々。高ランクの冒険者を雇うには、莫大な費用が掛かる」
「…………」
凍りついたように立ち尽くすシエナ。そんな彼女のほうへ1歩、ドリスは踏み出す。
身体が接触しかねないほど、2人の距離がグッと縮まる。
「残酷なことを言うようだけど、シエナ。アナタは、王家のお姫様でも貴族のお嬢様でも無い。王家や貴族――彼らに仕える立場の、一介の召使いに過ぎない。財産だって、無いでしょう? アナタの抱えるリスクはあまりにも大きすぎて、身分で考えても、金銭で考えても、働きに釣り合うだけの報酬を〝護る者〟へ渡すことは、どうやっても出来はしない。だって苦労してアナタを救ったとしても、何の名誉にも、少しの利益にもならないことは、最初から分かりきっている。本来、アナタに《守護者》は現れない……現れないはずだった。でも――」
「…………」
「でもサブローは、おそらく……いえ、間違いなく――」
そこでドリスは唇を噛みしめた。
「アナタを護るために、魔族とだって戦う。己の生命を懸けて。見返りを求めず。サブローは、そういう人間だから」
「知っています! 分かっています!」
シエナは悲鳴を上げて後ずさり、両の手で自分の耳を塞いだ。〝もう聞きたくない!〟との意思を示すかのように。
終わりのパートにあるドリスのシエナへの忠告は、8章13話「双神の結界と聖女の墜落」における魔族のセリフから、彼女が察した内容をもとに行われています。
それとアズキは、サブローたちの訪問を知らせるために、一行より一足先に侯爵邸へ戻っています。
♢余談
日露戦争(1904~5年)の日本海海戦において、日本の連合艦隊はロシアのバルチック艦隊に勝利しました。この戦いで有名となった文には「皇国の興廃、この一戦にあり。各員一層奮励努力せよ」(Z旗による信号)や「敵艦見ゆとの警報に接し、連合艦隊は直ちに出動、これを撃滅せんとす。本日天気清朗なれども波高し」(海戦前の東京の大本営への打電)などがあります。
ちなみに後者は、本作のケモナー集団の場合「ミーア誘拐との報告に接し、連合ファン隊は直ちに出動、敵を殲滅せんとす。本日天気清朗なれども怒りはMAX」になります……。




