対策室のエルフ・メイド服・あんころ餅
「ドリス! そこは、せめて僕を隊員1号にしてよ!」
僕の心からの叫びは、室内に居た《暁の一天》のメンバー全員から無視された。
誰もフォローしてくれない……皆、酷いよ!
嘆く僕へ、レトキンが、おもむろに話しかけてきた。
「あのな、サブローよ」
「レトキン!? レトキンは、僕のほうがゴーちゃんより〝隊員1号〟に相応しいと思ってくれるよね?」
「サブローが《筋肉同好会》に入ってくれるのなら、ドリスの分隊の隊員1号に推しても良いぞ」
「あ。だったら、推してくれなくても構いません」
「むむ。俺は……サブローとは、ぜひとも筋肉への賛美を共有する仲になりたいのだが」
僕は、なりたくありません。なので、レトキンは諦めてください。そんなに残念そうな顔をしてみせてもムダですよ!
「今ではサブローも、筋肉の素晴らしさを充分に理解しているはず」
「筋肉が素晴らしい存在であることに、異論はありませんけど……僕の身体は、筋肉だけで出来ている訳では無いので」
「それは当然だ。しかしながら筋肉と精神が互いに励ましあう関係は、なにものにも代えがたい心身の結びつきだぞ。精神的健康を重視するなら、必然な成り行きで、人は筋肉を愛すべきなのだ」
「そうですか」
「素っ気ない返答だな。まぁ、良い。今はサブローも心配ごとがあって、大変な時だ。《筋肉同好会》への勧誘は、また別の機会にするとしよう」
勧誘は、今後一切、やめてくれ~!
「それはともかく、今回の件でサブローはナルドットに行ったら、場合によってはリラーゴ先輩を頼るべきだ。俺は、そう思う」
レトキンがキリッとした顔つきで、言う。
リラーゴ先輩?
ああ。リラーゴ親方の事だな。トレカピ河の船着き場で働いている、人夫さん達のリーダー。容姿はゴリラに似ていて、語尾が『ウホ』な喋りをする……そう言えば、リラーゴ親方は、レトキンの知り合いだったな。2人は〝筋肉仲間〟として、見るからに暑苦しい関係を築いていた。
「リラーゴ先輩は、トレカピ河に設置されている港や、行き来する船舶に関連して、かなりの人脈と権限を持っている。その上、獣人にも深い理解を示している人格者だ」
そりゃ、リラーゴ親方は立派なケモナーで、《世界の中心で獣人への愛を叫ぶ会》の正式メンバーだからね! 〝筋肉への愛〟ではレトキンの先輩であり、〝獣人への愛〟ではバンヤルくんの先輩というポジションに居る。
リラーゴ親方は、すごいゴリラなのだ。違った。すごい人なのだ。
「もしも誘拐事件の探索において、トレカピ河周辺の地理や人物が関わってくるようなら、リラーゴ先輩に助けを求めると良いぞ。きっと、力になってくれる」
「分かったよ。アドバイスをありがとう、レトキン」
僕は素直に、レトキンへ感謝の言葉を口にする。
確かに、ミーア達を救出するためには、あらゆる人に助力を乞うべきだろう。『遠慮』だとか『躊躇』だとかは、言ってられない!
僕とレトキンとのやり取りを聞いて、ソフィーさんが考え込む様子を見せている。どうしたのかな?
取りあえず《暁の一天》のパーティー内での話し合いは終わった。
冒険者や村人の皆さんに再び頼んで、アレクとレトキンをベッドごと、それぞれの自室へ運んでもらう。
今日のところは、これで解散かな?
そう思い、僕も自分の部屋へ戻ろうとすると――
「ちょっと待って、サブロー」
とソフィーさんが僕を呼び止めた。
「どうしたんですか? ソフィー」
「少し、2人だけで話したいことがあるの。良いかしら?」
「もちろんです」
僕は、了承の意を示す。
すると僕以外で、まだソフィーさんの治療室に残っていたドリスが、横から口を出した。
「隊員2号、気を付けて。32歳の女性と密室で2人きりになっても、大人の色香に惑わされちゃダメよ」
「ドリス! 私は22歳よ! 32歳じゃ無いわ!」
ソフィーさんが怒る。
「ごめんなさい。あたしからすると、ソフィーの落ち着きと、賢さと、気配りの良さが、どうしても20代のものとは思えなくて……その〝人〟としての優秀さと、経験の厚みは、30歳以上の器量としか受け取れなくて……いつも感心しているの。深い敬意を払っているのよ、30代のソフィーへ」
「ドリスは私を褒めているつもりなのかもしれないけれど、実際は全然、褒めて無いからね。あと、私は20代です」
ドリスが退出して、室内に居るのは僕とソフィーさんだけになった。
「サブロー。魔族を倒してくれて、ありがとう。改めて礼を述べさせてもらうわ」
ソフィーさんが上半身を起こして頭を下げようとするので、僕は慌てて止めた。
「礼を仰るなんて、やめてください! 僕は《暁の一天》の一員なんですから、当然のことをしたまでです」
「魔族の他に、一つ目巨人4匹までも、一挙に屠ってしまった……あれだけの武功を『当然』などという簡単な言葉で、済ませて良いはずは無いわ。貴方が来てくれなければ、私は勿論、アレクもドリスもレトキンも、魔族やモンスターの手によって殺されていたのは間違いないんだから。貴方は、私たち皆の命の恩人よ」
「ハ、ハイ。そのお気持ちは、シッカリと受け取りました」
ソフィーさんの声に籠もる熱量の大きさに、僕はただ、頷くしか無かった。
「良かった。それで……ね」
そこでソフィーさんは、何かを探るような眼差しになる。
「サブローに倒された魔族のことを、聞きたいの。魔族は、どんな事を貴方に喋ったのかしら? たとえば、アレクについて……何らかの話をしたりした?」
「いえ。特には、しませんでしたよ。『魔王』とか『レハザーシア』とかいう単語を、口にしてはいましたが」
「『魔王』に『レハザーシア』……そうなのね。『レハザーシア』は、魔族たちが崇めている女神の名前だったはず。あの魔族はトレカピ河の北――タンジェロ大地から、やって来たのかしら?」
「どうでしょう? アイツが傲慢な調子で述べた内容から推測するに、その可能性は高いと思いますけど」
「なるほど。そして、やっぱり……サブローは、魔族の言葉が分かるのね」
「――っ!」
息を呑む。
しまった! ソフィーさんの僕への、さりげない語りかけは、実は誘導尋問だったのか。
ドリスが僕に『ソフィーに惑わされちゃダメ』と、わざわざ忠告してくれていたのに!
〝誘惑に引っ掛からないように〟という点にばかり気を取られて、〝誘導〟のほうに見事に引っ掛かってしまった。
僕がどのように返答すべきか迷っていると、ソフィーさんは微笑した。
「そんなに困った顔をしないで、サブロー。貴方を問い詰める気は無いわ。無論、いろいろと訊きたいことはあるわよ。けれど、貴方が魔族の言語を知っていたからといって『魔族の仲間だ』とも思わない」
「ソフィーさん……」
「貴方が、自身が死にそうなほどの重い傷を負いながら、魔族と戦って、私たちの生命を救ってくれたのは間違いのない事実。人は口先で嘘をつくことは出来ても、行動の結果で嘘をつくことは出来ない。だから私は『サブローは、こちら側の人』と信じている」
「……ありがとうございます」
「ま、でも率直に言わせてもらうと……サブローは、抱えている秘密の数が多すぎではあるわね。貴方、ひょっとして〝謎めいた少年〟である自分に快感を覚えて、酔っていたりはしない?」
「僕は、ナルシストじゃありません!」
「そうね。サブローは、どちらかというと、アルトルイストかもしれないわね」
アルトルイスト……《利他主義者》のことか。
「いえいえ。僕は、充分にエゴイスト――利己主義者ですよ」
「〝見捨てて逃げる〟という選択をせずに、他者を庇い、激闘で傷だらけになった身体で言っても、説得力が無いわよ」
「《暁の一天》の皆の命を助けることが出来たのは、ただの偶然に過ぎません。自己満足のためにガムシャラに動き回った結果として、たまたま幸運に恵まれたんです。あの時の行動を、今になって振り返ってみれば、むしろ反省点のほうが多いくらいです」
「……サブローは、そんな風に考えるのね」
ソフィーさんはジッと僕の顔を見て、溜息をついた。
「良いわ。ここでアレコレ議論しても、始まらない。私が貴方に言いたいのは、別のことなの。サブローは、トレカピ河の波止場にある倉庫……そこで、私と話していた女性のことを覚えている?」
えっと……う~ん。あ、思い出したぞ!
「お名前は、エメールさん……ですよね? ソフィーさんと同じ趣味を持っている方で――」
「私と、同じ趣味?」
「あれですよ。女王様が仕える騎士に鞭を振るったり、貴婦人が少年にセクシーレッスンを施したり、魔女っ娘がハイヒールで男性を踏んづけたり……そういう特殊テーマの桃色遊戯な本をニマニマしながら、真夜中に読みふける……甘美で、いかがわしい……〝大人の女性〟ならではの、秘密の趣向のことです。僕にはイマイチ遠い、アダルトな世界の話ではありますが、本当に素敵な趣味ですよね! ソフィーさんにピッタリです」
「違うわよ! なんで、私にピッタリなのよ!」
「え? ソフィーさんとエメールさんは同好の士で、読書を通じて〝イケナイ友情〟を育んでいる仲なんですよね?」
「断固、否定します。まったく、どうしてドリスもサブローも、私のことを変な感じに誤解しちゃうのかしら? 私に原因があるの? 理不尽すぎる」
ソフィーさんはブツブツと呟き、いったん深呼吸をして、再び語りはじめた。
「私とエメールは〝同好の士〟とかでは無いけれど、知り合いであるのは確かなの。そして、エメールは聖セルロドス皇国の人なのよ」
「ハイ」
「驚かないのね」
「察してはいましたから」
「さすがの勘の良さね、サブローくん。それで、もしも……もしも、ミーアさんたちの誘拐事件に聖セルロドス皇国が関与していて、皇国のことで情報が必要になったら、エメールに質問してみて」
「でも、僕とエメールさんは1度、会ったきりですし、僕を信用して、話をしてくれるとは思えないです。なにより僕は、エメールさんの顔を知りません。エメールさんと出会うための方法も、分かりません」
以前にエメールさんと会ったとき、彼女は、顔面を丸ごと覆う灰色の三角巾を被っていた。頭からスッポリと。なので僕がエメールさんについて知っているのは〝名前・女性であること・背の高さ・声〟の4点ぐらいだ。
エメールさん着用の三角形の覆面は、目のところだけ2つの穴が開いていた。加えて、エメールさんは丈長のガウンを身に纏っていて、あれは完全に秘密結社に属している者の服装だった。
よく考えると……よく考えなくても、エメールさんは怪しすぎる人だ。
エメールさんは秘密結社のお仲間とともに、ベスナーク王国から聖セルロドス皇国へ、きわどいストーリーの書籍を密輸しているんだっけ。しかし、王国と皇国の間を往復しつつ彼女がやっている仕事は、おそらく、それだけじゃ無い。
「大丈夫。エメールは、トレカピ河で港の労働者を管轄しているリラーゴさん……彼の知人でもあるの。リラーゴさんに頼めば、エメールへの連絡をつけてくれるわ。彼女が皇国に居れば無理だけど、王国に来ている場合は、必ず力を貸してくれる」
「何故、『協力を得られるのは、間違いない』と明言を?」
なにか確実な保証でも、あるの?
「合い言葉を教えておくから、エメールに出会ったら、告げて」
「合い言葉?」
「こっちに来て、サブロー」
ソフィーさんの側へ行くと、彼女は上半身を傾けて、僕の耳元へ口を寄せた。そして、その〝合い言葉〟を囁く。
「これは私からエメールや、その仲間たちへの伝言なの。『この者は信用に足る。可能な範囲で、支援せよ』という意味よ」
「ソフィーさん……いえ、ソフィー。感謝します!」
ソフィーさんは『エメールのみならず、自分やアレクも、聖セルロドス皇国の関係者だ』という事実を、実質的に僕へ告白してしまっている。とても大きなリスクを冒してまで、僕に援助の手を差し伸べてくれたのだ。
「サブローに助けられっぱなしなのも、悔しいからね。それに正直、サブローほどの実力の持ち主には、いつまでも味方で居て欲しいのよ。少なくとも貴方の性格上、貸しを作っておけば、その分だけ、敵に回る確率が低くなる。そういった下心もあるの」
「ソフィーは……随分と、本音を口にするんですね」
「この程度の駆け引き、隠していても、貴方なら察しちゃうでしょう? だったら、最初から打ち明けておいたほうが良いわ」
「どちらにせよ、僕としては、ひたすら有り難いです。恩に着ます」
「模擬戦ならともかく、貴方と実戦では絶対に戦いたくないから」
冗談めかした口調で、そう言って、ソフィーさんは笑った。
♢
翌日、早朝のうちから、僕はボンザック村を出発した。ドリスとキアラの他に、ビットさんがつけてくれた冒険者の方が1名、同行している。さきほどまで滞在していた館で、僕の部屋へ、ドリスやキーガン様を連れてきた男性だ。ギルドでは、連絡役のような職務を主に熟している人なのだろう。
道を行く、4匹のマルブー。
僕ら4人はそれぞれ、移動手段にマルブーを使っている。
背中の傷が激しく痛んで、身体全体に熱っぽさもある。しかし、手足はキチンと動くし、頭の中もクリアだ。マルブーを御して走らせるのに、特に支障は無い。
キアラに貰った超高級ポーションを飲んだことによる、効き目が現れているに違いない。
早く、早くナルドットへ!
「サブロー隊員。マルブーを、そんなに駆けさせちゃダメ。マルブーが疲れて、かえってナルドットへ着くのに時間が掛かるわ」
「あ。ゴ、ゴメン。ドリス」
ドリス隊長の言葉に従い、乗っているマルブーのスピードを緩める。我ながら、気が急いてしまっているな。今のナルドットの状況は、どんな風になっているんだろう?
お昼過ぎ、ナルドットに到着する。僕らはすぐに、冒険者ギルドへ向かった。
ギルドでは、熊族のゴンタムさんが出迎えてくれた。
「おお。サブロー、よく来たな」
「ゴンタムさん。ミーア達は?」
「それは――」
ゴンタムさんが、暗い顔になる。いや、ゴンタムさんは体毛が黒いクロクマなので、正確な顔色は分からないのだけれど。
彼が発している雰囲気の重さから、ミーアたちが未だに発見されていないことは理解できた。
ここまで一緒に来てくれた男性の冒険者がゴンタムさんと話し、相互の情報の交換・整理を素早く済ませる。連絡や案内の業務に手慣れている方が居ると、こういう時に余計な手間が掛からないので助かる。
冒険者の男性とは、今からは別行動だ。彼はギルドで幾つかの仕事をして、明日にはボンザック村に戻るらしい。
男性へ礼を言って、別れる。
それから僕・ドリス・キアラの3人はゴンタムさんに連れられて、ギルド本部の中に臨時に設置されている〝誘拐事件の対策ルーム〟へと赴いた。
「ここが、対策室だ」とゴンタムさん。
部屋へ入るためのドアの上部に、プレートが掲げてあった。
『われらが女神たる尊きミーア様と、皆のアイドルで可愛いララッピちゃんと、あとナンモくんを、必ず助け出す委員会』――プレートの表面には、そう記されている。
……え~と。
その表記の1文字1文字から、救出へかける熱意の高さがヒシヒシと伝わってくる。しかし、助ける対象の3人のうち、ナンモくんだけ、なんとなく扱いが疎略なような……気のせいかな?
入室すると、そこには10名前後の人が居て、熱心に議論していた。
あ! まさか、ここで彼女と出会うなんて! ――と驚いている僕へ、まっ先に声を掛けてきたのは、エルフの男性であるスケネーコマピさんだ。
「サブロー同志! 申し訳ない! ミーア様たちを救い出すための責任者となったにもかかわらず、成果を挙げられず、己の不甲斐なさを痛感しています。同志! どうぞ、僕を激しく折檻してください!」
激しく折檻? イヤですよ! するのも、されるのも。
「コマピさん。起こってしまった過去や、これまでの経緯を、後悔しても無意味です。ミーア・ララッピちゃん・ナンモくんを助けるために、一緒に頑張りましょう! 今、考えるべきこと、やるべきなのは、それだけです!」
「サブロー同志……なんと、寛大な……やはり、君は、女神ミーア様の〝第1の従者〟だ」
コマピさんの顔は、ゲッソリと痩せ細っていた。頬はコケ、唇は尖り、目ばかりが異様にギラギラと光っている。更には、涙を大量にダラダラ流している。色男だったのが、台無しだ。事件解決のために何日も寝食を忘れて、懸命になっていたのだろう。とてもじゃ無いが、彼を責めようという気持ちにはなれない。
けれど取りあえず、コマピさんは僕を『同志』と呼ぶのを止めてくれないかな?
この部屋の人々の、僕へ向ける眼差しが『え? この少年は、何なの? ひょっとして、コマピの同類? つまりコマピのように、既にイロイロと手遅れな精神状態に……まだ若いのに、気の毒な……』みたいな色を帯びていき、室内は微妙な空気になっている。
ドリスは「サブローは、あたしの隊の隊員よ。『同志』というアヤフヤな概念より、確固たる職分である『隊員』のほうが、所属レベルは高いのよ」とか言ってるし。
キアラは「サブローは、ミーアの〝第1の従者〟だった。そう……夫は妻の〝第1の従者〟に他ならない」とか呟いているし。
いや、そんな事より! 重要なのは、この部屋にシエナさんの姿があることだ。冒険者の大人たちの中に、メイド服の少女が1人で交じって立っているため、すごく目立つ。
「シエナさん!」
「サブローさん!」
シエナさんが、小走りに僕のもとへやって来た。
「サブローさん。身体は、大丈夫なんですか? 冒険者としての任務の遂行中に、酷い傷を負ったと聞いて……もしかして、また無理をしているんじゃ……?」
「平気ですよ。もうスッカリ、治りました」
「…………そうなんですね」
う……シエナさんの煌めくブラウンの瞳が『その言い分を信じてはいないですけど、ここは一応、納得した振りをしておきます。あとで、ちゃんと伺います』と語っている。
「そ、それより、シエナさん。どうして貴方が、冒険者ギルドに?」
「もちろん、ミーアちゃん達を助けるためです。少しでも、協力できればと思って――」
「けれど……」
学園の新学期が始まる以上、フィコマシー様は王都へ戻らなくてはならなかったはずだ。そして、シエナさんがフィコマシー様の側を離れることは、あり得ない。
その疑問について僕が述べると、シエナさんはショックを受けた表情になった。
「ミーアちゃんが誘拐されて、行方知れずになっているのに、それを放っておいて、フィコマシーお嬢様と私がナルドットから居なくなる……サブローさんは、そう考えていたんですか?」
「え? フィコマシー様も、ナルドットに残っておられるんでしょうか?」
「当然です。お嬢様はミーアちゃんを、とても大切に思われています。私にとっても、ミーアちゃんは妹同然な存在です。危ない目に遭っているミーアちゃんの事を忘れて、王都へ戻るなんて絶対に出来ません」
シエナさんにとっての、ミーア……ああ、そうか。
メイドのシエナさんが武芸を身につけているのは、ミーアの叔母である冒険者のスナザさんに習ったからだった。シエナさんはミーアを〝同じ師に教えを受けた妹弟子〟と思っている。
「ミーアちゃんの誘拐に加えて、サブローさんが深刻なケガをした――その話を冒険者ギルドから伝えられて、私とフィコマシーお嬢様が、どれほど心配したか……こんな大事な時に、王都へ戻る? 知らぬ顔で? 平然と?」
シエナさんが『私も、お嬢様も、そんな薄情な女じゃありません!』という目で見てくるので、僕は焦って言い訳をした。
「いえ! 僕だって、フィコマシー様の情の深さも、シエナさんの優しさも、お二方のミーアへ向けてくれている温かい心も、よく知っています。充分に分かっています。しかしフィコマシー様は侯爵家の御令嬢で、シエナさんはフィコマシー様に仕え、お世話をしなければなりません。王都で学園が始まるにもかかわらず、いつまでもナルドットに居つづけるのは無理なのでは? ……と考えまして。学業を疎かにするのは、御領主様もお許しになったりはしないでしょう?」
貴族に関わる人々は特権を有しているが、同時に、その身分ゆえの責任や義務や規律もある。
まして、フィコマシー様の父親は、あの侯爵だ。ミーアを含めた新人冒険者の生死に、侯爵が関心を持つとは思えない。ミーアたちのためにフィコマシー様がナルドットに留まろうとする意志を示したとしても、侯爵がそれに許可を出す可能性は限りなく低いはずだ。
学園には多くの貴族の子女は勿論、ベスナーク王国の王太子も生徒として通っている。試験で選抜された、優秀な平民の学生も在籍している。裕福な平民が多額の寄付をして、我が子を入学させるケースもあると聞いた。
王国にとって将来、有用になる人材を囲い込む目的で設立・運営されているのだろう。
王族や他の貴族たち、平民の中の有産階級や知識層との今後の付き合いを見据えれば、春休みが終わって学園が始まっているのにナルドット候の娘は姿を現さない――そのような事態になるのは、相当にマズい。
なのに、フィコマシー様とシエナさんは、どうやって……?
「そこは、オリネロッテお嬢様が侯爵様へ、お頼みになったのじゃよ」
「アズキ殿!?」
僕へ言葉を掛けてきたのは、オリネロッテ様の側近の魔法使いであるアズキだった。
アズキも、この部屋に居たのか!? 黒髪おかっぱで、黒いマントで身を覆っていて、背が低くて、チンマリしていて、あんころ餅みたいで、ころころペッタン黒々していて……だから全くもって、存在に気付かなかったぞ。
オリネロッテ様が、侯爵に頼んだ? と、いうことは、もしかして――
「まさか、オリネロッテ様も王都へ行かずに、ナルドットに残られているんですか?」
「その通りじゃ」
アズキは、あっさりと頷いた。
ソフィーとエメールの密会(?)をサブローが目撃するシーンは、7章16話「アレクの憂鬱とソフィーの秘密」の回に出てきます。




