両刃一閃と劇毒破散
魔族との戦闘が始まる。
《暁の一天》の皆へ早急に手当てをしなければならないことを考えると、僕にはあまり時間が無い。それは確かだ。
すぐにでも勝負を決めるために、敵へ詰めよろうとする。すると、魔族のターナダクはサッと後方へ移動して、僕との距離を取った。
――くそ!
先ほどの煽りには、相手の性格を推し測った上で、その内面を乱して、攻防を有利に運んでやろうとの意図があったのだが……ターナダクのヤツは、激高しながらも肝心なところで理性を失ってはいなかった。おそらく己の精神をクールダウンさせるために、一旦、僕から離れたのだろう。
狡猾……というよりも、それだけ、ターナダクは戦いに慣れているに違いない。やはり、簡単に罠には引っ掛かってくれないようだ。
僕を睨みながら、甲高い声でターナダクが叫ぶ。
「サイクロプスへ命じる! アイツを始末しろ!」
ヤツが放った魔族語の言葉は、モンスターであるサイクロプスたちに、どの程度、通じているのか?
ともかく、その命令の意味は理解できたらしい。3匹のサイクロプスが猛然と、僕へ襲いかかってきた。
この事態に、むしろ僕はホッとする。あのモンスターどもは、瀕死の状態にあるソフィーさんとレトキンの側に武器を持って立っていた。正直、いつアイツらが無防備に横たわっているソフィーさんらへ最後の一撃を加えたりしないか、気が気で無かったのだ。
殺意を僕のほうへ向けてくれるのなら、逆に大歓迎だ。
地響きを立てながら迫ってくる、3匹のサイクロプス。振りかざす武器は、それぞれ〝両刃の大剣〟と〝槍斧〟そして〝戦闘用大鎌〟だ。8ナンマラ(4メートル)もの巨大な体躯、たくましい手足、その戦闘力はゴブリンやオークは勿論、トロールさえも大きく超えている。頭も良い。恐るべきモンスターではある……が、弱点がないわけでは無い。
それは顔面の中央にある、大きな一つ目だ。
『一つ目巨人を倒したいのなら、まず、その目を狙え』――これは、サイクロプスと戦う場合の鉄則だ。
故に――!
「《氷槍――三連続》!!!」
3匹のサイクロプス、その各々の眼へ向けて、ほとんど同時に魔法を放つ。
《氷槍》――水魔法の変種である、氷の魔法。空気中の水分が集約・冷却されて、槍のような形状の氷の物質となり、サイクロプスを目掛けて飛んでいく。3本の氷の槍が的としているのは、3匹のサイクロプスの目。命中すれば大ダメージを与えられるし、上手くいけば戦闘不能へ追い込むことも出来る。
けれども、サイクロプスは知能が高い。無論のこと、己の弱点が〝目〟である事実については承知している。
3匹のモンスターは、手に持つ得物を巧みに振るって、飛んでくる氷の槍を防いでみせた。
大剣・槍斧・大鎌――3つの武器によって、即製の氷の槍は木っ端微塵に砕かれる。空気中に散乱した氷の破片がキラキラと陽光を反射し、血なまぐさい戦いが行われている現場とは思えない、幻想的な光景を演出してみせた。
しかしその直後、3匹のサイクロプスの目に魔法の攻撃が命中する。
どのサイクロプスの一つ目もザックリと切り裂かれ、そこから濁った血が勢いよく噴き出した。いずれの傷口も大きく、3匹ともに失明したのは間違いないはずだ。
――そう。
僕は3つの《氷槍》を繰り出して、間髪を入れず、更に3つの《風剣》をも、撃ち放っていたのだ。
《風剣》は風系統の魔法において、《風刃》より強い攻撃力を持つ。魔力の消費量が《風刃》より大きいのが難点だが、今は確実にサイクロプスの目を潰すことのほうが重要なので、敢えて使用した。
獣人の森での戦いで、あの巨大白蛇の目へ撃ち込んだのも、この突風の剣――《風剣》だ。
《風剣》は、風魔法の1つである。当然ながら、視覚では認識できない。けれどサイクロプスは、その巨体に似合わず、敏捷に動ける賢いモンスターだ。もしも《風剣》のみが直接に飛来してきたのなら、迫ってくる魔法の気配を察して、対処できたに違いない。だからこそ僕は《氷槍》の後ろに隠れるタイミングで、《風剣》を射出した。
3匹のサイクロプスからしてみれば、氷の槍を破壊して息をついた瞬間、風の剣が目に刺さっていたという訳だ。どうして己の目が負傷したのか、いまだに理解できてはいないだろう。
『グギャァァァァ!』『ガァァァァァァ!』『ゴォォォォォォ!』
3匹のサイクロプスは顔面を血まみれにしつつ、苦悶の叫び声を上げた。それでも武器を手から離さないのはさすがだが、滅多やたらに振りまわしている。暗闇に閉ざされてしまった視界の中で、僕からの次の攻撃を警戒しているらしい。
ここでサイクロプスを、いっぺんに始末する! ――と、直接戦闘へ踏み出す前に、刹那、思考する。
サイクロプスの肉体は、とても頑丈だ。ククリの分厚い刃であっても、通常の一撃で深傷を負わせるのは難しい。強力な魔法を放てばトドメを刺すことも可能だろうが、今は魔力を出来るだけ節約したい。
本命の敵は、ターナダク――あの魔族なのだ。
力の消耗は、最小限に抑えたい。それには相手の欠点を見きわめ、そこを攻めるのが、最良な戦術であるはず。
サイクロプスは知力も体力も優れているモンスターではあるが、基本的に単独での行動を好み、集団で戦うことに慣れていない。仲間意識も低い。ついさっき、僕は〝鎖つき鉄球〟を持つサイクロプスを倒したが、他のサイクロプスは眼前で同種のモンスターが殺されたにもかかわらず、気にしている様子を見せなかった。
同胞感覚の欠如……その特性を、利用させてもらおう。
槍斧を持つサイクロプスと、大鎌を持つサイクロプスの間に入り、両方へ、刀のククリを使って連続攻撃を仕掛ける。
2匹のサイクロプスの腕へ、脚へ、胴体へ、ククリを何度も振るう。深刻なダメージとはならないが、しかし目が見えない状態で己の肉体が傷つけられていくのは、如何に屈強なモンスターとはいえ、耐えがたい苦痛だろう。どちらのサイクロプスも、武器を力の限りに振って、僕へ逆襲しようとしてくる――――闇の中で詳細は分からないながらも〝敵のだいたいの位置は、ここだ!〟と考えて。
そういう風に、僕が誘導したから。
その結果は……向かい合った2匹のサイクロプスのうち、1匹は槍斧で胸を貫かれ、1匹は大鎌によって脳天を真っ二つにされた。同士討ちである。サイクロプスの怪力で、巨大な武器が振るわれたのだ。受けた攻撃は、双方にとって致命傷となった。
2匹のサイクロプスは絶命し、いずれも大地へ崩れ落ちる。このモンスターたちに、同じ戦場に立っている〝味方〟への配慮が欠片でもあったら、異なる展開もあり得たかもしれない。けれど、そうでは無かった。
〝個〟の力量のみに頼る心理構造は、集団で戦う際には利とはならず、かえって害となる……この危うさについては、僕自身も注意しなければ。
怪物を2匹、片づけた。
残るは、1匹。両刃の大剣を持つサイクロプスだ。アイツを打ち倒すには…………そうだ。最初のサイクロプスを殺った、あの抜刀術。もう一度、あれを行ってみよう。無意識に放った技だけに、その仕方を試して、効果の再確認もしておきたい。
深呼吸して、気を静める。
ククリの刃を鞘へ戻した。柄にゆっくりと手を掛けて……魔法を発動し、鞘の中の刃へ風を纏わせる。
ミーアの父親であるダガルさんから譲り受けた、このククリ。地球のククリナイフに似た形をしているが、刀身は長めで、切るための刃は湾曲した内側では無く、外側についている。その点は日本刀と同じだ。
したがって鞘の角度を調節しつつ刃を高速で抜けば、手首を返さず、一呼吸の間に、そのまま敵を斜め方向に斬り上げることも可能だ。そして斬撃に風魔法の《風刃》を重ね合わせれば、威力は倍増――いや、数倍増になる。
このオリジナルな技で、最後のサイクロプスを葬ってやる。
右手は柄に、左手は鞘に添える。視力を失ったパニックは収まったのか、敵は大剣を構えつつ、辺りの様子を慎重に窺っている。目は見えずとも、耳や肌で戦場の雰囲気を感じ取っているらしい。何者かが自分に近づいてきたら、即座にその方向へ攻撃を仕掛ける気なのだろう。
実際、あの大剣は、危険きわまりない武器だ。斬り込みを少し擦らせることに成功しただけでも、相手は大ケガしてしまうに違いない。
だったら――サイクロプスが大剣を振るう前に、ククリの刃で一撃を与え、息の根を止めてしまえば良い。
集中……風魔法を己の手足へも掛けて、身体能力を向上させる。
よし、行け! 静から動へ。抜刀と《風刃》!
瞬速で敵へ接近し、跳躍しつつ、攻撃を放つ。
盲目のサイクロプスは何が起こったのか、分からなかった。仮に分かっていたとしても、反応する前に、魔法の《風刃》を乗せたククリの刃はヤツの肉体へ届いていた。
終了……僕は地面へ足をつけ、胸の中より息を吐き出す。ククリの刃は、敵の血で染まっていた。
ズルリと、サイクロプスの巨体が2つになった。右の脇腹から左の肩先へ掛けて直線が走り、そこから分離していく。大剣を持った右手と頭の肉体は前へと落下し、左手と胴体、下半身の肉体は後方へと倒れた。
肉塊が地を打つ音が2度、無感動に僕の耳へと響く。
新技の斬れ具合は、僕の想像どおりだった。首どころか、サイクロプスの胴体部分を軽々と切断してしまった。
風の刃と刀の刃、2つの刃を重ねて1つの閃光となす――名称は、さしずめ《両刃一閃》といったところか。
これほどの攻撃力なら魔族にも充分、通用するはず。
その魔族である、ターナダク。
ヤツは、僕とサイクロプスが戦っている間、離れた位置に留まり、少しも動こうとはしなかった。観察し、更に僕の戦闘能力がどの程度のものなのか、計算していたに違いない……配下のモンスターの犠牲も、甘受した上で。僕の挑発に立腹したりなど、感情的な部分もあるが、思っていたよりも短慮では無いようだ。
コイツは、手強いな……。しかし決着は、早くしなければならない。
水魔法と風魔法を軽く使って、ククリの刃に付着している血液を洗い流す。それから、刀身を鞘に収めなおす。右手を柄へ、左手を鞘へ、抜刀の構えを取りつつ、ターナダクとの距離をジリジリと詰めていく。
ヤツも当然、僕がサイクロプスを倒した技である《両刃一閃》を放つつもりで近づいてきているのには、気付いているはずだ。
ターナダクは、どうする? ヤツの思惑がどうであれ、攻撃可能な間合いまで接近できたら、一気に仕掛けてやる。
僕の視線の先で、ターナダクが右手を振った。え? ヤツは、何も持っていないのに? いや、これは――
ヒュンッと、何かが迫ってくる。危険を察知して、咄嗟に後方へ下がる。寸前まで頭があった空間を、目には見えないモノが横一文字に切り裂いた。透明な物質? ターナダクが放った、飛び道具か? ともかく、ギリギリのタイミングで、躱せたようだ。鼻先を掠めていったものの正体は……?
ふと、ナルドットの裏路地で、闇夜の中、ヨツヤさんと戦った過去を思い出す。オリネロッテ様のメイドであるヨツヤさんは、鋼の糸を武器として操り、僕を襲ってきた。
今のターナダクの攻撃からは、あの時に覚えた脅威感と似たものが伝わってきたぞ…………つまり、ヤツが放ったのは糸だった? いや、そうじゃ無い。もっと太い物体だ。
ターナダクが一歩、僕へ近づく。
大気を震わせながら――また来た! 顔の横から、殺気が! 僕の頭を断ち割るつもりか!? 左耳の斜め前方に、素早く右手を伸ばして、見えないそれを掴み取る。強い衝撃で掌が裂けて、血が滲みでた。ぐっと握りしめる。この感触は、縄? 違う。鞭か? 鞭らしき、細長い透明な物体が右手に巻き付いてくるが、構わず、強引に引っぱる。
ターナダクが、何かを手離す仕草をすると同時に、僕の右手に絡みついていたものも消えた。
分かったぞ。今のは、おそらく闇魔法の《不可視の鞭》だ。魔族は、闇魔法の使用を得意としている。ターナダクも当然、そうなのだろう。
見えない鞭が頭に巻き付いてくる――そんな攻撃を食らったら、堪らない。いや、身体のどの部分でも、鞭に巻かれたりしたら大変だ。当たっただけで大ケガだし、締め上げられたら、容易に切断されてしまう。《不可視の鞭》は、そういう魔法だ。
ドリスが左腕と右脚を失った原因は、もしかして……。
そんな考えがチラリと脳裏に浮かんだ直後、またもや透明な圧力が迫ってきた。見ると、ターナダクが再び右手を振るっている。
ち――っ! やはり《不可視の鞭》か! 勘を働かせ、横っ跳びになって、左側から来た攻撃を躱す。く! 今度は、右側から! ククリを抜いて、宙を切る。襲ってきたもの――《不可視の鞭》を切り落とした手応えは、あった。が、ターナダクは何の痛痒も感じないらしい。あの動作……アイツ、短くなった鞭を捨てて、代わりに新しい鞭を手にしたな。
《不可視の鞭》の魔法を使えば、ターナダクは幾らでも、透明な鞭を自在に消したり、作ったり出来る。そして、それを縦横に振るって攻撃してくる。
厄介だな。あの魔法の鞭をヤツが持っている限り、簡単には近づけないぞ。
まぁ、逆に言えば、《不可視の鞭》が届かない距離に居さえすれば、ターナダクも僕に、これ以上の打撃を与えることは出来ないわけだが……。
しかし、僕は少しでも早く、重傷を負っている《暁の一天》の皆への治療を開始しなくてはならない。ターナダクとの勝負に時間を掛けている余裕は無い。
離れた位置からヤツを倒そうとするなら、魔法を使うしかないな。
やるぞ。
魔法――発動!
《風刃》!
《氷槍》!
《火球》!
次々と魔法による攻撃を行う。けれど、どれもターナダクの《不可視の鞭》によって、防がれる。あの透明な鞭は、攻めにおいても守りにおいても、有用なようだ。たまにヤツの手足に、僕が放った火や風の魔法が僅かに当たることもあるが、闇魔法による防護を施しているのか、たいしたダメージにはならない。
そもそも魔族の身体は、ほとんどのヒューマンよりも強靱だ。加えてターナダクは、辺地であるとはいえ、人間が治めているベスナーク王国の領土内で、サイクロプスを率いて冒険者を相手に争いを起こしているヤツだ。どのような意図があるのか知らないが……己の能力に確固たる自信がなければ、そんな振る舞いは出来はしない。ターナダクは傲慢ではあっても、無謀なタイプでは無いのだから。
ターナダクは通常の魔族に比べて、そのスペックは、いろんな面で上であるに違いない。戦闘の経験も相当に積んでいるはず。
わざわざ初手で名を呼び間違えるなど、意識的に嘲弄し、精神への揺さぶりを掛けたりしたんだ。ヤツを甘く見ているつもりは無かったが……。
どうする? 迂闊に接近はできない。《火球》などの魔法も、効果を発揮していない。ならば、《火炎放射》のような大魔法を放ってみるか? しかしターナダクは強敵だ。大魔法の攻撃を防がれるか、躱されるかすると、ヤツを倒す前に、僕の体力と魔力が尽きてしまいかねない。そうなったら、最悪だ。
内心では大いに迷いながらも、僕は表面上、ターナダクへの攻撃を果敢に行い続けた。《風刃》や《氷槍》や《火球》といった魔力の消費が比較的、軽くて済む魔法を放ちつつ、隙あらば跳び込んで抜刀し、ククリを浴びせようとする姿勢をチラつかせる。
そのため、外面的には僕が押している形勢に見えなくもない。
ターナダクは、僕の体調が万全では無いことを知らない。僕の魔力が底をつくのがいつになるのかも、ヤツには分からない。
僕が苦慮していたのと同様に、敵も膠着状態を打開しようと焦っていたのだろう。
ターナダクが、両腕をダランと下げる。《不可視の鞭》による防御を止めた? 今なら――――待て。あれは、何だ? ターナダクの頭上に、紫色の小さな立方体が幾つか……5つか、6つほど、浮かんでいる。ヤツが僕を指さすや、そのうちの1個が凄いスピードで、こちらへ向かって飛んできた。
反射的にククリを抜いて切りつけそうになったが、イヤな予感がしたため、全力で躱す。僕が頭を低くして横へ跳んだ瞬間、立方体が破裂した。飛び散ってくる紫色の液体を、辛うじて避ける。広く散らばりながら落下した液は、ジュワッと不気味な音を立てて地面を溶かし、無数の凹みを作った。大地が抉られ、そこは変色している……まるで、毒性のある高濃度な酸性物質――硫酸や塩酸、フッ酸のようだな。いや。それ等よりも、はるかに反応性が早く、強そうだ。地上の有りさまを見れば、分かる。
闇魔法の《劇毒侵食》……その変化形か? ゾッとする。あれを浴びたら、酷いことになるぞ。
ターナダクが赤い目を光らせ、叫ぶ。
「いけ!」
次々と僕のもとへ飛来する、紫の固体。僕に当てて、破散させるつもりだ! それを躱す。次も躱す。更に次も。躱しても、通り過ぎることなく、その瞬間に爆発して液体化する。あの紫色の毒液を、身体に受けるわけにはいかない。至近距離はもちろん、離れていても。多大な痛手により、下手したら行動不能に追い込まれてしまう。今、僕が動けなくなったら――
破散点より思い切って遠ざかるために、大地を転げ回るハメになる。
くそ! 戦いの主導権を、完全にターナダクに取られた! ――いや、落ち着け。《劇毒侵食》は強力な魔法だが、だからこそ魔力の消費量も大きい。いつまでも、放ちつづけることは出来ない。
事実、ターナダクの頭上に残っている立方体は、あと1つだ。あれが飛んでくるのを回避しさえすれば、そこから反撃に転じられる。
来た! けれど、その立方体は僕のほうへは向かってこない。劇毒の塊が狙う先に居るのは、傷だらけの金髪の少女――――ドリスだった。
※フッ酸――フッ化水素酸のこと。人体に極めて有害。ガラス(硫酸や塩酸の影響も、ほとんど受けない)さえも溶かす。




