タンジェロ大地の奥の隠れ家
ドリス視点の過去話です。
♢
「公爵令嬢……ね。このタンジェロの地では数百年前に大帝国が滅んで以降、まともな国家が存在したなんて話は、耳にしたことが無いけどね。階級としての貴族は、とっくの昔に消え去っているはず――」
老婆はブツブツと呟く。
「で、アンタ。ここを出て、行く当てはあるのかい?」
「…………」
「言いたくないなら、言わなくても良いさ」
「うん」
上半身を起こして、ドリスは小さく頷いた。
「気が済むまで、この家に居ても構わないよ」
「ありがとう」
「体調が良くなったら、働いてもらうからね。私は一人暮らしでね。歳を取って身体を動かすのもキツくなってきたし、ちょうど家事手伝いを欲しいと考えていたところなんだ」
「どうして、あたしが!」
「おや? すると、なんだい? お偉い公爵令嬢様は、受けた恩を返しもしない不義理の輩なのかね?」
「う」
「無駄飯食らいの居候を決め込むつもりなのかい?」
「……わ、分かったわよ! 働くわ」
「私は親切な人間なんだ。仕事をしたら、その分だけ報酬もやるよ」
ドリスは老婆と会話しつつ、小首をかしげる。
「報酬……お金? 公爵家の娘であるあたしは、物品購入後の支払いは全て家来に任せていたから……お金に関する知識が全く無いのよ。金貨も銀貨も銅貨も鉄貨も、貝・塩・布の特殊貨幣も、兌換紙幣も不換紙幣も、知らないわ。真鍮を土台にしたニセ金貨を、うっかり掴まされても、見破れないかも。困ったわ」
「やたらと貨幣に詳しいじゃないか。アンタはさぞかし、金銭にがめつい令嬢だったんだろうねぇ……」
「違うわよ!」
「どうだかねぇ。どっちにしろ、生きていくのに金は必要さ。アンタは一文無しの素っ裸状態で眠っていたんだよ」
「す、す、素っ裸!?」
ドリスは思わず、どもり、顔が赤くなる。
「よくぞ、荒野を徘徊しているモンスターに喰われなかったもんさね」
「きっとモンスターたちも、《眠り姫》と見まごう、あたしの高貴なオーラに畏敬の念を抱いて近寄ろうとはしなかったのね」
「単にバッチイ有りさまだったから、見過ごされたんだろうよ。アンタ、泥まみれ、砂まみれ、埃まみれで転がっていたし」
「泥だらけでも砂だらけでも、誇りを失わなかったあたしは、さすがだわ」
「〝ホコリ〟の意味が違うねぇ……」
老婆が鍋の中身を茶碗に小分けして、差し出してくる。
「鍋で作った医薬スープだよ。飲んでみな」
「変なニオイがする」
「味は保証するよ」
ドリスは茶碗を受け取り、その縁に、おそるおそる口をつけた。
「…………っ! なによ! めちゃめちゃ不味いじゃない!」
「〝良薬は口に苦い〟と決まっている。なので、苦さを保証してやったのさ。私の配慮は、万全だ」
「だったら、薬の味にも配慮して……」
数日ほど療養して、ドリスは元気になった。老婆が住んでいる家は、タンジェロ大地の中でも特に人目に付かない地形に建てられている。
(まるで、隠れ家みたい……)
そんな風に内心で考えながら、ドリスは老婆へ言う。
「そろそろ、働くわ。あたしは何をすれば、良いの?」
「片手間で済む、簡単なことだよ。炊事・掃除・洗濯・家の修繕・貯蔵庫の整頓・井戸さらい・庭の手入れ・塀の点検・畑の管理・それと私への肩たたきと腰もみと手足のマッサージ……」
「作業が多い! すごく多い!」
「頑張りな。当然、小遣いもやるが、それ以外のモノも、アンタにやるよ」
「え? 何を呉れるの?」
一緒に暮らす、2人。その生活の中で、老婆がドリスへ与えてくれたモノ。
それは、魔法。
老婆は、魔法使いだった。そして自らが持っている土魔法の技術を、ドリスへ教えてくれたのだ。
いつしか、ドリスは老婆を『お師匠』と呼ぶようになった。
「おや? ドリス。アンタ、髪型を変えたんだね? 左右を、おさげ……いや、アップにして、縦巻きに……ふん。〝縦ロール〟というヤツかね」
「似合うでしょ」
「奇天烈だ」
「褒めなさいよ!」
「もとはストレートのロングヘアだったのに……どうして、そんな髪型にしたんだい?」
「あたしの頭の中で、たくさんの妖精さんたちが『公爵家のお嬢様には、このヘアースタイルがピッタリです!』『クルクル~』『マキマキ~』『ビヨンビヨン』と一斉に勧めてくれたの」
「…………アンタの頭は大丈夫なのかね? 2つの意味で」
「あたしの頭は、中も外も完璧よ!」
ドリスと師匠が出会ってから、数年。
「土魔法の腕が随分と上達したね、ドリス。はじめに私が見込んだとおり、アンタには魔法使いとしての素質があったんだ」
「これも、お師匠のおかげよ」
「ほほう。めずらしく謙虚だね」
「〝めずらしく〟の一言は余計よ! あたしは、常に謙虚で優雅で賢くて聡明で気品に溢れているんだから」
「全然、謙虚じゃない……」
「公爵家の娘たる者、血筋に恥じない才能を示しつづける義務があるのよ」
「そうかい。ところで腹が減ったね」
「あたしの心懸けに、もっと感心して!」
魔法の師匠である老婆は、日頃の生活においてもドリスの面倒を良く見てくれた。彼女のおかげで、ドリスは〝生きていくための知識や能力〟を身につけることが出来たのである。
だからドリスは師匠へ、とても感謝している。その気持ちをハッキリと告げるのは、気恥ずかしくて出来ないけれど。
ただドリスが『公爵令嬢』という言葉を口にするたびに、師匠が痛ましい者を見る眼差しになる。それだけは引っ掛かりを覚え、胸の内がザワついてしまうのだが……師匠の真意を尋ねる勇気を、ドリスは持てずにいた。
「お師匠は、トレカピ河の向こう側、聖セルロドス皇国やベスナーク王国へ行こうと考えたことは無いの?」
「やぶからぼうに、なんだい?」
〝師匠は、凄い人である〟――実はドリスは、そう思っている。
この危険きわまりないタンジェロの地で、ドリスが来るまでは、師匠は年老いた身でありながら1人で暮らしていた。人跡まれな、奥まった場所にある孤立した家で。
基本的な生活様式は、自給自足。たまに、行商人を兼ねている冒険者が訪ねてきたりもするが…………いざという時に頼れる他者は、周辺に皆無なのである。
冷静に考えると、これは異常なことだ。師匠が優れた魔法使いであるからこそ、可能だったのだ。そうでなければ、あっという間に凶悪なモンスターや非道な盗賊どもの餌食になっていたに違いない。
「だって、お師匠ほどの魔法の使い手だったら、皇国でも王国でも、別の国でも、その才能を重宝されて、引っ張りだこになるはずなのに……タンジェロの奥地で、ひたすら萎びているだなんて」
「誰が、萎びているんだい! ……良いんだよ。私は、ルメンジェラ帝国に仕えていた魔法貴族の末裔でね。私の一族は不甲斐なくも、帝国の滅びを阻止できなかったんだ。〝亡国の民・不忠の遺臣〟って、ヤツさね。私は一族の最後の生き残りだ。今更ノコノコと世に出ても、恥をかくだけさ」
《ルメンジェラ》とは、かつてタンジェロに栄えていた大帝国の名だ。
「帝国の滅亡は、もう数百年も前の話でしょ? 誰も気にしてなんかいないわ」
「年寄りってのは、頑固なものなのさ。けれど幸か不幸か、アンタという魔法の後継者を見付けることが出来た。長生きはしてみるもんだと、つくづく思うよ」
「『幸か不幸か』……じゃ、無いでしょ! 〝幸〟の一択でしょ! 大ラッキーでしょ!」
「はいはい。では、今日はゴーレムを作ってみようかね」
師匠の提案に、ドリスは張り切る。
「ヤッタ! 任せて! 《ゴーレム作り》には、前々から興味があったのよ。地味でダサくてパッとしない土魔法の中でも、例外的に人気があるスキルらしいし……」
「土魔法の悪口を、師である私の前で言うとは、いい度胸だ」
師匠は複数のゴーレムを操り、畑の耕作や鳥獣の捕獲など、主に食料の調達をやらせている。
「あたしが作るからには、お師匠のゴーレムたちを超える、めちゃくちゃ凄いスーパーゴーレムが誕生するのは間違いないわ!」
屋外で、ドリスは《ゴーレムを製作する魔法》を唱えた。
すると、土の中からニョキッと出てきたのは――
『ピギー!』
「…………」
大地を見つめて、無言になるドリス。
師匠は微妙な表情になりながらも、それでも称賛のセリフを口にする。
「これは、凄い……凄い小さなゴーレムだね」
『ピギ!』
コクコクと頷く、掌サイズの小さいゴーレム。
ドリスは、あからさまにガッカリとした顔つきになった。彼女としては、もっと巨大で立派なゴーレムが出現することを期待していたらしい。
落ち込んでしまった弟子を、師匠が慰める。
「いや。これは……本当に凄いよ。こんな〝自己の意志〟を持っているゴーレムを見るのは、私も初めてだ。ゴーレムとは普通、命令を聞くだけの存在だからね。ドリス、アンタは、やっぱり――」
「お師匠、どうしたの?」
ドリスが問いかけると、師匠は微かに首を振った。
「……いいや、何でもないよ。ドリス、アンタは優秀な魔法使いだね」
「そうでしょ!」
褒められて、ドリスの顔がパッと明るくなった。元気を取り戻し、ミニゴーレムへと向き直る。
「アナタの名前は……『ゴーちゃん』よ。ゴーレムのゴーちゃん」
『ピ?』
「ドリス。ゴーレムに名前をつけるのかい?」
「素敵な名前でしょ。あたしって、もしかして〝命名の天才〟なのかな?」
「安直なだけだと思うけどね」
「そんなことは無いわ! ゴーちゃんも大満足しているんだから」
『ピピピピピ……』
「私には、ゴーレムが不満そうにしているように見えるが」
師匠の言葉を、ドリスはスルーする。
「ゴーちゃんは『ゴーちゃん』で良いの! 独創的で素晴らしい名前を貰って、ゴーちゃんは嬉しがっているの! でしょ? ゴーちゃん」
『ピピ』
「『ゴーちゃん』って名前がイヤなら、残念だけど取り消すわ。ついでにボディも取り消して、もとの土の塊に戻すけど」
『ピギ! ピギ! ピギ!』
「ほら。ゴーちゃんは大喜びしている」
「それは脅迫じゃないのかい?」
そして、月日は流れて。
「お師匠。あたし、トレカピ河を渡って南の地帯へ行こうと思うの」
「そうかい」
「……驚かないのね」
「弟子の心の内なんて、その全てを師匠は見通しているものなのさ」
「そうなの!」
「ま、それは嘘なんだが」
「…………」
「アンタが、ここでは無い何処かへ行きたがっていたのは、私にも分かっていたよ」
「うん。お師匠と一緒に居ることに不満は無いの。あたしはお師匠に感謝しているし、だ、だ、大好きだから」
頬を染めながら、ドリスはつっかえつっかえ、懸命に語りかけた。
師匠は茶化さず、優しい目を少女へ向ける。
「分かっているよ、ドリス」
「でも心の中で、誰かの声が聞こえるの。『行け』『探せ』『求めろ』『運命の人を見つけ出せ』――って。その運命の相手は、タンジェロでは無くて、大河の向こう側、南の地に居るような気がするのよ。ううん。〝気がする〟では無くて、あたしは確信している。根拠は、不明なんだけどね」
「それは……ドリス、お前の気持ちは……」
師匠は何かを言いかけたが、逡巡の末に結局、喋るのを止めた。続いて少し考え込み、穏やかに口を開く。
「行っておいで、ドリス」
「お師匠……」
「私はズッと、この家に住んでいるからね。運命の相手に巡り会えなかったら、そのクルクル髪みたいにシッポも巻いて、戻ってくれば良いさ」
「会えるわよ! あと、あたしにシッポは無いわ!」
「年老いた私が、いつまで生きていられるかは、分からないけどね」
「え! まさか、お師匠。体調が――」
慌てる弟子へ、師匠はカラカラと笑ってみせた。
「今のところ、健康に問題は無いよ。しかし、身体が少しずつガタついていっているのは確かでねぇ。早ければ、50年後くらいには、遺言状の執筆準備に取り掛かっているはずさ」
「……お師匠は、何歳まで生きるつもりなの?」
「さてね」
「まったく、もう……」
呆れた顔を見せつつも、ドリスはひそかに安堵する。
「あたしが居なくなっても、ご飯はチャンと食べるのよ。お師匠は出不精だから、適度に散歩したりして、運動は欠かさないように…………畑仕事もゴーレムにばっかり任せないで、たまには自分でしてみるのも良いと思う」
「私のゴーレムは、お前さんのゴーちゃんと違って、人間と同じ大きさだ。畑での作業も楽々と熟すんで、つい便利に扱っちまうのさ。ま、これからは、水まき程度は、私も自分でやるようにするかね」
「是非、そうして」
「3ヶ月後に始めることにするよ」
「明日から、して」
師匠の家はゴーレムも含めた土魔法による沢山のアイテムやトラップで守られているため、安全面に関しては、今後も大丈夫だろう。
「いずれ、ひょっこり顔を見せに来るから、それまで元気でいてね。お師匠」
「やれやれ。口やかましい弟子だ」
「べ、別に、お師匠に長生きして欲しくて言っているわけじゃないんだからね!」
「美青年や貴公子ならともかく、小娘にツンデレ発言されても、少しも嬉しくないのだが」
「誰が小娘よ! 色ボケお師匠!」
「私は まだまだボケてはいないよ! …………いいかい、ドリス」
そこから師匠は急に真面目な顔つきになり、ドリスへ話しかけた。
「忘れるんじゃないよ。人にとって大事な時は、生まれた瞬間じゃ無い。今だ。どのように生きてきて、今をどう過ごし、将来どのように生きていくか――それが、その者の価値を決めるんだ。家柄も血統も、誕生した理由も経緯も、当人の経験と、現在と、目標に比べたら、どれだけ無視しても構わないチッポケなものでしかないんだ」
「なによ。公爵家の生まれであるあたしに、このタイミングで、お説教?」
「そんなつもりは無いさ。年寄りからのお節介な忠告……いいや、小言だよ。アンタは私にとって魔法の弟子で、あとは……まぁ、娘みたいなもんだからね」
「お師匠……」
「なんだい? 手間の掛かる娘」
「お師匠とあたしの歳の差だと、親子と言うよりも、祖母と孫なんじゃ……」
「黙らっしゃい!」
ドリスが旅立つ日になった。師匠はわざわざ、家の外まで出て見送ってくれた。
「トレカピ河を越えるまでは、絶対に油断しちゃダメだよ。ドリス」
「タンジェロが危ない場所ってことは、あたしもイヤというほど知ってるわ。大丈夫よ。お師匠に教えてもらった開拓者の村へ、まずは直行するから。そこに、お師匠の知り合いの冒険者たちが居るんでしょ?」
「ああ」
「彼らがベスナーク王国へ帰還するときに、同行させてもらうつもり。依頼のためのお金も持っているし……計画も、それへの準備もバッチリよ!」
ドリスは土魔法によるモンスター退治を、既に何回もやっている。短い期間なら、タンジェロでの1人旅を出来るだけの技量を有していた。それも全て、師匠の教えの賜物であるが……。
金髪を揺らし、自信ありげに胸を軽く反らしてみせる弟子を、背が低い白髪の師匠は下から見上げる。
「旅の無事を祈っているよ、ドリス」
「ありがとう、お師匠」
「ゴーちゃんも、ドリスのことを頼んだよ」
『ピギ!』
ドリスが腰につけている小物入れの中から、ゴーちゃんがヒョイと顔を出した。
「いくらなんでも、ゴーちゃんの世話になる事態には陥りたくないわ……」
「人との接し方にも、注意するんだ。生意気な態度は取らないように」
「了解、了解」
安請け合いするドリス。
そんな彼女を、師匠は〝困った子だ〟という目で見つめる。更に、溜息をついた。
「本当に分かっているのかねぇ? ……運命の相手に会うのも良いが、それ以外の人との出会いも大切にするんだよ、ドリス」
「……分かったわ。心配しないで」
「親ってのは、どうしても、子のことを案じてしまうもんなのさね」
「お師匠…………いえ、お母さん、行ってきます」
別れ際、ドリスの言葉を耳にして、師匠は相手を包み込むような、柔らかな表情になり、告げた。
「ああ、行っておいで。幸せにおなり、娘のドリス」
※『タンジェロ大地に、かつて大帝国があった』という情報は、3章17話「猪八戒になりたい小学生」の回でシエナがサブローへ語ったりしています。
ちなみに、時系列的には「《聖魔大戦》において魔族が敗北(1200年前)→ルメンジェラ帝国の勃興と滅亡(数百年前)→現在」となります。ですから、ルメンジェラ帝国はあくまでヒューマンの国家であり、魔族の国家であったりはしません。
次回にちょっとだけ、帝国滅亡の原因について触れる予定です。
※今回で本作は200話(約110万字)に達しました! これからも執筆を頑張ってまいりますので、どうぞよろしくお願いいたします。




