聖女を見つけるための探索器
ドリス視点です。
♢
左腕を丸ごと切断され、落とされた。
凄まじい激痛が、ドリスを襲った。彼女は思わず悲鳴を上げて――
「――く!」
が、強引に歯を食いしばり、更なる己の叫び声を無理矢理に抑え込んだ。敵の眼前で、これ以上の醜態を晒すわけにはいかない。
(まだ……まだ!)
膝はつかない。いや、つけない。立っていなければ、戦えない。
「ふん。頑張りますね」
魔族の男が、虫を観察しているような視線をドリスへ向けてくる。
「そうやって、いつまで惨めに抗い続けるつもりですか? 取るに足りないホムンクルスの分際で」
「あたしは……!」
「いくら足掻いたところで、貴方は〝人〟ではありませんよ。どこまでいっても〝人間もどき〟です」
「それは」
咄嗟に反論できず、けれど、心の中でドリスは叫ぶ。
(違う! あたしは……あたしは!)
「その証拠に、ほら。自分の左肩を見てみなさい」
「え?」
男の言葉を受けて、ドリスは自身の左半身を確認した。理解していたことではあるが、そこに、既に左腕は無かった。辛うじて身体に残っているのは、肩から上腕部の半ばにかけての部分だ。
無事である片腕の分だけ、右半身のほうが重い。衝撃と体重の変化により、よろめきそうになるのをドリスはどうにか堪える。
そして、左の肩口の先にある切断面からは、血が…………出ていなかった。
(な、なんで?)
さっきまでは、負傷した箇所より大量の血液が溢れ出て、地面へボタボタと垂れていたのに。今は、出血が止まっている。
それどころか。
(あたしの腕――)
切り口が、急速に何かに覆われていっている。
何か? ……皮膚だ。自分の身体の表面にある皮膚。それと同じものが、傷口にも、またたく間に出来上がり、切断面を包み隠していく。
ほんの少しの時間で。
左の肩先から伝わってくる痛みは、いまだに治まっていない。しかし、傷跡には肌色の皮が奇麗に張り付き、赤黒かった断面は完全に見えなくなっていた。
(これは……)
ドリスは、ごくんと唾を飲み込んだ。
己の身体の奇怪な変化に思考が追いつかず、呆然とした様子になっている少女へ、男は語りかける。冷ややかでありつつも、明白に相手を嬲る響きの声で。
「言ったでしょう? 貴方はホムンクルスで――そのため、本能として、外見を人に擬態しようとする。加えて貴方の身体には『己の生命にかかわる場合には、速やかに問題の箇所を修復する』という性能も備わっているのですよ。さすがに欠損した部位の再生は不可能ですが」
「そんな」
ドリスは絶句する。
「ホムンクルスにとっては『痛みを感じる』ことも『傷から一時的に出血してみせる』ことも、つまるところ、擬態のための1つの機能にしか過ぎません。軽い傷だったら、そのまま治さずに外部からの治療を待つ………要は、己の生存を確保した上で、殊更に〝人のマネ〟をしているだけなのです」
「あたしは」
「どうやら今までの冒険者生活で、貴方は生命の有無に直結する大ケガを負う経験をしなかったようですね。これが初めての重傷で、その自動修理も初体験ですか。己が〝人型製造生物〟であることを自覚できて良かったですね」
「違う!」
それでも、なお、否定の言葉を少女は発した。
魔族の男は、せせら笑う。
「まだ、認めようとしないとは……強情ですね。貴方は、そもそも一つ目巨人が振るう鉄球の一撃を受けて、内臓がメチャメチャになっていた筈ですよね? 喉の奥から血が込み上げて、喋るたびに口外に漏れ出ていた。その出血は、いつ止まったのですか?」
「――っ!」
ドリスはハッとする。確かに喉や口の中を塞いでいた、血液や血塊の感触が無くなっている。鉄サビめいた血の味は、舌の上に残っているが。
(あたしは……あたしは……)
ドリスだって、知っている。
人間は、こんなに早く、重い傷が癒えたりはしない。
地面に転がっている、己の左腕をドリスは改めて見る。その切断面も肩先の傷口と同じように、いつの間にか、皮膚に覆われていた。これも魔族の男が述べていた〝自動修理〟の結果なのだろうか?
もともとは身体の一部であったはずの左腕だが、今は自分とは無縁の奇妙なオブジェとしか思えない。
魂が底から漂白されていくような虚脱と消耗の感覚に陥り、棒立ちの体勢となったドリスへ、魔族は追い打ちを掛ける。
「貴方は背後の聖女を懸命に庇っていますが、もとより、その行動のもととなっている感情も偽物ですよ」
「え……?」
「何度も言わせないでください。貴方は【聖女を見つけるための探索器】です。16年前に私たち魔族は、聖女が誕生したことをレハザーシア様より告げられました。そしてギッシュビーネは、ホムンクルスを造ろうと思い立った。聖女が何処に居るのか、どんな風に育っているのか、その時点では見当もつかなかったため、彼女は、探るのに有効な道具を発明することにしたのです。封印されている魔王様が完全に解放され、【闇】と【魔】の御力を振るおうとされる未来の重要な時に、聖女が邪魔な存在になるのは分かりきっていましたからね」
(探索器……道具……)
なんという、イヤな響きの単語だろう。
「幸い、1200年前の聖女たちが手にしていた神器を、2つとも、私たちは保有していました。2つの神器と2人の聖女の繋がりは、いまだに途切れていないのでしょう。聖女の再誕に反応したのか、神器は輝きを増していき……あれは、憎々しい光景でしたね。けれど研究狂のギッシュビーネは、その神器が放つ聖力を逆に利用して、ホムンクルスへ【特別な神聖力に惹かれる性質】を付与したのですよ」
「特別な神聖力に……惹かれる……」
何ごとかに思い当たったのか、ドリスの表情が凍った。
「ギッシュビーネも、面白いところに目を付けたものです。〝聖〟であろうと〝魔〟であろうと、ウェステニラの世界のアチラコチラに神々の力は及んでいますが、その中でも聖女の内にある神聖力は極めて特殊です。したがって類似のパワーやエネルギーに接しても、惑わされたり勘違いしてしまう可能性は低くなる。〝ハズレ〟に惹かれることは無い」
「…………」
「そうして複数のホムンクルスを人間界へ解き放ち、ごく自然に聖女のもとへと寄っていく、その作用による成果を期待したわけです。気が長い計画では、ありますが…………あの折には《双子の女神が聖女へ与えた神聖力》も《レハザーシア様が聖女へ仕掛けられた神魔力》も、大陸の何処で効果を発揮しているのか、私たちは感知できていませんでした。何者かによって、波動の発生が抑え込まれていたのですよ」
魔族の男は悔しそうに唇を歪め、続けて、わざとらしく肩を竦めてみせる。
「〝何者か〟の正体については、今は無論、分かっています。――〝母親〟です。幼い2人の聖女は、それぞれの母親にシッカリと庇護されていました。その影響は大きく、隠蔽されている状態にあったとも言えるでしょう。生まれて数年の特に無力な時期の聖女たちにとって、〝隠されること〟は〝護られること〟と同じ意味を持っていたのかもしれません」
(母親…………)
聖セルロドス皇国の前皇帝と、ベスナーク王国のナルドット侯爵夫人。その2人は、もう居ない。
「しかしながら、如何にギッシュビーネが魔族を代表する発明の天才であっても【神聖力に惹かれる生物】を造り出す――それには、どうしても無理がありました。何と言っても、私たちは魔に属する者――《魔族》です。【聖】を扱うのは、無謀にすぎる行為だったのでしょう。結局、ホムンクルス5体のうちの4体は覚醒早々に狂ってしまい、1体はいつまで経っても目覚めなかった」
――いつまでも目覚めなかった、最後のホムンクルス。
「その1体が、理由は不明ですが、意識を持って動き出し、現在、私の目の前に立っている。奇異な成り行きであり……とはいえ、愉快な結末でもあります。出来損ないだったホムンクルスが〝聖女を見つける〟という、本来の役目を見事に果たしていたのですから。喜劇の演出としては、上々です」
(本来の役目……喜劇の演出……)
「まぁ、実際のところは、ギッシュビーネによるホムンクルスの製造が成功しようが失敗しようが、どちらでも良かったのですよ。何故なら遅かれ早かれ、私たち魔族は必ず、聖女を探し出せたはずですので。根拠? ありますよ。年月が経つにつれて、2人の聖女が抱え込んでいる神聖力と神魔力の量は増加していきました。肉体と精神の成長により、内包できる神力が変化した結果なのでしょうけれど…………この人間社会において近年、彼女たちは、いろいろな点で目立つ存在になってしまっています。私たち魔族の目から見てもね」
そこで魔族は倒れているアレクのほうへ、わずかに視線を向ける。
「加えて《守護者》とも呼ぶべきであった、それぞれの母親の死。聖女の正体が露見するための条件は、いずれにせよ、遠くない未来に充分に揃う――しかし、この事実は後になって判明したことであって、最初の段階では、私たちも非常に焦っていたのですよ。『可能な限り早く聖女を発見し、潰さねば!』――と」
男はニヤリと笑った。その時の魔族たちが、どのように混乱していたかを、振り返っているようだ。
「レハザーシア様の深慮遠謀――聖女へ掛けた《錯誤の呪い》の効果を知った今では、単なる憂慮であったと理解できますが。聖女の内面が時間を追うごとに壊れていっている現状では、好機が訪れるのを待って、トドメを刺しにいけば良い。簡単な仕事です。何故って? 現在、私や彼のような選ばれた魔族は、聖女を一目見れば、その正体が分かるのですよ」
得意気に、自らの才能を誇る魔族。自己顕示欲の強さが、丸出しだ。
「こちらの世界へ来る前に、私も彼も苦痛に耐えつつ神器に触れて、セルロドシアとベスナレシアの神聖力を認識するための訓練をしました。必要な能力は、得ています。レハザーシア様の神魔力は気配のみでも心地よく、当然ながら、すぐに感じ取ることが出来ますしね」
聖女は、異なる神々からの神聖力と神魔力――《祝福》と《呪詛》を同時に、その身に宿している。
優秀な魔族ならば、聖女に出会ったら、真実に気付く。その神聖力の特殊性は別にしても、〝聖〟と〝魔〟の神力が混在している異常な状況については、確実に見抜けるが故に。
聖女の居場所を突き止め、真っ先に魔族が考えることは――
ヒューマンの知らぬ間に、大陸の情勢は危険な領域へと突入してしまっているのだ。
「それにしても、こんな場所でセルロドシアの聖女に遭遇できたのは、思いがけない幸いでしたよ。ベスナレシアの聖女のほうは比較的早い時期に、その在りかを掴めていました。けれど一方、セルロドシアの聖女は皇国の皇城から姿を消して、以降、行方が不明でしたからね。皇国のいずれかの地に潜伏しているに違いないと推測していたのですが……よもやベスナーク王国にまで逃れて、冒険者となって活動していたとは。さすがに予想外でした」
男の話の後半は、もはやドリスの耳へは届いていなかった。
ガンガンと頭の中で音が鳴る。
全ては、闇に塗りつぶされていく。
世界の何もかもが、遠くなる。
魔族の男は言った。
『ホムンクルスには【特別な神聖力に惹かれる性質】を付与した』
『聖女の中にある神聖力は極めて特殊である』
『ごく自然に聖女のもとへと寄っていく、その作用による成果を期待した』
『〝聖女を見つける〟という、本来の役目を見事に果たしていた』――と。
それは、つまり――
(あたしとアレク様は、どうして知り合ったの? どうして一緒に居るの?)
自分を支えてきた、あらゆるものが崩れていく。
(そして、あたしの、この想いは……『アレク様を好きだ』という、あたしの気持ちは…………)
待っているのは、悪夢の先の不幸。
不幸の先の絶望で――
(お師匠……)
師匠は、言ってくれたのに。『幸せにおなり、ドリス』――と。
ドリスは思い出す。魔法だけで無く、さまざまな事を彼女へ教えてくれた、師匠との出会いを――
♢
トレカピ河の北、荒れ果てたタンジェロの大地。その奥深い、ある場所で。
ドリスが目を覚ましたとき、最初に見た光景は――鍋の中のドロッとした液体を大きめのスプーンで掻き回している、老婆の姿だった。
古びた家の一室で、ドリスは粗末なベッドの上に寝かされていた。
「起きたようだね、お嬢ちゃん」
「アナタは……誰?」
「開口一番のセリフが、ぶしつけな質問とは…………誰だと思う?」
「怪しい料理を作っている、不審人物」
高齢の女性はチンマリとした体型をしており、白髪で、腰も曲がっている。しかし眼光は鋭く、発する声にも張りがあった。
「おやおや。野っ原に寝転がっていたアンタを、わざわざ我が家まで運んできて介抱してやったのに、その言いぐさは酷いんじゃないかねぇ?」
「それは…………感謝するけど」
「アンタ、名は?」
「あたしの名前は……ドリスよ」
「ふ~ん」
「なによ! 反応が薄いわね! あたしは公爵令嬢なのよ! もっと尊び、敬いなさいな!」
「公爵令嬢……ね。このタンジェロの地では数百年前に大帝国が滅んで以降、まともな国家が存在したなんて話は、耳にしたことが無いけどね」
スミマセン。今回は〝事態が動く〟ところまで、たどりつけませんでした。考えていたよりも、提示しておきたい情報が多くて……(汗)。ただドリスと師匠の出会いの話は、だいたい書き上げているため(5000字程度)、数日中に次回を投稿できると思います。




