双神の結界と聖女の墜落
ドリス視点です。
♢
奇しくも、ドリスも16歳だ。そして、サブローも……。
(つまり……聖女様は、聖セルロドス皇国とベスナーク王国に1人ずつ、居られるの?)
2人の聖女は、いったい誰なのか?
その答えを、ドリスは知らない。
2つの国で、それぞれ最も有名な少女と言えば――
(ベスナーク王国なら……《バイドグルド家の白鳥》との美称を持つ、ナルドット侯爵家の次女オリネロッテ様。聖セルロドス皇国では……やっぱり、今の皇帝陛下よね。でも確か、どちらの御方も15歳であられたはず。聖女様が、お生まれになったのは16年前。年齢が1つ、違う)
いっぺんに多すぎる情報に接して惑うドリスへ、傲慢な眼差しを向けつつ、魔族の男は話を続ける。あたかも演説しているかのような、わざとらしい身振りを交えながら。
「聖女の誕生に神聖力を注いだ分、セルロドシアとベスナレシアの地上への干渉力は弱まり、トレカピ河の《双神の結界》も脆く、薄くなりました。『新たなる2人の聖女が各々、皇国と王国に居る以上、彼女たちの威光によって結界は再強化され、維持される』――双子の女神は、そのように考えたのかもしれません」
「女神様たちが……」
かつて真正セルロド教会を訪れたとき、ドリスはシスター・アンジェリーナより聞いたことがある。『天上世界の神々は地上での沙汰に直接、介入したりはしません。《天界定律》で禁じられているためです』――と。
《天界定律》――天上世界の決まりごと。
千年以上前に起こったヒューマンと魔族の戦争において、双子の女神――セルロドシアとベスナレシアは、その掟に背いてまで、ヒューマンを助けた。魔神レハザーシアが、先に魔族側に味方したのが原因であるとはいえ。
今も、セルロドシアとベスナレシアはヒューマンを見守りつづけている。けれど、天界からの支援・協力にも、自ずから限度があるのだろう。
(〝地上への助力は、一定の枠を超えてはならない〟……そう注意されている?)
女神を諭すことが出来る。それほど偉い神が、天界には存在しているのであろうか?
「聖女たちがトレカピ河の結界を維持できれば、良し。その行いが無理で、もしも戦争が始まったら、2人の聖女はヒューマンの軍団を率いて魔族を打ち破れ』――これが、セルロドシアとベスナレシアの意図でしょう。小賢しい!」
男は腹立たしげに言葉を吐き捨て、そこから急に陶然とした面持ちになる。
「しかし、さすがはレハザーシア様!」
レハザーシア――魔族が信仰する女神。
「レハザーシア様は、生まれてくる2人の聖女へ《錯誤の呪い》を掛けました」
(錯誤……? 〝主観による認知〟と〝客観における事実〟を、魔神レハザーシアが呪力によってズレさせた?)
――魔の女神は、何をズレさせた?
聖女の身に起こった事柄について、最悪な内容ばかりを想像してしまうドリス。
思案の中においても逃げ場を見いだせない――そんな彼女へ、男が更に告げる。
「それも、聖女たちが母親の胎内に居るうちにね」
「え!」
ドリスは衝撃を受けた。
(赤ちゃんへ、お母さんのお腹の中で――酷い!)
なんという、冒涜的行為。
「レハザーシア様の呪いにより、皇国の聖女は性別が反転して理解され、王国の聖女は容姿が偏って認識される状態になった…………ヒューマンたちにとっては〝最低の悲劇〟でしょうが、私たち魔族からすると〝最上の喜劇〟の始まりです」
赤い瞳の魔物が笑う。
「とりわけ王国の聖女の外見は、無様で滑稽ですよ。戯画を連想させるほどに誇張されていますので」
嗜虐的な、その語調。
「レハザーシア様の神魔力――《錯誤の呪い》による汚染作用は、本当に凄いです。実際は異なっているのに、見る者すべてに『その通りである』と思わせてしまう。物理的に起こる現象でさえも、虚構に従い……人々は〝捩れ〟を〝真っ直ぐなモノ〟として感じるようになるのですから」
魔神の悪辣な行いを、魔族は誇った。
「聖女自身も、例外ではありません。歪んだ己を受け入れ、無意識のうちに適応し、最初からそうであったと信じ込む。そんな風に成り果てた人物は、もはや『聖女』とは言えませんね」
聖女が、聖女では無くなる――
「あらゆる角度から真実はシッカリと封じられて、永久に表に出てくることは無い。やがては表面の偽りが、厳然たる事実となっていく……」
酔ったように、男は喋り続ける。
「まぁ、正直に言うと、初めは私たちにも《錯誤の呪い》の意味は分かりませんでした。しかし今なら、レハザーシア様のお考え、その偉大さを充分に理解できます。セルロドシアは己の聖女を聖セルロドス皇国の皇帝に、ベスナレシアは己の聖女をベスナーク王国の王妃にして、ヒューマンの世界を纏めあげさせるつもりだったのでしょう。けれどレハザーシア様の介入により、その未来は閉ざされた」
聞こえてくるのは、魔族からの非情な宣告で――
ドリスは全身が、巨大な掌でギリギリと締め上げられているような感覚に陥った。
(閉ざされたのは、聖女様たちの未来? それとも、ヒューマン全ての……?)
「『皇帝は女性しかなれない』――聖セルロドス皇国には建国以来、そういう決まりがあります。故に男性となった聖女は、皇位に就くことが出来なかった。またベスナーク王国の聖女は王太子に嫌われて、その婚約者候補から外されました。王妃になる可能性は、ほぼ無くなったのです」
皇帝になれなかった聖女。
王妃になれないであろう聖女。
瞼に浮かぶ未来は、さながら悪夢のようで――
(聖女様たちは、今……)
「更に言うなら、聖女へ掛けられたレハザーシア様の呪い……これは聖女が生まれる前、その母親へ行われたのですが、結果として、聖女の妹へも影響を及ぼしています。聖女が誕生したのちも母親の体内に残っていた、ある神からの祝福と異なる神よりの呪詛……もともと姉は特別でしたが、妹は違います。皇国の聖女も王国の聖女も16年前に生まれて、どちらにも1つ歳下の妹が居ますが、その2人の妹はいずれも〝聖女もどき〟となって、人々から崇敬されるようになった」
多くの人から崇められる。意図せぬ形で。本来は違う誰かが、そうなるはずだったのに。
それは、果たして『幸福』と言えるのか?
「レハザーシア様が、そこまで狙っておられたのかどうか……ともかく、聖セルロドス皇国でもベスナーク王国でも〝聖女のすり替え〟は呆気ないほどに容易になされました。ねじ曲がった状況は、現在も加速しつつ進行中です。喜劇の筋書きはどんどん虚飾にまみれて派手になり、演ずるヒューマンの数も増えてくれて、魔族の私としては、飽きずに観覧できて楽しいですね」
誰かにとっての悲劇は、別の誰かにとっての喜劇で。
舞台上の自覚なき役者は、知らずに踊り続けている。
「しかしながら、妹は姉とは違い、聖女ではありません。俗人です。神聖力と神魔力の混在を、ただの人が浴びたら、少なからず狂ってしまう……それも、自然な成り行きではあります。もっとも、その狂気の渦は常識の枠からハミ出て旋回し、まやかしの光彩をまき散らしているだけに、人間どもにとっては、理屈を超越した、はなはだ美しく感じられるモノになっているようですけれど。皮肉なことにね」
魔族の男が、勝手なセリフを述べる。
人の感性を、こんなヤツに判断されたくは無い。
「特に今世では、セルロドシアの聖女よりもベスナレシアの聖女のほうが、潜在的な能力が高かったらしいです。そのためレハザーシア様の呪力は、より大きく働き、ベスナーク王国の聖女は周囲の人間から酷く嫌悪され、軽んじられ、無視され、場合によっては居ない者となる、惨めで空虚な存在へと堕ちてしまった」
聖女の墜落――
「それに反比例するかのごとく、王国の聖女の妹は異様なまでに強い魅了の力を発揮して、過剰に称賛され、桁外れの数の信奉者を集めるようになった。マイナスであろうが、プラスであろうが、〝評価のバランスが崩れ、破滅へ向かっている〟という意味では、姉妹は同じ《敗北を予定されし愚者》ですがね」
対して、翼を持たずに飛翔する少女の前途は――
「…………」
沈黙しつつ、ドリスは、現在のビトルテペウ大陸の情勢に思いを巡らせる。
聖セルロドス皇国では7年前に前皇帝が崩御して、新皇帝が即位した。その時から、皇国での、人間以外のヒューマン、中でも獣人への差別・迫害が激しくなった。
将来、魔族の襲来により戦争が起こるとして、皇国ではヒューマンが種族の垣根を越えて団結することは、もはや不可能だろう。
そしてベスナーク王国の有力貴族であるナルドット侯爵家には、2人の令嬢が居る。『白豚』と蔑まれている姉と、『白鳥』と称えられている妹が……。
姉のフィコマシーの年齢は、妹のオリネロッテの1つ上。次代の王と結婚するべく定められていたのは本来は姉であったが、王太子本人の強い意向により、現在、妹のほうが婚約者候補になっている――これはベスナーク王国では庶民の間でも知られている、有名な話だ。
すなわち。
(ベスナーク王国の聖女は、ナルドット侯爵家の長女フィコマシー様)
だったら。
(聖セルロドス皇国の聖女は――)
アレクの年齢は、フィコマシーと同じ16歳だ。
アレクとソフィーが皇国の出身であることを、ドリスは2人から直に聞いている。加えて今、対峙している魔族の男はアレクについて、何度も『聖女』と呼んだ。
アレクとソフィーが皇国では、どのような身分だったのか、ドリスは何も知らない。彼らの昔の社会的な階級などに、興味は無かったのだ。
けれど。
(アレク様の聖セルロドス皇国における地位は……きっと…………だから、皇国の聖女は……聖女は……)
ドリスは、身体が小刻みに震えてくるのを抑えられない。膝から力が抜け、曲がり、全身が崩れ落ちそうになるのを懸命に堪える。原因は――
体力・魔力の限界か。
痛苦の激化か。
あるいは、精神的な要素のほうが大きいのか。壊れた心へ、更なる打撃を受けてしまったからなのか。
苦しい。
辛い。
泣いてしまいそうだ。
でも――
(ダメ。真実から目を逸らしちゃ、ダメ。思考するのを止めちゃ、ダメ)
ドリスは必死に己へ言い聞かせる。
魔族が、また笑う。
笑い声であるにもかかわらず、明朗さなどまるで無い、むしろ陰惨なだけの響きが、男の喉から漏れ出て、辺り一面に響く。
「皇国と王国……今世の聖女2人は、1200年前の聖女たちとは違い、神器を所有していません。そのため、もとより不完全な存在ではあったのです。〝魔〟へ対抗する〝聖〟の力が弱い」
(神器……)
千年以上前に起こった、ヒューマンと魔族との戦い――《聖魔大戦》において、2人の聖女はそれぞれ、女神のセルロドシアとベスナレシアより〝神の武器〟を与えられた。
(伝説だと思っていたけれど、神器は実在しているの?)
しかも現在、神器は何処にあるのか――魔族は、その情報を持っている?
目の前の男の恐ろしさが、底なしのように、ドリスには思えてくる。
笑いも、声も、表情も、話す内容も、あまりにも不気味すぎて。
「とはいえ、母親が生きている間は、レハザーシア様の呪いの効果は抑えられていたようですね。くっくっく。〝母の愛〟とは偉大なものですね」
母親――
ドリスにとって〝母〟とは、誰なのか?
公爵令嬢の母親……物語の中の登場人物?
ホムンクルスを造った、ギッシュビーネという名の女性の魔族?
それとも、ドリスに土魔法を教えてくれた、年老いた魔法使い――
(お師匠……)
不意にドリスは、魔法の師に会いたくなった。口うるさくて、頑固者で、でも縁もゆかりも無いドリスの面倒を見てくれた。
別れて、数年。あの魔法使いの老婆は、今もタンジェロの地に住みつづけているのだろうか?
一方、魔族の男にとって『母親』という単語は、嘲りの対象でしかないらしい。とりわけ、聖女の母親は――
「しかし結局、運命からは逃れられません。7年前の同じ年に、聖女の母親たち、皇国の皇帝も、王国の侯爵夫人も亡くなり、そこから聖女の歪みは、より大きく、顕著になっていきました。皇国の聖女は排斥され、王国の聖女は侮蔑される存在となった。けれど、なかなか破局までには至らない。どちらの聖女の側にも、彼女らの心を支える者が居るらしく……」
男は顔を顰める。
対照的に、ドリスの心に――もう壊れてしまったかもしれない心に、それでも、わずかな光が差す。
(聖女様を支える……そんな人が……)
「何があっても聖女を裏切らず、聖女も絶対的に信頼している、たった1人――まずもって〝腹心〟とでも呼ぶべき輩ですかね。どんなに聖女が歪んでも、壊れても、価値を失っても、その側近は決して見捨てない。離れようとはしない。前世の定めによるものなのか、今世の結びつきによるものなのか…………さしずめ『瑠璃は破損しても、やはり瑠璃』といったところでしょうか」
瑠璃――青色の美しい、神秘的な宝石・ラピスラズリ。最強の聖石。
アレクの瞳の色は、瑠璃そのままの深い青だ。ナルドット侯爵家のフィコマシーの瞳の色も、そうであるに違いない。
「残念ながら、私たち魔族の手によって、直接に聖女を殺すことは出来ません。レハザーシア様より、固く止められていますから。したがって、1番良いのは、聖女に自ら生命を絶ってもらうことなのですよ」
「お前――!」
魔族の男は、嫌みなほどに丁寧な口調で話しながらも、残酷な本性を剥き出しにする。
「それには、聖女の目の前で腹心を殺すのが最適な方法でしょう。そうすれば、聖女の心は完全に壊れて、生きていく望みを失うのは間違いない」
「聖女様の腹心……」
ある意味において、聖女以上に、魔族から生命を狙われている存在。
(2人の聖女様の心を支えている……それは、ヒューマンの世界を守っているのと同義で…………その腹心の2人とは、誰?)
「ベスナーク王国の聖女の腹心は、一介のメイドで……あちらのほうは、彼が、なんとかするでしょう。たかがメイドを未だに始末できていないとは、彼も日頃の偉そうな態度の割には、口ほどにも無いヤツと言えそうですが。けれど、どうあっても遠からずメイドを殺すであろうことに、疑いの余地はありません。実行するのは……おそらくは王都で。あの地には、彼の手駒がたくさん居ますからね。仕留めるのに、手間は掛からないはずです」
(〝メイド〟ですって?)
ドリスの脳裏に、3日前に出会った灰色の髪のメイドの姿が浮かんだ。
あの日、ナルドットの商業地区を背筋を伸ばして歩いていた。
腰に、メイド服の姿とは不釣り合いなレイピアを提げて。
ドリスと仲良く喧嘩し、サブローと楽しそうに笑い合った彼女の名は――
(――シエナ)
侯爵家に仕えているメイド。
外出の理由は――お嬢様の所用の品を購入するため。
〝守りたい人〟として、サブローはシエナと同時にフィコマシーの名も挙げていた。
シエナの、芯がシッカリとしている人柄。
その瞳の輝き。
魂の底に秘めているに違いない、彼女の覚悟。
サブローからも、シエナ自身からも、ハッキリと教えられたわけでは無い。しかし彼らが漏らす言葉、会話の端々から、窺い知れる。
(シエナは、おそらくフィコマシー様の専属のメイドで、信頼されている者で…………まさか!?)
ベスナーク王国の聖女の腹心について、1つの可能性に行き当たるドリス。
彼女の推測に付け加えるように、男は話を続ける。
「そして聖セルロドス皇国の聖女の腹心は、この状況で考えるに、十中八九……」
魔族は、血まみれの状態で倒れているソフィーへ、チラリと目を走らせた。
「どうやら、まだ息はあるみたいですね。今は冒険者をしているようですが、あの女は、もとは多分、皇国の騎士でしょう。戦い方から、騎士の癖が抜けていませんでしたから」
(――っ! ソフィー)
ドリスは気付く。
ソフィーは、強くて優しくて親切で、頼りになって……彼女のアレクへ接し方は、姉のようでありながら、生真面目さも伴っており、改めて思い返してみれば、確かに〝主君へ忠義を捧げる騎士〟のごとき雰囲気もあった。
「女騎士は間違いなく、聖セルロドス皇国に居た時から、聖女に仕え続けている。皇国から逃げ出す形でベスナーク王国へやって来て、聖女と共に冒険者へと身を落としたのか……あるいは、再起を予定しつつ隠れているだけなのか? まぁ、今となっては、どうでも良いことですが」
「お前、何をするもり?」
極度の緊張で、ドリスの語気は自然に荒く、鋭くなる。
男は面白そうに、くるりとした目玉を光らせた。
「たいした事は、しませんよ。あの女騎士を生きたまま、一つ目巨人に喰わせるだけです。聖女を起こして、その眼前で。結果、聖女は絶望して――」
「そんなマネは……させない!」
男の背後の地面が、急激に盛り上がる。土が槍の形になって、魔族の背中を襲った。ドリスの土魔法――《土槍》だ。
しかし、その攻撃を魔族は苦も無く躱し、振り返り、右の拳を放って土製の槍を叩き折る。
(急襲は失敗…………簡単に成功するほど、甘い相手では無いことは分かっていた)
男の話を聞きながらも、ドリスは魔力を少しずつ体内にため込んでいたのだ。賭けの気持ちではあったが、反撃できる機会をもしも発見できたら、すかさず、それを活かそうと。
回復していた魔力と体力は、ごくわずかで、なけなしのそれさえも、たった今、使ってしまった。
けれど――
(まだ……まだ、諦めない!)
「ほぅ。今もって、なお、そのような余力があったのですか」
「当たり前よ! これ以上、アレク様へ手出しはさせない! ソフィーだって、あたしにとっては大切な仲間で……」
(守ってみせる!)
ドリスは残りの力を全て振りしぼり、ありったけの思いを込めて、魔族へ反論する。
「だいたい、セルロドシア様とベスナレシア様がトレカピ河に結界を張ったのには、深いお考えがあったはず。ヒューマンは、南の地帯で栄えていく。魔族は、北のタンジェロ大地で勝手に生きていけば良いじゃない! それなのに欲望の赴くまま、大河を越えようとして……お前たち魔族のせいで、アレク様は……アレク様は苦しむことになった。本当なら、皇国の皇帝陛下なのに。何不自由なく、暮らせていたに違いないのに」
しかし、変えられた現実は、どこまでも過酷で理不尽で――
アレクは今この時、冒険者として、その傷だらけの身を大地に横たえている。
ドリスの悲痛な訴えを耳にしても、魔族の男は全く動じず、醜悪な表情で笑った。
「くだらない、物言いですね。その執着……もしかして、貴方は聖女に惚れているのですか?」
「お前の知ったことじゃ無い!」
「私の話を、聞いていなかったのですか? 聖女は〝男〟に見えていますが、真実は〝女〟ですよ? そしてホムンクルスに性別は無く……要するに、貴方は女でも男でも無い」
「それが、何だって言うの!?」
関係ない。
アレクが男性じゃ無くて、女性であっても。
自分が公爵家の娘じゃ無くたって。
自分に性は無いのだとしても。
自分が造られたモノだって。
この想いは――
この心は
たとえ、壊れてしまったとしても
(あたしの心は、あたしがアレク様を好きだって気持ちは、本物なんだ! 誰にも否定させはしない!)
「ふむ。『己の聖女へ向ける愛情は真実だ』――そう思っているようですね」
「…………」
ドリスは無言のまま、強い視線で、魔族の赤い瞳を見返す。
「愚かな……もう一度、言いますよ。――『私の話を聞いていなかったのですか』?」
「…………」
「私は、貴方に教えたはずです。ギッシュビーネは【聖女を見つけるための探索器】として、ホムンクルスを造ったと」
「な――」
(聖女を見つけるため?)
――その言葉には、どのような意味が?
「道具は道具らしく、身の程を弁えなさい」
そう告げるや、男は右腕をサッと振ってみせた。
同時に、ドリスの左の上腕部に、何かが巻きつく感触があった。けれども、その箇所へ目を向けても――
「ふふ。貴方には、見えていないでしょう? 闇魔法の《不可視の鞭》です」
不可視――目には映らない、鞭。
(あ。さっきの戦いで、アレク様のもとへ行こうとしたソフィーの動きを邪魔したのは――)
敵が魔法によって作り上げた、闇の武器――その正体をドリスが察した、次の瞬間。
魔族の男は、何かを引く動作をした。ドリスの左腕に巻き付いているであろう、見えないムチが、急速に締まる。
満身創痍の少女が今更、痛みを感じる暇も無く。
ある物体が、ボトリと地面へ落ちた。
ドリスは、それを見る。
(え? あたしの腕?)
続いて、己の左腕へ視線を向けると――
「あぁぁぁぁ!」
ドリスは苦悶の声を上げる。彼女の左腕は肩の下、肘も含めて、その先は無くなっていた。
今回の話に関連する状況説明の回としては、6章23話の「真正セルロド教」の回、7章26話の「英雄不在の世界の中で」の回などがあります。
そしてドリスにとって、かなり辛い展開が続いていますが……次回、事態は動きますので、これからも本作をどうぞよろしくお願いいたします!
※黒笠様より本作へ、素敵なレビューを頂きました(3月20日)。心より御礼申し上げます。




