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ドリスの記憶

 ドリス視点です。


あっちの(・・・・)ゴーちゃんに連絡して」


 自らの発する、か細い声……その響きは、眼前の小さなゴーレムへ確実に届いただろうか?

 うなずくゴーちゃんを見て、ドリスはホッと息を漏らした。


 崖の途中にしがみついている状態で、救援の綱に手が届いたような……。


 そうだ。もう一方のゴーちゃんのところには、サブローとキアラが居る。《暁の一天》の残りのメンバーである、2人が。

 この危機を、ボンザック村に留まっている彼らへ知らせるのだ。 


 敵は、サイクロプス4匹と正体不明の男――ソフィーやレトキンでさえ、打ち倒されてしまった。残念ながら、キアラがこの場に居たとしても、結果は変わらなかっただろう。だが、サブローなら……。


 ドリスは考える。

 サブローの身体の具合は、万全では無い。むしろ『絶不調』と言っても良いかもしれない。


 強敵がズラリと立ち(なら)び、味方は全て戦闘不能――ゴーちゃんを通じて、この絶望一歩手前の状況を知ったら、サブローはどうする? 


 怖じ気づく?

 村に留まりつづける?

 逃げ出す?

 あたし達を見捨てる?


 …………。


 サブローは、秘密が多い少年だ。昨日、彼は幾つかの打ち明け話をしてくれた。けれどドリスたちには告げていない隠し事を、まだまだ少なからず抱えているに違いない。


 水面に落ちた、一滴の油を見ているような…………〝サブロー〟という人物の側に居るとき、ドリスは常に微妙な違和感を覚えてしまう。

 意識してか、それとも無意識にか、彼は四囲の環境に対して線を引き、わずかな隔てを作っている。サブローは魔法と武力、どちらにも抜群の才能を有しているが、そういう己をこの世界の中でどう位置づけたら良いのか、戸惑っているようにも思える。


 サブローを今、現実と結びつけているのは…………あの(・・)メイドの少女だろうか? 猫族の少女だろうか? 噂に聞く、ナルドット侯爵家の令嬢だろうか? 

『守りたい人』とサブローが呼んでいた少女たち―――3人の中の誰にせよ、その者の価値は、サブローにとって途方も無く高いはずだ。《暁の一天》の各メンバーなど、比較の対象にならないほどに。


 サブローとドリスたちが出会って、未だ数日。〝信頼し合っている〟と言えるだけの関係は、築けていない。そして冒険者のパーティーに所属しているものの、サブローの立場は最低ランクの《見習い》だ。


 クエスト遂行中の現在、《暁の一天》は敵との戦闘で壊滅しかけていて、サブローは離れた場所に居る。『助けに行っても、無駄死にするだけだ。救援要請は見て見ぬ振りをする』との思いが、彼の頭に浮かんだとしても、それは格段にオカしい話では無い。

 あちらの(・・・・)ゴーちゃんがどんなに騒ごうと、サブローは単に動かなければ良い。キアラが抗議してきても、彼女を黙らせる力がサブローにはある。


 ここでサブローが自己保身に走ったとして、将来、表だって責める者は出てこないに違いない。頭が良いサブローならば、上手い言い訳をいくらでも考えつけるはず。なにより、今のサブローは療養中の身なのだ。それだけでも〝動かない理由〟としては充分だ。

 パーティー仲間のためとはいえ、絶大なリスクを、敢えて取る必要など無い。


 道徳も友愛も義務も連帯も

 金銭も地位も名誉も誇りも

 生命あってこそ意味を持つ。


 サブローが合理的に、賢く、正しく判断するならば


 彼は、結局――――

 …………

 ……


 …………いいや。

 違う。


 サブローは、来る。


 きっと来る。

 必ず。

 絶対に。


 ドリスは、必死に己へ言い聞かせた。

 確証など一切ないのに。

 明確な根拠など全くないのに。


(だって――)


 今ここで、ドリスがサブローを信じなければ、全ては(・・・)終わる(・・・)

〝サブローが来る、来ない〟の以前に、彼女の心が踏ん張れなくなる。精神の抵抗力が、その拠り所が無くなってしまう。


《サブローが、あたし達を助けにくる》――それこそが、今のドリスに残されている唯一の希望の光なのだから。


 身勝手だろうと。

 自己欺瞞(ぎまん)だろうと。

 理不尽な願いだろうと。


 一方的な期待の押しつけは、相手にとっては非常な迷惑だと分かっていても――


(彼は、来てくれる)


 ドリスは自分本位に、サブローに頼るのだ。望むのだ。彼を信じるのだ。

 心の中に(とも)っている光を消すわけにはいかない。


 その光を支えにして、ドリスはパーティーメンバーを守るための行動を起こす。

 アレクもソフィーもレトキンも、重傷を負ってはいても、未だ絶命してはいない。瀕死であっても、生きている。


 ならば。


(サブローが到着するまでは、あたしがアレク様の、皆の、生命(いのち)を――)


 痛みのあまり感覚が麻痺(まひ)しかけ、猛烈な眠気が襲ってくるが、少女はそれに(あらが)う。


 失神するほうが、かえって楽な道だろう。

〝終わり〟を見ずに、済むのだから。

〝自身の非力さ・無能ぶり〟を改めて知らずに、済むのだから。


 覚醒して、気を保ちつづけても、待っているのは更なる絶望かもしれないけれど。


 わずかにでも〝皆で生き残る〟可能性が残っている限り、諦めることなんて出来ない。

 それに――


(あたしだって、やられっぱなしじゃ終われない!)


 重くなる(ひとみ)を閉じまいと、懸命に(こら)えているドリスへ、心配そうにゴーちゃんが手を伸ばす。しかし、ゴーちゃんがドリスへ触れることは無かった。

 何者かが、小さなゴーレムを無造作に(つか)み上げたのだ。


「ほぅ。これは興味深いですね。このゴーレムには、まるで命が宿っているかのような……ああ、そう(・・)いう(・・)こと(・・)ですか」

『ピギー!』


 暴れるゴーちゃんを捕まえているのは、あの赤い瞳の男だった。

 サイクロプスどもの戦果を見届けた上で、アレクとドリスの側へ寄ってきたらしい。


「お、お前……は――」

 ドリスは喉の奥から、なんとか声を絞り出す。


(コイツ……コイツだけは、ダメだ。アレク様に近づけちゃ……)


 神経が壊れ、脳からの指令で動かないのなら――ドリスは自分の手と足に、魔力を残らず注ぎ込んだ。

 その魔力を利用して、最後の体力を振り絞り、少女はヨロヨロと立ち上がる。膝に力が入らない。一瞬でも気を抜くと、倒れてしまうだろう。


「う……く……ぐ……」

 ドリスは緩慢(かんまん)ながらも必死に歩み、アレクと男の間に、その傷だらけの身を置いた。そして、敵の男と向かい合う。

 どれほど(もろ)い防波堤であっても、無いよりはマシなはず。


(アレク様に、手出しはさせない)


 絶体絶命の窮地(きゅうち)にあっても、なお敵意の眼差しを向けつつ抗戦の意志を示す彼女を、男が面白そうに眺める。


「そんなボロボロの身体で、私の前に立ち塞がるとは……ふむ。瞳に、まだ〝決意の光〟がありますね。崖のもとに無様(ぶざま)に転がっている人物が、それほどまでに大事ですか?」

「当たり前……でしょう」


(そうよ。アレク様に出会えたことで、あたしは初めて〝生きていく意味〟を見つけたんだから)


 男が薄い唇を曲げて、ゆっくりと笑う。


「心配する必要はありませんよ。どのみち、私に聖女は殺せませんから。私は当然のこと、私の支配下にあるモンスターたちもね。傷つけるのが、なしえる(・・・・)限界です。ご覧なさい。一撃を食らわしたあとのサイクロプスも、それからは見ているだけで、完全に息の根を止めるまではしていないでしょう?」


 ドリスは、先程のサイクロプスの態度を思い出す。確かにアレクを気絶させてから、更なる攻撃は控えていた。いつでも殺せたであろうに。


(どうして?)

 その理由が分からず、警戒の姿勢を保ちつつもドリスの思案は乱れ気味になる。


 男が口を開き、ペラペラと語り出す。意外と、喋ることが好きな性格らしい。それとも、勝利が確定している(ゆえ)の余裕だろうか?


「レハザーシア様に、固く止められていましてね。〝聖女のすり替え〟自体が、神々の世界における禁止事項に触れかねない、ギリギリな行為であって…………戦争開始前(・・・・・)に、私たちの陣営に属している側が直接に聖女の生命を奪ったら、厄介な双子の女神が怒り、地上の現象に介入してくる怖れがあるのですよ」

「いったい……何を……」


 男が話している、その半分の意味もドリスには理解できない。レハザーシアが魔族の女神である事実は知っているが。

 つまり、この男は――


「お前は、魔族なのね……」

「そうですよ」


 男はアッサリと認め、皮肉な口調でドリスへ言い返した。


「そんな反感に満ちた目で見ないで欲しいですね。貴方だって、私たちの(がわ)でしょう?」

「ハ? 何を、馬鹿げたことを――」

「だって、貴方は私が発している言葉について、その内容をキチンと認識しているじゃないですか。私は魔族語で話しているのに」

「えっ!?」


(男が喋っているのは、魔族語?)


 狼狽(ろうばい)するドリスへ視線を向けつつ、男は(あざけ)るような、あるいは(さげす)むような表情になる。


「言語が通じていない以上、貴方のパーティーの他の冒険者たちは、私の話の中身などサッパリ分からなかった。不審な男が意味不明の言葉を並べ立てているとしか、思えなかったのでしょうね。そのため、私が何を言っても、誰も特に動揺はせずに、ひたすら戦闘態勢で向かい合っていたのです。判断に困る事柄(ことがら)の分析は後回しにして、目の前の危機にのみ集中する――――冒険を生業(なりわい)としている人間だったら、ごく普通の反応ですよ」

「それは……」

「加えて、もうひとつ。貴方が今、喋っているのも魔族語です」


(――な!?)


「くっくっく。人間語を話しているつもりだったのですか? 頭の働きが(にぶ)っているせいで、メッキが剥がれて地金(じがね)が出ていることに気付いていなかったようですね」


(あたしは――魔族語を知っている? 無自覚に話している? そんな――それじゃ、まるで)


「あたしは――」

「そう。貴方は違う。人間では(・・・・)無い(・・)


『人間では無い』――その一言を受けて、ドリスの心と身体は凍りついた。

 衝撃のあまり言葉を失っている少女の全身を、魔族の男はジロジロと()めるように見回す。悪意に満ちた、歪んだ笑みを浮かべながら。


「おや? まさか、自分のことを〝人間である〟と思っていたのですか?」

「あ、あたしは、人間よ。決まりきっていることでしょう? あたしは、れっきとした公爵家の娘なんだから――」

「公爵家…………ぷ! アハハハハハ!」


 (こら)えきれず、男は哄笑する。


「ハハハハ! こ、こ、公爵家! そんな戯言(たわごと)を、まだ信じ込んでいるのですか! やれやれ。まったくもって、あの女――ギッシュビーネの製造技術は凄いですね。それとも、おざなりに作られた記憶に、未だにしがみついている貴方が愚かなだけなのか……」

「製造……作られた記憶?」


 ドリスは、()きかえす。〝これ以上、聞いてしまえば、知ってしまえば、自分はもう、戻れなくなる。いや、壊れてしまう〟――そんな、胸の奥から突き上げてくる、とてつもない恐怖感を無理矢理に抑え込んで。

 自分の声は、みっともなく震えてはいないだろうか?


「ええ。ギッシュビーネは魔力物質や魔法素材活用に関する、魔族随一の研究者なんですよ。だが他方では、冗談好きな性格でもありましてね。たまたま入手した人間世界の娯楽本を参考にして、貴方の記憶を作成したのです」


 冗談?

 娯楽本? 

 記憶の作成?


 ――なんだ、それは。


「ふ、ふざけないで!」 


 ドリスが怒鳴る。けれど喉は枯れ果てているため、爆発する多大な感情に反して、叫びの音量は小さかった。

 悲鳴のような少女の声を聞いても、男の表情は変わらなかった。その嗜虐(しぎゃく)的な笑顔を目にして、昆虫の足を遊びで引きちぎる子供の残酷さをドリスは連想した。


 魔族の男にとって、ドリスは取るに足りない、それこそ昆虫のごとき矮小(わいしょう)な個体なのだろうか?


 男が楽しそうに話を続ける。


「ふざけていたのは、その本の内容で…………ええと、確か『王子に婚約破棄された公爵家の令嬢が、故国を追放されて苦難に遭うが、いろいろあった末に名誉を取り戻し、王子へもキッチリ仕返しをする』といった(すじ)の物語だったはず。ジャンルは〝悪役令嬢モノ〟だとかなんとか……まぁ、よく覚えてはいませんがね」

「何を言って――」

「気に入りませんか? 貴方の人格は、物語の半ば――〝追放直後の公爵令嬢〟ということで、設定されましたからね。しかしながら、そちらの方が『【聖女を見つけるための探索器(たんさくき)】としては相応しい』とギッシュビーネは結論づけたのですよ。冗談半分の悪ノリで、面白がっていたのも間違いないですが」

「…………」 


 男のあまりの言いように、ドリスは反論の言葉が咄嗟に出てこない。

 メチャクチャで、おぞましくて、酷すぎて、思わず耳を塞ぎたくなる。


(コイツが語っているのは、本当にあたしのことなの? だったら――)


「おやおや? 黙り込んでしまわれましたね。良く思いだしてご覧なさい。貴方は自分が〝公爵家の娘である〟と信じているようですが、それでは、その家名は? 父親の名は? 母親の名は? そもそも、家族の顔を覚えているのですか? 幼少期の記憶は? その歳になるまでの、知り合いは居るのですか? 気が付いたら、ある日、突然にタンジェロの荒野を彷徨(さまよ)っていたのではないのですか?」

「…………あ」


 ドリスは愕然(がくぜん)とする。


 訊かれたくなかった。

 過去を振り返りたくはなかった。

 振り返れば、答えを探さなくてはならなくなる。


 だから、目を(そむ)け続けて――


「自身が置かれている不自然な状況について、貴方が疑わなかったのも無理はありません。そうであるように貴方の脳は設計され、真っ白な状態であるところに、ギッシュビーネが、手作りした《公爵令嬢の記憶》を〝複写と保存(ダウンロード)〟したのですからね」


 もう、いやだ。

 聞きたくない。


「貴方が後生大事に抱え込んでいる記憶は、ギッシュビーネが鼻歌交じりに(でっ)ち上げた代物(しろもの)ですよ。参考のための三流本を読みながら、片手間作業でね」

「……違う」

「違いません。面倒だからと、国名・家名・人名といった固有名詞に関しては、ギッシュビーネは考えなかった。さすがに主人公の――貴方の名前だけは、別でしたがね。したがって、貴方の頭の中にある〝自己の記憶〟は、枝葉が無い(みき)のみの、抽象的なストーリーとなっている」

「…………違う」

「ところが貴方は何故か、その説得力皆無(かいむ)な過去を素直に受け入れていた。物語の中の登場人物たちは、自らの来歴が穴だらけであったり、異常なまでに単純であったり、出来あがりが適当で粗略(そりゃく)であったとしても、内容に文句を言うことはありません。〝不満や疑問を抱く〟という発想そのものが無い。それと同じですよ」

「違う。違う、違う、違う! あたしは人間よ! お前たち、魔族とは違う! 一緒にしないで!」


 ドリスは叫ぶ。喉が破れようが、肺が潰れようが、そんなの関係ない。

 血を吐くように……いや、実際にドリスが声を発するたびに、口内から落ちる鮮血は大地を赤く染めていく。


「は? 一緒? 貴方が、私たちと? ふ……ふ……ふははははは!」

「笑うな!」

「いや。これは、笑わずにはいられませんよ。こんな愉快な話を聞けるとは……今日はもう、一生分は笑わせてもらった気分です。貴方が――貴方ごときが、私たちと同族だと? 思い上がりも、はなはだしい。そんなわけ、あるはずも無いじゃありませんか。貴方はもちろん、魔族では無い」

「え――?」


 魔族じゃ無い?

 だったら、さきほど男が口にした『貴方だって、私たちの(がわ)でしょう?』とのセリフには、どのような意味があったのだろうか?


(それなら、やっぱりあたしは人間で――)


「貴方は魔族では無い。人間でも無い。もっとつまらない生き物……いえ、〝生き物〟であるかどうかも疑わしい存在です」


(魔族でも……人間でも……生き物でも……無い?)


 ダメだ。

 聞いては、ダメだ。


「貴方はギッシュビーネが(つく)った、ただの〝人型製造生物(ホムンクルス)〟ですよ」

「――っ!」


《ホムンクルス》――その言葉を聞いて

 ドリスは。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 衝撃的な展開で、とても読み応えがありました。なんか違和感はあったのですが、いや、まさかでした。なかなかヘヴィでしたね。人間の意識というものについて、考えさせられる場面でした。この魔族の言っ…
[一言] >ただの〝ホムンクルス〟ですよ ふむ。 これはアレですね 真美探知眼の修行不足・精度不足が問われる事態ですね 駄目じゃないですか、ホムンクルスに美を見出せないのは
[良い点] 話が大きく動いてついにドリスの秘密が明らかにされたこと。 [気になる点] ドリスのアイデンティティが崩壊しそうで心配です。 《ホムンクルス》――その言葉を聞いてドリスはどうなるのかハラハラ…
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