ハッスルのち発熱
「あたし、本当に20歳になれるのかな……」
ドリスの呟き。その言葉の意味は――
尋ねようとしかけ、しかし僕は躊躇する。
何だろう? 『20歳まで生きられるのか?』というよりも『20歳の自分をイメージすることが出来ない』とドリスは言っているような……そんな風に感じられる。彼女の尊厳に関わる……僕が無遠慮に踏み込んでも許される領域の話なのか?
僕が迷っているうちに、ドリスは物憂げな雰囲気を消し去り、いつもの活発な調子に戻ってしまった。
片やソフィーさんは未だに年齢の問題に、こだわっている。ドリスの『32歳』発言は、それだけ彼女の心を傷つけたらしい。
「サブローくん……いえ、サブロー。本当に、本当に誤解してないわよね? 私は確実に、疑う余地も無く、キッチリ正しく、ありのままの22歳よ」
「ええ、ご心配には及びません。ソフィーさん……ソフィーが歳のことで秘密を持っているなんて愚かな勘違い、僕は絶対にしませんから」
そうなのだ。
ソフィーさんの秘密は年齢では無く、別のところにある。
僕は知っている。
ソフィーさんはチョットばかりエッチな――《貴婦人にムチで、ぶたれ隊》や《キミはボクの女王様》や《お姉さんの個人授業「わたしの教える科目の数は48よ!」~セクシー・レッスンは手取り足取り腰を取り~》といったタイトルの本を集めて、夜中に1人でニマニマしながらコッソリ読みふけったりしているのだ。
それこそが、ソフィーさんが皆に隠している個人的な趣味!
数日前に偶然、ソフィーさんが同好の士(ソフィーさんと同じくらいの年齢のお姉さん)と愛読本の桃色談議に興じていた現場を、僕は目撃した。
でも賢い僕は、見なかった振りを今も徹底している。
「ソフィーさんの性癖に関する秘密を僕は一切、知りません。見ていません。聞いていません。だから、安心してください」
「え? 性癖? あの……サブロー。貴方、やっぱり何か変な考え違いをしていない?」
〝全然、安心できない!〟という表情になる、ソフィーさん。
そんな彼女を、キアラが慰める。
「ソフィーは、もっと肩の力を抜くべき。大人の女は隠し事を持っているのが、当たり前。母も常々、語っていた。『女は、秘密を持つほどに美しくなる』――と」
「へぇ。キアラのお母様は、賢明な方なんだね」
僕の発言を耳にして、キアラはギュッと拳を握りしめ、力強く肯定の意思を示した。
「そう。母は、こうも口にしていた。『秘密を抱えれば、それだけ体重も増える。体格は丸くなり、性格も丸くなる。全ては、丸くおさまる。家庭は円満、生活は飽満、未来は充満』って。皆そろって〝まるまる満足〟になる」
「…………」
思い出した。キアラのお母様はドワーフの女性で『愛は体重とともに増える』とも仰っていたはず…………ドワーフの価値観って〝丸いことは良いことだ!〟みたいなのがあるような気がする。
「まぁ、俺にだって秘密はあるからなぁ」
なんかレトキンまで、打ち明けだしたぞ!
筋肉漢の秘密なんて、これっぽっちも興味は無いんだが。
「俺は毎朝、1人になるチャンスがあったら、すかさず短パン一丁になってポーズを決め、太陽の光を浴びつつ大胸筋をピクピク動かしているんだ。マッスル・コントロールの快感は、何ごとにも代えがたい」
マッスル・コントロール……。
知りたくなかった。レトキンのそんな秘密行為。
「レトキン。なんで、そんな余計な話をするのよ!」とドリス。
「想像を、脳が拒否するな」とアレク。
「私も、さすがに……」とソフィー。
「聞こえるはずも無い」とキアラ。
レトキン以外の《暁の一天》のメンバーの心が、見事に一致した。
他者の秘密を探るのは、可能な限り、やめたほうが良いね。変に暴露されても、困るだけだ。
とは言っても、僕の能力に関しては、ある程度の説明はしておいたほうが良いだろう。
〝コイツ、なんで剣も魔法も使えるんだ? 怪しい薬の服用とか、やってないよな?〟とパーティーの皆が思っている可能性もあるし。
そして、そんな疑問に対する最適な言い訳を、僕は既に考え出している。ミーアやシエナさん、フィコマシー様へも述べた、あの内容だ。
すなわち――
「なるほど。つまりサブローは〝特殊な環境下で、複数の師匠から武術や魔法の特訓を受けて育った〟と、そういうわけなんだな」
僕の話を聞いて、アレクが頷く。納得してくれたらしい。
ドリスとキアラは、何やら感銘を受けた様子だ。
「だからサブローは剣の腕前も、魔法の技術も、あれほど優れていたのね。よほど、立派で優秀な先生方だったのね」
「サブローは師匠運が良い」
僕の武術の先生はブラックで、魔法の先生はイエロー様なんだが……。あの鬼たちが褒められると、微妙な気持ちになってしまう。節分の日に、豆をぶつけたくなる。
「それでサブローが修行した場所は、どこなんだ?」
「ごめん、アレク。訓練の詳細を話すことは、師匠たちから禁じられているんだ」
アレクが尋ねてきたため、あらかじめ用意しておいた言葉を返す。そんな僕を、ソフィーさんが思慮深げな眼差しで見つめていた。
…………。
僕はソフィーさんを信用しているが――けれどそれは、ミーアたちへ寄せているものとは違う。
《暁の一天》の皆へは、ビジネス的な信頼。
ミーア・シエナさん・フィコマシー様へは、プライベートな部分まで含めた全面的な信頼。
2つの信頼は、質において明確に異なっている。
ソフィーさんが僕の能力を知って、そこに何らかの利用価値を見いだしていたとしても、異議を唱えようとは仮初めにも思わない。
だって、その点では僕だって変わらない。《暁の一天》というパーティーを、冒険者として出世するための足がかりにする――僕は間違いなく、そんな考えのもとに行動しているのだから。
夜になった。
ボンザック村から借り受けている、この一軒家で皆とともに寝ることにする。昨晩も少し休んだが……キチンとした睡眠を取るために、僕らは3つの部屋へ分かれた。
アレクとソフィーは、同じ部屋。
2人は男女だけど〝恋人〟というよりも〝姉弟〟みたいなものだし、長い付き合いがあるので当たり前。
ドリスとキアラは、同じ部屋。
2人は女の子同士なので、当たり前。
僕とレトキンは、同じ部屋。
僕とレトキンは野郎同士なので、当たり前。当たり前なのだが……釈然としない心持ちになるのは、何故だろう?
「サブローとレトキンは同室ね。同室・同衾、いずれは同棲……ふふふふふ」とドリスが意味ありげな笑みを浮かべていたのも気になる。
まさか翌朝、起きてみたら、室内で窓から射してくる早朝の日光を受けとめながら、上半身が裸のレトキンが大胸筋をピクピクさせている……そんな衝撃シーンを目にする事態にはならないよね?
レトキン、僕は君を信じているよ!
おやすみなさい。
♢
朝……か?
目を覚ます。さっそく、起きなきゃ……と思うが、身体が異様に重い。全身に火照りを覚える。頭痛もする。
マズい。体調が悪化している。
「サブロー。どうした?」
既に起床していたらしいレトキンが、声を掛けてくる。そちらのほうへ目を遣ると、幸いなことにレトキンは服を普通に着ていた。上半身をさらけ出して、大胸筋をリズミカルに動かしていたりはしなかった。もしもそんなシーンを見せつけられたら、僕の具合は更に悪くなってしまったに違いない。
「うん。大丈夫だよ」
レトキンが、その分厚い掌を僕の額に当てる。
「いや、無理はするな。……サブロー! お前、凄い熱があるぞ」
やっぱり。
「取りあえず、横になっているんだ。良いな?」
レトキンは起きようとする僕を制して、部屋を出て行った。皆を呼びに行ったのかな?
――くそ!
こうなっちゃうとは……予感はあったんだけど、何とか上手いこと免れるとも思っていた。甘い見通しだった。
クラウディとの決闘で大ケガを負った僕は、以降、ズッと光の回復魔法を自分に、身体の内側から当て続けていた。微量ではあるが、それによって傷を少しずつ癒やすとともに、痛みを抑え、通常どおりに生活できる状態に心身を保っていたのだ。
しかしながら、昨日のトロールとの戦いにおいて、僕は火と風の魔法を使用した。加えて、武器を持って激しく身体を動かした。他系統の魔法を使うにしろ、神経を集中させて普段以上に機敏に動作するにしろ、その際、光魔法の自身への適用は邪魔になる。
したがって、モンスターの群れと遭遇した直後から、僕は光魔法の発動を取りやめていた。戦いが終わってからも、体内の魔力が極めて少なくなった影響により、治療のための光魔法の使用を再開することは出来なかった。
そして、今に至る。
これは好ましくない状況だな~と昨晩から懸念してはいたんだが……一晩眠ったら、身体を休めた分だけ、少しは調子が良くなると楽観的に考えていた。まさか、もっと状態が悪くなるとは。
着衣の下の、クラウディの長剣――《久遠の月光》によって刻まれた傷跡。そこに覚えるズキズキした痛みが、一日前より酷くなっている。
もしかして数日間、絶え間なく光魔法を使い続けた、その反動が来てしまったのか?
僕が苦痛に耐えていると、パーティーの皆がレトキンに先導される形で部屋へ入ってきた。
「サブロー、顔が赤いわ。かなりの熱があるみたいね」
心配顔の、ソフィーさん。気を遣わせてしまって、申し訳ない。
ドリスが寄ってきて、僕の症状を確かめる。
「昨日の戦闘で、サブローは随分と魔法を使っていたから。魔力の急激な消耗……きっと、そのせいね。ハッスルの後遺症が、こんな風に表れるなんて」
キアラは、持ってきたアイテム袋の中身をゴソゴソと探っている。すぐに液体が入った小瓶を取り出した。
「回復薬。サブロー、飲む」
「あ、ありがとう」
小瓶を受け取る。上半身だけ起こして、薬液を喉に流し込んだ。すると、少しだが身体が楽になったような気がする。
アレクが僕へ告げる。
「今日の予定は……午前中に昨日の戦いの現場をもう一度確認してから、午後には村を発ってナルドットへ向かうつもりなんだ」
戦いの現場――あの強毛ネズミの大群を閉じ込めた洞穴がある、崖のところだよね?
「僕も行くよ、アレク」
「何を言ってるんだ、サブロー。そんな身体で」
「平気さ。ポーションのおかげで、良くなった」
「そんなに早く治るわけが無いだろ。サブローは村に残って、身体の回復に専念してくれ。午後には、イヤでも村を離れるんだから」
「でも……」
「僕・ソフィー・ドリス・レトキンの4人で、昨日の結果を確かめてくる。キアラは村に居て、サブローの看病をしてくれ」
アレクの指示を聞いて、キアラは「分かった」とコックリと頷いた。
僕を除くメンバー全員が、アレクの計画を素直に受け入れている。
むむ。ここは、反論させてもらおう。
「ドリスだって、昨日は魔法を使って倒れたじゃないか。なのに、ドリスは連れて行くの?」
「あたしはサブローと違って、やわな鍛え方はしてないの。もう回復して、充分に働けるわ」
「本当に?」
「…………まぁ、体力はともかく、魔力はイマイチ戻ってないけど」
だったら、村に残るのは、キアラじゃ無くてドリスのほうが良いと思うんだが。
アレクとしては確実に戦えるメンバーの1人を、ボンザック村に置いておきたいのかもしれない。僕は寝込んでいるわけだし。
「でも魔力がゼロな状態でも無いから、いざとなったら戦えるわよ」
自信ありげに述べるドリスを見ながら、僕はちょっとだけ不安になった。
「サブロー。僕は、パーティーのリーダーだ。僕の指図に従ってくれ」
「……了解、アレク」
結局、アレクの提案に押し切られてしまった。実際、ポーションを服用しても僕の熱は下がっておらず、同行を強く主張するのは難しかった。
出発前の準備をアレクたちが別の部屋でしているとき、ベッドで寝ている僕のもとへドリスが1人でやってきた。
「どうしたの? ドリス」とキアラ。
キアラはあれから、そのまま僕に付き添ってくれている。
「サブロー。これ」
『ピギー!』
ドリスがゴーちゃんを差し出す。
「え? ゴーちゃん? ドリス、どうして僕にゴーちゃんを預けるの?」
「気にする必要は無いわ。あたしのところにも、ゴーちゃんは居るから」
ドリスが腰につけている小物入れの開け口から、ゴーちゃんが『ピギ!』と顔を出した。
あ、ゴーちゃんが2体になっているぞ。
《二体分身》の魔法を、ドリスは使ったのか。
けれど、そのうちの1体を僕のもとに残していくのは――
「ドリス、何故?」
僕の問いかけに、ドリスは慎重な口ぶりで答えた。
「2体になったゴーちゃんは、どれほど離れていようと意思疎通が出来る――そのことを、サブローは知っているわよね?」
「うん。ゴーちゃんは分身しても、心はひとつなんだよね」
「そうよ。だから、昨日トロールやオークと戦った場所にあたし達が行って、そこで何かがあって、ゴーちゃんが危機感を覚えたら、それは直ちに、こちらのゴーちゃんにも伝わるわ」
「え! ドリス。君は……」
「早合点しないで。これは、あくまで〝念のため〟の備えよ」
『ピギピギ』
僕の手元で、ゴーちゃんがコクコクと首を上下に動かしている。
キアラがドリスに言う。
「ドリスは、すごいサブローを信用している」
「な! 違うわよ!」
「評価している」
「違うわよ!」
「頼っている」
「違う! 万一の場合には、面倒ごとを押し付けようと思っているだけよ」
「照れてる?」
「照れてない!」
あの~、ドリスとキアラ。僕は一応病人なので、枕元で騒ぐのは止めていただけませんか?
『ピギ』
♢
朝日が、未だに高くは昇っていない時刻。
アレク・ソフィー・ドリス・レトキンが出発したあと、家の中に居るのは、僕とキアラの2人のみになった。
『ピギ!』
ゴーちゃんも居た。
ベッドの上で、仰向けに寝ている僕。
キアラは僕に付きっきりで、僕が額に掛けている布を、何度も水で冷やしてくれる。一生懸命に看護してくれるのは有り難いんだけど……。
「あの、キアラ?」
「なに?」
「ずっと僕に付いてくれなくても良いんだよ? キアラも、隣の部屋で少し休んできたら?」
「大丈夫。問題ない」
「でも」
「問題ない」
問題は、僕のほうにある。
椅子に座っているキアラは特に喋ることも無く、ジ~とベッドで横になっている僕を見続けている。あと、ゴーちゃんも僕の頭が載っている枕にボディを寄っかからせながらジ~と見つめてくる。
〝ドワーフ少女〟と〝ミニゴーレム〟の視線を浴びて、正直、落ち着かない。
…………。
不意に、キアラが立ち上がった。
「キ、キアラ?」
「サブロー、服を脱ぐ」
「なんで!?」
「上半身の汗を拭く」
「遠慮します~!」
「心配ない。たとえサブローが誇らしげに大胸筋をピクピク動かしても、私は気にしない」
「気にしてくれ! いや、そもそも、僕は胸の筋肉をピクピクさせる趣味なんて持ってない!」
〝汗は、そんなにかいてないから!〟と強く主張したら、キアラは諦めてくれた。助かった。
しばらく経って。
キアラに訊いてみる。
「アレクたち、そろそろ目的地に到着したかな?」
「うん。あそこには、ゴブリンやオークの死体がいっぱいある。それと、洞穴の中に投げ込んだ毒玉の効果はもう切れている。ドリスが土壁の魔法を解いて、強毛ネズミの巣穴の内部がどうなっているのかを確認したら、仕事は終わり」
巣穴の中には、強毛ネズミが数百匹ほど集まっていたはず……その群れが全滅しているとなると……ううう、すごい惨状になっているのは間違いない。しかし冒険者にとっては、そんな光景は見慣れているものなのかもしれない。
キアラは口を閉じたまま、何ごとかを考えている。どうやら、昨日の戦闘を思い返しているらしい。
と。
『ピギ~!!!』
突如、ゴーちゃんが大声を出した。いや、その響きは〝絶叫〟に近い。
僕は慌てて身体を起こした。
「どうしたんだい? ゴーちゃん」
『ピギ~! ピギ~! ピギ~!』
騒ぎ続ける、ゴーちゃん。
弱ったな。ゴーちゃんが何を伝えようとしているのか、分からないぞ。
けれど、僕よりゴーちゃんとの付き合いが長いキアラなら、言葉の正確な意味の把握は無理でも、そのニュアンスは理解できるはず。
キアラのほうを見ると、彼女は真っ青になっていた。
あまり感情を表に出さないドワーフの少女が、これほど顔色を変えるなんて――非常事態か!?
一瞬で、緊張感が高まる。
恐怖を覚える。
「キアラ! ドリスの側に居るゴーちゃんの身に、何かあった? もしかして、ピンチに陥っているんじゃ!?」
「違う」
「え?」
「ピンチじゃ無い。ピンチどころじゃ無い。これは、あっちのゴーちゃんが消滅した反応――」
「な!」
消滅!?
次回は、ドリス視点で〝サブロー不在の状況で、何が起こったのか?〟という話になります。