寛ぎタイムで、くつろげない
今回は、文章中に出てくるキャラの名が多いため、ちょっと整理を……。
◯ボンザック村の休息所で会話している、冒険者パーティー《暁の一天》のメンバー
アレク(リーダーの少年)・ソフィー(サブリーダーの女性)・ドリス(魔法使いの少女)・レトキン(筋トレが趣味の男性)・キアラ(ドワーフの少女)・サブロー(本作の主人公)の6人。
◯彼らの会話の中で名前が出てくる人たち
ミーア(猫族の少女)・フィコマシー(侯爵家の長女)・オリネロッテ(侯爵家の次女)・シエナ(フィコマシーづきのメイド)・スケネービット(冒険者ギルドの職員でエルフの女性)など。
ボンザック村に到着した。太陽が沈む東の方角の空の色は、既に赤く……夕暮れ模様になっている。
さすがに、疲れたよ。
今日一日は、戦闘の連続だったからね。おまけに帰り道では、ずっとドリスをおんぶしていたし…………あ、いえ! 決して、彼女が『重かった』と言いたいわけでは無いですよ! ドリスは、扇風機の羽根のように軽かったです。同じクルクル部品であっても、掘削機のドリルのように重くは無かったです。ドリルの具体的な重さなんて、地球時代であっても知ることはありませんでしたが。
村内に入るとアレクは、すぐにソフィーさんと会い、彼女を連れて村長のもとへ行った。モンスター討伐の結果を報告するためだ。
強毛ネズミの巣穴の退治のみならず、ゴブリンやオーク、トロールといった人型モンスターの大挙出現の件など、予想外の事態が頻発したからなぁ……。これから先どうするのか、冒険者パーティーと村のトップ同士の間で、つっこんだ話し合いをするに違いない。
残った僕たちは、休息所として村から借り受けている空き家で一息つくことにした。眠ったままのドリスを備え付けの寝台の上で横にならせたあと、レトキンに出向いた先で何があったかを説明する。
僕が述べる内容について、キアラは幾度も頷くことによって『サブローが言っていることは本当だよ! 大げさに、話を盛っているわけじゃ無いよ!』と肯定の意思を示してくれた。レトキンが疑うとも思えないけど……まぁ、いざとなれば、キアラのアイテム袋の中に、大量のモンスターの耳が入っている討伐証明ボックスもあるしね。戦いの成績を裏づける、物的証拠は充分だ。
レトキンは驚き、僕とキアラの顔を交互に見る。
「そうか。そんな大変なことがあったのか。4人とも、無事に帰ってきてくれて良かった」
「うん。レトキンやソフィーが一緒に来てくれていたら……と何回も思っちゃったよ」
「いや。仮に俺やソフィーがその場に居たとしても、それほどのモンスターの大群が相手では…………トロールとの筋肉勝負は、是非してみたかったが」
残念そうな表情になるレトキンへ、キアラがツッコむ。
「トロールは5匹とも、あっという間にサブローがやっつけた。レトキンが、トロールの相手をするチャンスは無い。筋肉比べは、オークとするべき」
「しかしオークは、俺の敵としては筋肉不足だ」
「そんなこと無い。レトキンとオークなら、脳内筋肉は互角の勝負になるはず」
「ハッハッハ。キアラは、俺の智力を過剰に褒めすぎだ」
「褒めて無い」
…………。
レトキンは、必ずしも体力一辺倒では無く――でも、賢いのか賢くないのか、イマイチ不明なタイプだな。取りあえず、レトキンは自分のことを『筋肉はオーク以上、頭の中身はオーク未満』と評しているのは分かった。
あと、キアラ。昼間のモンスターとの戦闘など、過去の状況解説について手伝って欲しい場面では黙ったままなのに、ツッコミの機会あると簡単に口を開くんだ。このドワーフの少女、意外にちゃっかりしてない? 〝寡黙キャラ〟である事実を、己にとって都合が良いように上手く使い分けている気がする……。
僕・レトキン・キアラが愉快な(?)談話を続けていると、ゴソゴソと音がした。ドリスが目を覚ましたらしい。彼女は身体を起こして、僕らのほうへやって来た。
起き抜けでボンヤリした目つきをしているドリスへ、声を掛ける。
「あ、ドリス。起きたんだね。身体の調子は、どう?」
「……う~ん。まだ、頭は少し重たい感じ。でも、ひと眠りしたせいか、だいぶ楽になったわ。それより、あたしはあの場で眠って、それからどうなったの? いつの間にか、ボンザック村に戻ってきているけど」
ドリスの疑問に、キアラが答える。
「サブローが背負ってきた。ドリスは、サブローの背の上でグ~スカ寝てた」
「それは…………ありがとう、サブロー」
素直に礼を述べてくる、ドリス。しおらしい彼女の態度に、ちょっと戸惑ってしまう。
「ど、どういたしまして、ドリス」
「サブローは、ドリスを軽々と運んでいた。サブローは力持ち」
キアラが僕を褒めてくれた。
僕としては『あたしは公爵家の令嬢なのよ』――という、倒れそうになった直後のドリスの呟きの意味が未だにとても気に掛かっているんだけど、今さら尋ねるのも……。
キアラに続いて、レトキンやドリスも僕への称賛の言葉を口にする。
「ふむ。本日、早朝から先程まで働きづめだったサブローの筋肉に、俺は心からの敬意を表そう」
「本当にありがとう……サブローの筋肉」
「サブローの筋肉、偉い」
「レトキン、ドリス、キアラ。僕の身体は、筋肉だけで出来ているわけじゃ無いんだよ。そこは普通に、筋肉以外の箇所も気遣ってくれ」
僕らがワイワイ騒いでいると、家の中へアレクとソフィーが入ってきた。村長たちとの相談は終わったみたいだ。
休息所で待っていた僕らへ、アレクが何を話してきたのか、その内容や結論を教えてくれる。
「オークやトロールが村の周辺に出てきたなんて、とんでもない大事件が起こったことに、村長の顔色は真っ青になっていたよ。無理もないね。ひとまずナルドットへは、明日帰還する僕らが事実の報告を行うことにした。そして冒険者ギルドから、領主の侯爵様へ連絡を入れてもらう。王都へは、村のほうが急ぎの使いを立てるそうだ」
なるほど。ボンザック村は王家の直轄地で、でも最も近くにある街はナルドットだから、王都ケムラスと辺境の街ナルドット、その両方へ情報を伝えるのか。やっぱり、あのモンスターの大群が現れた一件は、国が対処しなくてはならない、村レベルで片づけてもいい問題じゃないんだな。
パーティーの皆で仲良く、夕飯をいただく。
今日は、いっぱい働いたぞ。ディナーのあとは、この休息所の家でノンビリしよう。寛ぎタイムだ。
「全員が揃ったところで、大事な話し合いだ。テーマは――」
アレクが、良い笑顔を僕へ向けてくる。
「サブローが実は魔法も使える、凄腕の冒険者だった件について」
くつろげない~!!!
「話は、アレクから聞いたわ。驚いたわ」とソフィーさん。
「あたしは直に、自分の眼で見たのよ。サブローがハッスルする瞬間を」とドリス。
「サブロー。すごいハッスルしてた」とキアラ。
「そんなにサブローの筋肉はハッスルしていたのか。今度、俺にもハッスルな全身筋肉を見せてくれ。サブロー」とレトキン。
え~と……。
「筋肉だけじゃ無いわ、レトキン。サブローは、魔法でもハッスルしていたのよ」と、またドリス。
「サブローは炎でハッスル。風でもハッスル」と、またキアラ。
「〝火と風〟……いや、〝火風筋肉〟・ハッスルか」と、またレトキン。
「2つの系統の魔法が、使えるのね。サブローがハッスルであることは、薄々察していたんだけど、まさか、それほどまでにハッスルであったなんて……想像以上にハッスルすぎるわ。サブローは、ハッスルに頑張れる年頃……若いのね」と、またソフィーさん――って、ソフィーさんまで何を言っているんですか!?
《暁の一天》の皆さん~! そんなに『ハッスル、ハッスル』って言葉を〝発する〟のは、やめてくれませんか? なんだか、僕がハッスル馬鹿になったみたいだから。
なにより――
「あの……アレク。僕は〝凄腕の冒険者〟じゃ無いよ。冒険者としては、僕はまだまだ未熟だ」
ベテランの冒険者と比較して、経験値・知識量・人脈など、僕には足りないところが多い。
「ふ~ん。『冒険者としては』……ね。つまりサブローは、シンプルな意味での〝戦う者〟としては『自分は強い』と認めるんだ。当然か。サブローは、剣も魔法も使えるわけだしね」
「…………」
アレク、意地が悪い言い方をしてくるな。やっぱり、能力を隠していたことを怒っているのかな?
僕がヘコみ加減になっていると、ソフィーさんがフォローしてくれた。
「アレク。あんまり、サブローを責めないで。魔法はともかく、サブローが剣技に優れていることは、最初に手合わせした時から、私には分かっていたわ」
「え! そうなんですか? ソフィー」
〝手合わせ〟――冒険者ギルドで皆と初めて会った、その日にソフィーさんとした模擬戦のことだよね? あの木刀を使用した立ち合いでは、僕が負けたはずだけど……。
「どういう事情なのかは知らないけれど、あの時、サブローは本調子じゃ無かったわよね?」
ソフィーさんが、真剣な眼差しで僕を見つめてくる。
う! 勘が鋭いな……それとも、尋常では無い洞察力があるのか? さすが、ソフィーさんだ。
一方アレクは僕に対してだけで無く、ソフィーさんへも不満の視線を向ける。
「ソフィー。サブローの実力を承知していたのなら、僕に教えてくれても良かったのに」
「ごめんなさい、アレク。確証が無かったものだから。それにサブローも秘密にしていたかったみたいだし」
〝そうよね?〟とソフィーさんが、僕へ無言で語りかけてくる。うう……返答しづらいな。
僕が対応に迷っていると、何故かドリスが納得した風に話に加わってきた。
「ソフィーとの模擬戦では、サブローは調子が悪かった…………自分の状態が良くない事実を隠したがる気持ちは、あたしにも分かるわ。冒険者は自身の弱みを、他人にはなるだけ見せたくはない――」
そこでドリスが小首を傾げ、言葉を続けた。
「――つまり、今日のトロールとの戦闘で、ようやくサブローは本来の能力を発揮したの? でも、ソフィーとサブローが冒険者ギルドで手合わせしたのは、ほんの3日前よ。あの際はサブローの体調が悪かったとして、そんなに早く治るものなのかな?」
うっ! 光系統の回復魔法について、どう説明すれば――
「そうね」
ドリスの疑問を耳にして、ソフィーさんが微笑む。彼女の雰囲気が少し妖艶になり、いろいろな意味でドキッとする。
「不思議ね。加えて、より深く考えるなら……もしかしたら、サブローは今もって完全な状態には戻っていない、回復の途中――そんな可能性も、あるかもしれないわね」
ジワジワと追い詰めてくるな、ソフィーさん。いったい、どこまで見通しているんだろう?
しかし、僕は何も喋りませんよ! 黙秘権を行使します。
固く口を閉じたままの僕へ、アレクが文句を言ってくる。
「サブロー。僕らは同じ《暁の一天》のメンバーなんだ。秘密主義は、やめて欲しい」
アレク――
だが、彼の主張に反論したのは、意外にも僕では無かった。
「それは心得違いよ、アレク」
「え? ソフィー、何を言ってるんだ?」
「この場合に問題にするべきなのは、必要事項では無い事柄について敢えて報告しなかったサブローでは無くて、彼の信頼を得ることが出来ていなかった私たちのほうなのよ」
「――ソフィー」
アレクがショックを受けた顔になる。
「そうなのか? サブロー。君は、僕を――僕らを信じていないのか?」
「ダメよ、アレク。サブローに、そんな質問をしては」
ソフィーさんが再び、アレクを窘める。
「〝信頼〟とは自然と積み上がっていくものであり……確認を口にしている時点で、それはもう『信頼関係が出来上がっていない』と白状しているのと同じ意味になるわ。アレク、その点を理解して」
厳しいな、ソフィーさん。アレクに対しても、僕に対しても。
でもアレクやソフィーさん、それに皆との仲が気まずくなるのは、僕の本意では無い。ちょっと弁明をしておくか。
「スミマセン。実際、僕は魔法を使えることなど……自分の能力に関して、皆に打ち明けていませんでした。けれど、それは《暁の一天》の皆への信用の問題では無く、むしろナルドットの侯爵様やベスナーク王国への対策としての側面のほうが大きいんです」
「ああ。なるほど」
畏まった僕の言葉に、レトキンが何かを悟ったらしい。
「俺は魔法については詳しくは無いんだが、魔法使いは、その存在自体が貴重で、しかも普通はドリスのように、単独の系統の魔法しか扱えないはずだよな。〝火〟と〝風〟だったか……サブローが複数系統の魔法の使い手だと世間に知れ渡ってしまったら、ベスナーク王国の王家や貴族から『配下になれ』と執拗に勧誘されるのは間違いない。それは、困るというわけだ」
良いことを言ってくれた!
僕の中でのレトキンへの好感度が、急激にアップする。
「そうなんだよ、レトキン。僕は冒険者でいたい。それに、側で守りたい人たちも居る。仕える相手がどれほど身分の高い人であったとしても、誰かの紐付き状態になるわけにはいかないんだ」
僕の発言を受けて、考え深げな眼差しになりつつドリスが述べる。
「でも今のサブローは、まだ見習いの冒険者。王族や貴族から強引に誘われたら、断りにくい。堂々と彼らと渡り合える高ランク冒険者になれるまでは、自分の力はなるだけ隠しておきたい…………そうなのね?」
「うん」
僕は、深く頷く。
凄いな、レトキンもドリスも。ほぼ、僕の思惑を言い当ててしまったぞ。
「サブローが守りたい人……ミーアだ!」
不意に、キアラが嬉しそうに言う。
「ま、まぁ、そうだね」
「あと、2号さんも?」
「え? 2号さん?」
「メイドの2号さん」
「キアラ。シエナさんを〝2号さん〟呼びするのは、やめて」
シエナさんが怒って、レイピアを振るってくる怖れがある。対象は、おそらく僕。
激おこシエナさんの姿を僕が脳内に描いて震え上がっていると、アレクが尋ねてきた。
「そう言えば、サブローが冒険者ギルドへ登録する際の推薦人は、ナルドット侯爵家のフィコマシー様だったよな?」
「え! どうして、その事を知っているの?」
「スケネービットさんから、聞いた」
あの、お色気エロフ! 口が軽すぎるぞ! それとも、わざとアレクへ情報を漏らしたのか?
「……そうだよ、アレク」
「それなら、〝サブローが守りたい人たち〟の中にはフィコマシー様も入っているわけだ」
「うん」
ここは迷わず、肯定する。フィコマシー様は侯爵家において、なかなかに難しい状況に置かれている。少しでも良いから、彼女の力になりたいのだ。
そんな決意を示す僕へ、アレクに続いてソフィーさんも質問してきた。
「ねぇ、サブロー?」
「なんですか? ソフィー」
「貴方は、御領主様の次女――オリネロッテ様も、守ろうとしているの?」
「ええ!? 違いますよ!」
僕は慌てて否定した。
オリネロッテ様は、僕にとっては〝向こう側の人物〟だ。なによりオリネロッテ様の側には、騎士のクラウディや魔法使いのアズキが居る。僕の助けなんか、彼女は必要としていない。
……それにしても、随分と意味深な問いかけだな。アレクがフィコマシー様の名を挙げたのは、分かる。けれど、ソフィーさんはどうしてオリネロッテ様について言及したんだ?
僕とオリネロッテ様の間に何らかの繋がりがあるなんて、そんな考えがソフィーさんの頭の中に浮かぶこと自体が不可解だ。
「本当に?」とソフィーさん。
「はい。そもそも、僕はオリネロッテ様とは、それほど親しくはありませんから」
そう強く否定したにもかかわらず、ドリスまで僕に訊いてくる。
「でもサブローは、オリネロッテ様と面識はあるんだ」
「それは、まぁ……」
「《奇跡の美少女》《バイドグルド家の白鳥》として名高いオリネロッテ様に会ったのに、サブローはナルドット侯爵家に仕官しようとは考えなかったのね。魔法使いであることを明かせば、可能だったでしょうに」
そんなことを言うドリスに、キアラが意見する。
「違う、ドリス。サブローの正妻には、ミーアが居る。オリネロッテ様でも、サブローの中ではミーアに敵わない」
〝正妻〟発言は置いといて、その通りではあるんだけど、キアラの〝ミーア推し〟はどんな時でも揺るがないな。
「猫族のミーア、メイドのシエナ、ナルドット侯爵家のフィコマシー様とオリネロッテ様…………サブローは能力だけで無く、人間関係でも、あたし達に隠していることがいっぱいあるでしょ」
ドリスが決めつけてくる。
「それは――」
「でも良いのよ、サブロー。誰にだって、隠し事の一つや二つや三つ、あるものなんだから」
「ドリスにも?」
「……ええ。そうよ」
ドリスが目を伏せながら、答える。彼女の紫の瞳が、より灰色に近くなっているような……それだけ、心の内に何か深い葛藤があるのか?
僕の推測をよそに、ドリスが殊更に明るい口調で話し出す。
「サブロー、知ってる? たとえばソフィーにも、ものすごい秘密があるのよ」
「ソフィーに?」
「そう。ソフィーは自分のことを『22歳』と言っているけど、本当は32歳なのよ。年齢を10歳も誤魔化しているの。酷いでしょ」
「えええええええええええ!!!」
ビックリ仰天! それは、凄まじい秘密だ!
僕が最速でソフィーさんのほうへ振り向くと、彼女の顔は真っ赤になっていた。
「ドリス! めちゃくちゃな嘘をつかないで! サブローくん。信じちゃダメよ。私は正真正銘、22歳なんだからね。20歳だったのは、つい昨日のこと。30歳までの道のりは長く、到達地点はまだまだ遠いのよ」
ソフィーさん。ドリスのトンデモ告発にパニクってしまったのか、僕のことをいつもの『サブロー』では無くて、『サブローくん』と呼んでいる。
おそらく僕が内心では『ソフィーさん』と言っているのと同様に、彼女も心の中では『サブロー』と呼び捨てにしないで『サブローくん』と語りかけているのだろう。
うん。ソフィーさんは、素敵なお姉さんだ! 22歳のお姉さんだ! 32歳では、あり得ない!
僕は彼女へ、理解と思い遣りの笑みを投げかける。
「大丈夫ですよ、ソフィーさん」
「あ、ありがとう、サブローくん。分かってくれて嬉しいわ」
僕とソフィーさんの心が通じ合っている様子を見て、ドリスが面白くなさそうな顔をする。
「なんだ、ツマラナイ。そこは誤解しなくちゃ、話が始まらないでしょ、サブロー」
「こら、ドリス!」
「怒らないでよ、ソフィー。16歳のあたしからしたら、22歳も32歳も同じようなものなんだから」
「そんなことを言って……貴方も20歳の坂を越えるのは、もうすぐなのに。その時になって、今の自分の傲慢さを思い知るが良いわ。20代になったら、絶対に10代には戻れないのよ」
おおう。珍しく、ソフィーさんが荒ぶっているぞ。『20代になったら、絶対に10代には戻れない』――なんて、当たり前すぎるセリフなんだ。
年齢は女性にとって、間違いなくセンシティブなテーマなんだな。うかつに、話題にしないようにしよう……。
恋愛特訓でグリーンは「女性に対しては、見た目から推測できる年齢のマイナス10歳を想定して会話するのが《ラブ学事始》にも記されている〝ラブ学の勧め〟の基本中の基本です」と言っていたっけ。
あの教えは、男女間における危機回避・リスク軽減政策として極めて正しかったんだ。
※《ラブ学事始》……地獄において〝ラブ学〟を確立させた記念的書物。
ソフィーさんは、本当に22歳だった。外見そのままだった。けれども、もしも見た目が32歳であったとしても、僕は『貴方は22歳』と答えたはずで、どっちにしろ身の安全は保障されていたわけだ(22歳の女性の年齢を32歳と間違えた場合、僕の人生の旅は終わる)。
ウェステニラへの転移前に地獄の特訓を受けてきたことを、僕は改めて天に感謝した。
ただ少し気になるのは、ソフィーさんの言葉を受けて、ドリスの表情に微かに翳が射したこと。
「20歳……あたし、本当に20歳になれるのかな……」
悲痛な響きを持った独白が、ドリスの口からこぼれた。
小声すぎて、彼女の隣に居た僕にしか聞こえなかったみたいだが。
ドリス。君は――
思ったより、話が進みませんでした……(汗)。
次回は、大きく物語が動きます(と、予告してみます)!
※『ラブ学事始』は地獄の古典で、サブローの恋愛の師匠・鬼族グリーンの愛読書です。ちなみに日本の江戸時代に書かれた『蘭学事始』とは一切関係ありません。
日本の江戸時代に「儒学者・国学者・蘭学者」が居たように、地獄には「呪学者・酷学者・ラブ学者」が存在していて、真理の探究・学問上の論争を活発に行っています。
案外、天国よりも地獄のほうが〝学問の自由〟がありそうですよね……(爆)。




