運河の街、ナルドット
翌日の早朝。〝夜明け前〟と言っても良い、時刻。
僕は《虎の穴亭》から冒険者ギルドへと、足を運んだ。ミーアはまだ、オネンネ中。
今日は、冒険者パーティー《暁の一天》メンバーの皆と、ナルドットの街を見て回ることになっている。出発地点は、冒険者ギルドの建物前だ。
予定の集合時刻より早く、冒険者ギルドに着く。
ふっふっふ。
こういう時には新入りは誰よりも早く、姿を現しておくのだ。そうやって、皆の中の〝サブロー・評価ポイント〟を上げていくのである。チマチマと小銭を稼ぐように。
評価ポイントを貯めて、『サブローって、出来る新人ね』とソフィーさんに思ってもらおう!
まぁ、でも、チョットばかり早く着きすぎちゃった。おかげで、2ヒモク(2時間)も待つハメに…………その間、回復魔法で身体の治療に専念できたから良いけどね。
で。
《暁の一天》全員が、集まった。
出会ってすぐ、レトキンが朗らかに語りかけてくる。
「ひょっとして、サブローを待たせてしまったか?」
「いえ。僕も今、来たところですから」
――――くそぅ! たった今、レトキンが僕に酷いマネをした。
『もしかして、待った?』
『ふっ。僕も今、来たところさ』
――という甘い会話は、生まれて初めて出来た彼女との、生まれて初めてのデートで、生まれて初めてする予定だったのに!
筋トレ男とのやり取りで、無駄に消費してしまった。全然、甘くなかった。苦いだけだった。もう取り戻せない、初体験……悔しい。全世界へ向けて、遺憾の意を表明したい。
そんな次第で、観光――街巡りに出発する。移動手段は、舟だ。
長大な川であるトレカピ河に面しているナルドットでは、そこから豊富な水を引くことにより、運河を縦横に街の中に巡らせているのである。水路上の舟は、荷物の運搬や人の移動にとても便利で、盛んに利用されている。
僕らは冒険者ギルドの近くにある運河の船着き場まで歩き、予約しておいた舟に乗り込んだ。比較的小さな舟であり、専属の漕ぎ手の方1人と僕たち6人で、舟は満杯状態になる。
舟は水路を、緩慢な速度で北へ向かう。
街の北側にはトレカピ河が流れており、タンジェロ大地との境界になっている。トレカピ河はベスナーク王国内にとどまらず、国際的物流の大動脈としての役割も果たしていて……だからこそ、沿岸の広い部分が商業区域になっているに違いない。
水の上、舟の中より、ナルドットの街を眺める。新鮮な光景だ。
実のところ、舟で出発した直後は〝こんな事をやってて、良いのか? 早くクエストにチャレンジしなくちゃ――〟との焦燥感が僕の心底には未だ残っていた。しかし、舟の穏やかな揺れに身を任せているうちに、気持ちが落ち着いてくる。
天気は、快晴。水面はキラキラと光を反射し、頬を撫でる風は爽やかだ。
至近距離でパーティーの皆と顔を合わせていると、自然と親近感を覚えてしまう。会話も弾む。
「それじゃ、皆は同じ宿屋に泊まっているんですね?」
僕がそう尋ねると、ドリスが答えてくれた。
「そうよ。当然、部屋は別々だけど。あ、それとレトキンだけは、宿舎が違うわ」
「俺は、筋肉室がある旅館に滞在しているのさ」
「き、筋肉室ですか?」
なにソレ? 怖いんですが。その内容について……レトキンに直接、訊きたくは無い。
僕が探るような眼をドリスへ向けると、彼女はうんざりした表情で溜息をついた。
「〝筋肉室〟は……特別に整備されている、筋トレ専用ルームのことよ。レトキンが泊まっているところは、筋肉自慢の男たちばかりが集まっているの。下宿人どもの合い言葉は『筋肉室で、筋肉質へ!』――らしいわ」
「…………」
「サブローも一度、行ってみなさい。イロイロと驚くわよ。世界の広さ、人間の多様性、そして筋肉漢どもとの共存の難しさを実感できると、思うわ」
「…………はぁ」
唖然としている僕を、レトキンが熱心に招いてくる。
「そうだ。サブロー、ぜひ俺が居る宿舎を訪ねてきてくれ。筋肉で、全力歓迎するぞ!」
「ハイ。そのうちに……暇が出来たら」
僕は、あいまいな微笑を頬に浮かべた。そんな暇が出来ることは、永遠にないだろう。
……でも、レトキンだけが別の場所に宿泊しているとなると、《暁の一天》のメンバーのうち、アレク・ソフィーさん・ドリス・キアラの4人が同じ宿屋で暮らしている訳で。
ふむ。男性1人と、女性3人。
それって、まるでハーレムのような――
イヤイヤ! 邪推しちゃ、いけないよね。しかしながら、パーティー内の人間関係は、少し気になるな。
ソフィーさんは、アレクと仲が良い。
ドリスは明らかに、アレクに好意を持っている。
見ている限り、キアラもアレクに対して、プラスの感情がかなりあるようだ。
レトキンは、筋肉を愛していて……なんだか、パーティー内でのレトキンの異物感が凄いんだが。
僕がアレコレと考えていると、ソフィーさんが質問してきた。
「それでサブローは今、どこに泊まっているのかしら?」
「僕は、《虎の穴亭》という宿屋を利用しています」
そう、返事をしていると。
キアラが唐突に、言葉を発する。
「猫族の女の子――ミーアは?」
「え! も、もちろん、ミーアも同じ宿屋です」
更に、キアラが訊いてくる。
「部屋は?」
「それは、一緒の部屋で寝泊まりして……」
あ。
キアラの勢いに押されて、正直に答えちゃった。
「良いね」と満足そうに頷く、キアラ。
「サブロー……爛れているな!」とニカッと笑う、レトキン。
「好きにすれば? あたしには、関係ないし」と素っ気なくする、ドリス。
「《暁の一天》は、メンバーの恋愛問題には不干渉の方針だが……未婚の男女が、同室とはね」とやや咎めるような視線を向けてくる、アレク。
「サブロー……若いから無理もないけど、節度ある生活を送るようにしてね」と憂い顔になる、ソフィーさん。
なっ! もしかして皆、僕とミーアの仲を誤解している?
「ち、違います! 僕は、ミーアの保護者みたいな立場で――」
「隠す必要は無い。絶賛、応援する」とキアラ。
「サブロー……背徳は、修羅の道だぞ。困難を乗り越えるためにも、筋肉をつけろ」とレトキン。
「保護下の女の子に、手を出したのね。最低ね。運河に今すぐ、飛び込みなさい」とドリス。
「サブロー。男は、責任を取らなくては」とアレク。
「悩みがあるなら、相談に乗るわよ」とソフィーさん。
「だから、違いますって!」
僕は叫んだ。
まだ時刻は朝方なのに、爽やかな空気が周囲から無くなってしまった。
小舟の中でワイワイ騒ぐ、僕ら。
部外者の船乗りさんは黙々と1人、舟を動かす作業に集中している。仕事に徹するプロの姿は、尊さの極み。ご苦労様です。
♢
運河を進む舟は、幾つもの橋の下をくぐり、商業エリアの中へと入っていく。
活気があるな。
水路には多くの舟が行き来しているし、陸上にはたくさんの人の姿が見える。運河沿いにはズラリと店舗が並んでいるけど、船荷を運び入れやすいように、どれも建物の裏手になっているのが面白い。今まで歩いてきた街路では、お店の前面ばかり目にしていたからね。多くの商家は、街路側は華やかに、運河側は実用的にと、建物を設計しているみたい。
ソフィーさんが、教えてくれる。
「もう少し先に行くと、倉庫群が見えてくるわ。その向こうには、トレカピ河があるの」
なるほど。おおもとの大河が、近いのか。言われてみると確かに、運河の幅が広くなってきているね。
舟が岸に横づけされ、僕らは地面へ上がった。目の前には、周辺の店舗よりもひときわ大きくて立派な建物がある。
あれ? この3階建ての建物は――
ソフィーさんが、述べる。
「ここは、ネポカゴ商会よ。ネポカゴ商会はナルドット有数の大店で……私たち《暁の一天》は、会長のツァイゼモ様にとても懇意にさせていただいているの。せっかくの機会でもあるし、お目に掛かりに行きましょう」
皆が、ツァイゼモ会長と知り合いだったとは……意外な繋がりに、驚く。
僕らは建物の正面に回り、中へ入った。従業員の方が、会長室へ案内してくれる。
会長室に居たツァイゼモさんは、入室してきた僕らを見るや、満面に笑みを浮かべた。
「ぐっふっふっふ。これはこれは、《暁の一天》の皆さん。お会いできて嬉しいですよ」
僕らを歓迎してくれているみたい。
ツァイゼモさんは相変わらずデップリと太っており、その姿はヒキガエルを連想させる。目もギョロギョロしている。しかし、数日前にバンヤルくんから『ツァイゼモ会長と恐竜(?)ジュラの、ほのぼのエピソード』を聞かされたためか、初対面の時のような不気味さは感じない。ジュラのフレンドリーな噛み噛み攻撃より身を守るために、ツァイゼモさんは体型を進化させたのだから……その叡智の煌めきと努力の成果には、敬服してしまう。
アレクが「ご無沙汰をしております」と僅かに頭を下げる。無礼――では無いんだけど、大商人を相手にしている割には、ちょっと態度が軽いような感じがする。
が、ツァイゼモさんは特に気にする素振りを見せなかった。
「それで、今日はどんな用件で? ぐふぐふ」
会長の問いかけに対し、ソフィーさんがアレクの高慢さをフォローするように、ことさらに丁寧な口調で返事をする。
「近くまで寄りましたから、ご挨拶をしておこうと……あと、ほんの少しですが相談事がありまして」
「ぐふ」
「何より、うちのパーティーに見習いの新人が入りましたので、会っておいていただきたかったのです」
ソフィーさんの言葉に応じて、僕は一歩だけ前へと踏み出す。ツァイゼモさんが、僕を見る。
「おや? 君は……名前は、サブローでしたね。覚えていますよ。ぐふっぐふっ」
マコルさんの紹介で一度会っただけであるにもかかわらず、僕のことを忘れていない…………ツァイゼモさん、さすがだ。
アレクが、ツァイゼモさんに尋ねる。
「会長は、サブローを知っていたのですか?」
「以前に一度、言葉を交わしたことがあるのですよ。ぐふっ。《暁の一天》の皆さんは、良い者を迎え入れましたね。彼は、たいした男です。ぐっふっふふふ」
ツァイゼモさんがニンマリと笑うと、アレクは不審そうな表情になった。
「え? サブローが、たいした男……?」
「そうです。なにせ、彼は――」
ツァイゼモさんは改めて、僕へギョロッとした眼差しを向けてきた。瞳の奥が光っている。
これは――――ツァイゼモさんは間違いなく、僕とクラウディの決闘について情報を得ているな。
マズい。ここで、あの件に関する話をされるのは――
焦る。
しかし僕の心配をよそに、ツァイゼモさんは別の事柄を口にした。
「サブローは、母のところに居るティラの散歩を、見事に成し遂げてみせたのですよ」
「ええっ!」とアレク。
「ティラちゃんは、ニコパラ様とツァイゼモ様にしか懐かないのに……上辺だけの愛想は、やたら振りまいているけど」とソフィーさん。
「まさか! ゴーちゃんの足もとにも及ばない、このサブローが」とドリス。
「俺の筋肉が、驚愕のあまり振動している」とレトキン。
「……!」とキアラ。
あの、皆。いくら何でも、ビックリしすぎじゃないですか? それと、ティラ――ジュラの子供――のこともご存じなんですね。
「ぐふふ。実は先月から、母が腰を痛めていましてね。そのためティラの散歩を冒険者ギルドへ依頼したのですが……他の冒険者の方々が失敗する中、サブローは生還を果たしたのです。しかも、五体満足で」
おい、会長! いま、サラッと『生還』『五体満足』と言ったよな? ティラのやつ、本当に草食なのか?
《暁の一天》の皆が、いっせいに僕へ注目する。
「凄いな、サブロー。見直したよ」とアレク。
「サブローが、そんな偉業を……立派だわ」とソフィーさん。
「やるじゃん。ゴーちゃんの足先に及んだわね」とドリス。
「サブローの根性は、俺の腹筋なみなのだな。柔軟にして強健!」とレトキン。
「……尊敬」とキアラ。
メンバーが、口々に僕を褒めてくれるんだけど……皆に評価してもらえた最初の出来事が〝ティラの散歩〟というのは、どうにも納得しがたいものがある。
「ぐっふっふ。母も、サブローを気に入っていました。サブロー、どうですか? いっそ冒険者を辞めて、ティラの散歩係に就職しませんか? 母の腰はかなり良くなりましたが、ティラの散歩で無理をさせたく無いのですよ」
ツァイゼモさんが、勧誘してくる。
ティラの散歩係……なるはず無いよ!
「終身雇用を保証しますよ、サブロー」
終身雇用……うっ、チョットぐらついてしまう。
「落命寸前保険・暴力傷害保険・囓られ保険・踏まれた保険・潰され保険・尻尾で殴打され保険・ストレス保険・逃げられない保険・いくら泣いても散歩の日々は続く保険――などなど、各種保険も完備しているため、安心です」
ちっとも安心できない! なに? 保険の名称が、物騒すぎる! 〝終身雇用〟が保証されたって、一生が短くなったら本末転倒だ。
「申し訳ありませんが、僕は冒険者として身を立てていく決意をしておりますので」
そう言うと、《暁の一天》の皆が僕を感心したような眼で見てくれた。
よしよし。
ツァイゼモさんの甘い誘いにも、僕の心は全く揺れなかった。皆は、その事を分かっているに違いない。
僕は、信頼されている! ……かも。
「そうですか。ぐふっ、残念です。もしも気が変わったら、すぐに申し出てください。席は、いつまでも空いていますから……」
ツァイゼモさん。貴方はそのように仰いますが、それって要は『いくら好待遇であっても、ティラの散歩係になりたがる人は居ない』ってことですよね?
「あの、ティラちゃんの散歩は今、誰が……?」
ツァイゼモさんに、訊いてみる。
「ぐふふっ。冒険者ギルドへ要請し、毎回、代わりの人を派遣してもらっています。常に違う冒険者であるため、ティラが馴れる暇も無く……」
そうなのか。相も変わらず散歩中にティラの尻尾でぶっ飛ばされ、次の冒険者へ交代――をやっているのか。
ソフィーさんが、僕のほうを向く。
「私とアレクは、これからツァイゼモ様と大事な話があるの。多少時間が掛かるかもしれないから、その間、サブローはドリスたちと、この辺りを散策しておいて」
どうやらツァイゼモ会長とアレク、ソフィーさん――彼ら3人の間で、特別な話し合いが行われるらしい。
あれ? ドリス・レトキン・キアラは外野の扱いになっているけど、良いの?
ソフィーさんの言いつけにドリスたちは別に不満顔になることも無く、僕を連れて建物の外へ出た。
眩しい。
太陽が西の空にある。そう言えば、ウェステニラの太陽は西から昇るんだった。
僕らはソフィーさんの言葉に素直に従い、ネポカゴ商会の周辺を見物した。
♢
ネポカゴ商会がある場所は商業地区だけあって、数多くのお店が軒を連ねている。
現在、僕が居る大通りでは、店舗を2階建てにするのが一般的みたい。さすがにネポカゴ商会ほど大きくは無いものの、3階建ての建物もアチラコチラに存在している。
目的は、時間つぶしだ。なので僕はドリス・キアラ・レトキンとともに、ぶらぶらと歩き回った。
ドリスは意外に親切で「ここは、服屋よ。靴も売っているわ」「ここでは、武器が買える」「あそこは、酒場。営業するのは、午後になってからね」「この店には、なめし革の専門家が居るわよ」「食料店では、ここがお勧め」「職人が多く住んでいるのは、更に東側ね」「商業ギルドの本部は、近くにあるの。通貨両替所も併設されているわ」とイロイロと教えてくれる。
街路を行き交う、人々。
商品を売り買いする、人の声。ざわめき。
生活のエネルギー。
その場に満ちているバイタリティーに、僕の心も浮き立ってくる。
――と。
降りそそぐ光の中を、灰色の髪の少女がユッタリとした足取りで歩いているのが見えた。
背筋をピンと伸ばした姿は、美しく――でも腰に〝細身の剣〟を提げており、それがメイドの服装と不釣り合いになっている。
「シエナさん!」
僕が思わず呼びかけると、少女は振り向き、パッと笑顔になった。そして、小走りで近づいてくる。
「サブローさん!」
「シエナさんは、どうしてこんな所に?」
「フィコマシーお嬢様ご入り用の品と私物を少しばかり、購入しようと……サブローさんこそ、何をなさっていらっしゃるんですか?」
「僕は加入したパーティーの皆と一緒に、ナルドットの街を見聞中なんです」
「サブローさんは、冒険者パーティーに入られたんですね」
「ハイ。えっと――」
僕が詳細な説明をするより早く、ドリスやキアラが僕の隣に寄ってきた。
ドリスがシエナさんへ目を遣り、僕へ問う。
「サブロー。このメイド、誰?」
「あのね、ドリス。彼女は――」
その瞬間。
シエナさんがグラリとよろめき、けれど倒れる寸前、辛うじて体勢を立て直した。
「サ……〝サブロー〟と〝ドリス〟――もう、お互いの名前を呼び捨てにしあっているなんて。そんな、そんな、そんな。お2人は、出会って1日か2日のはず。長い付き合いの私は、未だにサブローさんのことを〝さん付け〟で呼んで、サブローさんからも『シエナさん』と、やっぱり〝さん付け〟でしか呼ばれていないのに……これは、由々しき事態だわ。危機的状況だわ。逆転の一手が必要だわ」
「え? あの、シエナさん――」
プルプルと震えながら、何事かを呟き続けるシエナさん。
ドリスは、そんなシエナさんの様子を興味深そうに眺め、それから、どうして良いか分からずにオロオロしている僕のほうを見た。ついで、ニヤリと邪悪な笑みを浮かべる。
あ、イヤな予感。
次回、シエナVSドリス……(爆)。
ネポカゴ商会の会長ツァイゼモが登場したのは5章5話の「《虎の穴亭》の女の子」の回、ニコパラ(ツァイゼモの母親)のペットであるティラが登場したのは6章12話の「老婦人のペット」と13話の「ティラちゃんとお散歩」の回になります。




