そうめん流しと豚カツ
その翌日。
僕は予定どおり、バイドグルド邸を辞去して冒険者ギルドへ向かうことにした。
フィコマシー様やシエナさんは、ズッと僕の身を案じてくれて――けれども、説得が功を奏したみたいで、もう引き留めようとはしなかった。
侯爵家より返却してもらった山刀のククリを、再び身に帯びる…………クラウディとの決闘では、お前は本当によく働いてくれたよ。ありがとう、ククリ。
――右腕に巻いた、シエナさんのカチューシャはどうなったのかな?
昨日、それとなくシエナさんに尋ねたら
「あ……あの……それは、今は私が大切に持って……宝物に……ゴニョゴニョ」
と小声で何か言っていたような気がするけど。
そんなシエナさんに、リアノンがツッコんでいたな……。
「まぁ、あの血で真っ赤になった布きれを、今更サブローへ返すのもな……。だがしかし、元はと言えば自分のカチューシャをコッソリ保管してるのは、どうかと思う。正直に言って気持ち悪いぞ、シエナ」
「リアノン、酷い! あと、どうして私の最高機密を知っているんですか!?」
怒る、シエナさん。
なにやら同情の視線を彼女へ向ける、リアノン。
「そんなのが、お前の最高機密なのか……シエナ、お前って、意外と可哀そうな女なんだな。友達として、私はとても悲しいよ」
「な! 眼帯詐欺が最高機密の騎士様に、言われたくはありません!」
「詐欺じゃ無いもん! カッコイイから、してるだけだもん!」
言葉を幼児返りさせつつ、リアノンが喚いて――
今度はシエナさんが、憐憫の眼差しになる。
「『カッコイイから』って……リアノン、婚期を逃しかけている年齢の貴方が、そのような子供じみた振る舞いをして、恥ずかしくはないのですか?」
「私は婚期を逃してはいないもん! 結婚適齢期だもん! 婚期を逃したのは、この場に居られる魔法使い殿だもん! あんころ餅は、賞味期限が切れたんだもん!」
アズキ、被弾。
「おい! シエナとリアノン! つまらん言い争いに妾を巻き込むな! それに、『あんころ餅は美味しい』とサブローも述べておったではないか! 保存状態は良好。まだまだ、食べ頃じゃ!」
ワイワイ騒ぐ、シエナさんとリアノンとアズキ――17歳と19歳と24歳を、ミーアとフィコマシー様――14歳と16歳が生温い、余裕がある視線で眺めていたような…………深く考えるのは、止めよう。
全身に微量の回復魔法を掛けつつ、歩く。表面上の物腰は何事も無いふうに、取り繕っているつもりだ。
――けれど。
頭痛を覚える。
吐き気。
倦怠感。
五体のアチラコチラをズキズキとさせる、刺すような痛み。
引き攣れる、傷跡。
我が身体ながら、やっぱりボロボロだな。特に左肩の損傷は深刻で…………落ち着け。深呼吸をしろ。冷静に思考するんだ。
自己の肉体を単なる1個の機器に見立て、客観的に性能を分析する。
重傷の左肩は別にして――手、足、右肩、腰、首…………良し。軋みはするが、まずまず、それなりに動かせるぞ。
故障箇所は、多数ある。しかし、己の弱点を補う戦い方については、特訓地獄で黒鬼のブラックに習った。
ブラックのヤツは歴史オタクで『日本の江戸時代には、〝丹◯左膳〟という名の隻腕の剣士や、盲目で〝座◯市〟と呼ばれた抜刀術の達人が居ったんやで! どちらも実在の人物や! サブローも、彼らのようになるんや! ならんかい! さっさと、なれ!』って言いながら、僕に苛烈な武術訓練を強いてきたっけ……あれは、キツかった。辛かった。泣きたかった。イヤ、泣いた。
※注 丹下◯膳も座頭◯も時代劇のヒーローで、フィクション上の人物です。小説や映画で有名になりました(◯頭市には、元ネタの伝承があります)。
だけど、あの猛稽古のおかげで身についたモノも少なくない。
それを上手に活かせば、現在のコンディションで戦闘になっても、ある程度の結果は見込めるはず。
でも敵の強さの度合いに応じて、行動の選択は変えなくちゃね。
ナルドット侯爵家の騎士たちをケースに、仮想敵へどのように対応するかを自問自答してみる。
クラウディのレベルの敵――出会うや否や、全力で逃げよう。すぐ逃げよう。一目散に逃げよう。
リアノンのレベルの敵――いったん様子を見て、やっぱり逃げよう。怖いし……あ、違う。これは戦略的撤退なのだ!
ドラナドやエコベリのレベルの敵――オリネロッテ様の護衛隊に所属していた男たち。闇夜に僕を襲ってきた……アイツらは、けっこう手強かったな。
そうだな。その時々の体調によって、優れた柔軟的計算にもとづく臨機応変な進退を……むむむ。
ブランやボートレのレベルの敵――ナルドットへ向かう街道でフィコマシー様やシエナさんが乗っていた馬車を見捨てて逃亡した、あのフザケた騎士達くらいの強さだったら……。
うん、即座に潰すとしよう。戦いに時間を掛けたくないからね。
――などとイロイロと先走りな思案をしている、僕の隣で。
ミーアがピョコピョコと跳ねている。とても嬉しそうだ。
耳を澄ますと、ミーアが
「にゅふふふ~。ゴール殿、ゴール殿、サブローのお家~」
と歌うように呟いている声が聞こえてきた。
〝冒険者として出世して、お金を貯めて、家を建てる〟という将来の計画――『フィコマシー様やシエナさんが、僕のこれからの行動にイチイチ気を遣い、その結果、彼女たちが心を痛めたりしないように』と、あの場で咄嗟に考え付いて口にした話なんだけどな……。
ミーアもそれを察していて、でも親切心から、敢えて調子を合わせてくれたんだと思っていたんだが……だよね? ミーア。
僕が未来に本当に〝黄金のオブジェを屋根に飾った、キンキラキンのお屋敷〟を建てるわけじゃないって、ちゃんと分かってるよね?
「ゴール殿に、サブローと一緒に住むのにゃ~。そのために、アタシも頑張るのにゃ。ニャ~」
「ミ、ミーア」
「サブローとゴール殿で、楽しい時間を過ごすのにゃ。〝ゴールデンタイム〟なのニャン」
「……………」
♢
冒険者ギルドへ行く前に、宿屋の《虎の穴亭》へ立ち寄る。
バンヤルくんは仕事で出掛けていて不在だったが、親父さんとお袋さん、それとチャチャコちゃんが温かく出迎えてくれた。
「サブローくん、大変だったね」と親父さん。
「体調のほうは、もう大丈夫なの?」とお袋さん。
「サブローお兄ちゃんが元気そうで、良かった」とチャチャコちゃん。
僕がバイドグルド邸で今まで何をしていたかは、数日前にマコルさんがわざわざ、宿屋まで足を運んで説明してくれたそうだ。
チャチャコちゃんが僕とミーアを見比べながら、言う。
「マコル様が訪ねてきて、教えてくださったの。『サブローくんは御領主様のお屋敷で、1人のメイドさんを巡って不埒な騎士と口論になり、挙げ句、雨の中で泥にまみれながら大喧嘩をしたのですよ。あれが、〝若さというもの〟なのでしょうね』って。『サブローくんは健闘してメイドさんを守り抜いたけれど、騒動で少しばかりケガを負ってしまった。傷が癒えたら戻ってくるから、心配しないように』とも仰ってたわ」
そうか……《虎の穴亭》の皆にも、上手いこと話をしてくれていたのか。マコルさんは本当に親切で、気を利かせてくださる方だ。
ありがとうございます!
……でも、マコルさんが述べた内容って、バンヤルくん一家に余計な不安を抱かせないように配慮した、そのためなんだろうけど、まるで〝僕とクラウディとシエナさんが、三角関係になっている〟みたいに聞こえるな……。
要するに、マコルさんの話の中では今回の事態は『冒険者サブローと騎士クラウディが、〝シエナという名のメイド〟を取り合って決闘した』ってことになってるのか!?
チャチャコちゃんが、トコトコと僕の側へ寄ってきた。
「サブローお兄ちゃん。兄ぃが、言ってたわよ」
バンヤルくんが?
「『〝メイド〟ってのは、フィコマシーお嬢様に付いていたメイドのことだよな。まぁ、あのメイドはサブローと親しげな感じだったし、彼女が変な騎士にちょっかいを掛けられたんなら、庇ったのも仕方がない。でも、メイドにかまけて、もしもサブローの野郎がミーアちゃんとの仲を疎かにし、寂しい思いをさせたりしたら、俺は絶対に許さない。刑に処す。島へ流す』って」
そんな! バンヤルくん、誤解だよ。
処さないで! 流さないで!
チャチャコちゃんが真剣な表情で、注意してくる。
「サブローお兄ちゃん。浮気はダメよ。蒼白な顔面で島へ流される――《蒼面流し》になっちゃうわよ」
そうめん流し…………。
「《蒼面流し》から救われるには、〝恥を知ること〟が大切なの」
と忠告してくれる、チャチャコちゃん。
ふむふむ。
《そうめん流し》を掬うには、〝箸を使うこと〟が大切……。
「分かったよ、チャチャコちゃん」
「分かってくれた? サブローお兄ちゃん」
こう見えて、僕は地球の日本出身だからね。お箸の使い方は、良く知っているのさ!
♢
一息入れた後に僕とミーアは《虎の穴亭》を出発し、お昼前には冒険者ギルドの建物へ着いた。
受付に居た熊族のゴンタムさんと、知らせを受けて奥から急いで出てきたエルフのスケネービットさんが、僕らを人気が無い個室へと連れて行く。
僕は2人に、これまでの経緯と、今後は何をしていくか――その心積もりを述べた。
「なるほど……話は、了解したわ。取りあえずミーアちゃんについては、今日から新人研修を再開するわね。サブローくんは……復帰してくれるのは嬉しいんだけど『すぐに、見習いとして働きたい』と言われても……身体のほうは大丈夫なの? 本当に治っているの?」
スケネービットさんが、不安げな表情で語りかけてくる。彼女は僕とクラウディの決闘を、実際にその目で見ている。つまり、僕が気を失うほどの大怪我を負ったことを熟知しているわけで……。
「平気です。完全に治ってはいませんが、動作において、それほどの支障はありません。その点は、充分に確かめました。お願いします。本日から僕に、冒険者としての活動を始めさせてください」
「でも……」
「スケネービット。幸い、ギルド長はこの本部に居られて、しかも今は、お暇なはず。サブローに会って頂こう」
ゴンタムさんがそう言うと、ビットさんはチョット不服そうな顔になったが、結局は頷いた。
「分かったわ。私がサブローくんをギルド長のところへ案内するから、ゴンタムはミーアちゃんに今後の研修内容の説明をしてあげて。午後より、受講してもらうから」
「研修の担当はお前だろうに……まぁ、良い。了解した」
僕とミーアは互いに励まし合って別れた。
ビットさんが、ギルド長の部屋へと先導してくれる。
広い室内へ、入る。
ギルド長のゴノチョー様は椅子に腰掛け、机に向かいながら……鼻息を荒くし、高ぶっていた。「ぶ~、ぶ~。ブタもおだてりゃ、納期を守る~」と変なセリフを口にしつつ、しゃかりきになって書類仕事をしている。
あんまり、暇そうには見えないんだが……。
ゴノチョー様は僕を見るや、仕事の手を止め、顔をほころばせた。
「ぶぶ、サブローくん。よくぞ、無事に冒険者ギルドへ戻ってきてくれましたね。嬉しいですよ」
「ギルド長様。あの時には、審判役を引き受けてくださり……」
「決闘での勝利は、全てサブローくんの頑張りによるものですよ。私は何もしていません」
しかし、クラウディとの決闘においてゴノチョー様が公平な判定をしてくださらなかったら……何より『先に膝を地へ、つけたほうが負け』という条件を、戦いに先立って提示してくれなかったら、勝敗は逆になり、最悪のケースで僕は死んでいたかもしれない。
考えれば考えるほど、いくらゴノチョー様に礼を述べても、それだけじゃ足りない心持ちになっちゃうよ。
僕は、深く頭を下げた。
床を見ていると……足音がする。
どうやらゴノチョー様が椅子から立ち上がり、歩み寄ってきたらしい。大きな掌で、ポンポンと僕の肩が叩かれる。
「その件は、これまでにしましょう。……それで、サブローくんは『本日から冒険者としての活動を再び始めたい』と貴方にそう述べたのですね? スケネービットさん」
「そうなんです。ギルド長は、どのように思われます? ねぇ、サブローくん。正直に答えて。決闘での負傷は、まだ完治していないのでしょう?」
「それは……ハイ……」
「だったら!」
「けれど、スケネービットさん!」
僕は顔を上げ、ビットさんの切れ長の眼を強く見返した。
「一日でも……いえ、一刻も早く、僕は冒険者としてレベルアップしたいんです。見習いのままで安穏と過ごすわけにはいかないんです!」
「サブローくん。どうして、そこまで…………ああ、そういうことね」
ビットさんの瞳に理解の光が宿った。
「サブローくんがこのギルドを初めて訪ねてきた際に、持参していた推薦状――あれを書いていたのは、フィコマシー様だった……そして、サブローくんは私にハッキリと告げた……『僕は、バイドグルド家のフィコマシー様のお役に立ちたいと考えています」』と。更に、あの決闘でサブローくんが救ったメイドの女の子は、フィコマシー様の…………つまり、侯爵家の内情は、現在それだけ――」
ビットさんの何かを訊きたげな、探るような視線を、僕は無言で受け止めた。
「でも、サブローくん。私が推測するに、今の貴方は、本来の力量の半分も発揮することは出来ないはず」
「仰るとおりです、スケネービットさん。けれど、周りに迷惑は極力、掛けないようにします。その時々で、自分のなし得る限界を見極めた上で、慎重に行動するつもりです」
「確かにサブローくんになら、出来るかもしれない。でも、その行いは、貴方の想像以上に肉体も精神も疲弊させるわよ」
「覚悟しています」
僕が決心を懸命に披露しても、ビットさんはなかなか納得してくれない。
そんなビットさんへ、ギルド長は――
「スケネービットさん。貴方の心配も、もっともですが……もう、良いでしょう。サブローくんの決意のほどは、充分に理解できました。彼の気持ちは、生半可なものでは無いようです。ギルドのトップである私が、サブローくんの冒険者生活への復帰を許可します」
「ギルド長!」
抗議をするビットさんを、ギルド長が物柔らかな、しかし威厳のある声で宥める。
「ぶぶ、スケネービットさん。聞いてください。ブタ族には、このような格言があるのですよ。『勝利を挙げるためには、情熱が大事。けれど、一瞬の油断も許されない。隙を見逃さず、敵を倒せ』――要は『調子の良し悪しは、気にしない。躊躇も遠慮も無用。ぶたれようと失おうと、肉体戦に素質は関係ない。どんな時でも、常に全力を尽くせ』というものです」
「ギルド長……」
ビットさんが悩ましげに呟く。
ギルド長……含蓄の深い、お言葉だ。
ゴノチョー様からの有り難い教えを、改めて味わい直す。
ええっと……。
『勝利をあげるためには、じょ~熱が大事。けれど、一瞬の油断も許されない。スキを見逃さず、テキを倒せ』
――――ブタ族の勝利……ブタが勝つ……トン勝つ……確かに豚カツを揚げる際に加熱は大事だけど、油断は禁物だよね。揚げすぎたり、油が跳ねると大変だし。
加えてスキヤキを見逃さず、ビフテキを食い倒さなくちゃ……。
『調しの良し悪しは、気にしない。チュ~チョもエンリョも無用。ブタれようとウシなおうと、肉たいせんに素シツは関係ない。どんな時でも、常に全力を尽くせ』
――――調味料の良し悪しは、気にしない。ソースも胡椒も無用。ブタであろうと牛であろうと、肉料理に素材は関係ない。食事時は、常に全力を尽くすのだ!
素晴らしい、食べ方……じゃ無くて、生き方の指針だ!
――と、僕が感動している一方。
ビットさんは、なんとか自分の思いと折り合いをつけようとしているのか、少しばかりの間、考え込んでいた。
そして、ようやく口を開く。
「……承知いたしました。ちょうど今、偶然か必然か、《暁の一天》がギルドへ来ています。決めていたとおりに、サブローくんには〝見習い〟として彼らのパーティーに入ってもらうことにしましょう。宜しいですね? ギルド長」
「ぶぶ。《暁の一天》にサブローくんが加わる……これも、運命なのでしょうか?」
「女神が、微笑んでいるのかも知れませんね。ベスナレシア様なのか、セルロドシア様なのか、どちらの女神なのかは分かりませんが……」
ギルド長とビットさんの語りの音量は、だんだんと小さくなっていった。
冒険者パーティー《暁の一天》……? 妙に気になるパーティー名だな。
※ウェステニラにおける女性の結婚適齢期は、10代後半です。でも20代で結婚する女性も大勢、居ます。だから、アズキも大丈夫です!




