解け始めた封印(イラストあり)
★ページ途中に、フィコマシーのイメージイラストがあります。
フィコマシー様のお姿が、変わっているような…………いいや。気のせいだな、きっと。僕の眼前に居られるのは、いつものフィコマシー様だ。優美で、麗しく、素晴らしい。青い瞳と白い肌の、ぽっちゃり令嬢だ。
――――くっ!
……………………サブロー! 何を、ふぬけている! 直感を無視するとは、お前は、いつからそんなに怠惰になった!?
初心を思い出せ! お前は、地獄の恋愛特訓で様々な事柄を学んできたはず。
そうだ。僕は、あの偉大なる師匠、恋愛の達人――グリーンの直弟子なんだ! …………グリーンは恋人のパープルにフラれて時折、部屋の片隅で膝を抱えつつ泣いていたような、そしてそんなグリーンを眺めながら『失恋男が語る〝恋愛の奥義〟って、意味があるのかな? お弁当箱に入っている緑のギザギザ、あるいは中華まんの底についているピラピラ紙以下の価値しかないんじゃ……』って思ったりした記憶もあるけど、それは、まぁ、今のところ重要な問題じゃ無い。
♢
グリーンは僕へ言った。
「サブロー。女性の容姿に少しでも変化があったら、マイナスの方向では無い限り、すかさず褒めるのですよ! スルーしては、なりません。見落とすなど、以ての外! 女性の……お化粧や髪型、服装をチェックするのは忘れずに。それも、あからさまであってはダメです。あくまで、さりげなく、最低限の視線で観察するのです。そして気がついた点があったら、キチンと相手へ告げるように」
「女性の容姿の変化……ちゃんと見つけられるかな? あんまり自信ない……」
「ふむ……そうですね。最初のうちは、直感を大事にしてください。何か引っ掛かりを覚えたら、時を待たずに『あれ? 今日は前と違ってる?』とかいった軽い感じで語りかけるのです」
「だけど、『前と違ってる?』なんて、わざわざ口に出すのは恥ずかしいよ……」
「〝ハーレムを目指す〟と公言している恥知らずが、何を今更」
「酷い!」
「良いですか、サブロー。女性の変化をスルーし続けている男は、いずれ女性からも、その存在をスルーされるようになりますよ」
「ええ!?」
「女性から見た場合限定の〝透明人間〟になってしまうのです」
「そんなの、イヤだ! ……でも透明人間になったら、女の子に悟られずにエッチな行為を……そんなマンガがあったような。あ、もちろん、僕は絶対しないけど。紳士だし」
「笑止! 小僧の分際で紳士――ジェントルマンを自称するとは、片腹痛い。サブローはジェントルマンでは無く、今はまだ、せいぜいジャリタレマンの段階です」
「ジャリタレ……砂利は、コンクリート製造に必要不可欠なんだよ!」
「もしも女性にエッチな振る舞いをしようとしたら、その瞬間に透明現象は無効となり、有害・駆除対象生物に指定されることでしょう。最悪、首から下をコンクリートで固められ、一昼夜、路上で放置されます。〝生き恥・晒し首の刑〟です」
「惨い」
「痴漢サブローの末路など、所詮はそんなもんです」
「僕は痴漢じゃ無いよ! 将来有望な若者……〝好漢〟なんだ!」
「〝好色漢〟の間違いでしょ」
♢
異世界に来てまで、透明人間になってたまるか! 〝女性からスルーされる未来〟なんて、断固拒否だ。
フィコマシー様のいったい何に刺激を受け、僕の直感は働いたんだ?
つとめて自然な態度で、僕はフィコマシー様へ眼差しを向けた。彼女は、ぽっちゃり――以前のように〝ふっくらふっくらふっくらふっくら〟していて…………んん? そうなのか? サブロー。よく考えろ。本当にフィコマシー様のお姿は、前と同じなのか?
………………。
フィコマシー様と初めて会ったシーンを、想起する。王都よりナルドットへと向かう街道上で、馬車から降りてこられたんだよな。賊どもに襲われたシエナさんの身を心配しながら……あの時のフィコマシー様は〝ふっくらふっくらふっくらふっくらふっくら〟しておられた。
現時点のフィコマシー様は――〝ふっくらふっくらふっくらふっくら〟
初対面のフィコマシー様は――〝ふっくらふっくらふっくらふっくらふっくら〟
――っ!!! 仰天!!!
…………な、なんということだ!!! 〝ふっくら〟が、1つ減っている!!! 改めて確認すると、ハッキリと分かる。フィコマシー様の体形、その縦と横の比率が明白に変わっているのだ。フィコマシー様が、スリムになった! 無論、未だに彼女のスタイルが……その……〝横に広い〟のは、紛れもない事実ではあるが。
でも、どうしてフィコマシー様は、ちょびっとではあるけど、お痩せになったのだろう? クラウディとの決闘前に目にしたフィコマシー様の体つきは、〝ふっくら〟の5乗だったのに、今は〝ふっくら〟の4乗だ。たった5日の間に、人はそんなに簡単に『5分の4』へとトランスフォームできるものなのか?
理由があるとしたら……いろいろな事件に遭われて、心労が重なったため?
むむ。しかしながら、〝憔悴している〟という感じでも無いな。フィコマシー様の肌つやは相変わらずキレイだし、つきたての鏡餅のようなモチモチ具合は健在だ。
僕の注視が長すぎたせいか、フィコマシー様の頬が、ほんのり桃色になる。
「あ……あの、サブローさん。どうされました? そんなに私を見つめられて……」
「も、申し訳ありません」
僕は慌てて軽く頭を下げる。けれど、胸の内に湧いた疑問をどうしても抑えきれず、つい尋ねてしまった。
「……フィコマシー様。どこか、お変わりになられましたか?」
僕の問いを受け、フィコマシー様はハッとした表情になる。そして胸の前でソッと静かに両手を重ねつつ、怖ず怖ずと口を開いた。
「私は……何も変わってなどいません。しかし、〝変わらねば〟と思っています」
「……え?」
「今回の……シエナが冤罪を掛けられた一件で、私は痛感しました。『自分は無力である』――と」
「お嬢様、そのような事は……」
シエナさんが、フィコマシー様へ気遣わしげに声を掛ける。
「いいえ、シエナ。大切な貴方が命を落としかけたというのに、私は何も出来なかった。貴方を救ったのは、サブローさん。サブローさんが自身の命を懸けて決闘し、鮮血にまみれ、満身創痍となりながら貴方の無実を証明した……そして、その決闘の切っ掛けを作ったのは……オリネロッテ。彼女があの時、大広間に来なければ、事態は動かなかった……」
オリネロッテ様の名を口にし、フィコマシー様はどことなく切なそうな眼差しになる。
「決闘終了後に倒れたサブローさんのもとへ駆けつけたのは、シエナとミーアちゃん。ランシス様の暴挙を止めたのは、リアノンさん。大怪我を負ったサブローさんの治療をしたのは、魔法使いのアズキ様。私だけ……私だけが、何も出来なかった。ただ、見ているだけだった」
「それは違います! お嬢様」
シエナさんは強く否定するが、フィコマシー様は緩やかに首を横に振る。
「シエナ……貴方の言葉は、嬉しい。でも、違いません。そうなのです。私は流されているのみだった。何かをしようとして、少しばかり……もがいたかもしれませんが、結局のところは何一つ、なせなかった。果たせなかった。残せなかった。それでは、傍観者と呼ばれても仕方が無い」
「フィコマシー様……」
僕はフィコマシー様にどのように語りかければ良いのか、迷ってしまった。あの大広間での騒動の折、フィコマシー様は侯爵へ向かってシエナさんの無実を懸命に訴えていた。〝見ているだけだった〟なんて、そんな事はあり得ない。しかし、僕やシエナさんが如何に言葉を尽くしたとしても、フィコマシー様の自責の念は減らないだろう。
これは過去の事実とは関係なく、フィコマシー様の心の問題だからだ。
僕とシエナさんが動けずに見守る中、フィコマシー様は辛そうに俯いてしまう。
「情けないですね、私……。ナルドットへ到着した晩、サブローさんやミーアちゃんが、私とシエナの元へ戻ってきてくださった……あの折に『もう、諦めない』と誓ったはずなのに。すぐに、挫けそうになって……」
ナルドットへ到着した晩……僕がオリネロッテ様の魅了に囚われてしまった時のことか。
「私は、弱い……」
顔を伏せて独白を続ける、フィコマシー様。
僕もシエナさんも、口を挟めない。
しばしの時間。僅か数呼吸の後――――
フィコマシー様は顔を上げた。
ドキリと――僕は胸をつかれる。
フィコマシー様の表情に、決然とした意志が示されていたためだ。青い瞳が、力強い輝きを放っている。
「だから……だからこそ、私はこのままじゃいけない――そう思ったんです。〝私も変わらねば〟と。現状を嘆いているだけ……それは、単なる〝甘え〟に過ぎない。『苦しみに耐える』――聞こえは良いですが、一面において、楽な道でもあった……受け身でありさえすれば、全ては済んだのですから。けれど――――」
侯爵令嬢の声が、玲瓏ながらも毅然とした響きを帯びた。
フィコマシー様……貴方は……。
「――けれど私は、もう逃げません。自己憐憫に耽るのは、終わりにすると決めました。私も前へ進みます。そして大切な人が危機に陥った時、真っ先に駆けつけて助けられる自分でありたい――そういう人間になっていきたいのです」
「お嬢様……」
シエナさんが目に涙を浮かべつつ、呟く。フィコマシー様の決意を耳にし、感極まったらしい。泣いてしまっている。
「そんな風に考えられるようになったのは、貴方やサブローさん……皆のおかげよ。ありがとう、シエナ」
「フィコマシーお嬢様……私……私こそ、お嬢様にお仕えすることが出来て本当に幸せです」
2人の少女が寄り添い、手を取り合っている。
フィコマシー様の気持ちを聞いて、僕も胸の中が堪らなく熱くなり……しかし、ちょっとだけ不安にもなった。
『現状を嘆いているだけ』とフィコマシー様は自身の過去を述べていたが、彼女は今までも充分に頑張ってきた。これ以上の努力や向上を己に課して、フィコマシー様の精神は保つのだろうか? 自身を追い詰めすぎて、魂を支えているであろう心棒が、ポッキリと折れてしまったりはしないだろうか?
〝理想の自分〟はあくまで〝理想〟であって、〝完璧な人間〟など、どんな世界にも居ないのに――――
――――と。
僕の眼に映る、フィコマシー様の姿が変わる。
え? 何が起こって――?
見えるのは……小箱。霧の中に置かれている、小箱。縄で幾重にもグルグル巻きにされ、鍵も掛けられている。
そうか。
僕は今、真美探知機能を使ってフィコマシー様を眺めているんだな。やはり不可思議で、どうしようもなく物寂しく、憂いに満ちた閉塞感を覚える――その光景。でも、前とは……ナルドットへ向かう馬車の中で目にした時とは、明らかに違っている。
小箱を覆う白い靄は、少しだが薄くなっていた。更には、箱を縛っている縄が緩んでいる。施錠されているため、箱が開くまでには至らないが、それでも――――封印が解け始めている?
固く閉じられていた蕾が、ゆっくりと綻んできているような――開花の兆候に類似した色合いを感じるのだ。
これは……。
真美探知機能によって確かめることが出来た、フィコマシー様の内面の変容――その意味するところについて僕が思いを巡らしていると、フィコマシー様が遠慮がちに話しかけてきた。
「それで、あの……私、サブローさんに伺いたいことがあるのですが……」
「なんでしょう? フィコマシー様」
「私たちが部屋へ来る前に、サブローさんとアルドリュー様は何を話しておられたのでしょうか? ……差し支えなければ、教えていただきたいのですが」
フィコマシー様の隣で、シエナさんも〝同意です!〟という風にコクコクと頷きながら、僕へ目を向けてきた。
2人とも、僕とアルドリューの関係が気になっているようだ。あの細目の野郎が『オレとサブローは親友』『約束を忘れないで』などと、ふざけたセリフを吐きやがったせいに違いない。
僕の口から『アルドリューとは、下らない話しかしていませんよ。あんなヤツ、友人でもなんでもありませんから。知人以下です。赤の他人より、遠い存在です』と語っても良いんだが…………そうだ! 好都合なことに、室内に立派な目撃者が居るじゃ無いか。彼女に喋ってもらおう。
第三者視点による説明を受けたほうが、フィコマシー様もシエナさんも安心するはず。
「リアノンさん。僕とアルドリュー様の会話について、その内容をフィコマシー様たちへ述べてください」
「え!」
話を突然に振られて、女騎士がビックリした顔になる。
「い……良いのか? サブロー。お前とアルドリュー様の蜜談の中身を、シエナと……フィコマシー様へ話してしまっても」
「密談って、おおげさな」
なんかリアノンの発音、密談の〝ミツ〟のイントネーションがオカしい感じがするけど……勘違いかな? 《認識阻害》の魔法による影響で、リアノンには、瑣末で退屈な会話……と、僕とアルドリューのやり取りは聞こえていたはず。
アルドリューも『たわいも無い内容を喋っているとしか、受け取れない』と言っていたし。
いや、それより重要なのは……今、リアノンは間違いなく〝フィコマシー様の名前〟を口にしたよね?
これまではズッとフィコマシー様を――彼女という1人の人間を、キチンと捉えることが出来ていなかったのに。
リアノンの眼に映るフィコマシー様の姿が、ピンぼけせずに焦点が合うようになってきた……そんな印象を受ける。
もしかして、フィコマシー様の中にある小箱の封印が解けてきた効果によるものなのかな? 理由は判然としないが、これは喜ばしいぞ。オリネロッテ様の護衛騎士になったリアノンが、フィコマシー様を尊重してくれるのなら――――良い風が吹き始めた……幸運の予感がする。
ウキウキした心持ちになってきた僕とは対照的に、リアノンはアワアワした顔つきになる。
「私は隠し事が嫌いなんだ。なので、正直に話すぞ。本当に良いんだな? サブロー。後になって、私を責めたりするなよ」
「リアノンさんを責めるなど、そんなマネ、するはずありませんよ。構いませんので、率直に喋ってください」
まったく……リアノンは何を躊躇しているんだ? ええっと、僕とアルドリューが話したのは―――
「そ……そうか。分かったよ。そこまでサブローが言うんだったら、私も余計な配慮はしない。実はな、シエナと……フィコマシー様」
極秘事項を打ち明けるみたいな雰囲気で、リアノンは声を潜めた。
「驚かないで、聞いて欲しい」
「ハイ」とシエナさん。
「ハイ」とフィコマシー様。
僕は当然、驚くはずも無い。
「これは私の騎士の誇りにかけて、間違いの無い真実なんだ」
いやに勿体ぶるな、リアノン。
「容易には信じられないかもしれないが……なんと、なんと、アルドリュー様は…………貴族の身であるにもかかわらず、若き血潮の荒ぶりに逆らえなかったのか……サブローへ〝熱烈な求愛〟をなさったんだよ。『サブロー、キミは素敵だ! オレは、キミに惚れた! オレを愛してくれ! オレを幸せにしてくれ! オレと婚約、いいや、結婚してくれ! さぁ、ベッドインしよう!!!』と仰ったんだ」
……………………。
一瞬の静寂。
「ええええええ!」とシエナさんは驚いた。
「ええええええ!」とフィコマシー様は驚いた。
「ええええええ!」と僕も驚いた。
フィコマシーのイラストは、Ruming様(素材提供:きまぐれアフター様)よりいただきました。ありがとうございます!




