幸せのありか
オリネロッテ様は、ベスナーク王国の王妃に。
フィコマシー様は、ナルドット侯爵家を継ぐ。
シエナさん。
ミーア。
皆みんな幸せ。
全員がハッピーエンド……か。
不意に思い出す。
地獄の恋愛特訓でグリーンが僕に見せてくれた、ウィンチェスター・ミステリー・ハウスの写真。得体の知れない異様さは、オリネロッテ様の心を連想させて……あの複雑怪奇な屋敷を建てたサラ・ウィンチェスターさんは、僕では想像なんか出来ないほどの莫大な財産を持っていた。
有り余る富を有し、巨大な館に住み続け、それでも彼女は幸せだったのだろうか?
「……アルドリュー」
「何だい? サブロー」
「僕は……〝その人が幸せであるか、不幸であるか〟は、他人が決めるものでは無い……そう思う。『こうなったら、あの人は幸せになれる』だとか『そうなれば、その人はきっと不幸だ』とか、手前勝手に判断するなど……烏滸がましすぎる。僭越だ。傲慢の極みだ」
「…………」
そうだ。人の持っている価値観は、同一では無い。それぞれが違う。
〝幸福〟とは結局のところ主観の問題であって、客観的な結論は意味を持たない……はず。
「だから、フィコマシー様やオリネロッテ様が自ら望んで『侯爵家を継ぎたい』あるいは『王妃になりたい』と思われるのなら、僕も助力は惜しまない。けれど、こちらから一方的に〝彼女たちを幸福にしよう〟なんて働きかけるのは……ゴメンだ。そんなの、ただのお節介――彼女らからすれば余計なお世話、ありがた迷惑な話に違いないのでね」
「ふ~ん。つまり、サブローはオレに協力してはくれない……ってことか」
アルドリューが肩を竦める。
「なぁ、アルドリュー。お前、『皆みんな幸せ』と言ったな?」
「言ったよ~。それが、何?」
「だったら、お前の予定通りに進めば……お前自身も幸福になるのか? 〝お前の幸せ〟は、どこにある?」
僕の問いかけに、アルドリューは意表を突かれたらしい。キョトンとした表情になる。珍しく、年相応……17歳の顔に見える。
「アハハハ! サブローは面白いことを訊いてくるねぇ。う~ん……そうだなぁ。やっぱりエヴァンズ殿下がロッテちゃんと結婚して、2人が立派な王様と素敵な王妃様になり、ベスナーク王国がよりいっそう発展していくさまを見ること――それこそが、〝オレの幸せ〟かな」
……嘘くさい。
アルドリューは、なにやら懐かしそうな眼差しになり――と言っても細目なので分かりにくいが――喋りつづけた。
「ホントにオレ、彼女には栄光と安寧の日々を送ってもらいたいのよ。……オレって、忠臣だから」
……ん? 今の発言、引っ掛かるな。〝彼女〟とは、いったい誰だ? あくまで勘だが、オリネロッテ様では無いような――? そして自らを〝忠臣〟と述べているけど……忠誠の対象は? アルドリューの口ぶりからして、なんとなく、王太子とは思えないのだが…………僕の考えすぎか?
そもそも〝栄光〟と〝安寧〟の両立など、欲張りが過ぎる。アルドリューは、それだけ『彼女』に対して思い入れがあるのかもしれない。コイツの真情に、初めて触れた気がする。しかし、分からないことも多いな……。
黙り込んだ僕を眺めながら、アルドリューが溜息をついた。
「どっちにしろ、サブローはオレに力を貸してはくれないんだ? ケチだなぁ……それじゃ、前に結んだ契約も破棄する?」
契約……オリネロッテ様の馬車が襲われた晩に、交わしたアレか。――〝アルドリューはフィコマシー様たちへ手を出さない。その代わり、僕はアルドリューのやっているアレコレを他人には漏らさない〟という取り決め。
胸がムカムカする。
この野郎。シエナさんを罠にハメておいて、よくもヌケヌケと『それじゃ、契約も破棄する?』なんて言えるな。
「オレはサブローが、大好きなんだよ。なのでサブローさえ良ければ、この契約、延長したいんだけど」
ふざけやがって。
アルドリュー……コイツのことは全く信用できないし、するつもりも無いが。
「…………良いだろう。契約を続行しよう」
それでも、繋がりを断ってしまうのは惜しい。
「え? 本当に? やったぜ!」
喜ぶ、アルドリュー。
「オレ、明日には王都へ戻るんだよ。キドンケラ子爵を連行するんだ」
「子爵を?」
ナルドットから連れ出すのか。よく、侯爵家が了解したな。
「子爵の今後の処置について――『ロッテ嬢を襲撃した件に関して、エヴァンズ殿下が直々に取り調べて厳罰に処しますから』って侯爵閣下へ伝えたら、身柄を引き渡してくださったんだよ」
「……そうか」
「一応サブローへ告げておくけど、オレは王都へ帰還後、ロッテちゃんと殿下の婚約が成立するようにイロイロと動き回る予定だからね。あ、マシーちゃんとボルトラルの結婚についても。別に悪いことをするわけじゃないし、キミにそれを止める権利は無いよね?」
「…………ああ」
確かに、その通りだが――くそ! アルドリューの得意顔が、しゃくに障る。
王都はアルドリューのホームグラウンドだ。やりたい放題されたら、堪ったもんじゃない。が、今の僕にはどうすることも出来ない。
とは言え、僕も受け身に終始するつもりはないぞ。近いうちにフィコマシー様とシエナさんは……それに加えてオリネロッテ様も、王都へ戻る。ならば、いずれ僕も――――
そんな僕の考えを見透かしたかのように、アルドリューはニヤニヤ笑いつつ提案してきた。
「そうだ! サブローが王都へ来たら、是非ともオレの計画に参加してよ!」
「お前に手は貸さないと、さっき――」
「ロッテちゃんの婚約や、マシーちゃんの結婚に関する話じゃないよ。オレはさ、殿下に大きな手柄を立てて欲しいのよ。自信を付けてもらうためにも。女王陛下に対して、強気の発言が出来るようになるためにも」
「殿下――エヴァンズ王太子殿下か」
「うん」
「王太子殿下は眉目秀麗、文武両道の方だと聞いたが?」
その地位も堅固なはず。今更、派手な成果など王太子に必要なのか?
「殿下の能力について……周囲からの評価は、間違いなく高いよ。しかし、それはどこまでいっても学園限定。実践においてはどうなのか、未知数なんだ。王太子である以上、歩むべきレールは決まっていたし、しょうがない事なんだけどね。でも、殿下はご不満なのさ。成績における紙の上の数字では無い、シッカリとした実力を証明したい。なので実際の政務か外交、もしくは戦争……はマズいから、モンスター討伐などのような戦果でも構わない。誰もが認める具体的な結果の達成を、殿下は切望しておられるんだ」
〝飾りであること〟も、王族の大切な仕事だと思うんだが……王太子だって1人の人間。血気盛んな若者だ。それだけじゃ、我慢できないんだろうな。
けれど。
「王太子殿下の周りには、優秀な人物が揃っているはず。なんでわざわざ、僕を誘う?」
「だって殿下の側に居る者たちのほとんどは、殿下自身が集めたわけじゃない。女王陛下をはじめ、親世代の方々が用意した……いわば〝与えられた友人たち〟だ。そういう環境に殿下は置かれているし、その事実を殿下は自覚している。お膳立てされた仲間たちのサポートを受けて、どれほど素晴らしい成果を出したところで、それは女王陛下の掌の上で踊っているに過ぎない」
〝偉大な親を持つ〟ってのも、良いことばかりじゃないわけだ。
「だから功績を挙げる際に共に働くのなら、大人たちの息が掛かっていない者たちとでなければ意味が無いのさ。自身で同世代の俊傑を見いだし活用したとしたら、それは充分に殿下の手柄となるからね。そしてそんな人材として、サブローはピッタリなんだよ」
う~ん……。
大国の王太子――。一見、華やかな立場ではあるが、窮屈な思いもしているに違いない。プレッシャーも大変なものだろうし。なのでアルドリューの言葉も、理解できないわけじゃない。
僕は〝俊傑〟じゃ無いけどね。
「……それについては、保留だ。もしも僕が王太子殿下にお会いするようなことがあれば、その時に改めて考える」
そんな機会は無いかもしれないが。
「おお! 良かった。言っておくけど、オレはサブローにただ働きさせるつもりは無いよ。〝持ちつ持たれつ〟は、人間関係の基本。仮にサブローが力を貸してくれたら、いっぱいの報酬を殿下が必ず払うよ。他に、オレもサブローの頼みを何か1つ引き受けるから」
「……ああ、分かった」
なんだかクラウディとの〝金打〟と似たような展開になってきたな。クラウディと約束を交わした際にはあんなに爽やかな気持ちになったのに、アルドリューとのやり取りでは、ひたすら鬱陶しさが先に立つ。
「オレの希望としては、可能なら殿下には、1ヶ月後の建国祭までに何らかの成功を収めてもらいたいんだよね~。そしたら、ロッテちゃんとの婚約へ向けて、確実に良い影響を与えられるはずだし」
「おい、アルドリュー。僕はそんなに早く王都へは……」
「どうかな? サブローなら……1ヶ月もあったら、いろいろヤっちゃって、その上で堂々と王都ケムラスへ乗り込んできそうだけどな」
「お前に過大評価されても、僕は嬉しくないぞ」
「ハハハ! サブローは、ツンデレさんだね~」
「誰がツンデレだ!? く、ゴホ!」
叫び、咳き込んでしまう。……いかん。コイツと会話をしていると、調子が狂う。
「ああ、ゴメンな。サブローと話すのは楽しいから、オレ、ついつい浮かれちゃうんだよ」
「僕は楽しくない。お前は沈んでろ」
「その冷たい反応……ゾクゾクする」
「海底でブクブクしてろ」
「窒息するのは快感だよね!」
「…………」
アルドリュー……変人とは思っていたが、更に上の変態か?
「傷がまだ癒えていないサブロー相手に、長話もなんだからね。オレは、そろそろお暇するよ」
そう述べるや、アルドリューは指をパチンと鳴らした。《認識阻害》の魔法を解いたのだろう。ベッドの周辺に薄く張られていた結界が、無くなった。
そのままリアノンへ軽く手を振りながらドアへと向かう、アルドリュー…………んん? リアノン、なんか形容しづらい顔をしているな。怒っているような、警戒しているような、動揺しているような、悶々としているような……僕とアルドリューの話し合い、彼女にはどんな風に聞こえていたのかな?
アルドリューが扉を開けると、室外にフィコマシー様とシエナさんの姿が見えた。ちょうど、部屋ヘ入ろうとしていたらしい。
「あ…………」
アルドリューを目の前にし、シエナさんが小声を漏らす。同時に、身体を硬直させた。萎縮しているのか……? 気丈な彼女に似つかわしくない態度だが、アルドリューの策略によって危うく命を落としかけたのは、つい先日のことだ。いきなりの対面に怖じ気づいてしまうのも、無理はない。
「おや? マシーちゃん、サブローのお見舞い? あとは……ええと、メイドちゃんだね。ふふ。良かったねぇ、メイドちゃん」
アルドリューが、大げさな仕草でシエナさんの顔を覗き込む。
「な……なんでございましょうか? アルドリュー様」
掠れ声で返事をする、メイドの少女。
「生き延びることが出来て。キミは本当に幸運だよ、メイドちゃん。普通、キミのような状況になったら、間違いなく終わっちゃうはず」
「…………」
「処刑されて、亡骸はそこらに打ち棄てられて、しばらく経ったら誰も覚えていない。存在したことさえ、忘れられている。お伽噺の舞台から……物語の途中で退場させられる予定だった、つまらない端役。それが、キミだったのに」
「ア、アルドリュー様……」
「ま、でも見方を変えたら、キミは不運なのかもしれないね」
「え……?」
「だって、メイドちゃん。キミ、もうサブロー以外の男に恋なんて出来ないでしょ?」
アルドリューが意地悪い顔つきで、シエナさんへ語りかける。
「自分を救うために、命を懸けてくれた。最強の騎士と戦い、全身をズタズタにされ、それでも彼は倒れず……あれだけ献身的な振る舞いをされたんだ。キミの忠誠心はマシーちゃんへ捧げられているんだろうけど、女としての感情は…………ね。ましてキミは、その前からサブローへ何らかの気持ちがあったみたいだし」
「わ、私は……」
「でも、忠告しておくよ。サブローは、キミなんかの手に負える男じゃ無い。平凡な女には、平凡な男がお似合いだよ。届かない男に恋したって、どうせ無駄なこと。脇役のキミは、男とお姫様――そう、愛しい男と美しいお姫様との豪華な結婚式を、遠くより、指を咥えながら眺めるハメになるだけさ。悲しいね」
「……………」
「メイドちゃん、知ってる? 〝凡庸であること〟は〝罪〟じゃ無い。しかし、時には〝罰〟となるんだ」
「あ……」
辛辣な言葉を浴びせられ、立ちすくむシエナさん。そんな彼女を守るように、フィコマシー様が一歩、前へと進みでる。
そして、アルドリューへ尋ねた。
「アルドリュー様は、何をしにサブローさんのもとへ?」
口調は穏やかであるものの、彼女の眼差しは厳しい。
「サブローの様子をチョットばかり、確かめにね。あんなに大ケガしちゃって、心配だったんだよ。オレって、サブローの親友だからね」
「サブローさんとアルドリュー様が……親友?」
フィコマシー様の呟きは、彼女には珍しく皮肉な雰囲気を帯び……のみならず、アルドリューへ向けられたままの視線。その碧玉の瞳は、冷たい輝きを放っている。
「ともかく、命に別状はないみたいだったのでホッとしたよ。それじゃサブロー、オレは行くよ。約束を忘れないでね~」
右手を上げて、掌をヒラヒラさせながらアルドリューは歩み去った。
くそ! アルドリューのヤツ、勝手なセリフを吐き散らしやがって。
体調が万全だったら怒鳴って制止を――――いや、殴って黙らせているところだ。
シエナさんは〝凡庸〟などでは無いぞ。アルドリュー、お前の目は節穴か!?
それに彼女の感情を、お前が決めつけるな。『助けられたから、好きになる』――人の心の動きは、そんな簡単なものじゃ無い。
更に言うなら。
紛れもなく、僕はシエナさんの命を救うためにクラウディと戦った。けれど、そこに『シエナさんに好意を持ってもらおう』などといった、見返りを求める雑念は無かったぞ。
あの時の僕は、純粋な……いいや、違うな。無思慮な激情に突き動かされ――――暴走したんだ。
心の中に在ったのは、自己本位な衝動。〝献身〟とは懸け離れた、単なる我がまま。
出会い、現在に触れ、過去を知り、故にどうしても、その未来を守りたかった――――彼女が居なくなる明日に、耐えられなかった。ただ、それのみで……。
シエナさんだって、〝自分の命〟と〝自分の想い〟を引き替えにするようなマネはしない。彼女は真摯な――ある意味、とても不器用な生き方をしている女性なんだ。
僕やシエナさんを、愚弄するな!
ベッドから起き上がれず、声を張り上げることも出来なかった。情けない。
自分の不甲斐なさに腹を立てつつ嘆いている僕のもとへ、フィコマシー様とシエナさんがやってくる。
2人の少女と、順に目が合う。
…………ああ……うん…………胸の奥の炎が収まってきて……ゆっくりとだが、精神が落ち着いてきた。
シエナさんへ微笑みかけると、ようやく彼女は安心したように表情を緩めた。少し元気を取り戻してくれたみたい。良かった。
フィコマシー様の青い瞳は僕を見るや、先ほどの冷徹な光を消し、温かな色合いになった。そして彼女は軽やかに手を伸ばし――――ん? 違和感を覚えるな。なんだろう? この不思議な気持ち……目に映っている光景のナニかが、以前とは微妙に異なっているような…………。
よく考えたら、フィコマシー様と会うのは実質的に5日ぶりなんだよね。僕はズッと気を失っていたわけだから。でも、たった5日で変わることなんて…………あれ? フィコマシー様のお姿が――――
エモンガさん様より素敵なレビューを頂きました!
ありがとうございます。心より、お礼を申し上げます。




