鮮血の弾丸
物語が、プロローグにたどり着きました。
戦いを始める前に、僕とクラウディは訓練場の真ん中で改めて顔合わせをした。お互いの装備を確認しあうためだ。
見届け役の立会人は、審判を務めるゴノチョー様。
僕の後ろにはリアノン、クラウディの後ろにはランシス、そしてゴノチョー様の隣にはスケネービットさんが立っている。
「クラウディ殿とサブローくん……いえ、サブロー殿、両者へお尋ねいたします。相手の準備や現状に、何らかの異存はありますか? ブブ」
ゴノチョー様の言葉に、僕もクラウディも首を横に振る。
ここまで来て、もはや文句などある訳も無い。
「この決闘は、〝バイドグルド家のメイドであるシエナは、許されざる罪を犯したのか? それとも、潔白であるのか?〟――その真実の証明をウェステニラの神々の判断に委ねるべく、行われるものです。クラウディ殿が勝てばシエナは有罪、サブロー殿が勝てば彼女は無罪となります。宜しいですね?」
「ハイ」とクラウディ。
「心得ております」と僕も肯定の意思を示す。
「ブ~。では、騎士の誇りを懸けて正々堂々と戦うことを誓ってください」
僕とクラウディは視線を交えつつ、ゴノチョー様の要請に対して「誓います」と口を揃える。
「そして、勝敗の基準ですが……どちらかが死んだ場合、どちらかが重傷を負って動けなくなった場合、どちらかが自らの負けを口に出して認めた場合……更に」
ゴノチョー様は少し考え込み、強調するかのように声を張り上げた。
「どちらかが大地に膝をつけた場合――以上の4つとします! ぶぶぶ!」
地面に膝をつける……それは、僕にとっては願ってもない提案だけど。
クラウディは口を開かなかったが、ランシスが憤然と抗議をしてきた。
「そんな馬鹿な判定があるか! 決闘は、対戦者が命懸けでやるものだぞ!」
「サブロー殿とクラウディ殿は、双方とも優れた戦士です。おそらく相手に膝を折らせた時点で、勝負の決着はついていることでしょう、ブ~」
「だが……!」
この場に居る、ゴノチョー様を除く5人の中で、ランシスだけが了承する様子を見せない。
「私は審判です。勝敗の行方を決める、権限を持っています」
そう言い放つや、ゴノチョー様は見物のために集まった人々のほうへ振り向いた。そして貴賓席に座っているナルドット侯へ呼びかける。
「認めていただけますね? 侯爵様」
「ああ……今回の決闘、ギルド長には無理を言って審判を頼んだからな。良いだろう」
侯爵が承認した。彼の隣に居るアルドリューは不服そうだが、異議を申し立てる機会を逸してしまったらしく黙ったままだ。
ランシスも侯爵の裁断には逆らえない。それでもなお、未練がましく、クラウディへ語りかける。
「クラウディ。お前は、納得できるのか?」
「自分は、構いませんよ」
アッサリとした口調で、クラウディが述べる。
「そうか……分かったよ。ま、お前が剣を抜くからには、敵対した者が五体満足で済むはずも無かったな」
ランシスが僕を見やって、唇を歪める。笑っているようだ。
「サブローよ。死ぬか、あるいは死んだほうがマシ……な身体になるか、どちらの未来を望む?」
僕が無言を貫いていると、ランシスはチッと舌を鳴らした。
リアノンが耳打ちしてくる。
「ギルド長は、別にお前に救いの手を差し伸べたわけでは無いぞ。心をもう一度、引き締め直せ。サブロー」
……それは、充分に承知しているよ、リアノン。ゴノチョー様の発言は確かに有り難かったが、だからといって、もし気を緩めたりしたら、僕は単なる馬鹿だ。
僕は決闘で一切手を抜かないし、クラウディも同様なのは間違いない。互いに相手を確実に倒す――殺すつもりで戦う未来に、いささかの変化もありはしないのだ。
ついに、決闘の時刻となった。
クラウディと正対する。リアノンたちは既にその場を離れ、彼と僕の側に居るのは、審判を務めるゴノチョー様のみだ。
クラウディとの間隔は、およそ10歩。そして数呼吸の後には、彼と生命の取り合いをしなくてはならない。
特に緊張した雰囲気も見せず、クラウディはゆっくりと彼の愛剣である〝久遠の月光〟――これからは『ムーンライト』と呼ばせてもらおう――を鞘より引き抜いた。
……やはり、刃が異常なほどに長いな。切っ先から鍔元までの距離が、彼自身の身長を超えている。
クラウディは剣の先端を僕へピタリと向けた。柄を両手で握り、そのまま微動だにしない。彼の腕に掛かっている重みは相当なモノだろうに……実は案外、軽いのでは? と周囲の者が誤解してもオカしくないほどに、楽々とムーンライトを扱っている。
僕も抜刀した。
ククリとムーンライト――太刀先と剣先は、約6ナンマラ(3メートル)ほど離れている。とは言え、僕とクラウディのいずれかが動けば、一瞬で間合いはゼロとなるに違いない。
僕の鼓膜を叩くのは、自身の心臓の音のみ。
刹那の刻を無限に感じる――――と、クラウディの背後に広がる空が視界に入った。訓練場に足を踏み入れた時から曇天で、このまま雨模様になるか……と考えていた。
なのに。
不意に雲が切れる。日差しが眩しい。太陽が顔を出した? クラウディの剣――〝月光〟が天からの光を反射し、煌めいている。
〝月光〟が〝日光〟に照り映える情景は、妙に幻想的だ。
この局面で、敵の武器を美しいと思うとは……自分の感情ながら、理解が及ばない。
よもや、現実逃避? 気後れしているのか?
地を踏みしめ、ククリの柄を改めて掴み直す。
僕の愛刀、ククリ――――頼む。お前も、僕と一緒に戦ってくれ!
やがて日輪は再び雲の向こう側に隠れ、地面に一瞬だけ浮かび上がった僕とクラウディの影は、またもや輪郭を失った。
観衆の誰も、言葉を発しない。物音ひとつ、立てない。僕とクラウディによる決闘の舞台――その幕が上がるのを、息を詰めつつ見守っているのだろう。
耳が痛くなるほどの静寂――――
「ブー……始め!」
ゴノチョー様の合図の声が、訓練場に響き渡った。
瞬く間も無く。クラウディが真正面から斬りかかってきた。眼前の動きなのに、剣筋が見えない。雷光の如き、速さ。思考が追いつかない。反射的にククリで受け止め――――
ギャン! と金属同士がぶつかる音。火花が散ったかのような錯覚。身体中に衝撃が走る。
このまま防ぎ……きれない!? ダメだ。腕が押し負ける。脚に力を込めるものの踏ん張りがきかない。だったら、横へ流す――のも、不可能だ。ムーンライトの圧力が途方もなく重く、激しすぎる。その勢いに呑み込まれる。反撃どころか、防御の対応さえ、ほとんど出来ない。
過去、クラウディの剣技を目にしたことはあった。その威力についても、充分に知っているつもりだった。が、考えの甘さを身をもって味わう。こうして今、クラウディの敵となり、戦ってみると――彼の強さは、僕の予想のはるか上をいっている。まるで、ヒトの形をした津波だ。
なすすべも無く、両断される――――――――死…………んでたまるか!!!
咄嗟に大地を蹴り、後方へ全力で跳び退く。ムーンライトの剣先は、ギリギリで僕の身体に触れなかった。
地に足がつくや、すぐさま姿勢を回復させる。追撃は――無い。
よし。
僕はクラウディへククリを向け直し、けれど、目にした光景にギョッとした。あれほどの速力で剣を振り下ろしたにもかかわらず、彼は長剣の先端部分を地面につけることもなく、即座に元の構えに戻っているのだ。
更に……。
え? ムーンライトの切っ先に僅かだが血の跡が――
途端に、太腿にズキンとした疼痛を感じる。目線をクラウディから外すわけにはいかないため、確認できないが……ああ、これは…………間違いなく、右足に傷を負ったな。
ズボンの内側にヌルリとした感触を覚える。血が大腿部より溢れ、膝を伝って足首まで流れているようだ。
く! ……馬鹿な!? 斬られていた? 躱したはず……と思い込んでいたが、クラウディの剣は僕の身体に届いていたらしい。
斬りざまがあまりにも速く、鮮やかであったためか、ダメージを負った瞬間に痛みを感じなかった……そうに、違いない。
……………………っ!
動揺するな。勝負はまだ、始まったばかりなんだ。
右足は……大丈夫、動く。
深傷では無いことが、せめてもの救いか。
しかしながら……なんてヤツだ。
クラウディの戦闘力の高さについて、今更ながら痛感する。〝バイドグルド家最強の騎士〟という呼び名は、やはり伊達では無かった。
思い知らされる。僕が彼の攻撃をククリで防げなかったのは、単に腕力だけの問題じゃ無い。クラウディと僕の〝剣士としての格〟が違うのだ。クラウディには未熟な僕とは格段に異なる、剣の使い手たる技倆と経験、そしてそれらに裏付けられた自負があるんだ。
彼は正真正銘、本物の戦士で――ならば、僕は急ごしらえの偽物か? ……いいや! そんな訳は無い。卑下しちゃ、ダメだ。今までのことを思い出せ! 僕だって……僕だって、試練を経てきたはず。地獄ではレッド・ブルー先生・イエロー様・ブラック・グリーン、5人の鬼より教えを受け、ウェステニラに来てからも獣人の森や街道、ナルドットの街で幾度となく戦ってきた。
そして何より……右腕に巻いた、白いカチューシャ。背負っている〝想い〟は、紛れもない本物だ。
そうだ。
守るんだ。
クラウディが如何に強かろうと……絶対に負けられない。負けない!
だが……どうする? 純粋な剣術勝負では、僕はクラウディに及ばない。悔しいが、その事実は冷静に認識しないと。僕にあって、彼には無いもの……それは、魔法使いとしての能力だ。だったら……風魔法で自身の動きを加速させるか、あるいは火や水の魔法で牽制を……。
そのような考えが脳裏に浮かびかけた時。
僕の浅慮を嘲笑うかのように、クラウディの剣先が猛然と襲ってきた。上からの打ち込みでは、無い。水平な攻撃だ。
ムーンライトが、〝点〟となって僕へ向かってくる。これは……突きを放ったのか!? 狙いは、顔面?
「――っ!」
辛うじて紙一重で避ける。頭部の横を突き抜ける、物凄い風圧。殺意の疾風を至近に感じたけれど、ともかく助かった。まともに食らっていたら、顔面に穴が開いていたところだよ。
ホッと。
無意識のうちに安堵の息を漏らし……な! またか!? 一撃目が終わらぬ前に、迫りくるニ撃目。連続の刺突だ。いや、連続どころでは無い。ほぼ同時だ。
三撃目、四撃目――クラウディの突きが止まらない。加えて、ムーンライトは稀に見る長剣。その攻撃範囲は、通常の剣による突きと比べて段違いなまでに広い。
月光が降りそそぐ、必殺のエリア。その内側に、僕は居る。僅かでも判断を誤れば、待っているのは永遠なる眠りだ。
異常な長剣を巧みに操る、異才の騎士――神業とも呼ぶべきクラウディの攻勢に晒され、息をつく暇も無い。
魔法による反攻は…………くっ。到底、今は無理だ!
魔素の吸収を少しずつ進めているものの、それを体内で魔力へ変換するための余裕を見つけられない。クラウディへの応戦で、精一杯だ。
容赦なく僕を襲う、鋭利な切っ先。
四段突き――
五段突き――
六段突き――
ムーンライトの閃光が、同じタイミングで6つ出現した。向かってくる先は、顔・喉・鳩尾・左胸・左右それぞれの肩……つまり、上半身のあらゆる急所。懸命にククリで防ぎ、身体を機敏に動かしても、全ての突きを回避するのは――――
「う!」
左肩の下、脇の内側あたりに剣先が突き刺さる。クラウディの剣の鋭さの前に、革鎧の防御力は無意味だった。あたかも紙切れのように貫かれる。
剣により穿たれた傷口から、血がほとばしり出る。しかし、痛苦に呻くのは、後だ。歯を食いしばり――渾身の力でククリをムーンライトにぶつけ、薙ぎ払う。
そして可能な限りクラウディと距離を取り、体勢を立て直す。
――――マズいな。現在までの戦い……僕は一方的にヤられている。既に、肩と太腿を負傷してしまった。どちらの傷口からも出血している。動けなくなるような重傷を負うのはギリギリで防げているけれど、このままの状況が続けば、最終的に敗北へ追い込まれるのは明白だ。
反撃の方法を必死に考える。剣と魔法の両方で――
剣は……次にクラウディが斬りつけてきた時、ムーンライトを躱して彼の懐に飛び込み、ククリを振るう――それしか無いだろう。戦闘に勝利するための基本は先制攻撃だが、ムーンライトを手にしているクラウディが相手である以上、戦いの主導権を握るのは至難の業だ。ならば危険ではあっても〝後の先〟でいくしかない。
そして、魔法……魔素を魔力へ変えるだけの気力・体力・時間を、この決闘の最中において僕は持てそうも無い。魔法の使用は諦めるしかないのか……少量ではあるが、せっかく魔素が血液の中に溶け込み、身体の中を巡っていると言うのに…………待てよ。血液……血か……。
僕は目下、傷を負って血を流している。だったら……イイヤ、それはダメだ。魔法の扱い方として、それは邪道すぎる。先ずもって、出血の量が足りない。しかし、いよいよとなれば……。
迷えるだけの猶予は与えられなかった。
事態が動く。
――来た!
クラウディが、激流のような暴威で斬り込んできた。けれど、見える! ようやくだが、彼の速さに目が慣れつつある。
剣筋から読める、その目的は――僕の左肩から右脇腹への切断。袈裟切りか!?
空間そのものが分離されてズレてしまっても不思議ではないほどの、剣のスピード。戦慄の威力。肉体が、立ち向かうことを本能的に拒否してくる――が、意思の力でねじ伏せる。
怖れるな。踏み込め!
視覚のみでは、クラウディの動きを完全に捉えきれない。聴覚と触覚、のみならず第六感まで加えて、身体を操作する。
右の耳元を、凄まじい剣圧が通り過ぎる。躱せた! よし、ククリで斬りつけ――――な!
その瞬間。
視界の端に映ったシーンに、驚愕する。
地上スレスレまで振り下ろされたムーンライトが、まるで弾かれたかのように斬り上がってきたのだ。それも、剣速は一切変化せずに。今度の狙いは――右脇腹から左肩へと、僕の肉体を斜めに断ち割るつもりか!?
ぐ! 距離が近すぎる。僕はもう、反撃しようと全力でクラウディとの間合いを詰めてしまっている。
急げ! 横へと動くんだ。逃れるために、左へ身体を――――っ!
背筋が凍る。
――――クラウディは、ムーンライトを右手のみで持っていた。あの長大で、ククリよりズッと重いであろう剣を……片手で振り上げるなんて。しかも、速い。
ダメだ。回避できない。両手で扱うのに比して、ムーンライトの可動域が広がっている。単なる真横への移動では、剣に追いつかれる。こうなったら!
一か八か、僕は大地を蹴った。思い切って身体を捻りながら跳躍し――それでも、脇腹に切っ先が食い込む。革鎧ごと肉体が抉られる。
激痛。
見なくても、腹部より血が噴き出したのが分かる。すかさず斜め上へと跳んだことで、辛くも致命傷になるのだけは阻止したが、客観的に見れば、まさに絶体絶命……。
しかし!
宙を舞いながら、左手を横腹の傷口に当てる。掌にべったりと付着する鮮血。不気味な赤。魔素が染みこんでいる、僕の血液。
左手の5本の指先に血の滴が溜まる。これは反則技の魔法だが……今は、そんな悠長なことを言っている場合じゃ無い。
覚悟を決めろ、サブロー。
クラウディに対抗するため、あらゆる手法を用いないと。――――足掻け! どんなことでも、しろ!
「《血弾》!!!」
僕は空中で一回転しつつ、左手をクラウディへ向けて振り放った。銃丸のように小さな、5つの血の塊が飛ぶ。
行け! 行って、クラウディに一矢報いろ!
赤い小粒な飛翔体は敵へ高速で向かっていき……クラウディは以前、暗闇の中で飛んできた矢を掴み取ってしまった。が、彼がどれほどの達人であろうと、これを避けることは不可能なはず――僕は、そう思った。
しかし、クラウディの能力は常に僕の想像を超えてくる。彼は、己を目掛けて飛んでくる正体不明の物質を視認するや、間髪を入れず、剣を水平に払ってみせたのだ。
横薙ぎの一閃。
それだけで暴力的なまでの逆風が発生し、僕の血の弾は消し飛んだ――――だが、僕だって、いつまでもヤられっぱなしじゃ無い。予め、時間差で《血弾》の魔法をもう一度放っておいたのだ。
再びクラウディを襲う、鮮血の弾丸。やはり彼は剣の一振りで撥ね飛ばすが、今回は全てを防ぎきることは出来なかった。
一発が、クラウディの左の上腕部に命中する。
「―――っ!」
クラウディは声を発しない。けれど、僕の血で作った凶弾は鎖の鎧を貫通し、確実に彼の身体を傷つけた。
クラウディの左腕が、彼自身の血に染まり始める。
……知れ、クラウディ。それは、単なる外傷じゃ無いぞ。
《血弾》は、闇魔法の1つだ。己の血液を利用することで、魔力への変換を終えていない魔素さえも、攻撃の手段にしてしまう。
加えて敵へ当たった場合、副次的な効果をもたらす。相手の肉体を傷つけるだけでなく、その内側へと侵入して体調や感覚を狂わせていくのだ。目まい、吐き気、脳の働きの鈍化、手足の痺れ……影響が出るのに時間が掛かるのが難点であるが――この際、贅沢は言っていられない。
着地する。右脇腹のあまりの痛みに、思わず膝が折れ掛ける。しかし、グッと堪える。
負傷は既に3箇所。太腿、肩、そして大怪我の腹部。出血も酷い。
全身に寒気を覚える。血を流しすぎたために、体温が低下しているのかもしれない。
けれど、倒れるわけにはいかない。脱力感に苛まれるが、腰を僅かに落とす行為も敢えて控える。我慢して、背筋を伸ばす。
クラウディに、弱みは見せられない。
それに何にも増して――油断して膝を少しでも地につけてしまったら、その時点で僕の敗北が決まってしまう。
状況は、未だに僕が圧倒的に不利だ。考えろ。ここから、どうやって逆転する――?