決闘前夜
視点の変更があります。
クラウディとの決闘は、翌日の午前に行われることになった。
オリネロッテ様が「決闘ともなればイロイロな準備もありますし、サブローさんも本日のゴタゴタでお疲れになっているでしょう?」と提案してくださったためだ。
……助かった。さすがに、これから即座に決闘するのは精神的にも体力的にもキツい。
騎士団長などは、むしろ、可能な限り早いうちに厄介ごとを片付けてしまいたいと思っていたようだが。
彼を含め、大広間に集まっている者の多くは、いざ戦えばクラウディが僕を瞬殺してしまうのは間違いないと考えているのだろう。
僕の善戦を信じてくれているのは……ミーアやシエナさん、フィコマシー様など、ごく少数。
オリネロッテ様が、無邪気に瞳を輝かせる。
「せっかく、サブローさんとクラウディが戦うんですもの。公平を期すためにも、どちらも万全の体調でなくては意味が無いわ」
美貌の令嬢の発言に彼女の騎士――クラウディが大きく頷く。
「お願いします。お父様」とフィコマシー様も深く頭を下げた。
娘たちの申し出を受け、侯爵は思案する様子を見せる。そして、結論を下した。
「そうだな。では、決闘は明日にする。クラウディもサブローも、今晩は身体を休めて英気を養うと良い」
リアノンが僕の付き添い役になってくれる件も、騎士団長によって了承された。
本当に有り難い。僕は先ほど、彼女に嫌みを言ったばかりなのに。その度量の広さには、敬服するしかない。
リアノンは、まさに騎士の鑑だね。でも、彼女なりの葛藤もあったはず。如何なる思いで、付き添い役を志願してくれたんだろう?
周囲の騎士たちが、リアノンに警戒するような眼差しを向けている。しかし彼女は気にも留めず、僕へ歩み寄ってきた。
僕を真っ直ぐに見つめ、女騎士は快活に笑う。
「サブロー、頑張ろうな!」
……なんて、眩しい笑顔なんだ。
……なんて、楽天的な笑顔なんだ。
……なんて、何も考えてない笑顔なんだ。
羨ましい。
僕はリアノンへ礼を述べる。
一方、オリネロッテ様はフィコマシー様へ語りかけていた。
「サブローさんとクラウディの決闘、いずれが勝つのかしら? ワクワクするわね。お姉様は、どう思う?」
「え……」
まるで『チーズケーキとスポンジケーキ、どっちが好き?』と尋ねるみたいな……そんな妹の気軽さに姉は面くらい、答えられない。
クラウディは、オリネロッテ様に忠誠を誓っている騎士だ。にもかかわらず、その問いかけは――
彼女の妙に子供っぽい、それ故に残酷さを感じさせる言動に肌寒さを覚える。
オリネロッテ様の真意は何だ? 事態の成り行きを、ただ楽しんでいるだけ? 面白半分の遊び感覚?
……もしそうだとしても、彼女の口添えによって僕が助けられたのも、また事実。ひょっとしたら、その振る舞いの全てが演技である可能性も……。
僕はオリネロッテ様へどのような感情を向ければ良いのか、困惑してしまった。
♢
今晩は、侯爵家のお屋敷に泊まる。
僕は客室で1人きりだ。
シエナさんは、館内の別のところに閉じ込められている。けれど、場所は牢獄とかでは無く、狭いながらも一応ちゃんとした部屋だと聞いた。しかも同室の見張り役はリアノンらしいので、取りあえずは安心だろう。
ミーアには、フィコマシー様に付いていてもらうことにする。いつも一緒のシエナさんと離ればなれになって、フィコマシー様も不安に違いないからね。ミーアが側に居れば、心細さも紛れるはず。
「分かったニャン! 今晩は、フィコマシー様と一緒に寝るニャ!」と元気よく答えてくれるミーア。
いえ。別に〝同衾して欲しい〟とまでは言っていないんですが……でもフィコマシー様も嬉しそうだし、まぁ、良いか。
マコルさんは、侯爵家から特段の咎めは受けなかった。自由の身となった彼に、冒険者ギルドへの伝言を依頼する。
「了解しました。〝サブローくんとミーアちゃんは所用があって、明日はギルドへ赴けない〟と伝えれば良いんですね」
「ハイ、宜しくお願いします」
本当なら明日は、僕の冒険者見習い初日、ミーアの研修4日目だったんだけどね。
正式な冒険者としてスタートするはずの日に、いきなり欠勤かぁ……。
「サブローくん。貴方がやむを得ない事情で冒険者活動を休むのは、明日1日だけですよ。それ以上の休暇は、あり得ません。明後日にはミーアちゃんを連れて、ギルドへ自ら足を運ぶのです。分かっていますね」
マコルさんが、真剣な口調で念を押してくる。
「マコルさん……」
「私に約束してください。『決して、ミーアちゃんを悲しませたりはしない』と」
「勿論です。約束します!」
僕の誓いの言葉を聞き、マコルさんは表情を緩めた。
「では、私はすぐに冒険者ギルドを訪ねます」
「お手数をお掛けして、申し訳ありません」
「気にしないでください、サブローくん。実は私も、冒険者ギルドへ用事があったんです」
「え? それは……」
「ちょっと、御領主様へ掛け合ってみたのですよ」
冒険者ギルドと……ナルドット侯爵?
なにやら、意味ありげな発言だね。気になる。
僕が疑問を口にしようとすると、マコルさんは首を軽く横に振った。
「確定事項では無いため、今は申し上げられません。明日になれば、分かると思います」
そう述べて、マコルさんは領主館を出て行った。侯爵家の騎士1人と使用人(執事か?)1人が、マコルさんに同伴している。
不可解な組み合わせだが……マコルさんが教えてくれない以上、悩んでいても仕方ないな。
今日は昼過ぎから、ズッと緊張しっぱなしだった。ともかく、心と身体を休めよう。
僕はベッドに横になり、眠りについた。
夢は見なかった。
♢
薄暗い部屋の中、シエナは粗末なベッドに腰掛けていた。『独房』とでも呼びたくなるような陰気な一室ではあるが、入牢させられていないだけ、まだマシだろう。
(罪人では無く、被疑者扱い……といったところかしら。これも、お嬢様やサブローさん、皆様が尽力してくださったおかげね)
シエナは感謝する。本来なら、自分は大広間で、侯爵の命を受けたランシスによって斬られていたはずだ。生きて夜を迎えられていること自体、奇跡と言える。
ドアのほうを見やる、シエナ。
視線の先には、リアノンが立っていた。
部屋は狭く、2人の距離はとても近い。
「騎士様……ありがとうございます」
「ん? 何がだ?」
「サブローさんの付き添い役に名乗りを上げてくださって……」
「ああ、あれか。私が好きで、したことだ。お前が礼を述べる必要など、無いぞ」
「でも、宜しかったのですか? 騎士様は、オリネロッテ様の専属護衛騎士になることを目指しておられたんでしょう?」
シエナの問いを受けても、リアノンはお気楽な調子を崩さない。返事をしつつ、軽く肩を揉んだり、腕を回したりしている。喋ると同時に、身体を解しているらしい。
「大丈夫だ。私は夢を諦めたつもりは無いぞ。決闘でサブローの付き添いをキチンと務めて、その上でオリネロッテ様の騎士にもなる。万事、順調だ」
何故リアノンがそんなに自信満々なのかシエナにはサッパリ理解できないが、不思議と頼もしく感じてしまった。
(おそらく、騎士様は何も考えていないんでしょうけど)
「明日の決闘、サブローさんはクラウディ様に勝てるでしょうか?」
サブローの身を案じ、シエナの声が微かに震える。
クラウディの強さについて、シエナは今まで幾度も耳にしてきた。
曰く、――バイドグルド家最強の騎士。
曰く、――無敗。
曰く、――百年に1人の逸材。
その実績と名声の高さは、異常なほどだ。
「う~ん。騎士である私の眼から見て、剣の才能ではクラウディのほうがサブローより上だ。加えて実戦経験の差……クラウディが圧倒的に優位なのは、否めないな」
「そんな!」
……知っていた。
その事実は、既に充分に認識していた。なのにリアノンの返答を改めて聞き、シエナは目の前が真っ暗になる。
「とは言え、心配するな」
(なんですって!)
リアノンの脳天気なセリフに、シエナの頭は熱くなった。我知らずカッとなりかけ、慌てて感情を抑える。
「戦いの結果は、やってみなければ分からない。剣を持つ者が考えるべきは『勝てるか、勝てないか』では無い。『戦うか、戦わないか』だ。少なくとも私はそうだし、サブローも間違いなく同じだろう。サブローは『戦う』と決めた。クラウディは、応じた。それが、全て。決闘の行く末をアレコレ予想して気を揉むなど、無駄なことだよ。『未来は天のみぞ知る』さ」
アッケラカンとした語り口。これが、リアノンの戦士としての悟りなのか。それとも彼女なりに、シエナを慰めようとしているのか――
深呼吸し、シエナは目を閉じる。
瞼の裏に浮かぶ、サブローの姿。自分に剣を捧げてくれた、愛しい少年――彼の声、その眼差し、抱きしめられた時の温もり。
嬉しくて
苦しくて
申し訳なくて
〝喜び〟というには切なすぎる思いが、心の中に満ちる。
だからこそ
(信じる……私は、サブローさんを信じる……)
少女は胸に手を当て、己が鼓動を確かめた。サブローが繋いでくれた、生命の音。
「そう……ですね。騎士様」
「リアノンだ」
「え?」
シエナは目を見開く。
「私のことは、名前で呼べ。敬称は要らんぞ」
「で、でも私はメイドで……」
しかも〝罪を犯したのではないか?〟と疑われている身だ。
「構わん。それに私とお前は、と、と、とととととと友達だろ? シエナ」
リアノンが早口で述べる。恥ずかしいのか、目線を逸らしながら。
シエナは、思わず微笑んだ。
「ええ。そうですね、リアノン。私たちは友達です」
♢
ミーアはフィコマシーの寝台に潜り込んでいた。サブローから「今夜はフィコマシー様と一緒に居てあげて」と言われていたし、ミーア自身も『そうしニャきゃ!』との思いに駆られた結果、このような行動に出たのである。
フィコマシーの16年の生涯は、辛い時間が多かった。過酷な年月の殆どを共に過ごし、彼女を支えてきたシエナ。フィコマシーにとって、単なる召使いである訳も無い。まさしく、〝半身〟とも言える存在。そのシエナと強引に引き離された。しかも明日、最悪のケースとなれば……。
フィコマシーの心痛は如何ばかりだろう。
(フィコマシー様を1人きりにニャンて、出来ないニャ!)
無力な自分では、フィコマシーを支えるなど不可能。それは、承知している。しかし、側に居ることだけは出来る――ミーアは、そう考える。
2人が共に横になって、しばらくの刻が経過した。丸まっているミーアのすぐ隣に、フィコマシーの身体がある。
(フィコマシー様。もう、寝ちゃったのかニャ?)
フィコマシーは寝息を全く立てないので、気配に敏感なミーアも、彼女が起きているのか眠っているか、イマイチ察せられない。
モゾッと、ミーアは身体を動かした。
「……ミーアちゃん」
「にゃ、にゃに? フィコマシー様」
「ありがとう。……そして、ごめんなさい」
静かな……あまりにも静かな、フィコマシーの声。
「フィコマシー様、どうして、謝るのかニャ?」
「私たちと関わってしまった……それが元で、サブローさんもミーアちゃんも、大変な目にばかり遭っている……」
「…………」
「本当なら今頃、サブローさんとミーアちゃんは楽しい冒険者生活を送っていたはずなのに」
「…………」
「あの日、あの街道で、私たちと出会ったために、しなくても良い苦労を……あまつさえ、生命が危険に晒されるほどの……」
「…………」
「サブローさんとミーアちゃんには、どれだけ謝罪しても、し足りない」
「それは、違うニャ。フィコマシー様」
暗闇の中、ミーアは囁き返す。敢えて、フィコマシーの顔は見ない。
「アタシ……上手く言えにゃいんだけど、これだけは分かるのニャ。アタシ達は、〝アタシとサブローだけ〟じゃ無いニャン。……もうアタシ達は、フィコマシー様とシエナも含めて、アタシ達なのニャン。だからアタシもサブローも、他人事じゃ無い――アタシ達自身のために、頑張ってるのニャ。全部、自分のためなのニャ」
「ミーアちゃん……」
「安心するニャよ、フィコマシー様。サブローは強いニャン。絶対、負けないのニャ」
「そうね。ありがとう……ミーアちゃん」
ベッドの中、2人の少女は手を握り合った。
♢
屋敷の片隅。暗がりの中。
「……アルドリュー様、何かご用でしょうか? 私はすぐにでも、オリネロッテお嬢様の元へ戻らないと」
「『何かご用でしょうか?』……じゃねぇよ。ヨツヤ!」
男が女の細い首をガッと掴んだ。そのままギリギリと締め上げる。
「ぐ……っ」
「なんで、オリネロッテのヤツをあの場に連れてきたんだ? おかげで計画がメチャクチャだ!」
「オ、オリネロッテ様の行いについて、私ごときが口を挟むわけには……」
「ち! 使えねぇなぁ……。やっぱりハンパ者は、やることなすこと、お粗末だな。いっそ、このまま処分してやろうか?」
男の赤い瞳と、女の赤い瞳が向かい合う。
数呼吸のあと、男は手を放した。女が咳き込む。
「まぁ、良い。メイドの始末は後回しだ。今は、サブローのヤツを先に片付けないとな。ホントに迷惑なヤツだよ」
「……彼は、いったい何者なのでしょう?」
「分からねぇ。どうして、あんな突拍子も無いヤツが不意に出てきたんだ? こっちが苦心して立てた策に、ことごとく横やりを入れてきやがって。まるで、どこかの神が、聖女を守るために意図的に送り込んできたみたいじゃねぇか」
「そんな、まさか……」
男が吐き捨てるように言葉を述べ、女は唖然とする。
「けど、決闘って展開も悪くない。今となっては、メイドよりもサブローのほうが邪魔者だからな。クラウディなら、確実にアイツを殺してくれるだろうよ」
「ええ」
「サブローが死んだ後で、メイドはゆっくり処理すれば良い。そしたら聖女は1人ぼっち。身辺に居るのは敵か、自分を嫌う者だけ……そんな状況になる。真の孤独地獄だ。遠からず、潰れるさ」
「…………」
「ああ、面倒くせえ! 聖女をぶっ殺せば、すぐ済む話なのによ」
男はガリガリと抹茶色の髪を掻きむしった。
「仕方ありません。私たちは聖女に直接、手出しすることが出来ないのですから」
「女神ベスナレシアの加護ってヤツか……」
「〝世界の均衡〟という問題もありますし」
「へ! 下らねぇ」
忌々しげに口の端を歪める男。その様子を慎重に窺いつつ、女が尋ねる。
「そう言えば、もう1人の聖女のほうは――」
「そちらは、お前には関係ない。お前は、こちらの聖女への対処に集中してろ。余計なことに興味を持つな」
「ハイ」
女は、下を向いた。ネイビーブルーの長髪が前面に垂れ、その表情を隠す。
「聖女を壊し、更にはベスナーク王国を混乱させ、力を弱める。そのためにも、オリネロッテにはもっと派手に狂ってもらわなくちゃならないんだが……何故、未だにアイツの中に〝姉妹への情〟が残ってるんだ?」
「……私には、分かりかねます」
女のボソボソした返事に、男は眼を細める。
「ヨツヤ。お前、もしや、共に過ごしているうちに絆されちまったんじゃないだろうな? 『魔族の血が混じった自分を側に置いてくれるなんて』とか浮ついたことを考えてるなら、只では済まさねぇぞ。勘違いすんな。あの女がお前を近侍させているのは、物珍しさゆえの単なる気まぐれだ」
「承知しております」
「ふん。そのセリフ……本心かねぇ? 混血のハンパ者であっても、魔族の一員である以上、お前に〝魅了の瞳〟は効かないはずだが……。なぁ、ヨツヤ。お前のオリネロッテへの心酔、芝居なんだよな?」
「無論です」
男は女の髪を掴んで、無理矢理、顔を引き上げた。
「良いか、忘れるな。アイツは所詮、紛いモノ。仕立て上げられた〝偽物の聖女〟に過ぎない。本物の聖女がどうなるにしろ、アイツに待っているのは破滅だ」
「…………」
「今は周りにチヤホヤされて、お伽噺のお姫様を気取っているのかもしれないが、役割を終えた人形は捨てられる――そういう定めなのさ」
「ハイ……」
「『お姫様は、死にました。皆みんな、死んでしまいました』――お伽噺を語る上で、これこそが最高の結末だとは思わないか?」
「……仰るとおりです」
「ヨツヤ。お前も、死んじまう〝皆〟の中に入れられないよう、気を付けろよ」
男が、せせら笑う。
女は黙ったまま、ソッと唇を噛みしめた。
♢
様々な者たちの思惑が交差し――
そして、夜が明ける。




