剣を捧げる(イラストあり)
★ページ途中に、イラストがあります。
オママゴト――――ふと、何かの記憶が脳裏を掠める。
一見、たわいも無い。しかし、この苦境を打開する鍵となるかもしれない、そんな光景。
早く、思い出せ。時間は無いぞ! オリネロッテ様は〝今か今か〟と、僕の応答を待っている。
今日のオリネロッテ様は、いつにもまして、言動が不可解だ。下手すると、新たな難題を持ち出してくる怖れもある。
必死に考える。
――っ! ……そうだ。つい、昨日。冒険者ギルドの新人研修3日目。
僕はミーアを連れて、セルロド教――いや、真正セルロド教の教会を訪れた。それから、聖堂の隣にある広場で子供らと遊んだのだ。
オコジョ族のケイトちゃんが提案し、彼女や男の子たち、皆で楽しんだオママゴト。その内容は――
夫である領主。
貴婦人の妻。
彼女へ剣を捧げる騎士。
貴婦人は無実であるにもかかわらず濡れ衣を着せられて、領主に成敗されそうになる。
奥方を守るために、騎士は奮起する。そして、領主へ決闘を申し込む。
勝てば、貴婦人の身の潔白が証明される。
負ければ、待っているのは騎士の死。加えて、奥方の破滅。
戦いの結果、騎士は見事に勝利し、奥方を救う。
そんなストーリー。
うん。かなり強引なロジックなのは間違いないけど、シエナさんを救える方法があるとしたら、これしか無い。
…………ユックリと息を吸い、肺の中に空気を充満させ、はき出す。
「承知しました。今から、シエナさんの無実を証明します」
そう述べると、部屋中の視線が僕へと集まった。背後で、シエナさんが驚いている気配がする。
オリネロッテ様が興味津々といった眼差しを向けてくる。
「ふ~ん。……サブローさん。いったい、どうするのかしら?」
僕はナルドット候の居る方向へ身体の向きを変え、ハッキリとした声で表明した。
「僕は侯爵様へ、決闘を申し込みます」
一瞬、大広間が静かになる。
「剣を捧げた淑女の名誉を守るため、決闘を行う――騎士には、その権利があるはずです。僕は戦いに勝利することで、シエナさんへ掛けられた冤罪の疑いを晴らします」
僕の宣言に、誰も口を開こうとしない。どう反応すれば良いのか、判断がつかないらしい。
やがて、オリネロッテ様が戸惑った口調で話しかけてきた。
「あ……あの、サブローさん……」
「何でしょう? オリネロッテ様。名誉や尊厳が懸かった場面において、真実の判定を神々に委ねるべく、騎士同士が命を賭して決闘する――その慣例は、ここベスナーク王国でも認められているのですよね?」
「ええ。それは、そうですけど」
「だったら――」
ここで、僕とオリネロッテ様の会話は中断される。
「いい加減にしろ、小僧!」
僕の言い分に堪りかねたのか、ランシスが食って掛かってきたのだ。剣を奪われた恨みもあるのだろう。語気が荒い。
「貴様! 何をふざけた事を言っている!? それとも、頭がオカしくなったのか?」
「僕は、これ以上無いほどに正気です。ふざけても居ません」
「ならば、貴様は生まれついての馬鹿に違いない。いいか、聞け!」
怒声が、部屋中に響き渡る。
「騎士の決闘は、神聖なモノだ! あくまで己自身の名誉か、あるいは剣を捧げた主君や淑女のためにのみ、申し込むことも、受けることも許される」
憎々しげに僕を睨み付けてくる、ランシス。
「小僧――如何に腕が立とうと、貴様は平民。ましてシエナは、ただのメイドだ! 騎士が剣を捧げるに足る、尊貴な身分の女性では無いぞ」
「だよね~」
すかさず、アルドリューが茶々を入れてくる。
「メイドに忠誠を誓う騎士なんて、聞いたことも無いよ。いいや、腕に覚えがある者なら、平民であっても、そんな愚かなマネはしない。ねぇ、サブロー。キミの強さについて、オレは良く知ってる。けどね、いくらメイドちゃんが大事でも、剣を捧げる相手を間違えちゃダメだよ。どうせなら、ロッテ嬢に――」
「僕は……!」
大声で、アルドリューの発言を遮る。続けざま、グルリと周囲を見渡し…………思ったよりも、この部屋にはたくさんの女性が居るな。
背後のシエナさん。それからミーア、フィコマシー様とオリネロッテ様の侯爵家姉妹、オリネロッテ様に付き従うアズキとヨツヤさん、騎士のリアノン――――
「僕は……身分、立場、年齢に関係なく、『全ての女性は、淑女である』――そう信じていますので」
断言する僕へ、大広間の人々は1人として――いきり立っていたランシスや口が達者なアルドリューでさえ――答えを返してこない。
呆気にとられているのか、憤慨しているのか。それとも、〝平民の少年の下らない戯言〟と切って捨てているのか。
何であろうと、構わない。
僕は、思いの丈を述べるだけだ。
「そして……大切な人のために、自分の命を懸けて戦える者ならば……たとえ身分は低くとも、騎士に等しい心を持っている……僕はそのように考えています」
くるりと振り返る。シエナさんは呆然とした表情となり、声を失っている。そんな彼女の前で、サッと片膝をつく。
間髪を入れず、抜き身の剣の柄の部分をシエナさんへ差し出した。切っ先は自分の胸へと向ける。
「サ、サブローさん……」
「シエナさん。僕を、貴方の騎士に任じてはいただけませんか?」
「え……?」
顔を上げ、シエナさんの琥珀の瞳を見つめる。
「貴方へ、僕の心よりの忠誠を捧げます。もしも返事が『否』なら、柄を押してください」
「そんな……」
シエナさんが絶句する。
剣先が、己が胸を貫くのも覚悟する。
〝騎士がレディへ心を、剣を、捧げる〟とは、そういう事なのだ。
ああ……僕の瞳に映じるシエナさんの姿が、美しい。
いつものメイドの格好。今日一日の苦難のために、汚れがつき、汗をかき、疲れきり――――それでも彼女は、美少女だ。
この異世界で――僕が出会った、美少女だ。
シエナさんの美しさを見過ごさずに済んだ。
真美探知の機能を僕へ授けてくれたグリーンへ、今更ながら感謝する。
シエナさんの顔色が蒼白になった。緊張が極限に達しているのか、その身体が小刻みに震えている。
彼女は何度も口を開こうとし――けれど、思いとどまる様子を見せる。
僕の申し出を受けても良いのかどうか、躊躇しているのだろう。
そんなシエナさんへ、フィコマシー様が語りかける。毅然とした声だ。
「シエナ! サブローさんの剣を受け取りなさい」
「お、お嬢様……でも……」
シエナさんが、縋らんばかりの眼差しを己が主へ向ける。急な事態に動転する彼女を安心させるように、フィコマシー様は柔らかく微笑む。
「大丈夫よ、シエナ。サブローさんを信じるの。そして、貴方にはサブローさんの申し出を受けるだけの資格がある。私が、保証するわ」
「ハ……ハイ。…………ハイ! お嬢様」
フィコマシー様の激励を受け、シエナさんは決心したようだ。僕が差し出す剣の柄をシッカリと握る。その重さに少しよろめいた後、刃の平らな部分を慎重に僕の肩へ当てた。
「……サブローさん。私、貴方の剣と真心を確かに受け取りました。騎士に任じます。……貴方は、私の騎士です」
「ありがとうございます。シエナさん!」
深く一礼する僕へ、シエナさんが剣を手渡す。
この儀式に使った剣がランシスのモノだったというのは、ちょっと引っ掛かるが――重要なのは、剣に込めた魂だ。
我が手に戻ってきた武器を強く掴み、僕を勇んで立ち上がる。そして再び、彼女を守る体勢となった。
僕とシエナさん。
平民の少年とメイドの少女。
2人が織りなす奇妙な騎士叙任式を、大広間に居る人々はただ見続けるのみだった。
――――と。
「あははははははは!」
甲高い、それでいて不思議と耳に心地よい笑い声が、沈黙の帳を破る。……オリネロッテ様?
「最高! 最高よ、サブローさん! こんなに面白いお芝居、王都の劇場でも観たこと無いわ!」
ひとしきり笑い続けた後、オリネロッテ様は急に真面目な表情になり、侯爵へ向きなおる。
「それで、お父様。サブローさんはこのように仰ってますけど、お父様はどうなされるのですか?」
僕の前面には、魔法による攻撃を警戒した騎士達が、主君の盾となるべく密集していた。その人間で作った壁が、割れる。
改めて直接、僕とナルドット候は顔を合わせる形となった。
…………回答は?
顎髭を撫でつつ、何事かを思案する侯爵。しばしの間の後、彼は、おもむろに話しはじめた。
「ふむ。条件次第では、この茶番劇に付き合ってやらんでも無い」
――っ! 秘かに安堵の息を漏らす。
……でも、意外だな。決闘の申し込みについては、侯爵に一笑に付される可能性も視野に入れていたのだが。
咄嗟に意見しかける騎士団長を、侯爵が目で制する。
「しかし……改めて述べるまでもないと思うが、サブローよ。仮に私がお前からの挑戦を受けるとしても、実際に戦うのは私では無い。それは分かっているな?」
「勿論です」
僕は、即座に頷く。
僕が侯爵との果たし合いを求めたのは、彼がシエナさんの処刑を決めた人物だからだ。裁定を覆すには、ナルドット候本人に決闘を申し込み、勝つしかない。
けれど、当然ながら勝負の場に出てくるのは、侯爵では無い。彼が立てる、代理の騎士だ。
「お前と戦うのは私の騎士となるわけだが……さすがに私も、こんな下らない揉め事で『命のやり取りを行え』と大切な臣下へ申し付けるのは気が引ける」
下らない揉め事……か。侯爵から見れば、そうかもしれない。
「そこで……だ。今回ばかりは、家臣達の自由意志に任せようと思う。もしも〝サブローとの決闘を引き受けても良い〟――そのように自ら考える騎士が居たら、決闘を行うこととしよう」
「なるほど」
侯爵の提言に、騎士団長が納得した顔つきとなる。更にアルドリューが愉快そうな声を上げる。
「それは良案ですね、侯爵閣下。サブロー、閣下がこう仰ってるんだ。早速、決闘を申し入れてみなよ。さぁ、果たしてサブローの挑戦に応じてくれる、お人好しな騎士は居るかな~? う~ん。……オレがバイドグルド家の騎士だったら、勝負してあげたんだけどな~。こんなんでもオレは、伯爵家の子息だし。本当に残念だよ」
僕はアルドリューの軽口を無視し、大広間に居る騎士1人1人へ視線を向ける。反応は様々だ。
冷然と見返してくる騎士団長。
困惑を隠しきれない面持ちになっているキーガン殿。
ひたすら憎悪の眼差しを向けてくるランシス。
俯いて、僕と目を合わせようとしないリアノン。
僕と決闘する意志を示す騎士は、誰1人として現れない。……予想は、していた。こんな状況で僕と戦うなんて、通常の感覚を持つ騎士ならば、望むはずが無い。
勝ったとしても、名誉どころか、むしろ恥辱。万が一、負けでもしたら――多くの者は、そう思っているのだろう。
だが、彼ならば。
僕の知る限り、誰よりも高潔で、誰よりも立派で、誰よりも強い騎士。
……深呼吸し、クラウディへ語りかける。
「……クラウディ様」
「何ですか? サブロー殿」
「覚えておられますか? 4日前の晩に僕と交わした、金打を」
金打――武人が誓約を交わす際、剣の鍔同士を打ち合わせる行為。
僕がドラナドやヨツヤさんと戦った、夜。
現場へ駆けつけたクラウディと、僕は金打を行った。血の臭いが立ちこめる裏路地に響いた、爽快な金属音――
「金打……忘れるはずがありません」
僕の言葉を耳にし、クラウディは穏やかに頷く。
「あの時、僕は『これより先、何かをお頼みしたら、1つだけ無条件で聞き入れて欲しい』とお願いし、それに対してクラウディ様は『騎士たる誇りに反しない限りは、引き受けます』と仰いました」
「ええ、確かに」
クラウディの紫眼を敢然と見据えて、言い切る。
「では、ここで、誓約を果たしてください」
「自分に、貴方からの決闘の申し込みを受けろと?」
「ハイ。それとも、僕と勝負することは、クラウディ様の騎士としての誇りに反しますか?」
クラウディは18歳の若さながら、王国でも五指に入る剣腕を持つという。
彼の恐るべき剣さばきは、僕も実見している。バイドグルド家の騎士たちの中で、僕が戦って勝てる確率が1番低い相手は、彼だ。
けれど、僕の挑戦を受けてくれる可能性がある騎士も、クラウディだけなのだ。
唯一の頼れる相手が、最強の敵とは……なんという、皮肉。〝これが運命〟などとは、思いたくもないが。
息を凝らしつつ、待つ。
つかの間、クラウディは考え込む物腰となり……やがて微笑した。
「良いでしょう、サブロー殿。貴方と決闘します」
クラウディの返答に、バイドグルド家の面々は揃って驚きの表情となる。アルドリューも例外では無い。
「ち、ちょっと、ちょっと、クラウディくん、本気なの?」
「無論、このような時に冗談など口にはしませんよ」
「こんな子供だましの遊戯に付き合ったら、キミの輝かしい経歴に傷がついちゃうよ?」
「心配していただき感謝します、アルドリュー様。しかしサブロー殿ほどの強者と戦えるのは、むしろ騎士としての本懐です」
「ああ~。これだから、〝騎士〟ってヤツは……」
アルドリューがため息をつき、額に手を当てて天井を見上げる。それから未練がましく、侯爵へ話しかけた。
「宜しいのですか? 侯爵閣下」
「クラウディが自ら望んだのだ。だったら、私に言うことは無い」
「けれど、ワールコラム様」
騎士団長が発言する。彼は、まだ決闘を止めようとしているらしい。
「決闘する騎士には、付き添い役が必要です。クラウディはともかく、サブローには……」
え? 付き添い役? それぞれの騎士につく、サポート役のことか。
……これは、失念していたな。どうしよう?
「サブローの付き添いなら、アタシがするニャ! アタシも、シエナを助けるんニャ!」
臆せず、ミーアが進み出る。
ミーアの気持ちは、とても嬉しい。シエナさんも感動しているのか、「ミーアちゃん……」と声を詰まらせている。
だが、僕は首を横に振る。
「ミーア……ありがとう。凄く嬉しいよ。でも、ミーアの申し出は受けられない」
決闘の付き添い役は、単なる世話係じゃ無い。手助けしている相手が戦いで倒れた際、場合によっては勝負を引き継いだりもするのだ。
そんな危険な役目をミーアにさせる訳にはいかない。
「付き添い役は無しにして……」
僕の言葉に、騎士団長が嘲りの笑みを浮かべる。
「ほう。つまり貴様は、この決闘が〝正式なモノでは無い。紛いモノに過ぎない〟と、自ら認めるのだな」
「く……」
上手く言い返せない。
「だから、アタシが、付き添い役になるニャン!」と言い張るミーア。
「ダメよ、ミーアちゃん」と諫めるオリネロッテ様。
「ミーアちゃん……オリネロッテ……」
フィコマシー様は、なんとか最良の解決策を見つけ出そうと思いを巡らしている。
「馬鹿が! 獣人の小娘が決闘の付き添い役など、出来るわけが無いだろ。身の程を知れ!」
ランシスが怒鳴った。
一方、騎士団長は諦めずに侯爵へ進言している。
「ワールコラム様。やはり、この決闘には無理があるのでは? クラウディは、いずれ当家の騎士団を背負う身。当然、勝つにしろ、彼の将来のことを思えば〝平民を斬った〟という醜聞は……」
「そうですよ。侯爵閣下」
アルドリューまで口出ししてくる。
……良くない流れだ。ここでナルドット候が考えを変えたら、シエナさんを救えるかもしれない僅かなチャンス――その細い道さえ、閉ざされてしまう。
他に思いつく策なんて、無いぞ。
く! どうする?
僕が、焦っていると――
「え、え~と、え~と、あの~あの~」
誰かが、場の雰囲気を壊しかねない、ヘドモドした調子で喋りだした。
声の主を見る。そこに居るのは、黒い眼帯で右目を覆った女騎士。
「サブローの付き添い役には、私が立候補します」
リアノンが、ピシッと右手を上げていた。
「サブローがシエナへ剣を捧げているシーン」のイラストは、Ruming様が依頼してくださり、Ai kisaragi様に描いていただきました。
Ruming様とAi kisaragi様に、心より御礼申し上げます。