白鳥の仲裁
クラウディと正対する。紫の瞳――彼の眼差しは、この期に及んでも平静だった。しかし姿勢は厳しく、付けいる隙を全く見いだせない。
理解する。今日、これまでに戦った10人以上の騎士たち全員を足し合わせたより――クラウディ1人のほうが、強い。
クラウディがユックリと腰に提げている剣へ手を伸ばし、柄を握った。もしも僕が火の魔法――《火炎放射》を放とうとしたら、彼はすかさず攻撃を仕掛けてくるに違いない。
それは、おそらく稲妻の如き威力と速度。
僕が炎を纏った左腕を振り下ろすより早く、彼の抜き打ちは、眼前の敵――僕の身体を切り裂くだろう。
けれど、クラウディは動かない。
刹那、ナルドットに来てからのクラウディとの交わりを振り返る。
彼とは、それなりに良い関係を築けていたように思える。出来れば、僕を殺したくない――もしかしたら少しだけ、そんな迷いが彼の中にはあるのかも。
しかし、それにもまして、クラウディは侯爵の身を案じているのだ。万が一の確率ではあるが、僕の反撃が成功する可能性も無いではない。その場合、ナルドット候は炎の渦に包まれてしまう。
クラウディはバイドグルド家の騎士。主の身を危うくするような勝負は、避けたいはず。
僕と目線を交えつつ、クラウディが口を開く。
「……サブロー殿。魔法も使えるとは……貴方には、本当に感服いたします。けれども、これ以上の狼藉は控えてください」
「僕も望んで、このような真似をしている訳ではありませんよ。クラウディ様」
「背後のメイドを、どうあっても庇うと?」
「……シエナです」
「え?」
「彼女の名前は、〝シエナ〟です」
僕はクラウディの強さに敬意を、その人柄に好感を抱いている。だからこそ、彼にはシエナさんのことを〝名も無き召使い〟として認識して欲しくない。
「……なるほど」
クラウディが頷く。
「しかしながら、サブロー殿。忘れては居りませんか? シエナは、バイドグルド家の奉公人です。彼女の処遇を決める権限を持つのは、当家です。貴方は、部外者に過ぎません」
「それは……」
言葉に詰まり……僕は苦笑する。
「もっともな仰りようですね」
「納得いただけましたか? でしたら、シエナを引き渡してください」
「それは、出来ません」
「サブロー殿!」
「クラウディ様……僕は、こう考えるのです。〝人を救うのに、理由は要らない。道理なんて、後からついてくる〟――と」
「貴方という人は……」
クラウディは、嘆息する。
「サブロー殿。そのシエナは、貴方にとって、己が命を、名誉を、未来を懸けるに値するほどの人間なのですか?」
「勿論です」
躊躇なく、肯定する。
「サブロー殿のほどの方が、どうしてそのように思い詰めてしまわれたのか……自分には、分かりませんね……」
「そんなことは無い筈です、クラウディ様。僕にとってのシエナさんは、貴方様にとってのオリネロッテ様……」
「オリネロッテ様?」
クラウディが、いきなり殺気立つ。目つきが鋭くなり、物言いに剣呑さが混じる。
――シマッタ!
「……サブロー殿。貴方はオリネロッテ様と、そこのメイドが、同等の存在だとでも言いたいのですか?」
迂闊にオリネロッテ様の名を口にするなんて。我ながら、愚かにも程がある。
クラウディの騎士としての誇りに不用意に触れる――地雷を踏んでしまった。
く! 凄い、圧迫感だ。
「サ、サブローさん……」
背後から、シエナさんの怯える声。
たじろぐな! 守るべき人が居るんだ。毅然としろ!
「同じ……とは、申しません。しかし僕は、優劣をつけるつもりはありません。オリネロッテ様もシエナさんも、等しく――」
「等しく……?」
これは……告げても良い内容なのか? クラウディは、オリネロッテ様の専属護衛騎士。普段は思慮深い人物ではあるが、オリネロッテ様のこととなると――
いや、退けないな。話をしている相手がクラウディだからこそ、誤魔化しは無しだ。
彼とは正々堂々、向き合いたい。それが結果として、命がけの衝突へ発展するとしても。
僕がクラウディへ語りかけようとした、その時。
「クラウディとサブローさん……楽しそうなお話をしているのね。私も交ぜてくれないかしら」
一片の汚れも感じさせない、澄み切った声が耳を貫く。
僕の炎環によって上がった、室内の温度。その熱気が急激に冷めていく――そんな錯覚を抱いてしまうほどの、玲瓏たる響き。
僕とクラウディは、声の方角へ顔を向ける。2人揃って、慎重な動作で。
見ないうちから、誰が居るのか悟る。
予想に違わず。
僕の瞳に映ったのは、『バイドグルド家の宝石』とまで呼ばれる美貌の令嬢――――オリネロッテ様だった。こんな修羅場へ足を踏み入れているにもかかわらず、些かも優雅な物腰を崩してはいない。
なんで、彼女がココに――?
オリネロッテ様の隣には、ミーア。2人の少女の後ろに、アズキとヨツヤさん。
ミーアがオリネロッテ様を連れてきたのか? 今より更に、状況が悪化するのを防ぐために?
侯爵邸の内部においては現在、間違いなく、厳しい警備体制が敷かれていただろうに。
ミーア……僕とシエナさんを救おうと、危ない橋を渡ってくれたのか……。
僕がミーアへ感謝の視線を送ると、彼女は嬉しそうにコックリと頷いた。
けれどオリネロッテ様がどのような心積もりなのかは、未だ不明だ。白鳥の戦場への降臨――それは吉と出るか、凶と出るか……?
フィコマシー様が、オリネロッテ様へと振り向く。
「オリネロッテ、来てくれたのね! ……ありがとう」
「お姉様……」
オリネロッテ様がフィコマシー様へ歩み寄ろうとし――足を止める。側へ寄りたいのに、近づけない……そんな雰囲気を感じる。
金の髪に碧玉の瞳の姉。
銀の髪に翠玉の瞳の妹。
侯爵家姉妹の間には、まだ僕の知らない何かがあるのだろうか?
侯爵が叫ぶ。
「オリネロッテ、何故このような場所へ来た! お前には謹慎を命じていたはず。すぐに自室へ戻れ」
ナルドット候……僕が魔法を発動して事態が切迫し、自身の命が際どい局面になった時でさえ、彼は冷静な言動を保ちつづけていた。しかしオリネロッテ様の登場に、その語調は乱れる。
一方、次女は、父親に叱られても全く焦りの色を見せない。落ち着き払っている。
「あら、お父様? この騒ぎには、先日私が襲われた事件も関係しているのでしょう? 私も、自分が掠われそうになった原因について知る権利はあると思うの」
オリネロッテ様の発言を受け、騎士団長がすぐさま見解を述べる。
「その問題に関しましては、首謀者はキドンケラ子爵、手引きしたのはフィコマシー様づきのメイドであるシエナということで、真相は判明しております」
フィコマシー様が怒りの声を上げる。
「そのような事はあり得ないと、何度言えば――!」
「お姉様」
妹が手を軽く上げ、姉の激情を制する。
「ユグタッシュは、こう言ってるけど……そうなの? シエナ」
オリネロッテ様の問いかけに、シエナさんは咄嗟に反応できない。僕の背後に居るため、直接その様子を確かめた訳ではないが……彼女は動揺――いや、戦慄しているな。
……シエナさんの気持ちが、少し分かる。
一見、オリネロッテ様はシエナさんへ助力を申し出ているかのようだ。
けれど。
オリネロッテ様の天真爛漫な表情、無邪気な話しぶり――妙に現実離れした彼女の態度は、暴力のニオいが満ちている室内の状況に余りにもそぐわず――どこか異様だ。
自身が興味を惹かれる事柄以外には、まるで価値を認めていない。
大空を舞う白鳥が、地上における虫同士の争いを冷笑しつつ眺めている。
――――そんな印象を受ける。
シエナさんは、真っ直ぐで堅実……常識的な感性の持ち主だ。
歯車が微妙にズレているかの如きオリネロッテ様の振る舞いに、安心よりも、むしろ恐怖を覚えてしまったに違いない。
「わ、私、は……」
「シエナさんは、無実です」
満足に口がきけないシエナさんに代わり、僕が答える。
「あら? サブローさん」
オリネロッテ様は驚いた顔になり、軽く胸へ手を当てた。あたかも、僕が居ることに初めて気付いたふうな素振りを見せ――続けて、面白そうに目を瞬かせる。
「サブローさんは強い剣士であり、その上、魔法使いでもあったのね。火の魔法を見事に操って……ふふっ。本当にサブローさんは凄い人ね。でも、この部屋は、ちょっと暑すぎではないかしら。炎を消してくださらない?」
「それは……」
僕が言葉を濁していると、オリネロッテ様はクラウディへ眼差しを向けた。
「クラウディ」
「ハ!」
「貴方は、少し下がって。構えを緩めなさい」
「…………」
「ほんの僅かな時間で良いの。私に、この場を預からせて」
オリネロッテ様の頼みを受け、僕とクラウディは互いの進退を注意深く窺い合う。
緊張の一瞬。そして―――
クラウディが剣の柄から手を離すと同時に、僕は左腕を下ろした。火魔法の発動も、一旦収める。
大広間に張り詰めていた空気が、やや緩和される。
とは言え、問題解決への糸口が掴めていない情勢に、何ら変わりは無い。
オリネロッテ様は少し俯き、考え込む。それから、おもむろに口を開いた。
「シエナは濡れ衣を着せられている――〝冤罪〟だと、サブローさんは主張しているのね?」
「その通りです」
「挙げ句、サブローさんはシエナを庇って、我が家の騎士たちと戦った……命懸けで……シエナは、サブローさんのお気に入りなのね。ちょっと羨ましいかも」
クスクスと笑う、オリネロッテ様。
シエナさんが身体を固くする気配が、背後より伝わってくる。
「オリネロッテ! ふざけている場合では無いぞ!」
「興奮なさらないで、お父様。私は、別にふざけてはいませんわ。本心から、そう思っていますのよ。……それで」
オリネロッテ様は侯爵のほうへ向き直り、口調を改めた。
「お父様やユグタッシュは『シエナが、お姉様と私、どちらへの襲撃事件にも関与していたのは間違いない』――そのように考えているのですね?」
「こちらには、キドンケラ子爵の証言という、有力な証拠がある」
「キドンケラ子爵……」
珍しく、オリネロッテ様が不快そうな表情になる。
「あの方の証言など、そもそも信用できるのですか?」
「しかし子爵の口から、〝シエナ〟というメイドの名前が出たのは事実だ」
「でも、不自然だわ。シエナが、私に対してはともかく、お姉様の身を危険に晒すような真似をするはずは……」
「あのね、ロッテ嬢。なんかアチラ側の計画が実行される段階で、イロイロな手違いがあったみたいなんだよ。いやはや。何に限らず、予定通りに進むってことは、なかなか無いもんだよね」
アルドリューが、父娘の会話に口を挟んでくる。
〝ロッテ嬢〟……か。さすがに厚顔なアルドリューも、ナルドット候の前で、彼の愛娘であるオリネロッテ様を、なれなれしく『ロッテちゃん』と呼ぶのは自重せざるを得なかったらしい。
オリネロッテ様の緑色の瞳と、アルドリューの青鈍色の瞳。
双方の目線がぶつかる。
「……アルドリュー様。そうね。何事も、思い通りになるなんてこと、ある訳ないわよね」
オリネロッテ様が意味深に呟く。
「ねぇ、サブローさん」
「なんでしょう? オリネロッテ様」
「サブローさんは〝シエナは無実〟であると、信じておられるんですよね?」
「無論です」
「それならば、シエナの身の潔白を、サブローさんが証明してください」
「え! 今、ココで――ですか?」
「ハイ。今、ココで。そうしたら、私もシエナの助命を、お父様へお願いしてみるわ」
〝良いアイデアでしょう?〟と言わんばかりに、オリネロッテ様が純真無垢な笑顔を向けてくる。が、その提案の中身は――――
彼女も、そんな解決方法は実現不可能と分かっているはず。
「サブローさん、頑張って」
朗らかな、オリネロッテ様の声。面白がっている?
くそ! 彼女は裁判を、無実の証明を、それが出来なかった末に起こるであろう殺し合いを、単なる遊び――オママゴトだとでも思っているのか!?
……まてよ。オママゴト――?




