渦巻く炎
後半は、シエナ視点です。
間断なく、次々と襲ってくる騎士たちの剣刃。
安易に躱すわけにはいかない。背後には、シエナさんが居る。守ると決めたのだ。救うと誓ったのだ。『信じろ』と伝えたのだ。
負けない。
惑わない。
怖れない。
彼女の髪の毛一筋たりとも、損なわせはしない!
剣による攻撃を全て弾き返す。しかし一撃一撃が、ことごとく重い。さすがは、バイドグルド家の精鋭たち。手強い。一瞬でも気を緩めれば、斬り伏せられてしまうのは確実だ。
ジリジリと後退を余儀なくされる。僕とシエナさんは、室内の隅にまで追い詰められた。左右に壁があるため防御はしやすいが、逃げ場は完全に塞がれてしまった形だ。
けれど、ようやく、騎士たちの攻勢もペースダウンしてきた。僕の反撃で手傷を負った仲間が増えすぎたためだろう。少なくない人員が、戦線を離脱している。
僕らを囲む騎士の数は、明らかに減っていた。
戦いは、膠着状態だ。これから、どうする? 僕は、騎士をまだ1人も殺めていない。殊更に、手加減した訳ではない。そんな余裕も無かった。それだけ相手が強者揃いで、負傷させて退却に追い込むだけで精一杯だったのだ。
僕は……1人で多勢と戦っており、加えて武器の損傷にも注意しなければならない。せっかく奪った剣が折れてしまったら――焦慮に駆られる。手にある得物が頑丈なククリなら、そんな心配は不要だったのだが。
それでも、とにかく、敵戦力の削減には成功した。もしも観察している第三者が居たとして――その者には現状、僕が有利に見えるかもしれない。
しかし、それは単なる思い違い。
自分の体調を、改めて確認する。疲労が蓄積し、身体の動きが鈍くなってきている。集中力は……大丈夫。衰えてはいない。とは言え、体力低下の影響を受けて気力が弱まるのも、時間の問題だろう。
……このままでは、最終的に敗北するのは僕だ。僕と対峙している騎士のうち、無傷の者は、未だ5人以上居る。まして、騎士団長やキーガン殿、そしてクラウディといった強敵は、今もってなお、戦闘に参加していないのだ。リアノンは一歩下がった位置で、佇んでいる。抜き身の剣を携えたままだけど……彼女は攻めてこないものと、信じたい。
それに気に掛かるのは……騎士団長の隣に立っている、黒衣の男。30歳くらいか? 長身で、細い体格。アズキに共通する、職業的雰囲気を感じる。アイツは、おそらく魔法使いだ。
現在は静観しているみたいだが、あの男まで戦いに加わってきたら……マズい。
敵の騎士たちは、やや距離を置いて僕らを囲んでいる。タイミングを見計らって、一斉にトドメを刺しにくる気なのだろう。
後手に回ったら……詰む。…………よし!
思い切って、踏み込む。僕は今までシエナさんの保護を第一とし、極力、彼女から離れないように戦ってきた。なので、積極的な攻勢は仕掛けてこないと憶測していたに違いない。僕の急襲に騎士たちは驚き、全員、一瞬反応が遅れる。僕は剣を構え、斬ると見せ掛けて――突く!
ザン! ザン! ザン! ザン! ザン!
騎士たちは、革製の鎧や鎖かたびらを着込んでいる。しかし強烈な突きを放てば、防具の上からであっても、充分なダメージを与えることは可能だ。
腹部に僕の刺突を喰らい、5人の騎士が一度に崩れ落ちる。
敵方の状況から眼を逸らさずに、サッとバックステップでシエナさんの元へ戻る。
〝ホッ〟……と。
シエナさんが漏らしたのであろう。安堵の息の音が、背後より聞こえた。
大広間が、ざわつく。これ以上負傷者が増える事態は、侯爵家としても避けたいはず。ならば、どのような手を打ってくる? もし、クラウディが出てきたら――――
正直、今の状態で戦って、クラウディに勝てるとは思えない。
この局面。
ウェステニラに《転移魔法》――いわゆる〝テレポーテーション〟のような魔法があったとしたら、迷わず使うところなんだけど……。
残念ながらこの世界に、空間を非連続的にジャンプして別の場所へ瞬間移動できる便利な魔法は存在しない。せいぜい風系統の魔法で束の間空中を浮遊したり、地上での動きを素早くできる程度だ。
最悪の場合、シエナさんとミーアを連れて、この領主館を脱出するしか、取り得る手段が無くなるかもしれない。
フィコマシー様は、侯爵の実の娘。マコルさんはナルドットで、それなりに名の通った商人。なので2人は後に残しても、差し当たり害される危険性は無いと思う。……いや、それは甘すぎる考えか?
僕に倒された騎士たちに代わり、新手が戦いに加わろうとしている。しかし、もう動ける人数は殆ど残っていないように見える。敵側も、手詰まりらしい。
…………ん? アルドリューのヤツが、騎士団長へ何事かを話しかけているな。騎士団長が大きく頷き、部下へ指示を出している。
アルドリューが僕のほうへ振り向き、ニヤッと笑った。
イヤな予感がする。
団長の命令を受けた騎士の1人が侯爵に一礼するや、いきなり卓上に敷かれていた白いテーブルクロスを引っ掴む。一辺が6ナンマラ(3メートル)ほどもある、大きな布地だ。なおかつ、3名の騎士がそれぞれ1脚ずつ椅子を持ち上げ……4人の騎士は、そのまま僕へ向かって駆け寄ってきた。
――っ! 狙いが、分かったぞ!
先頭を走る騎士が、テーブルクロスを巧みに広げながら放り投げてくる。視界を塞ぐ、巨大な白い布地。そしてその向こう側で、ブンッという空気を振るわす音。間違いない。椅子が3脚、僕へと投げつけられた。
くそ! アルドリューの野郎の発案か!
単純だが、効果的な戦法だ。僕は部屋の奥のコーナー――行き止まりに居る。背後にはシエナさん。逃げられない。避けられない。剣を振っても、おそらく防げるのは1脚。飛んでくる椅子の直撃を受ければ、かなりのダメージを負ってしまう。更に予測するに、テーブルクロスや椅子を投擲した騎士たちは、続けざまに攻撃するため、すかさず剣を抜いているはず。
ここは、無傷で切り抜けなければ。下手をすると、僕もシエナさんも終わる。
迷っている場合じゃない!
危機を打開する方法は、ただ1つ……そう、魔法だ。万一の事態を想定して、体内に魔力を溜めておいたのだ。
躊躇うな! 決断しろ!
よし、魔法を行使…………え! 出来ない!? 何故?
思考を高速回転させる。これは……何らかの力により、魔法の発動が抑え込まれている? こんな状況を作り出せるのは……敵の魔力使用を封じる魔法――《魔力封鎖》か? しかし、あれは闇系統の魔法だったはず――――思い出せ! アルドリューは、闇魔法の使い手。
大広間に入る際に感じた不穏な圧力、覚えた違和感の正体はこれだったのか! アルドリューは予め、大広間に《魔力封鎖》の結界を張っていた……僕が魔法使いであることを察して。なんてヤツだ。
不覚! 出し抜かれた。八方塞がり……万事休す――――
けれど……けれど、アルドリュー。僕を、舐めるな! 風魔法、発動!
「《風壁》!!!」
自分の魔法使いとしての能力を全開にする。《魔力封鎖》を撥ね返す。いや、ぶち破る!!!
僕の前面で強風が吹き荒れる。テーブルクロスと3脚の椅子は突如下から吹き上げてきた烈風の煽りを受けて飛行の方角を変え、天井に激突した。
凄まじい衝突音。
続いて椅子は、床へと落下。転がる、3つの影。そのうちの1脚に、ふわりとテーブルクロスが被さった。
テーブルの向こう側、未だ着席し続けているアルドリューと視線が合う。さすがに驚いているのか、糸目を見開いている。よもや己の闇魔法が破られるとは、予想していなかったらしい。
確かに《魔力封鎖》は厄介な魔法だが、対抗する手段はある。要は、相手が掛けてきたレベルを超える魔法を、放てば良い。尤もその威力は、《魔力封鎖》を上回った分だけに限定されてしまうが……。
仮に、アルドリューが仕掛けてきた《魔力封鎖》が10レベルだったとする。反撃のために魔法を放とうとしても、それが10以下のレベルの場合は発動せず、封殺されてしまう。
12レベルの魔法ならば、《魔力封鎖》を消し去った上で行使できる。が、通常なら12の威力があるところを、2レベルまでダウンさせられてしまうのだ。
実際、僕の《風壁》も、今回は屋敷を丸ごと破壊しかねない〝暴風〟クラスで撃ち放っている。しかし、結果は……投げつけられた椅子を撥ねのける程度の〝強風〟クラスに、パワーがダウンした。
多分……アルドリューは、僕がこれほど強力なレベルの魔法で立ち向かってくるとは思わなかったに違いない。けれど、彼はすぐさま事態に対応してみせる。
「アハハハハハ! 凄い、凄いよ、サブロー。キミは、魔法も使えたんだね!」
くそ、白々しい! 知っていたくせに!
伯爵家子息の哄笑を受け、室内の人々は騒然となる。
「まさか、あの少年。魔法使い?」
「あれだけの剣の腕前を持っていながら、魔法も?」
「信じられん……」
「侯爵様をお守りしろ!」
騎士たちは僕と侯爵の間に密集し、人間の壁を形成した。僕がナルドット候へ魔法による攻撃を仕掛けることを警戒しているのか? ……そんなつもりは無いのだが。
それより、疑問に感じることがある。黒マントを着ている、魔法使いの振る舞いだ。アイツ、今まで一言も発していない。
…………少し、オカしいな。この部屋には、ついさっきまで《魔力封鎖》による結界が張られていた。僕が風魔法を強引に発動した結果、今は消滅しているが。しかしながら、結界内に居たあの魔法使いが最初から何も気付いていなかった――そんなケース、あり得るのか? 分かっていて黙っていたのだとしたら……。
ひょっとして……あの魔法使い、アルドリューと共謀している?
アルドリューの瞳は、時々赤色に変化する。魔族によく見られる目の色――鮮血の紅……そして、オリネロッテ様のメイドであるヨツヤさんの瞳の色も赤かった……。
もしかしてこのバイドグルド家において、既に少なからぬ人数が、アルドリューと何らかの繋がりを持っている可能性も……つまり外部と通じ、情報を流している者はシエナさんでは無く……侯爵は、当然それを知らない……。
この推論が当たっていようが外れていようが、現況の危機とは関係ない。
しかし、背筋に冷や汗が流れるのを感じる。
僕の背後でシエナさんがしきりに「サブローさん……ゴメンナサイ。ゴメンナサイ」と呟いている。
おそらく以前に僕が『魔法使いである事実を、公にはしたくない』と発言していたにもかかわらず、自分のせいで魔法を使わせてしまったと気に病んでいるのだろう。
「シエナさん……気にしないで。こんなの、些細なことです」
「サブローさん……」
涙声のシエナさん。
そうだ。今更、力を出し惜しみしている場合じゃない。僕が魔法使いである事実を侯爵家の面々に知られたからって、それが何だと言うんだ。
僕の秘密を隠し通せるか否かなんて、シエナさんの命の重さに比べれば、問題にするほどの大事ではあり得ない。
アルドリューが、長身の魔法使いへ語りかけている。
「ねぇ、ムロフト。サブローは、魔法が使えるみたいだよ? ここは、魔法使いであるキミの出番なんじゃない?」
「フム……あの少年が魔法も扱えるというのは意外でしたが……どうやら、風系統の魔法使いのようですね。ならば、火魔法を使う私にとっては、戦いにおいて相性の良い相手……」
「風魔法は、火魔法の攻撃に弱いからね~」
あの魔法使い……名前は『ムロフト』か。そして、火系統の使い手。確かに風魔法は、水魔法や土魔法より、火魔法との戦いにおいて不利。
光・闇・火・水・風・土……ウェステニラにおける、魔法の6系統。光と闇は別にして、基本的に火水風土の4系統には、それぞれ強弱の関係がある。
――火は風に強く
風は水に強く
水は土に強く
土は火に強い。
それにしても、アルドリューめ! 余計なことを。嗾けているのか?
〝ムロフト〟と呼ばれた魔法使いはアルドリューへ顔を向け、目線で何事かを合意し、それから周辺を見回しつつ大声を上げた。
「騎士の方々。その曲者の少年より、離れてください!」
続けてムロフトは僕へ掌を向け、叫んだ。
「灰となれ――《火球》!!」
♢
「ゴメンナサイ……ゴメンナサイ……ゴメンナサイ」
シエナはひたすら謝り続けた。
サブローは以前、口にしていた。『出来るだけ、魔法が使えることを他人には知られたくない』と。サブローは賢明な少年だ。権力者に目をつけられて利用されるような事態は避けたいと考えていたのだろう。
なのに、サブローに魔法を使わせてしまった。ナルドット候を始めとする、大勢の人の前で。
自分のせいだ。
(私はどれだけ、サブローさんに迷惑を掛ければ……)
「シエナさん……気にしないで。こんなの、些細なことです」
「サブローさん」
サブローの言葉が、胸に痛い。
(私……私は……)
この熱い感情は――
喜びなのか。
嘆きなのか。
己の不甲斐なさへの怒りなのか。
もう、分からない。
振り返らず、シエナへ背を向けたまま、サブローが語る。
「シエナさん、もう謝らないで。この件が落着したら、謝罪では無く、お礼の言葉を聞かせてください。僕が貴方から貰いたいのは、『ゴメンナサイ』より『ありがとう』の一言です」
「サブローさん、ハイ……ハイ」
肯定の返事に、嗚咽が混じる。
俯きかけたシエナは顔を上げ――衝撃の光景を目撃する。
バイドグルド家の魔法使い、ムロフト。彼がサブローとシエナを目掛けて、火の魔法を放ったのだ。
大きな炎の塊が、物凄いスピードでシエナたちへ接近してくる。部屋の隅に居るサブローとシエナに、避けることは出来ない。
火炎に呑み込まれる――
シエナが思わず覚悟した時。
サブローが前方に左手を翳す。そして難なく、飛んでくる火球を掴み取ってしまった。
「な――っ!」
ムロフトは勿論、部屋中の誰もが驚倒し、己が目を疑う。サブローは捕まえた炎を消さずに、所有しているのだ。
右手には剣を持ち、左腕は――手から腕に掛けて、炎が緩やかに渦を巻いている。
ムロフトがサブローを睨み付ける。
「……貴様……風ばかりか、火の魔法も使えるのか」
「ええ」
サブローが、あっさり頷く。
「規格外にも、程がある……ただの平民? 馬鹿な! 貴様は、いったい何者なのだ?」
「何者と訊かれても……それは、僕が貴方とアルドリュー様に問いたい内容なのですが? お2人の関係は……」
「いや~! 見事だね~、サブロー。オレも、さすがにビックリだよ!」
サブローの発言を遮るように、アルドリューが大声を出す。そして立ち上がるや、パチパチと拍手し出す。
「ホントに、サブローは多才だね。いいや、もう〝多才〟なんて範疇には収まらないな。『天才』と呼ぼうか?」
「……遠慮しますよ」
「それで、〝天才サブロー〟は、これからどうするつもり?」
サブローは、ゆっくりと左腕を掲げた。炎の渦は勢いを増し、天井に届きそうになる。
室内の温度が上がる。熱気の強さに、シエナの額には汗が滲む。
魔法使いのムロフトが、声を絞り出す。
「貴様……《火球》……いや、もしや《火炎放射》を」
「『放てる』と言ったら?」
サブローの返答に、ムロフトが絶句する。
炎の円環を維持しつつ、少年は最後の交渉に入った。
「侯爵様……聞こえておられますか? 僕がこの左腕を振り下ろせば、大変なことになります」
「ふむ……どうなる?」
騎士たちが作る壁の向こう側より、侯爵の声が聞こえる。その響きは、冷静沈着そのもの。
サブローとナルドット候ワールコラム――2人は互いの姿が見えていないにもかかわらず、会話を続ける。
「大広間に居る人間の半数以上が、死傷するでしょう」
「だから?」
「ここで、手打ちにしませんか? 僕が求めるのは、あくまでシエナさんの審理のやり直しです」
「侯爵である私に、平民であるお前が命令するのか?」
「命令ではありません。お願いです」
「どちらにしろ、同じことだ。一度下した裁定は、撤回しない」
「そうですか……」
サブローの声が、低くなる。
息を詰める、シエナ。
(サブローさん……どうする気なの? まさか……)
まさか、本当に火魔法で侯爵たちを攻撃するつもりなのだろうか?
(ご領主様は、フィコマシー様の父君……)
シエナはサブローに制止の言葉を掛けようとし――ユルユルと首を横に振った。
(いえ……ここまで来たら、私はサブローさんを信じてついて行くだけ)
何があろうと、それはサブローの責任によるものでは無い。
非難されるべき者が居るとしたら、それは自分だ――シエナは、そう考える。
緊迫した状況の中。
サブローの前に、1人の騎士が進みでる。
「そこまでです、サブロー殿」
「……クラウディ様」
サブローが、微かに動揺する。
バイドグルド家最強の騎士、クラウディがついに参戦したのだ。