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掌より砂が落ちる

 シエナ視点です。


 その運命の日――

 シエナは昼食後、フィコマシーとともに侯爵より呼び出しを受けた。


 今日、ナルドットまでの道中で起こった〝侯爵令嬢・馬車襲撃事件〟についての調査結果が報告されることを、フィコマシーもシエナも知っていた。

 真相解明へ向けての話し合いが行われるものとばかり、2人の少女が思い込んでいたのも当然だろう。


 しかし、フィコマシーの私室まで侯爵の使いとしてやって来た騎士達は、意外な格好をしていた。


 シエナは違和感を抱く。

(軽くではあっても、どうして彼らは武装しているの? ここは、お屋敷の中なのに)


 帯剣はともかく、鎧の着用はやりすぎのように思える。

 しかも、騎士の数は4人。


 侯爵が待つ部屋への案内の仕方も、不自然だった。4人の騎士は事前に打ち合わせていたのか、フィコマシーとシエナ、2人の少女の前後と左右を挟み込むようにしつつ、移動したのだ。


 逃走防止を目的としているかのような、配置だ、騎士達の目付きは険しく、最低限の連絡事項しか口にしようとしない。


(まるで、フィコマシーお嬢様と私を取り調べるために連行しているみたいな……)


 シエナは騎士達に勘づかれないように、己が(そで)の中の感触を確かめる。服の下に、暗器であるビッグサイズの縫い針を隠し持っているのだ。


(いざとなれば、これを使ってでもお嬢様をお守りしなければ)

 シエナは決意する。


 街道で馬車が襲われた際、騎士であるブランとボートレは護衛対象のフィコマシーを何の躊躇(ちゅうちょ)もなく見捨てて逃げた。それ以降、シエナはバイドグルド家を、仕えている騎士達も含めて、一切信用していない。


 フィコマシー以外で、今のシエナが信じられる人物。それは、サブローとミーア。あとはせいぜい、商人のマコルくらいだ。

 オリネロッテ付きの魔法使いであるアズキは『万が一の時は、(わらわ)に相談しろ』と述べてくれたが、そのセリフを鵜呑(うの)みにするのは危険すぎる。


 オリネロッテもアズキも敵――とまでは言わないが、味方では決してあり得ない。


 騎士に先導されつつ、1階の大広間へ入室する。

 その瞬間、〝キーン〟という奇妙な音がシエナの鼓膜を襲う。


(え? 今のは何?)


 耳鳴りは、すぐに止んだ。

 シエナが息を整え、改めて室内を見まわすと――


「――――っ!」

 絶句する。そこには、多数の騎士たちが居並んでいた。しかも、全員武装している。

 思わず身構えてしまいそうになるほどの、強烈なプレッシャー。


(この物々しさは、どういうこと? 着席しているのは侯爵様と、その隣に居る方、2人のみ…………え? あの若い人物、見覚えがあるような……。そうだわ。お名前を確か、ラダーメレ伯爵家のアルドリュー様と言ったかしら)


 あたかも、侯爵とアルドリューを護るかの如き位置取りをしている騎士達。


(彼らは、何に警戒しているのだろう?)

 このナルドットで最も安全なバイドグルド家の邸宅内において……。


 そこまで思案を(めぐ)らせたところで、シエナは愕然(がくぜん)とする。


 彼らが警戒しているのは――

(フィコマシーお嬢様と……私?)


 室内のあまりにも異常な雰囲気に、フィコマシーも戸惑っているようだ。

 緊張気味の娘へ、父親の侯爵が語りかけてくる。


「良く来たな、フィコマシー。少し待っていろ」


 思いがけず、穏やかな声。しかし『席に着け』とは口にしない。

 侯爵の許しが無い以上、フィコマシーは立ち尽くすしかない。常人以上に太っているフィコマシーにとって長時間の起立が苦痛であることは、父親である侯爵も知っているはずなのに――


(侯爵様は、何を考えておられるの?)


 今、シエナはフィコマシーの斜め後方に居る。

 メイドの少女はむしろ、主の前に出たかった。


 大事なお嬢様を守るために。

 (かば)うために。

〝自分はここに居ます〟と、励ますために。


 けれど、大勢の人間に見られている状況下で、メイドが侯爵令嬢の先に()を進めるわけにはいかない。


 シエナが立っているところから、フィコマシーの表情は見えない。が、ギュッと手を握りしめていることだけは、分かる。


(お嬢様は今、どのような思いで――)

 唇を強く噛みしめる、シエナ。


 フィコマシーが侯爵へ話しかけた。(かす)れ気味の声で、それでも勇気を振り絞って。


「あ、あの、お父様……」

「これより、お前がナルドットへ来る途上で襲われた件についての審議をする」

「ハ、ハイ……」

「関係者が揃うまで、しばし待て」


 侯爵がフィコマシーへ一方的に告げる。断定的な物言いで、取り付く島もない。


 シエナは腹立たしさを覚えるが、懸命に自分の感情を抑える。

(ともかく、現状の確認をしないと……)


 侯爵はいつも通りの表情だが、隣のアルドリューはやけに楽しそうにニヤニヤと口角を上げている。その笑顔が、妙に不気味だ。

 騎士たちは全員、任務中に見せる厳しい顔つきをしている。


(騎士団長に……ランシス様……クラウディ様……あ、リアノンさん)


 騎士の集団の中にリアノンの姿を見出(みいだ)し、シエナはホッと安堵の息を漏らしてしまいそうになった。思っていた以上に、自分は女騎士へ心を許していたのだろうか。


 しかし。

(リアノンさん……私と目を合わせようとしない)


 普段は身分の差など全く感じさせないほどにフランクな態度で、メイドのシエナへ親しみを示してくれる女騎士。彼女は今、表情も姿勢も固いままだ。個人的な思いは、一切見せない。


(つまり……リアノンさんは、騎士としての職務を全うしようと考えている)

 その意味するところは――――


 イヤな想像ばかりが、シエナの頭の中を()ぎる。フィコマシーを連れて、すぐにでも、この部屋から逃げ出してしまいたい。


 無論、そんな事は不可能だが。


(もしも、(ため)してみたら……?)


 間違いなく、この場に居る騎士達に取り押さえられてしまう。下手をしたら、剣で斬られる。


 斬り殺される――


 シエナはゾッとした。そう、〝殺気〟だ。大広間内には、殺気が充満している。


 ダメだ。逃げられない。殺される。殺気の目指す先は――――

 シエナが恐怖のあまり、悲鳴を上げそうになったその時。


「遅くなりました」

 何者かが入室してきた。


(だ、誰?)


 少女の瞳に映ったのは。

 ミーア、マコル、そして…………そして、サブロー。


(サブローさん………サブローさん!)


 少年の姿を目にして、シエナの胸の奥に何かが込み上げる。安心か、歓喜か。それとも、救済への願望か。

 激越な心の衝動に、少女は息が詰まりそうになる。サブローへの感情の傾斜が、止まらない。


 何故なら、シエナは知っているから――

 そう。サブローは、信じられる人間だ。強く、優しく、そして頼りになる。幾度も、シエナたちを救ってくれた。


 サブローが、この部屋に居てくれる――

 それだけで、シエナは励まされる。心の中に、光が差し込むのを感じる。


(サブローさんが来てくれて、お嬢様もチョットだけ肩の力を抜いてくださったみたい)


 フィコマシーの背に張り詰めていた緊張感が、僅かに和らいでいる。


 絶対の味方である少年の出現。身の危険を感じるほど切迫した状況に置かれていた少女たちにとって、それは大きな(なぐさ)めであり、希望だった。


 とは言え――――


(サブローさんは、万能じゃない。当たり前だけど、限界はある。彼に、依存しちゃいけない)


 ましてや、ここは侯爵家のお屋敷。人間関係など内部の事情には、シエナのほうが詳しいのだ。


(何とか自力で事態の打開を……)


 シエナがアレコレと知恵を絞っているさなか、騎士団長が驚くべき発言をする。


(え? フィコマシーお嬢様の馬車を襲った賊どもが、毒殺された!?)


 そして、騎士団長が恐ろしい問い――シエナにとって――を発した。その内容は――『襲撃犯を殺したのは、メイドのシエナ。お前ではないのか?』


 更に、オリネロッテ護衛隊の隊長を務めるランシスが証言する。――(いわ)く、『シエナはキドンケラ子爵と内通し、金品と引き換えにオリネロッテ様の情報を彼へと流していた』


 あまりと言えばあまりにも酷い(でっ)ち上げに、シエナは口が利けなくなる。黙ったままではマズいと分かってはいるものの、衝撃と恐怖で思考が停止し、舌も唇も動かせない。


(早く。早く、弁明しなくちゃ――)


 ダメだ。上手く、頭が働かない。


「シエナは、そのような事はしません!」

 一生懸命になって自分を庇ってくれる、フィコマシー。


(お嬢様……)


 嬉しい。

 先程のアルドリューの言葉――『サブローが、オリネロッテへ一方(ひとかた)ならぬ執心(しゅうしん)を抱いている』との(ほの)めかしには、フィコマシーも少なからず、心を痛めつけられただろうに。


 フィコマシーもシエナも、理解している。


 サブローは、オリネロッテのピンチに駆けつけただけ。だって、彼は勇気があって、正義感が強い人なのだから。

 安易にオリネロッテの魅力に(ひざまず)き、盲信してしまう――そんな、軽薄な人間ではない。


 けれど、アルドリューの口より放たれる一言一言は、シエナの精神を傷つけた。おそらく、この(つら)さはフィコマシーも感じているはず。


『――貴婦人に真心を捧げた騎士』

『――よっぽど、レディ・オリネロッテを崇めている』

『――それこそ、唯一無二の存在として』


(違う! サブローさんは、違う! サブローさんは、私の――私たちの…………)

 声にならない、シエナの叫び。


 悪意に、負けたくない。欺瞞(ぎまん)の言葉に踊らされるなんて、無様(ぶざま)すぎる。


 少女は、一心に自分へ言い聞かせた。

(惑わされちゃダメよ、シエナ。そもそも、私は疑っていたはず。――〝アルドリュー様は、油断のならない方なのでは?〟と)


 ラダーメレ伯爵家の嫡男、アルドリュー=セットンギア。王太子殿下の側近にして、参謀役。

 彼は未だ17歳の身でありながら、既にベスナーク王国内部で知る人ぞ知る存在となっている。

 いつも王太子の供をしている彼とは、シエナは何度か王都の学園や侯爵家の屋敷で会ったことがある。(もっと)も、フィコマシーの後ろで頭を下げている状態だったため、キチンと彼の姿を眺めた訳ではないが。

 だが、それだけでも、シエナには充分に感じられた。アルドリューの持つ、何とも言いようの無いおぞましさを。


 アルドリューは、それなりに端正な顔立ちをしている。加えて均整の取れた体格をしており、好青年に見えなくも無い。

 伯爵家嫡男という身分もあり、アルドリューに惹かれる令嬢や、憧れる侍女も多い。


(けれど、外見に反して、アルドリュー様の内面はかなり複雑で闇が深い……そんな気がする……)


 シエナはフィコマシーを守るために、四方八方へ警戒のアンテナを張りながら生きてきた。それに元来、男性という生き物をあまり高くは評価していない。

 だからこそ、否が応でも彼の本性(ほんしょう)を悟ってしまう。


 ……シエナは思う。


 アルドリュー――表情と心中が、常に違っている男。彼の笑顔は好意を意味せず、渋面は不快を表現していない。平気で人を罠に掛ける、信用ならない人物だ。

 

(アルドリュー様の妄言(もうげん)を、真に受けちゃいけない。そんな事は、分かっている)


 しかし。


 オリネロッテへ忠誠を誓う、サブロー。

 オリネロッテへ剣を捧げる、サブロー。

 オリネロッテへ恋する、サブロー。


 想像するだけで、シエナは目の前が真っ暗になる。谷底へ落ちていく気分になる。


 (がけ)の中途、僅かな足場に立っているフィコマシーお嬢様と自分。たった1本しかない命綱が、気付いたら無くなっていた。

 崖の上より、誰かがこちらを覗き込んでいる。

 その美貌の少女は――バイドグルド家の白鳥、オリネロッテ。みっともなく崖にへばりついているシエナ等を見下ろしつつ、ニッコリと笑う。彼女の手には、手繰り寄せた命綱が。


 怖い。


 オリネロッテの邪気の無い、透きとおるような微笑みが怖い。終わってしまった人間を眺める、2つの翠玉(エメラルド)が怖い。


 アルドリューは、充分なまでに承知しているのだ。心の奥の奥でフィコマシーとシエナが秘かに抱いている、オリネロッテに対する羨望と(ねた)みと――そして、恐怖を。


 少女たちが内心で恥じつつも、どうしても消し去れない醜い感情。そこを、アルドリューは的確に突いてくる。

 暇つぶしに興じているかのように、薄ら笑いを浮かべながら。


 アルドリューは、騎士団長とランシスが行っているシエナへの糾弾には参加しない。

 今回の裁定について、特に関心は無い風を装っている。だが、そんなはずは無い。


 だったら、この場にいるのはオカしい。

 何故、アルドリューは侯爵の隣に座っているのだろう?


(キドンケラ子爵様の逮捕に、アルドリュー様は協力した……いえ。むしろ、主導した)


 アルドリューが、ナルドットへ来た理由。それは、王太子の命令以外には考えられない。

 王太子殿下――オリネロッテを熱愛している、ベスナーク王国の王位継承者。


 シエナは思い出す。

 タントアムの旅館で、フィコマシーの寝室へ侵入してきた不審者の風貌……シエナは眠っていたため、直接、目にはしていない。けれど、サブローが馬車の中で詳細に語ってくれた。


(アルドリュー様に……似ている)


 そして、侵入者はサブローへ述べたそうだ。『王子の命令で、動いている』と。


 フィコマシーが乗っている馬車への襲撃。

 タントアムの町で起こった事件。

 オリネロッテの誘拐未遂。


 全ての出来事は、関連しているのではなかろうか? 裏で画策していたのは――アルドリューその人。

(そして、王子……すなわち、ベスナーク王国の王太子殿下が、アルドリュー様へ指示を出していた……)


 しかし、シエナはその推測を述べることが出来ない。


〝王家の関係者が、犯罪に荷担(かたん)していたのでは無いか?〟――そんな疑問を口にするなど、一介のメイドには不可能。まして主犯扱いなどしたら、不敬の罪で処刑されかねない。

 いや、罰が自分のみに(とど)まるのなら、まだ良い。だが、シエナの直接の主人は、他でもないフィコマシーなのだ。もしもフィコマシーまで〝王家に(あだ)なす者〟と見做(みな)されてしまったら、取り返しが付かなくなる。


 迂闊(うかつ)な発言は、出来ない。


 シエナが逡巡(しゅんじゅん)する間にも、彼女への弾劾(だんがい)は激しくなっていく。

 このままでは、自分が罪人とされるのは明白だ。


 フィコマシーは、未だに懸命に弁護してくれている。加えて、サブローやマコルまでシエナを救おうと申し立てを始めた。


 シエナの胸は、熱くなる。自分のために必死になってくれる、皆の気持ちが嬉しい。そして、侯爵が意外にもフィコマシーへの情を見せる――その事実にも、心を動かされる。

 侯爵とフィコマシーの関係は、まだ手遅れになってはいない。もし父と娘の間柄(あいだがら)を改善できるのなら、自分もそのお手伝いをしたい。


(そのためにも、今はなんとかして疑いを晴らして……)


 けれど、シエナが心の中に(とも)した小さな希望の光は、瞬時に消し去られる。


「フィコマシー、もう言うな。これ以上そのメイドを庇うと、お前がオリネロッテの情報をキドンケラに流すように命じたのではないか――そのように勘ぐる者も、出てきかねん」


 侯爵の一言を耳にし、シエナは全身に冷水を被ったような心持(こころも)ちになった。


 ダメだ。

 やっぱり、ダメだ。

 フィコマシーお嬢様を巻き添えにすることなんて、出来ない。

 谷底へ落ちるのは、自分1人で良い。


 サブローやミーア、マコルたちにも、これ以上の迷惑は掛けられない。彼らは、もともと侯爵家とは無関係な人達だ。

 マコルは、立派な商人。

 サブローは、今はただの少年。けれど彼には、あれだけの才能がある。そしてミーアは、サブローの大切なパートナー。サブローとミーアには、冒険者としての輝かしい未来が待っているはず。


 巻き込めない――――


(言い掛かりだろうと何だろうと、そんなの、もはや問題じゃない。私が罪人であることは――)


 シエナは前方へ視線を向ける。

 彼女の目に映るのは、侯爵・騎士団長・ランシス・その他、大勢の騎士達……そして、アルドリュー。


(私が罪人であることは、あの人達(・・・・)の中で確定してしまっている。反抗したところで、侯爵様たちの感情を損ね、事態がより一層悪化してしまうだけだ。ここは、諦めるしかない。私が、潔く罪を被ってさえしまえば――)


 フィコマシーは、ともかくこの場を切り抜けられる。侯爵の心の奥に、長女への愛情が残っていることも確認できた。フィコマシーが罪に問われることは、無いだろう。


 それに自分が拘束されても、まだサブローが居る。信じられる、頼りになる、有能なサブローが。


 サブローには、オリネロッテやアズキとの繋がりもある。

 すぐにでも正式な冒険者となるであろう、サブローとミーア。彼らが、フィコマシーを守ってくれる。たとえ、自分がフィコマシーの側を離れることになったとしても――――


 しかし、この時。

 シエナは、まだ状況を甘く考えていた。


 無実であるにもかかわらず、罪人となってしまう。悲しく、辛く、やるせない。でも、生きてさえいれば、未来への希望はゼロでは無い――そう思っていたのだ。


 舞台の幕は下りず、悲劇は加速する。


 フィコマシーによる亡き侯爵夫人への言及に、ナルドット侯ワールコラムが激昂(げきこう)した。そして、配下のランシスへ命じる。


「腐りきったメイドを、この場で斬り捨てよ! 我が眼前で、殺せ!」


 キ・リ・ス・テ・ヨ――

 コ・ロ・セ――


 少女の頭の中は、真っ白になる。眼前の光景が、急速に遠のいていく。やがて、耳から入ってきた情報に、脳内の思考が追いつく。


(私は、どうなる……の?)


 結論は、簡単に出た。

 

(…………ああ、殺される。私は今、ここで殺される)


 シエナは悟った。逃げられない。終わりだ。


 フィコマシーが騎士の手により、無理矢理シエナから引き離される。悲痛な声を上げる、侯爵令嬢。


「シエナ!」 

「お嬢様……」


 自分は今、どんな表情をしているのだろう?


(ちゃんと、笑えている?)


 フィコマシーへ伝えたい。

〝自分は貴方に仕えられて、幸せだった〟と。〝貴方とともに生きてこられて、良かった〟と。


 そしてサブローのほうは、見ない。彼に救いを求めちゃ、いけない。いくらサブローでも、こんな事態に対応できる訳が無い。

 侯爵が、『即刻、メイドを処刑しろ』と命じたのだ。その指示に逆らえば、バイドグルド家全体を敵に回してしまう。


 ベスナーク王国有数の大貴族である、ナルドット侯爵家。その権勢の前では一個人の力など、人の足もとを這いずる虫に等しい。

 どれほどの力量の持ち主であろうと、一瞬で踏みにじられてしまうのは確実だ。


 サブローだって、その事実は理解しているはず。


 なのに……彼の顔を見たら、シエナはきっと助けを求めてしまう。(すが)ってしまう。救いを懇願してしまう。

 それは、サブローに『一緒に破滅してくれ』と頼むのと同義であるにもかかわらず。 


 心残りは――

(サブローさんに、一言『好きだ』と告げたかったな……)


 いや。言わなくて、良かったのだ。これから死んでいく女の告白など、サブローにとっては迷惑なだけだ。


 シエナに接近しつつ、ランシスが無造作に剣を抜く。そして、振りかぶった。刃の白さが、妙に印象的だ。

 あの剣が振り下ろされると同時に、シエナは――――死ぬ。ランシスの腕は、確かだ。シエナの細身など、一撃のもとに両断してしまうに違いない。暗器で抵抗したところで、一蹴されるのみ。


 少女は大人になれず――人生において残されている僅かな時間は、あっと言う間に消えていく。無くなるまで、刹那(せつな)しかない。


 (てのひら)を逆さまにした瞬間、盛った砂は落ちていくだけ。


(そうか…………私は、死ぬんだ)


 ロスクバ村での晩。

 小屋に監禁されていた賊の1人が、尋問しに来たシエナへ告げた。――『なぁ、メイドさんよ。アンタの忠義は立派だが、多分このままじゃ、アンタ、遠からず俺たちと同じように命を落とすハメになるぜ』と。


 あの時には無視した、男の言葉。

 それは、真実の予言だった。


(今、私は――)


 世界から退場させられる。

 強制的に。


 シエナは、己へ問いかける。 

 ――自分は、取り乱してはいないだろうか?

 ――見苦しい振る舞いを、見せてはいないだろうか?


 フィコマシー付きのメイドとして、主の恥になる訳にはいかない。


(そうだ。私は、とっくに覚悟を決めていたはず。――〝いざとなったら、フィコマシーお嬢様を守るために、持てる全てを投げ打ってみせる〟と。〝命だって、惜しくは無いんだ〟と)


 けれど。


(大丈夫。私の決意に、揺らぎは無い。私は、自分よりもお嬢様のことが大切なんだ)


 けれど。


(私は、逃げない。今回の騒動における責任を私が一身に負えば、お嬢様の安全は確保できる)


 けれど。


(私1人が居なくなることで、事件は決着する)


 けれど。


(私の死は、無駄にはならない。お嬢様の役に立って、死ねるんだ。それは、とても栄誉なことで――私は、誇りを持って死を……死を受け入れ……死を……私……私……は…………)


 けれど。


(私……私……イヤ……だ。――――――――イヤだ!)


 シエナは、心の中で絶叫する。


(死ぬのは、イヤ――――イヤだよ。私は、まだ生きていたい。これからも、お嬢様のお世話をしたい。サブローさんに『好きだ』って言いたい。ミーアちゃんと一緒に、スナザ様に会いたい。リアノンさんと口喧嘩がしたい。綺麗な景色を見たい。美味しいモノを食べたい。眠って、起きて、仕事をして、お買い物に行って、お喋りして、笑って、泣いて…………生きて、明日を迎えたい。私は――私は、死にたくない! 死にたくない! 死にたくない! 死にたく……ない……生きて……いたい……)


 少女は眼を閉じ……。

 そして――――

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― 新着の感想 ―
シエナ視点だと絶望感が増しますね。 それでも一人の少女として生きたいと願うのは切ない……。 (´;ω;`) しかし、少し前のエピソードで足を心配したら、まさかシエナの心配と被るとはw 凄いシリアスシ…
[良い点] シエナの視点から同じ場面が描かれていてより深く味わうことができました。異様な緊迫感に満ちた描写がヒリヒリと伝わってきてとても良かったです。そして、やるせなさもとてもよく伝わってきました。 …
[一言] いくら大切な人のためだって、やっぱり死にたくない 大切な人はその時は助かるかもしれないけど、自分の死が後の重荷になるかもしれないし それになにより、やっぱり大切な人のそばで生きていたい。まだ…
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