内通者・罠・陰謀
――〝その者の名は、シエナ〟
騎士団長の指摘を受け、室内の雰囲気は一気に緊張した。
特にフィコマシー様とシエナさんの周辺に居る騎士達は揃って身体の向きを2人の少女のほうへ変え、ハッキリとした監視体制に入る。
「メイドのシエナよ。お前はロスクバ村に滞在した晩、男たちが捕らえられている小屋へ単身で訪れた。それに、相違ないな?」
「……ハ、ハイ」
騎士団長の冷徹な問い詰めに、シエナさんが掠れ声で返事をした。
「何のために?」
「賊どもが何故フィコマシーお嬢様を襲ったのか、その理由を質すためです!」
「ほう……」
シエナさんの必死の抗弁を耳にし、騎士団長は嘲るような表情になる。
「それで、犯人どもの動機とやらは分かったのか?」
「そ、それは……」
口ごもる、シエナさん。眼はせわしなく動き、掌を盛んに己がスカートへ擦りつけている。挙動が明らかに怪しい。
大広間に参集している一同の少女を見る視線が、一層厳しくなる。
……どうしたんだ? シエナさん。何か話しにくい事情でもあるのか?
騎士団長は追及の手を緩めない。
「メイドよ。お前はその時に、賊どもへ毒を含ませたのではないのか? 余計な供述をさせないために」
「シエナは、そのような事はしません!」
返答に詰まるシエナさんに代わり、フィコマシー様が抗議の声を上げた。日頃のおっとりとした語調では無い。まるで、悲鳴の如き叫び。
フィコマシー様を守るのは、いつもシエナさんの役割だった。
しかし、今はフィコマシー様がシエナさんを全力で守ろうとしている。
――そんな侯爵令嬢へ諭すように語りかけたのは、彼女の父親だった。
「フィコマシー……」
意外なほどに穏やかな、侯爵の声音。
「フィコマシー。お前の心、察せられぬでも無い。シエナは、お前に長い間仕えてきた側近ゆえな」
侯爵がフィコマシー様へ、こんなに優しく言葉を掛けるなんて。普段だったら、喜ばしい出来事だろうに。
よりにもよって、かかる事態において父親としての情を示すのか?
「だが、そのメイドはお前の信頼に値するような人間では無い」
「……それは、どういう意味ですか? お父様」
「ランシス」
「ハ!」
侯爵の呼びかけに応えて、1人の騎士が進み出る。年齢は、おそらく30歳前後。優男風だが、その体格や身のこなしから歴戦の人物であろうことは、ほぼ間違いない。
ランシス? どこかで聞いた名だな。
…………思い出した。
確か、オリネロッテ様の専属護衛隊で隊長を務めている騎士が……そうか、アイツか。アズキが言っていたな。――『クラウディの要望にもかかわらず、ランシスがドラナドたちを処罰することを渋っている』と。
常識を弁え、思考と行動のバランスが取れているアズキやクラウディとは違う。
オリネロッテ様を過度に崇拝し、彼女への奉仕を何よりも優先する――あと1歩踏み出せば、狂信者へと変じるタイプか。
騎士団長が、命じる。
「ランシス。説明しろ」
「ハイ。我々は先日、アルドリュー様にご協力いただき、キドンケラ子爵の身柄を押さえることに成功いたしました」
キドンケラ子爵…………2日前の夜に、オリネロッテ様の馬車へ襲撃を掛けてきた連中の黒幕だったはず。
会話に、アルドリューが口を挟んでくる。
その得意気な顔が、癇に障る。そして、相変わらずの軽薄な物言い。
「キドンケラのヤツはね~。オレとバイドグルド家の騎士達が隠れ家に踏み込んだら、アッサリ降参しちゃったよ」
「子爵は前々からオリネロッテ様へ邪なアプローチを繰り返しておりましたが、よもや誘拐などという犯罪行為に手を染めようとは……例え爵位を持った方だとは言え、決して許すことは出来ません!」
興奮する護衛隊長を、騎士団長が窘める。
「お前の意見は、どうでも良い。それで、キドンケラ子爵は何と仰っているのだ?」
「子爵への尋問に関しては騎士団長もご存じの通り、侯爵様とアルドリュー様の立ち会いのもとに行いました」
……と言うことは、これからランシスが述べる内容について、侯爵も騎士団長も……アルドリューさえも、既に把握しているわけか。
何だ? この茶番劇。
「子爵はオリネロッテ様への恋慕の思いが止みがたく、『何としても、結ばれたい。ついては可能な限り、想い人の動向を探っておきたい』との執念に駆られていたようです。そのため我が侯爵家に内通者を潜ませ、秘かに情報を得ていたとか。一昨日のオリネロッテ様外出の件も、その密告者からの通報によって知ったそうです」
「この侯爵家に、そのような不届き者が居るとはな。それで、その内通者は何者だ?」
騎士団長の問いを受け、ランシスが告発する。
「子爵が白状した裏切り者の正体は『フィコマシー様に、常に影の如く従っている女』――すなわち、『メイドのシエナ』です」
絶句し、立ち尽くすシエナさん。自分が置かれている立場のあまりにも急激な悪化に、頭の働きが追いつかないのだろう。
フィコマシー様が己がメイドを庇うためか、1歩前へ進み出ようとし――すぐ横の騎士が、侯爵令嬢の動きを制す。
しかしフィコマシー様は屈せず、懸命に声を張り上げる。
「そのような話、子爵様の虚言です! どうして、シエナが子爵様と通じる必要があるのですか? シエナは幼い頃より、私達のバイドグルド家で育ってきました。キドンケラ子爵家とは、縁もゆかりもありません!」
主家の娘の反駁に対し、ランシスはねちっこい調子で言葉を返す。
「子爵の証言によりますと、金品の授受があったそうです。所詮は、卑しきメイドの身。しかもその小娘は早くに両親を亡くし、懇意にしている親族も居ません。自分の将来へ不安を感じ、はした金に目が眩んだのでしょう」
「ランシス! 貴方は、何を馬鹿な! シエナを……シエナを……私のメイドを侮辱するのですか!?」
激昂する、フィコマシー様。これほど彼女が感情を乱す姿を見るのは、初めてだ。
ランシスが、慇懃無礼に頭を下げる。
「申し訳ありません、フィコマシー様。貴方様の心情を軽んじるつもりは、無いのです」
〝フィコマシーお嬢様を、矢面に立たせるわけにはいかない〟――そう、思ったのだろう。血の気を全く失い、顔色を透きとおるほど白くさせつつ、シエナさんが辛うじて声を絞り出す。
「わ……私は、キドンケラ子爵様と、そのような関係にはありません」
騎士団長が、シエナさんへ問いかける。
「では、メイドのシエナ。お前はキドンケラ子爵との面識は無いというのだな?」
「……フィコマシーお嬢様のお供をしている際に、2、3度お見掛けしたことはありますが…………直接言葉を交わしたことなどありません」
「ふむ……だが、子爵の証言とお前の証言。我らがどちらを信用するかというと……」
マズいな。
そもそも、侯爵を始めとして騎士団長もランシスも、この大広間に集まっている騎士たちも、最初からシエナさんを〝子爵と通じた裏切り者〟と決めつけ、非難する気でいたのは間違いない。この問答は、シエナさん断罪への単なる儀式なのだ。
糾弾の流れを変えなければ。
僕は話に割って入る。
「お待ち下さい! 団長様」
「なんだ? サブロー」
「無礼を承知で申し上げます。もしシエナさんが子爵様と内通していたとして、何故フィコマシーお嬢様の馬車が襲われたのですか? シエナさんはフィコマシー様を護ろうとして賊どもと戦い、危うく命を落とし掛けたのですよ。その状況は、僕やマコルさんがこの目でシッカリと確かめています」
マコルさんのほうを見ると、彼は僕の陳述に深く頷き、同意してくれた。
「サブローくんの仰るとおりです。シエナさんは健気なまでに、御領主様のお嬢様のために身を挺していました」
けれど、僕とマコルさんの申し立てを耳にしても、侯爵は考えを改める様子を見せない。
「……ふん。そこなメイドにとって、フィコマシーは我が侯爵家に寄生するための唯一の手蔓だからな。躍起にもなろうて」
侯爵のあまりの言い様に、フィコマシー様が喰って掛かる。まさか、フィコマシー様が正面切って父親に楯突くなんて。
「お父様! いくらお父様でも、そのお言葉は許せません。撤回してください!」
「お嬢様……」
シエナさんのフィコマシー様へ向ける瞳が、潤む。
娘に反抗されて、侯爵はやるせない表情になった。
「フィコマシーよ。私はな、そのメイドがオリネロッテの内情を子爵へ流していたことは勿論、お前からの信任を裏切り、己が利益のために悪用していた――その卑劣な所業についても、腹立ちを覚えるのだ」
「そんな……」
フィコマシー様が、二の句を継げることが出来なくなる。
……そうか。普段の口調は辛辣でも、やっぱり侯爵の心の底には間違いなくフィコマシー様への愛情が残っているんだ。
でもその真実こそ、今はフィコマシー様を苦しめる刃となっている。切っ先が、自身が最も大切にしている腹心へと向けられているのだから……。
ランシスが発言する。
「キドンケラ子爵とシエナとの情報のやり取りは、複数の人間を介して行われていたようです。そこで、何らかの伝達のミスが生じたのでしょう。ナルドットへ向かうフィコマシー様の馬車にオリネロッテ様が乗っていると誤認した子爵が、街道上での拉致を企てた――それが、フィコマシー様馬車襲撃事件の真相です。そして捕らえられてしまった男どもの口から黒幕の正体としてキドンケラ子爵の名前が漏れるのを恐れたシエナは、隙を見て彼らを毒殺した――事件の調査を行った我らは、そう結論づけました」
「そのような! そのような愚かな判断を……」
「もう言うな、フィコマシー」
侯爵が娘を諫める。
「お前がこれ以上そのメイドを庇うと、あらぬ事柄を勘ぐる者も出てきかねん――――フィコマシー、お前がメイドに命じてオリネロッテの情報をキドンケラのヤツに流していたのではないのか?……と」
「な……っ」
「無論、私はそのようなことを思ってはおらん。けれど、もうそのメイドを弁護するのはよせ。裏切られていた事実を信じたくない気持ちは分かるが……」
侯爵の見当外れな慰めの言葉に、フィコマシー様は口も利けなくなる。
そして…………シエナさんの、あの表情。
分かる。あれは〝罠の穴の中へ、お嬢様を道連れには出来ない。最悪、私1人が犠牲になれば……〟と決意した顔だ。
侯爵が、僕らのほうへ顔を向ける。
「少年のサブローと商人のマコル。それと猫族の少女。お前たちは、たまたま事件に遭遇しただけだ。特に咎め立てはせん。むしろ、侯爵家の者が面倒を掛けてしまったな。あとで、幾ばくかの迷惑料を渡すことにする」
そんな事は、どうでも良い! いま重要なのは、シエナさんの処遇だ。
現在のシエナさんは、完全に犯罪者扱いされている。
くそ! このままだと、ヤバい。取り返しのつかない結果になってしまう。
「にゃ……サブロー……」
ミーアの消え入りそうな声。フィコマシー様やシエナさんを助けたくても、どうして良いのか分からないのだろう。
「ミーア。大丈夫、大丈夫だよ。フィコマシー様もシエナさんも、必ず守ってみせるから。僕が何とか……」
今、僕は何をするべきだ? 如何なる行動を取るのが正解なんだ? いや、根本の問題として、選択肢は存在しているのか?
マコルさんが、囁きかけてくる。
「サブローくん、落ち着いてください」
「マコルさん! 貴方も……貴方もシエナさんが子爵と通じ、あの日の晩に男たちを毒殺したと思っているのですか?」
「まさか! しかし、現在の状況で、何をどう弁明したところで無駄でしょう。おそらく御領主様は、私達の発言に耳を貸してはくれません」
「だけど……っ!」
「ともかくこの場はやり過ごし、あとでシエナさんを救い出す方法を考えましょう。まず、彼女が無実である証拠を集めて……」
マコルさんの助言を聞き、少し頭が冷える。
そうだ。まだ、シエナさんを助けるための時間は残っている。今日明日に刑が下されるなんて、あり得ないはず……。
拙速な行いで、侯爵の心証を更に悪くしたらダメだ。
が、フィコマシー様は当然ながら未だ納得できないらしい。シエナさんが止めるのも聞かずに、侯爵へ抗議を続ける。
「お父様、シエナは決してそんなマネはいたしません。どうか、お考え直しを!」
「お嬢様、お嬢様、もう良いのです」
「何が良いのですか!? シエナ。このような冤罪の押し付け、私は我慢なりません」
「冤罪では無いぞ、フィコマシー。確かな証拠にもとづく、裁定だ」
「どこに、明確な証拠などあるのですか!? キドンケラ子爵様のあやふやな証言のみではないですか!」
「今さら、我が侭を述べるな。フィコマシー」
「我が侭などではありません! お願いいたします、お父様。今一度、事件の調査を行ってください」
「フィコマシー……お前は……」
「……お父様、思い出してください。シエナは、お母様にも可愛がられて……」
「エリザベートのことは口にするな!」
侯爵が、突如として逆上する。
「そのメイドは、お前だけでは無い。今は亡き、我が妻――エリザベートの信頼と恩愛をも裏切ったのだ! 断じて、見逃すことなど出来ん! ……ランシス!」
「ハ!」
「その腐りきったメイドを、即刻処刑せよ!」
「……今でございますか?」
「そうだ! もはや、息をしている姿を目にするだけで不快だ。グズグズするな!」
「り、了解しました。では、裏庭へ引きずり出し……」
「構わん。この場で斬り捨てよ! 我が眼前で、殺せ!」
な!?
僕の隣で、ミーアが悲鳴を上げる。
マコルさんの息を呑む音。
絶望の表情で、棒立ちになるシエナさん。
必死になってシエナさんを守ろうとする、フィコマシー様。傍らの騎士に腕を掴まれ、シエナさんから強引に引き離される。
「シエナ!」
「お嬢様……」
悲痛な声で自分の名前を呼んでくれる主――フィコマシー様へ、シエナさんは弱々しげな笑みを向ける。そして、微かに首を横に振った。あたかも〝悲しまないでください〟と告げるかのように。一方で、頑ななまでに、僕やミーアのほうへは眼を遣らない。
ぐ! 巻き込みたくない――ということか。
ズカズカとシエナさんへ近寄り、ランシスは剣を抜き放つ。
クラウディは無感動な顔つきで。
リアノンは懸命に動揺を抑えている。動きたくても動けない――そんな気振り。
侯爵は怒気を発したままだ。
そして、アルドリュー――ラダーメレ伯爵家の子息アルドリューは、ニマニマと楽しげに笑い、挑発するような眼差しを僕へと向けている。
そうだ。アルドリュー……コイツは、一昨日の夜、僕に何て言った?
『オレと、手を組まない?』
『守る対象は極力少ないほうが良いよ、サブロー』
『多くなればなるほど、手の隙間よりこぼれ落ちていっちゃうから』
『オレも、オレの手の者も、絶対に彼女たちを害したりはしないよ』
思い起こせ。
もとよりタントアムの町で、コイツは眠っているシエナさんを手に掛けようとした。ついで、それを阻止した僕へ……告げた。
『本当はね~、聖女をサクッと始末したかったんだ。でも、やっぱオレには不可能だったよ。だから、代わりに側仕えの女の子に死んでもらおうと思って』
『いつまでも未練たらしく聖女の側から離れようとしない、この子がイケないんだよ』
そう……加えて、アルドリューは『自分には、仲間や配下が大勢いる』といったセリフも口にしていた。
ならば、要するに……。
「――――っ!」
頭の中に、稲妻が走る。
キドンケラ子爵の供述も、襲撃者たちの毒殺も、コイツが全て仕組んだ?
つまり自分は手を汚さずに、侯爵家を操ってシエナさんの命を取ろうって魂胆なのか?
それなら、僕との約定を破ったことにはならないと?
いつから……いつから、アルドリューは『侯爵令嬢フィコマシー付きのメイド、シエナを殺す』算段をつけていた?
僕は間抜けにも、企みに気付かず……今、シエナさんの命が無残にも奪われようとしている。
シエナさん。
ブラウンの瞳とグレーの髪の少女。
敢えて過酷な道を選び
けれど、ひたむきに生きて
他者のために自らの心も身体もすり減らし
愚かで、未熟で、視野が狭くて
誠実で、勇敢で、悲しいほどに汚れが無くて
美しい。
シエナさん…………シエナさん!
それに、万が一シエナさんの身に不幸が降りかかったら、フィコマシー様は……。
あのタントアムの旅館で、僕と対峙しつつアルドリューが述べたセリフは――――『唯一の味方であるメイドちゃんが居なくなったら、聖女の心は、より一層萎れちゃうだろうね。それとも、枯れちゃうかな?』
シエナさんが死に、フィコマシー様の心が枯れる?
…………ふざけるな!
貴様の思い通りになんて、させてたまるか!
「ミーアは、マコルさんの側を離れないで。マコルさん……ミーアを頼みます」
「サブロー……」
「サブローくん。君は……」