糾問
今日は、バイドグルド邸へ出向く日だ。
午前中は《虎の穴亭》の周辺をミーアと連れだってノンビリ散歩するなど、穏やかな時間を過ごす。
昨晩は、理不尽な暗黒裁判のせいで酷い目に遭ったのだ。
心身をリフレッシュし、気力を回復させねば。
散策の道すがら、ミーアが「昨日の夜、サブローたちは下の階で何をしていたニョ?」と訊いてくるので、「いやぁ、〝人が神の御身に直接触れる行為は、許されるのか否か?〟という哲学的論争を信者の方に挑まれてしまってね。喧々ゴウゴウの大議論をしていたんだよ」と答えると、「そうなんニャ~」と納得してくれた。
なんでもミーアが1階に下りようとすると、宿屋の親父さんとお袋さんに「ミーアちゃんが関心を払う価値なんて、ほんのチョビッとも無いぞ。無視するに限る」「馬鹿と馬鹿が、馬鹿やってるだけだから」と引き留められたそうだ。親父さんたちの言い様も、それで全てを悟ってしまったらしいミーアの心境も、激しく気になるんだが……。
まぁ、10人を超える数の男たちが床の上を転げ回る惨状を、ミーアが目にしなかっただけでも幸いと言えるだろう。
《虎の穴亭》で早めの昼食を頂いたあと、ミーアと共に侯爵邸へ向かう。
途中、予め決めていた地点でマコルさんと合流した。彼も僕らと同様、本日の召喚に応じるようにとの命令を侯爵家の執事より受けている立場だからね。「一緒に行きましょう」と昨日、約束したのだ。
暗黒裁判が終わって……マコルさんが「ううううううっ!」と叫びつつ、ひとしきりフローリング・ローリングを行った直後にシャキーンと立ち上がり、何事も無かったかのような平然とした顔つきで「それで、サブローくん。明日、御領主様のお屋敷を訪ねる際は待ち合わせて……」と語りかけてきたのには、正直ビビったよ。
さすがは、ベテラン商人。見事な胆力をお持ちですね。
歩きながら、マコルさんへ尋ねる。
「今日、侯爵様の邸宅で、フィコマシー様の馬車が襲われた事案についての話し合いが行われるんですよね?」
「ええ、その通りです。ロスクバ村へ派遣された騎士の方々が、早ければ昨日のうちに、遅くても本日の午前中までには、犯人たちをナルドットに連れてきているはずですから」
「襲撃犯たちは手傷を負っていましたが……ナルドットへの移動に、身体が耐えられるのでしょうか?」
ミーアが、ギュッと僕の手を握ってきた。
彼女へ、笑みを向ける。
ありがとう、ミーア。でも、大丈夫だよ。あの男たちに重傷を負わせた件については、既に心の整理をつけている。
「犯人の身柄を動かせない場合は、彼らをロスクバ村で尋問し、調書を作成しているに相違ありません」とマコルさん。
なるほど……。審判の材料は、キチンと用意されているということか。
「評議の結果、どのような裁定が下るか、気になります」
僕は懸念を口にする。
「御領主様は公平な判断をなされる方ですし、特に心配は無いと思いますよ」
マコルさんは事態の成り行きを楽観視しているみたいだな。ナルドット侯はこの街の統治において優れた政治手腕を発揮していると聞くし、街の住人であるマコルさんが信頼するのも無理はないのかもしれない。
しかしながら、実の娘のフィコマシー様に対するナルドット侯の扱いを考えると、僕はそう簡単に彼を信用することは出来ない。
フィコマシー様が如何に危うく、辛い状況に置かれているのか……事件を究明する過程において、侯爵様がその現実に気付いてくれたりなんてことは…………希望的観測に過ぎるかな?
犯人の処罰は当然として、今日の会議を契機に、フィコマシー様の現状が少しでも改善してくれることを願わずにはいられない。
♢
お昼すぎくらいの時刻に、僕らはバイドグルド邸へ到着した。
玄関で迎えてくれたのは、執事や従僕では無く、数人の騎士だった。……雰囲気が、やけに物々しいな。いつも通り武装解除を求められたので、躊躇しつつもククリを手渡す。
そのまま騎士たちは、僕ら3人を屋敷の1階にある大広間へと案内する。
侯爵邸を訪問したら、真っ先にフィコマシー様とシエナさんへ挨拶するつもりだったんだけどな。僕が先日、冒険者ギルドの新人研修を特に問題なく終え、正式な冒険者となったことを彼女らへ伝えたかった……喜んでくれたに違いないのに。
だが、仕方ない。
大広間へ入るべく、扉をくぐり――その刹那、急に足が重くなった。
何だ? この不穏な圧力。
「――っ!」
眼前の光景に、思わず息を呑む。
広間には、20人を超える数の人間が集まっていた。
ナルドット侯以外は、殆ど騎士だ。屋敷の中であるにもかかわらず、全ての騎士が剣を帯びている。
……見知った顔も、ある。騎士団長、キーガン殿……クラウディとリアノンも居る。黒マント姿の長身の男が1人……魔法使いか?
大きなテーブルと多数の椅子が用意されてるものの、着席しているのは侯爵様と彼の隣の人物、2人だけだ。ナルドット侯の真横に座っている少年は――――まさか、アルドリュー?
……アルドリューは伯爵家の子息であり、馬車襲撃事件の情報を持っている人物でもあるのだから、この場に居てもオカしくは無い。しかし……。
アルドリューは青鈍色の瞳を僕へ向け、ニヤニヤと口角を上げる。『遅かったね? サブロー』とでも言いたげな、気持ちの悪い笑顔だ。
イヤな予感がする――
グッと拳を握りしめた僕の耳に、「サブローさん……」との呟き声が届いた。
フィコマシー様?
振り向くと、入り口の壁際にフィコマシー様とシエナさんが佇んでいるのが見えた。彼女らの両側には2人を挟み込むように、複数の騎士が背筋を伸ばしつつ起立している。守っていると言うよりも、まるで彼女たちの逃亡を警戒して見張っているかのようだ。
どうやらフィコマシー様たちも、たった今、呼び出されたみたいだな。自分たちがどうしてこのような扱いを受けているのか、事情が分からないらしく、2人とも戸惑った顔をしている。…………いや、怯えている?
ミーアとマコルさんは、言葉を発しない。広間に満ちている異常な空気に、気圧されているのだろう。
僕は殊更に平気な表情を作り、フィコマシー様とシエナさんへ軽く頷いてみせた。少しでも、彼女たちを安心させてあげたい。
僕と視線が合い、蒼白になっていた少女たちの顔に生気が戻る。
……オリネロッテ様やアズキ、ヨツヤさんの姿は、室内には無い。そしてフィコマシー様とシエナさんが、さながら罪人のように遇されている。彼女たちは、馬車襲撃事件における被害者なのに。
くそ! いったい、どういうことだ? 今、このお屋敷で何が起こっている?
騎士団長――年齢は40代半ばくらいか?――が僕らをジロリと睨み、話しかけてきた。貫禄がありながらも引き締まった身体つきに相応しい、重々しげな声が響く。
「ようやく、来たな。少年と商人よ」
「申し訳ありません。遅れました」
すかさず頭を下げる、マコルさん。僕とミーアも、彼に倣う。
「いや。そもそも、この時間帯を指定したのは我らのほうだ。気にするな」
侯爵様はそう述べ、顎髭を軽く撫でた。
アルドリューのヤツが、馴れ馴れしい口調で喋る。
「やぁやぁ、サブロー。一昨日の晩以来だね。元気そうで良かったよ」
伯爵家子息の僕に対するくだけた態度を目にし、フィコマシー様たちは不安を覚えたようだ。窺うような眼差しを僕へ向けてくる。
おそらく、彼女たちはアルドリューと面識があり、けれど信用してはいないのだろう。そんな相手と、いつの間にか僕が仲良くなっている……気に掛かってしまうのも、当たり前だ。
心を痛めている様子のフィコマシー様たちを眺め、アルドリューは愉快そうにニタニタと表情を崩す。
この細目、状況を楽しんでやがる!
「……お戯れを、アルドリュー様」
「相変わらず、サブローは他人行儀だなぁ。オレのことは呼び捨てにしても良いって言ったのに」
「ほぅ。アルドリュー殿は、あの少年を随分と気に入られたようですな」
「ええ。侯爵閣下、お話ししましたよね? オリネロッテ様が襲われた際、彼はご令嬢を護ろうと大活躍したのですよ! 獅子奮迅の働きでした。貴婦人に真心を捧げた騎士の如き、あの忠誠と勇敢さ。よっぽど、レディ・オリネロッテを崇めているんでしょうね。それこそ、唯一無二の存在として」
違う!
アルドリューの一言一言が、フィコマシー様の胸に突き刺さるのが分かる。
「そうか。サブローとやら、我が娘の危難に駆けつけてくれたこと、侯爵である前に1人の父親として礼を述べよう」
「いえ。過分なお言葉、恐縮です」
侯爵様……いいや、侯爵――ワールコラム=バイドグルド! そのオリネロッテ様を案じる親心の幾分かでも、フィコマシー様へ向けろよ!
「オリネロッテは勝手な外出をして皆に迷惑を掛けたのでな。現在、自室に謹慎させている」
…………そうだったんだ。それで、オリネロッテ様はこの場に居られないんだな。
「オリネロッテを守ったサブローには、後で褒美を取らそう……だが、その前に」
侯爵はしばらく黙考した後、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「フィコマシーの馬車が王都からナルドットへ至る街道上で襲われた件に関して、真相を質さねばならん」
そうだ! その事件では、フィコマシー様は被害者なんだぞ! それなのに何故、容疑者のように立たせているんだ? 侯爵令嬢である彼女は、当然椅子に座らせるべきだろう!?
僕の憤慨をよそに、侯爵は騎士団長のほうへ顔を向ける。
「関係者も揃ったことだし、そろそろ糾問を始めるか。ユグタッシュ」
騎士団長の名前は『ユグタッシュ』というのか。それにしても……〝糾問〟?
「ハ! それではロスクバ村へ派遣した者たちの報告について、話させていただきます。彼らが述べるところによると――――『ロスクバ村に着いた時には既に、フィコマシーお嬢様の馬車を襲撃したと目される男たちは全員、死亡していた』とのことです」
な!? いや、狼狽えるな! 今、やるべきことは――
僕は素早く、大広間に集まっている全ての人間の表情を確かめた。
驚いているのは、フィコマシー様・シエナさん・ミーア・マコルさんの4人のみ。他の面々は、誰も動揺していない。あの粗忽者のリアノンでさえ、硬い面持ちのままだ。
……つまり、僕らとフィコマシー様たち以外には、事前に報告内容が知らされていたということか?
だが、死んでいたとは……。
「ふむ。その3名の男たちと戦ったのはサブロー、お前であったな?」
侯爵が僕へ確認を取ってくるので、礼を失しないように注意しながら無言で肯定の動作をする。
侯爵はどうやら、僕を――〝サブローという個人〟をハッキリと認知したみたいだな。
「ならば、ユグタッシュよ。サブローに負わされた傷が原因で、男たちは死んだのか?」
致命傷とは思えなかったけど……僕らが村より出立した後で、アイツ等のケガが悪化してしまったのだろうか?
ウェステニラの治療技術や衛生観念は、僕が元いた世界と比べてかなり低い。回復魔法や回復薬の存在があるとは言え、ケガによって命を落とす確率が地球の日本より高いのは、ほぼ間違いない。
しかし……。
「いいえ、ワールコラム様」
侯爵からの問いかけに、騎士団長は否定の言葉を返す。
「男どもは、毒害されておりました」
なん……だと!? 毒で殺された?
騎士団長の意想外な返事を聞き、侯爵はむしろ面白そうに口の端を歪めた。
「それは、奇怪しな話よなぁ? ロスクバ村の住人に、賊の男たちを殺す動機は無いはず。つまり、捕虜となった悪党どもは、〝隠し持っていた毒薬を使用して自害した〟と言うことか?」
「そのケースは考えにくいかと思われます。『最初の段階で、男たちの身体検査はキッチリした』と、ロスクバの村長は述べております。村人は賊どもへ応急ながらも治療も施しておりますし、この申し立ては信頼できるでしょう」
「ならば、村の外より何者かが秘かに侵入し、男どもを殺したのか?」
「それも、難しいかと。何と言っても、ヤツらは侯爵様のご令嬢を襲った犯人です。ナルドットから取り調べ担当の者が遣わされてくるのは、分かりきっていました。そのため村人は男たちを小屋へ閉じ込めた上で、厳重な監視を常時、続けていたとのことです。賊どもの命を奪おうと企んだ者が居たとしても、村人の目を盗んで毒殺するチャンスなど無かったでしょう」
侯爵と騎士団長の、緊迫した会話が続く。……が、妙に白々しい感じもするな。予定調和というか、結論はとっくに決まっているにもかかわらず、そこへたどり着くために無駄なお喋りを続けているような……。僕の邪推か?
だが、何かが変だ。
誰かを、ジワジワと罠がある方向へ追い詰めている……そんな印象を受ける。
騎士団長の眉の間に、立て筋が入る。しかし、意図的に深刻そうな顔をしてみせているとしか、僕には思えない。
「けれど村人たちの証言によると、監視を初めて以降ただ1人、賊どもと接触した外部の人間が居るそうです。何でも監禁初日の夜に、男たちを捕らえている小屋にやって来たのだとか。その者は小屋より村人たちを追い出してしまったため、その時に中で何が行われたのか、今もって不明なのですよ」
「ふ~む。要するに、その夜に犯人たちは毒を飲まされた可能性が高い……そういう事なのだな? ユグタッシュ」
「はい、ワールコラム様。おそらく、口封じを狙ったものかと」
「それで、小屋を訪れた者の正体は判明しているのか?」
「複数の村人の口より出た名前は、一致しておりました」
そこで騎士団長は一旦言葉を切り、室内に居る1人の人物へ厳しい眼光を放った。
彼の視線が向かう先は――――
「その者の名は、シエナ。フィコマシー様づきのメイドです」




