もしも、本気で好きになるのなら
「サブローは、シエナのことが好きなニョ?」
唐突なミーアの問いかけ。
「決まってる。当たり前じゃないか」とは答えない。ミーアが質問に込めた思いは、そんな単純なものでは無いはず。
それくらいは、いくら鈍い僕でも分かる。
ミーアは、僕へ尋ねているのだ。〝恋愛的な意味で、シエナという1人の女性のことが好きなのか?〟と。
…………どうなのだろう?
僕は、シエナさんの人柄を好ましく思っている。その生き方を尊敬している。容姿については、彼女は別段美人タイプじゃ無い……それは、分かる。でも、充分に可愛い。真美探知機能の活用とは関係なく。
凜とした美しさだけでなく、いじらしさや初々しさも感じるのだ。シエナさんの外見からも、内面からも。
彼女は、僕より1つ歳上だけどね!
もしシエナさんのことを『モブメイド』などと呼ぶ輩が居たら、ぶっ飛ばしてやる。
そう。彼女は魅力的な女性だ。〝男として〟惹かれずにはいられない。
だが、僕はシエナさんとの間柄において考えるだろうか? 〝お付き合いしたい!〟〝彼女になって欲しい!〟――と。
……………………。
仮に、シエナさんが日本の女子高生で僕の先輩だったら、僕は十中八九〝交際したい〟と望むはず。
情熱の赴くまま好きになり、〝2人で楽しい高校生活を送るんだ!〟と意気込んでいたに違いない。
しかし、ここは異世界ウェステニラ。
シエナさんはバイドグルド家に仕えるメイドであり、主人のフィコマシー様を守るために全力を尽くしている。己の命さえ懸けて。
そんな17歳の少女なのだ。
〝気軽に好きなんて言えない〟……あと1歩、踏み出すことに躊躇してしまう僕は、単に臆病なだけなのか?
自分の心に歯止めを掛けてくる、何かがある。安易な感情の傾斜を許さない、何かが。
そうなんだ。
もしも、シエナさんを本気で好きになるなら――――僕は、彼女の全てを抱え込むだけの覚悟を持たなくちゃならない。
シエナさんの立場、シエナさんの誇り、シエナさんにとって大切なモノ。それを丸ごと、守ってみせるだけの覚悟を。
重い。
僕に、それだけの覚悟――信念があるのか? 僕の彼女への想いに、どれほどの熱量がある? ただの憧れ、浅い好意では無いと断言できるのか?
僕は、自分を知っている。俗物的なお調子者で、「彼女が欲しいよ~」といつも思っていて、「あわよくば、ハーレムを作るんだ!」などと寝言を口にする勘違い野郎。
シエナさんに「好きだ」と告白できる資格など――
考えすぎなのかもしれない。頭デッカチなだけなのかもしれない。でも、前へ進めない。彼女に近づけない。心にブレーキが掛かる。
……………………。
同じ事は、ミーアへ対しても言える。
僕はミーアのことが好きだ。掛け替えのない存在だと思っている。ズッと側に居て欲しいと、願わずにはいられない。
時々、想像する。
ミーアが、もし日本の女子中学生、14歳の少女であったならば……。
だが、違う。
ミーアは猫族の獣人で、僕は人間だ。
ウェステニラという世界において、人間と獣人のカップルは必ずしも皆無ではない。しかし極めて稀だし、周囲からは奇異の目で見られるのは確実だ。聖セルロドス皇国では、処刑の対象になっているとさえ聞く。ベスナーク王国内に限定しても、嫌悪を感じる人々は多い。
人間と獣人の恋愛的な結びつきは、物凄くハードルが高い。
単にケモナーたちがケモノっ娘を持て囃すのとは、訳が違う。
異種族間の男女の交際に、人々は禁忌に触れる本能的な怖れを感じるのだろう。
仮に僕がミーアへ〝付き合いたい〟と申し込み、彼女がOKしてくれたとしても――――その先は、茨の道だ。そんな未来へ、彼女を引きずり込みたくは無い。
ましてミーアは、ダガルさんとリルカさんの愛娘。僕は、2人から彼女を預かった立場。無責任なことは出来ない。
ミーアを守ってやらなくちゃならない僕が、意図的に彼女を逆風の中へ連れ出す。そんな軽挙妄動、許されるはずが無い。
…………異世界に行って、美少女に会って、ハーレムだ! と転移前の僕は浮かれていた。
しかし現在、実際に異世界の地を踏んでいる以上、いつまでも夢見たままではいられない。
恋愛をする前に、僕には片付けなければならない問題がある。それも、山ほど。
冒険者となり、なるだけ早くレベルアップして、フィコマシー様を逆境より救い出し、それから――
思い沈む僕の顔を、ミーアが覗き込む。
「ごめんにゃさい。サブローがシエナをどう思っているかとか、アタシが訊くべきことじゃ無いよね」
寂しそうに呟く、ミーア。
「ただ、気になっちゃったニョ」
「ミーア……」
「サブロー、忘れにゃいでね。何があっても、アタシがサブローを大好きだってこと」
ミーアの黄金の瞳が、夕日を反射して煌めく。真美探知機能が働いているのか、僕の目に映る彼女の姿は人間の女の子――猫耳JCになっている。
一瞬、現実を忘れた。ここは日本で……かつて歩き慣れた、近所の通学路。そんな錯覚。
バイドグルド邸は、僕の通う高校。シエナさんは1つ上の先輩。フィコマシー様は同じクラス。
僕はシエナ先輩と一緒になって、同級生フィコマシーさんへダイエットを勧めるのだ。「お菓子は、没収!」などと、はしゃぎながら。
クラウディは、頼れる高3の先輩。同じ部活で、僕の目標だ。
アズキは学校の先生。ちっこい身体つきを、生徒にからかわれつつも慕われている。
フィコマシーさんにはオリネロッテちゃんという、中3の妹が居る。とっても美人だそうで、会うのが楽しみだ。
去年高校を卒業して体育会系の大学へ進学したリアノン先輩の噂話が、耳へと届く。何でも地元の不良グループの溜まり場へ1人で乗り込み、制圧してしまったらしい。
そして、ミーア。
目の前に居る黒髪の少女は、知り合ったばかりの中学2年生。にもかかわらず初対面から僕に優しくしてくれて、つい先日、辛い経験をしたときも寄り添って支えてくれた。
愛しい。大事にしたい。告白して、僕の彼女に――――
けれど。
「サ、サブロー?」
気が付くと、ミーアを抱きしめていた。と言っても、あくまでも軽く、ふんわりと手を回す形で。腕の中の宝物が壊れてしまわないように。
「ミーア…………僕は…………」
「サブロー……分かったニャン」
ミーアも、ゆっくりと僕の背中へ両腕を回す。
夕日の差す、ナルドットの路上。僕とミーアの影は1つになった。
♢
冒険者ギルドへ戻ると、エルフのスケネービットさんと熊族のゴンタムさんが出迎えてくれた。
僕とミーアは、彼らへ今日の研修の報告をする。
ビットさんが微笑む。
「サブローくん。セルロド教について、印象が変わったりしたかしら?」
「ええ。少しばかり、考え方を改めました。本日の教会訪問は、とても有意義だったと思います」
「そう……それなら、良かったわ」
僕はシスター・アンジェリーナが書いてくれたクエスト終了報告書を、ビットさんへ手渡す。シッカリと密封されているため、中身を僕やミーアが確認することは出来ない。
実は、リラーゴ親方や老婦人のニコパラさんも、同様に報告書をしたためてくれている。お3方は、どのように僕の働きを評したのかな?
〝サブロー君は、あんまり使い物になりませんでした。ガッカリです〟とかでは無いことを祈る。
ビットさんとゴンタムさんは報告書へ目を通し、頷き合う。
「ご苦労様でした。ただ今を以て、サブローくんの冒険者新人研修は終了いたします」
声高らかに宣言する、ビットさん。
「あ……あの、それで、結果は?」
僕は恐る恐る尋ねる。
大丈夫かな? 〝冒険者としての見込みは無いから、諦めてお家に帰りなさい〟と告げられたりはしないだろうか。
ウェステニラに、僕の家なんて無いのだが。
敢えて言えば、〝ミーアの側〟が、僕の〝帰る場所〟ではあるけど。
ゴンタムさんが、ポンポンと大きな掌で僕の肩を叩く。
「合格だ。サブロー」
「サブロー、おめでとうニャ! 良かったにゃん! ニャンニャン」
ミーアがピョコンピョコン跳ね回りつつ、喜んでくれる。
ビットさんもゴンタムさんも、ニコニコしている。
嬉しいな。でも、これでようやく本物の冒険者になれたに過ぎないんだ。気を引き締めていかないと。
「明日から、サブローくんは正式な冒険者よ。まだ見習いだけどね。まぁ、サブローくんなら、すぐに3級へ昇格できるでしょう」
そうビットさんが述べ、続けてゴンタムさんが教えてくれる。
「冒険者としての身分を示す免許のカードは、明日交付する。受け取りに来てくれ。ついでに、サブロー向けのクエストも紹介してやるぞ」
「ありがとうございます」
僕がゴンタムさんへ頭を下げていると、ビットさんがミーアへ語りかける。
「ミーアちゃんは研修期間がまだ7日ほど残っているけど、頑張ってね」
「ハイにゃん。サブローに追いつけるように、努力するにゃ」
そうか。僕はミーアより一足先に冒険者になるんだな。〝甲斐性のある先輩〟を目指さねば!
ええと、他に話すことは…………あ、そう言えば。
「スミマセン。実は明日、僕はバイドグルド邸へ出向かなくてはならなくて……」
フィコマシー様の馬車襲撃事件について、ロスクバ村へ犯人を捕縛するために向かった騎士が戻ってくる。
事件の関係者である僕とマコルさんは、その調査報告に立ち会わなくちゃならない。
「サブロー。アタシも、行くニャ」
「え? 呼び出しを受けているのは、僕とマコルさんだけだよ?」
「フィコマシー様とシエナに、アタシも会いたいニャン」
どうしよう? 迷っている僕へ、ビットさんが告げる。
「良いわ。サブローくんとミーアちゃんは明日1日、お休みにしましょう」
「宜しいんですか? バイドグルド邸へ赴くのは午後からですので、午前中は冒険者ギルドへ顔を出せますけど」
「1日に、無理なスケジュールを詰め込むのはダメよ。冒険者ギルドで何か不測の事態が起こったりして、侯爵様のお屋敷へ行けなくなったら、どうするの?」
なるほど……そんなことになったら大変だ。フィコマシー様たちにも、迷惑を掛けてしまう。
ゴンタムさんが、アドバイスしてくれる。
「サブロー。心身を休養させることも、大切だぞ。疲れていると、思わぬ失敗をする可能性もある。『休めるときには休む』のも、冒険者の忘れてはならない心得と言える。明日の午前中は、ミーアと一緒にゆっくり過ごすと良い」
「分かりました。そうさせて頂きます」
「了解にゃん」
あと1つ。確認しておきたい事がある。
「あの……それで、こんな事をお訊きして良いのかどうか分からないのですが……」
「なぁに? サブローくん」「なんだ? サブロー」
「何故、この3日間の研修内容で、僕が『冒険者としての適性あり』と認められたのかが、今ひとつ理解できなくて」
だって、ひたすら雑務をこなしただけだよね? モンスター退治とか、全然してないよ?
僕の質問を受け、ビットさんとゴンタムさんは顔を見合わせる。
「そうね。この場にはミーアちゃんも居るけど……良いわ、教えちゃいましょう。サブローくんは、3日の間のクエストをどう思った?」
「どうって……」
「ツマラナイと感じたか?」
ゴンタムさんが問うてくる。
「ツマラナイとは思いませんでしたが、拍子抜けしたのは事実です」
荷物の運搬に、ティラのお散歩。そして子供達とのおままごとだからね。
「もっともな感想ね。確かに私たちはサブローくんへ、わざとバトルや探索とは無関係なクエストばかりを課したわ」
「そんな…………どうしてですか?」
冒険者の技倆チェックの対象と言えば、やはり戦闘能力や捜索能力などじゃないのかな?
僕の疑問にゴンタムさんが答える。
「冒険者に求められるのは、単に戦いにおける強さばかりでは無い。判断力や知識、他者への対応やクエストに取り組む姿勢も、重要になる。まぁ、これはどの仕事をする上でも、そうなのだが……」
ふむふむ。
「サブローの強さに関しては、問題は全くない。と言うより、自覚しているかどうか分からんが、サブロー、お前は桁外れの腕前を持っているぞ。それは、コマピとの試験で確かめた」
…………そうなのか。
「更に、サブロー。お前は度胸を決めて、見事にドーテーも卒業してみせた」
……………………。
「サブローくんは頭の回転も速いし、他種族の言葉も喋れるほど語学に堪能。まさに、10年に1人の逸材」
ビットさんが唱うような美しい声音で述べる。
さすがに、持ち上げすぎじゃない?
「なので、サブローくんの資質について、私たちがこの研修中に見定めたかったことは1つなのよ」
「それは『一見お手軽に感じられるようなクエストであっても、手を抜かずにマジメに勤める心構えを持っているか?』ということなんだ」
「そんなの当たり前では?」
僕が呆気に取られていると、ビットさんはニッコリ笑った。
「そう言ってくれるサブローくんだから、私たちは躊躇うことなく合格にすることが出来たのよ」
「内情を明かすと……能力が高い新人ほど、困ったことに、一般業務に分類されるクエストを軽視してしまう傾向があってな」
「『俺が冒険者になってしたい仕事は、こんなんじゃない!』とか、口にしちゃうの」
「冒険者が引き受けるクエストは、派手でスリリングなモノが大半だと誤解しているんだ。モンスター討伐やダンジョン探索などは、クエストのほんの一部であるにもかかわらず」
僕も最初は誤解していました。スミマセン。
「でも、サブローくんは、そんなクソ生意気な新人どもとは違ったわ! 地味なクエストにも真剣に取り組む姿勢を、私たち皆に見せてくれた」
「船荷の積み込み、ペットの散歩、教会への慰問………一切、骨惜しみをしなかった。全力で、働いた。サブロー、お前は偉い!」
「いえ、そこまで褒められることじゃ……」
照れちゃうな。
僕の隣でミーアが「サブローは、やっぱり凄いニャン!」と嬉しそうにペチペチ肉球拍手をしてくれているし。
「あの……仮に、仮にですよ! 僕が『つまんね~クエストだな。サボっちゃえ』なんて態度だったら、どうなっていたんでしょうか?」
「そうね。その時は、特訓場行きになっていたわ」
ビットさんが、妖しげに口角を上げる。
特訓場…………って、あの山奥にある洗脳施設か! 危なかった!
もしもいい加減な気持ちでクエストに臨んでいたら、特訓場へ強制連行されて精神を改造されちゃうところだったんだ。くわばらくわばら。
「サブローくんのクエスト先の方々は、皆様、報告書で貴方のことを認め、賞賛していたわ」
リラーゴ親方。ニコパラ様。シスター・アンジェリーナ。ブラザー・ガイラック……ありがとうございます。ペットのティラは……アイツは、関係ないか。
「サブローがこの3日間のクエストで知り合った方々は、どなたも、ナルドットの街において少なからぬ影響力をお持ちになっている」
「そんな人たちの知遇を得た意味は、大きいわ。きっと、サブローくんが冒険者活動をする上での助けになってくれるはず」
「ビットさん、ゴンタムさん……」
2人が僕へと向けてくれる、温かな笑みが胸に染みる。
「クエスト先は厳選しているって言ったでしょ?」
「冒険者ギルドは、サブローの今後の活躍に期待している」
感動。
「はい! 頑張ります!」
ビットさんたちの厚意を無にしちゃいけない。より一層、精進せねば!
僕は心に活を入れ直す。
ミーアが「ばんざ~いニャン。ばんざ~いニャン」と両腕を何度も上げる。そんな彼女を優しい眼差しで見つめる、ビットさんとゴンタムさん。
ギルド職員のお2人に、心よりの感謝を……あれ? 考えてみれば。
「スケネーコマピさんが、いらっしゃいませんね。お忙しいのでしょうか?」
一応、彼にも礼を述べておきたいんだけどね。武術試験などでお世話になったし。
ま、コマピさんがこの場に居たとしても、ミーアに対してトンチキな言動をするのみだろうし、邪魔なだけのような気もするが。
「あ~、コマピね。ついさっきまでは、ギルドに居たのよ。『ミーア様のご帰還を伏してお迎え申し上げねば』って呟きつつ、サブローくんやミーアちゃんが来るのを正座しながら待っていたんだけど……」
「サブローたちが戻ってくる直前、何やら外部から緊急の呼び出しを受けてな。大慌てで出ていってしまったんだ」
え?
「何か、あったんでしょうか?」
「理由を訊く暇も無かったのよ。コマピのヤツ『それは本当ですか!? 許せません。不埒千万、不届き至極。極刑に値します! 断固、処断すべきです。亡者覆滅、情けは無用。邪・即・斬!』と喚くなり、ギルドから飛び出していっちゃって……我が弟ながら、訳が分からないわ」
「我が同僚ながら、訳が分からない」
僕も、訳が分からない。
「アタシも、訳が分からにゃいニャ」
ミーアも、そう言ってます。




