彼女のことを知って欲しい
お昼寝タイムが終わり、ブラザー・ガイラックは教会へと戻っていった。
子供達が、歳上から順に目を覚ます。
寝具を片づけた後。
「さぁさぁ、皆さん。キチンと並んで座ってください。サブローお兄さんとミーアお姉ちゃんのお話を聞きましょうね」
シスター・アンジェリーナの指示に行儀良く従う、子供達。
躾がキチンと行き届いているようだ。感心感心。
これから孤児院の子供らと、語らいをしなければならない。ともかく、まずは僕やミーアが話題を提供しなくちゃ。
どんな内容が良いかな。なるべく、為になるテーマを選ぼう。
〝道を歩いていたら、銅貨が落ちていたことがあったんだよ。さて、皆はどうする? 僕はね、素早く周囲を確認したよ! そして、さりげなく靴を履き直すフリをしながら……〟とかいった経験談は、マズいような気がする。
僕が「う~ん、う~ん」と頭を悩ませていると、ミーアが「サブロー。アタシから先にお話をしても良いかニャ?」と声を掛けてきた。
ミーア……起き抜けは寝惚け眼で「にゃむにゃむ」と呟きつつフラフラしていたけど、大丈夫かな?
ミーアは子供達へ、獣人の森での暮らしについて語った。
猫族の人々が、どのような生活をしているのか? 当事者であるミーアのお喋りの中身は具体的なエピソードに満ちており、僕も興味を惹かれる。
談話を聞く子供達、みんな楽しそう。取りわけ、ケイトちゃんと獣人の男の子は熱心に耳を傾けている。
「猫族は、犬族やブタ族と仲良しさんなのニャ」
猫族と他部族との交流についてミーアが話していると、オコジョ族のケイトちゃんが質問してきた。
「ミーアお姉ちゃんは、オコジョ族に会ったことはある?」
「ごめんにゃさい。無いにゃん」
ミーアが、ケイトちゃんに謝る。
無理もない。オコジョ族は、よっぽどのことが無い限り他種族・他部族の前には現れない〝幻の獣人〟だからね。
ケイトちゃんが寂しげに顔を伏せる。
「アタチ、生まれも育ちもナルドットで、自分以外のオコジョ族の姿を見たことがないの」
……ケイトちゃんは、どうやら両親の顔を知らないみたい。
〝孤児〟という言葉の重みを、改めて感じる。
「オコジョ族語も喋れない……アタチ」
「私も、オコジョ族語を知っている方を探してみたことはあるのですが、どなたもご存じなくて……。オコジョ族の言葉は、獣人語の中でも特殊なことで知られていますから……ゴメンナサイね、ケイト」
ションボリするケイトちゃんを、シスターが慰める。
「ううん。シスターのせいじゃない」
健気なケイトちゃん。模範的な、オコジョっ娘だ。
思わず、発言してしまう。
「僕は、オコジョ族語を話せますよ」
「え! 本当? お兄ちゃん」「そうなのかですか? サブローくん!?」
驚く、ケイトちゃんとシスター。
「サブローは、とっても物知りなのニャン」
何故か、自慢げな表情になるミーア。
ケイトちゃんの黒い瞳が、期待の光で輝く。
「サブローお兄ちゃん! オコジョ族語で喋って、喋って!」
『僕は、サブローですオコジョ。16歳で、冒険者になることを目指していますオコジョ』
僕のオコジョ族語による自己紹介を耳にし、ケイトちゃんは跳び上がって喜んだ。
「凄い! 凄いよ、お兄ちゃん。これが、オコジョ族語なんだね……」
「サブローくんが獣人の言葉を話せるであろうことは察していましたが、よもや、その若さでオコジョ族語まで知っているとは……。信じられません。サブローくんは、語学の天才なのですか?」
「サブローは、偉いのニャ」
シスターとミーアが僕を絶賛する。
いえ……あの……僕は単に猫族語の『ニャン』語尾や犬族語の『ワン』語尾を、『オコジョ』に変換して喋っているだけなんですけど……。
相変わらず、獣人語の仕組みは良く分からない。
子供らが僕へ尊敬の眼差しを向けつつ、ざわつく。
「サブロー兄ちゃんは、出来る人だったんだな」
「画に描いたような、フツ~で、ボンヨーで、アリフレたお兄さんだと勘違いしていたぜ。オレの人を見る目も、まだまだだな」
「ミーアお姉ちゃんのお付きの人だと思っていたわ」
「おままごとの時のサブ犬っぷりもカンペキだったし、ただ者じゃ無いこと、ボクは見抜いていたよ」
「犬じゃなかったんだ」
「ペットにしたかったのに」
「サブローお兄ちゃん……首輪のプレゼント……要らない……? よく締まるよ……シメさば……締めサブ……サブミッション……服従させたい……」
なにやら不穏なセリフが、耳へと届くんだが……。子供らの中における僕の評価って、今までどんな感じだったんだろう?
僕はケイトちゃんへ、オコジョ族語をちょっとだけ教えてあげた。
『アタチは、オコジョ族のケイトなのオコジョ』と話せるようになったケイトちゃん。とても嬉しそう。
良かった。少しは僕も役に立ったかな?
加えてケイトちゃんは、『おいくらオコジョ?』『高いわオコジョ』『オマケしてオコジョ』の3語もキッチリ覚えた。
そんなオコジョ族語のワード、使う機会なんて殆ど無いんじゃ……。しかしケイトちゃんが言うには、これは〝オコジョ族女子――通称《オコ女子》のたしなみ〟なのだそうだ。
……意味不明。ウェステニラには、オコジョ割による商品値引きサービスでもあるの?
そうこうしているうちに、ミーアの話が終わる。
さて、時間的にも、そろそろ僕も何か、子供達へ語ってあげなくちゃ。どんな事柄にしよう?
「《彼女欲しいよー同盟》における、僕の華麗な戦歴を披露するのが最適かな。同志達が如何に潔く散っていったか、その鮮やかな最期に関しても詳しく解説して……」
「それ、止めたほうが良いとアタシは思うにゃ」
僕の独り言を聞きつけたミーアが、真剣な顔を向けてくる。とてもとても、凄く凄く、マジメな口調だ。
理由は一切不明だが、彼女の意に反するマネは出来ない。ミーアのアドバイスに従うことにする。
ふむ。それなら、ウェステニラに来てからの出会いについて話そう。僕がこの世界で巡りあった、大切な人たちのことを……。
ミーアは……現在進行形で僕の隣に居る。なので、彼女と対面した折の成り行きを改めて子供らへ説明したら、ミーア、恥ずかしがっちゃうかも。
フィコマシー様は貴族のご令嬢だし、話題にするのは差し障りがありそう。
だったら、あの人かな?
うん。よくよく考えてみれば、あの少女との邂逅のシーンは、特に強烈だった。
「これはね、僕の知り合いについてのお話なんだ」
語り始めると、子供達の視線が僕へと集まった。
「その人はね、メイドさんなんだ」
ミーアが「にゅ?」と小声を漏らし、僕のほうを見る。
「メイドさんは、1人のお嬢様に仕えていた。そのお嬢様はとっても良い方なんだけど、周りの人からはイジめられていた」
「酷い!」
ケイトちゃんが、プンプン怒る。
シスター・アンジェリーナは物言いたげな様子であったが、結局口は開かなかった。僕が誰のことを話しているのか、悟ったらしい。
「メイドさんは、そんなお嬢様をたった1人で守ってきた。自分のことだけ考えるなら、お嬢様を見捨てたほうが楽なのに。でも、メイドさんはお嬢様と一緒に傷つく道を選んだ。そんな彼女を『馬鹿なメイドだ』と大勢の人が笑った。実際、メイドさんの生き方は〝利口〟とは言えないよね。もし彼女が逃げ出したとしても、それを責めることは誰にも出来ないし、しちゃいけない、と僕は思う」
ぐるりと、子供らの顔を見渡す。少し、難しい内容だろうか? しかし、考えて欲しいのだ。
仮に自分がメイドさんの立場に置かれたら、どうするか?
世界は、優しくない。孤児である彼らは、既に知っているはず。
アンジェリーナさんやガイラックさんの庇護のもとから巣立って社会へ出れば、更なる困難が襲ってくるに違いない。
立ちはだかる、幾つもの障害。ぶつかる? 乗り越える? 立ち去る? 迂回する? 利口なやり方が正しいのか? 愚かなやり方は間違っているのか?
子供の1人が訊いてくる。
「それで、メイドさんはどうしたんですか?」
「今も、お嬢様を支えているよ」
僕の返事に、子供達は揃って安堵の息をついた。笑みを浮かべている子の姿も、見える。
世界は不条理で――けれど、それだけじゃ無い。残酷な現実と戦い、負けていない人も確かに居るのだ。その事実が、子供達には嬉しいのだろう。
「でもね。メイドさんがお嬢様とともに歩んできた道のりは、本当に大変なものだったんだ。生命を落としかねない事態に遭遇したことさえ、あるんだよ」
場の空気が、引き締まる。
「お嬢様とメイドさんが馬車で旅をしていると、数人の盗賊が襲ってきた。護衛の騎士や御者はすぐに逃げてしまい、お嬢様とメイドさんは取り残されてしまう」
「そんなの騎士じゃない!」
男の子が、大声を出した。僕と一緒におままごとで遊んだ子だな。
騎士になりきってチャンバラごっこをしていたし、彼にとっては憧れの職業なのかもしれない。
僕は、男の子へ同意の目線を送る。
そうだね。フィコマシー様とシエナさんを捨ててサッサと逃亡したブランとボートレ――彼らは〝本物の騎士〟とは言えないと、僕も思う。〝本物の騎士〟とは、クラウディのような人物を指すのだ。
しかし残念ながら、我欲や保身を優先する騎士だって、間違いなく世の中には存在している。
身分も外見も職業も、その人間の真価を保証してくれはしない。
例えば聖職者だって、アンジェリーナさんやガイラックさんのような立派な方ばかりではないはず。それは、セルロド教の現状を見れば理解できる。
ケイトちゃんが前のめりな体勢で、話の続きを促す。
「そ、そ、それで、メイドさんとお嬢様はどうなったの?」
「メイドさんはお嬢様を守るために、自分の命を懸けた。1人で、盗賊を相手に戦ったんだよ。襲ってきたヤツらの標的は明らかにお嬢様で、メイドさんが逃げても、追っかけてはこなかったんじゃないかな? だから助かりたいなら、メイドさんはお嬢様を見放して其処から一目散に走り去るべきだった。それが、賢い選択だった。メイドさんは、騎士じゃない。お嬢様を守るべき義務なんて、負っていない。でもね。メイドさんは踏みとどまった。怖かったと思う。泣きたかったと思う。心の奥底には〝逃げたい〟という気持ちもあったかもしれない。けど、けどね。メイドさんは、逃げなかったんだよ」
子供らは一言も発さずに、ジッと僕の言葉に耳を澄ませている。
「盗賊との戦闘で、メイドさんは次第に追い詰められていった。何と言っても、敵は数人の凶悪な男。メイドさんは1人。相手は嵩に掛かって攻めてくる。メイドさんは、疲れる一方。しかし、メイドさんは諦めなかった。頑張った。最後の最後まで、あがき続けた」
思い出す。馬車を背にして、必死にレイピアを振るうシエナさんの姿を。
全身汗まみれ。
服はところどころ破れて、身体は傷ついていた。
武器のレイピアは折れてしまって。
それでも、彼女は膝を折らない。
「待っているのは、〝絶望の未来〟としか思えなかった。もしメイドさんが〝自分のやっていることは無駄な努力〟と諦めていたら、全ては終わってしまったはず。けれど、メイドさんは最後の一瞬まで〝運命に負けてたまるか〟と抵抗を続けた。決して、挫けなかった。……結果、奇跡が起こったんだ」
「奇跡?」
5歳くらいの女の子が、僕へ問う。
「そう、奇跡。たまたま通りがかった旅人一行が、助けに来てくれたんだ。本当に間一髪のタイミングだったんだよ。もしもメイドさんが最後の最後まで力を振り絞って戦っていなかったら、救援は間に合わなかったに違いない」
「きっと、女神様が助けてくれたんだ!」
ケイトちゃんが、叫ぶ。
「そうかもしれないね。でもね。聞いて、みんな。僕の故郷には『天は自ら助くる者を助く』というコトワザがあるんだよ。女神様は慈悲深い方なんだろうけど、それでもメイドさんが必死に頑張っていたからこそ、救いの手を差し伸べてくださったんだと思う」
僕の言葉に、シスターが頷く。
「メイドさんの身の処し方をどう捉えるかは、君たち次第だよ。別に、メイドさんを見習う必要は無いんだ。ただ、こんな風な生き方を選んでいる人も居るってことを、君たちには知って欲しかった。それで、少しばかり時間を頂いて聞いてもらいました」
僕は、話を締めくくった。
子供達は、口を開こうとはしない。
しかしながら、〝関心が無い〟とか〝退屈だった〟という顔つきの子は居ない。皆、幼いながらも一生懸命に何かを考えているように見える。
シスターが「子供らへ、良いお話をありがとうございます」とお礼の言葉を述べてくれた。
そうかな? ひたすら自分勝手に喋ってしまっただけのような気もするけど。
むしろ、申し訳ない。
語り終えて、頭が冷えてきた。思っていたよりも、気持ちが昂ぶっていたみたい。
……僕は何故、シエナさんのことを子供らへ熱く語らずにはいられなかったんだろう? 自分の心が、理解できない。
もしかして、僕は少しでも多くの人に伝えたかったのかな? シエナさんの生きざまを。
フィコマシー様は勿論だけど、シエナさんだって報われて当然の人だ。
彼女の清廉な信条や振る舞いは、もっと賞賛されてしかるべきなんだ。
だって、彼女は美しい……〝美しい生き方〟をしている人なんだから。
そうだ。シエナさんの生き方は、賢くはない。得にもならない。ひょっとしたら、正しくも無いのかもしれない。
でも、眩しい。気高い。胸に響く。
美しい。
そう言えば、地獄の特訓でグリーンが僕に訊いてきたことがあったな。「真の美少女とは?」と。
その答えは……。
♢
孤児院からの帰り道。
時刻は夕方。日は傾き、路上の影が長く伸びる。
黙々と僕の隣で歩きつづけていたミーアが、不意に顔を上げて尋ねてきた。
「サブローは、シエナのことが好きニャの?」