真正セルロド教
物語の背景に関する、説明回です……。
過酷なおままごとアワーを経て、ようやく昼食の時間となった。
「サブロー。何か疲れ切ってるニェ。どうしたにょ?」
ミーアが気遣わしげに、僕へ声を掛けてくる。
どうやら、サブ犬の醜態をミーアは目にしていなかったようだ。
良かった。僕の威厳は、未だ保たれている! ……保たれているはず。だよね?
お昼ご飯は、孤児院の建物の中にある食堂で、みんな揃って頂いた。簡素な献立だったけど、大勢で仲良くしながらの食事は、とても楽しい。
そして、お昼寝タイム。
子供達は、オネンネする。広間でザコ寝状態だ。
シスター・アンジェリーナとミーアが、熟睡する子供らの様子を優しく見守っている。
僕は彼女らを孤児院へ残し、教会へ顔を出してみた。
ブラザー・ガイラックが、訪れた礼拝者と話し込んでいる。
しばし聖堂内部の様子を観察したが、1ヒモク(1時間)ほどの間に教会へやって来た信者の数は僅かに2人。随分と少ない。だが驚いたことに、そのうちの1人は獣人だった。ガイラックさんはその獣人さんが打ち明ける悩み事に、真摯に耳を傾けている。
…………やっぱり、分からないな。〝セルロド教〟とは何だろう?
孤児院へ戻ってみると、子供達に混じってミーアも眠りに就いていた。ポカポカした午後の陽気は、気持ち良いからね。子供と一緒に遊ぶのは意外に体力を消耗するし、ミーアも疲労が溜まっていたのだろう。無理もない。
「ニャムニャム」と寝言を述べているミーアの頭を、アンジェリーナさんが繊細な手つきで撫でている。
黒猫と老シスター……。
美しい光景だ。
一幅の聖画を眺めているような、清々しい心持ちになるな………。
アンジェリーナさんが、僕へ語りかける。
「不思議そうな顔をなさっていますね。少年……いえ、サブローくん」
「ええ。正直、僕は……」
口籠もってしまう。しかし、シスターは僕が言わんとした内容を察したらしい。
「私やブラザー・ガイラックの言動が、セルロド教の聖職者には似つかわしくないように見える……と?」
「ハイ……」
「サブローくんは、セルロド教について、どのくらいご存じ?」
「聖セルロドス皇国の国教。そして……そして……」
「人間至上主義。エルフやドワーフへの蔑視。獣人を迫害……ですか?」
無言で、首を縦に振る。
アンジェリーナさんが溜息を吐きつつ、それでいて毅然とした表情になる。目に見えない何かと対決しているような雰囲気だ。
少し、気押される。
僕が再びアンジェリーナさんへ話しかけようとしていると、部屋の中へガイラックさんが入ってきた。
「サブローさん。拙僧たちは、《真正セルロド教》の宗派に属しているのです」
え? えっと……取りあえず。
「ガイラックさん。聖堂を空けても良いんですか?」
「心配無用ですよ、サブローさん。今は、信者の方は居られませんので」
「でも、誰か来られたら……」
「大丈夫です」
ガイラックさんの視線の先へ目を向ける。
なるほど。この部屋の窓からは、教会の入り口が見えるんだ。訪れる人が居ても、すぐに分かるね。
改めて、アンジェリーナさんとガイラックさんへ尋ねる。
「《真正セルロド教》……とは何でしょう?」
「本当は〝真正〟の文字を省きたいのですけどね。私達の信じる教えこそ、正統な〝セルロド教〟なのですから。わざわざ〝真正〟という言葉を付け加えなければならない現状が、悔しいです」
無念そうな顔になるシスターを、ブラザーが慰める。
「シスター。お気持ちは痛いほど分かりますが、焦ってはなりません。1歩ずつ、1歩ずつですよ。現に、ここナルドットでも、少しずつではありますが、真正セルロド教の信仰に関心を持ってくださる方が増えてきているではありませんか」
「そうですね、ブラザー」
「真正セルロド教は、僕が知っているセルロド教と何が違うのでしょう?」
「ベスナーク王国で一般に〝セルロド教〟と考えられている信仰は、偽物です!」
アンジェリーナさんが力強く言い切った。その口調には、熱が籠もってる。
「……サブローくん。貴方には、《真正セルロド教》と〝誤った教義を世に広めている紛い物の教え……《似非セルロド教》〟との相違を、キチンと理解してもらいたいです。……それには、まず、どのようにセルロド教が誕生したのか? ――信仰の始まりそのものから、語らねばなりませんね」
ガイラックさんは黙っている。
説明の役割をアンジェリーナさんへ委ねているようだ。
「かつて……千年以上前もの昔、このビトルテペウ大陸において魔族とヒューマンは絶え間ない争いを続けていたのです」
壮大な話になってきたな。
「その時代には、魔族もヒューマンも確固たる統一政体を持ってはいませんでした。各々の部族や集団がバラバラに戦い、時に優勢となり、時に劣勢となり……なればこそ、双方ともに相手へ決定的な打撃を与えることも、争乱を終結へと導くことも出来ずにいたのです」
「慢性的な混乱状態だったわけですね。ダラダラとした攻防が続き……しかし逆に言えば、味方陣営が壊滅してしまうような破局も無かった」
僕の発言に、シスターが頷く。
「大陸におけるヒューマンと魔族の闘争を、天上世界の神々はただ見つめるだけでした。地上での沙汰に直接介入することは、天界において禁じられていたためです」
「神は黙して語らず、人を救わず、ひたすら見守るのみ……」
ガイラックさんが窓の外、空へと眼差しを向ける。
「ブラザーがいま仰った言葉こそ、神々の基本姿勢でした。けれどある時、その状況を一変させる出来事が起こります。〝魔の領域に属する者ども〟を偏愛する暗黒神――魔神レハザーシアが禁を破り、魔族たちへ邪な存在を下賜したのです」
「邪な存在?」
「圧倒的な知恵と武力と魔法の才を持つ、指導者です。魔神レハザーシアの狙い通り、この大陸に魔族の王――〝魔王〟が誕生しました」
「魔王……」
強烈なワードが、シスターの口より飛び出した。
「〝レハザーシアの愛し子〟とも呼ばれる魔王は分裂状態にあった魔族を忽ちの内にまとめ上げ、その頂点に立ちます。一致団結し、整然とした軍事行動を取るようになった魔族に対して、ヒューマンは未だに連携不足。しかも、魔族はモンスターを巧みに使役しました。結果、どの方面の戦いにおいてもヒューマンは敗れるようになり、とうとう大陸の片隅へと追いやられる事態となったのです」
「危機的局面ではないですか!」
思わず声を上げる僕へ、ガイラックさんが相づちを打つ。
「その通りです。おそらくそのままだったら、ビトルテペウ大陸よりヒューマンの姿は消えてしまったでしょうね」
だが、そうはならなかった。現在も、この大陸にヒューマンは存在している。それどころか、人間は最大勢力となり、いくつもの国家を形成している。
それは何故だ?
僕が内心で抱いた疑問に答えるように、アンジェリーナさんが話を再開する。
「ヒューマンの絶望的な有り様を見かね、救いの手を天上より差し伸べてくださった神様が居られたのです」
「天界の掟に背いてまで、ヒューマンを助けた神……」
「双子の女神、セルロドシア様とベスナレシア様です」
女神セルロドシアとベスナレシアは、双子の姉妹だったのか。
「ヒューマンの窮状を憐れんだセルロドシア様とベスナレシア様は、それぞれの恩寵を授けた聖女様がた2人を地上へと遣わしてくださいました」
「2人の聖女……」
〝聖女〟……どこかで、耳にしたフレーズだな。
そうだ。タントアムでの夜、フィコマシー様の寝室でアルドリューと対峙した際に、アイツが口走っていた。『聖女の歪みが酷くなる……』とかなんとか。
あれは、如何なる意味だったんだろう。
ひょっとして、現在の世界にも、聖女は……。
「聖女のお2方はヒューマンを率いて、魔族と勇敢に戦われました。人間・エルフ・ドワーフ・獣人……それまでの確執を乗り越え、聖女様のもと、全てのヒューマンが力を合わせたのです。大陸を血で染め上げるような激しい戦争の果てに、ヒューマンの連合軍はついに決定的な勝利を収めます。魔族の軍は消滅。辛うじて生き残った魔族たちも逃亡の末に散り散りとなり、ビトルテペウ大陸はヒューマンの天地となりました」
「魔王は、どうなったんです?」
「最終決戦において、聖女様がたの力により封印されたと伝えられています」
封印……魔王は、死んではいない。まだ、生きている?
「魔族との戦争が終わった後、ヒューマンは聖女様を盟主とする国づくりを始めました。しかし、そこでお2人の聖女様の意見に相違が生じたのです」
「国のあるべき未来について……2人の聖女様の考え方が異なっていたと?」
「はい……」
言い淀んでしまったシスターの代わりに、ガイラックさんが口を開く。
「ベスナレシア様の使徒である聖女様は、『ヒューマンは全て平等である』と説きました。他方、セルロドシア様の使徒である聖女様は……」
「『人間は他のヒューマンより格上の存在である。故に、優遇すべき』と?」
「それは違います!」
僕の皮肉を込めたセリフに、シスター・アンジェリーナが反駁する。
「シスター、お静かに。子供達が起きてしまいます」
ガイラックさんが注意する。
「あ……スミマセン。けれど、サブローくん。誤解しないでください。セルロドシア様より遣わされた聖女様は、そのような事は仰っていません。むしろ、逆です」
「逆?」
「ええ。私達の聖女様は『人間は他のヒューマンより、か弱き存在である』と述べられたのです」
〝人間が弱い〟だって?
僕が戸惑っていると、シスターが穏やかな声音で諭してきた。
「サブローくん。よく考えてみてください。人間は、エルフのように風から祝福を受けることも無く、ドワーフのように土から厚意を恵まれることもありません。かと言って、火や水に愛されている訳でも無い」
火・水・土・風――万物を成り立たせていると伝わる、4つの元素。
確かにエルフやドワーフは、風や土との相性が良い。その祖先は、風や土の妖精らしいしね。
ガイラックさんが言い添える。
「獣人の皆さんのように身体能力が卓越していたり、特殊な技能を生まれつき有している訳でもない。ある意味、人間は他のヒューマンより劣っているとさえ言えるでしょう」
「だからこそ、私達の聖女様は『人間には、特別な配慮が必要だ』と思われたのです。また、それが女神セルロドシア様のご意向でもありました」
「片や、ベスナレシア様より遣わされた聖女様は『余計な斟酌や過分な厚遇は、人間を甘やかしてしまう。かえって、堕落させかねない』と考えられたそうです」
これは、難しい問題だ。
『真の平等とは何か?』との疑問について、唯一の正しい答えは無いのかもしれない。
〝機会の平等〟と〝結果の平等〟
〝ハンディキャップは有りか、無しか〟
どちらが正解かなんて、誰にも分からない。
「見解は折り合わず、2人の聖女様は袂を分かってしまいました。そして私達の聖女様はセルロド教の開祖となり、聖セルロドス皇国を興されたのです。もう一方の聖女様はベスナレ教を創始し、ベスナーク王国を建てました」
現在のビトルテペウ大陸には5つの大国があるが、その中でもベスナーク王国と聖セルロドス皇国の国力は突出している。あたかも地球の冷戦時代における、米国とソ連のような存在だ。
それにしても、2つの国の成り立ちには、そんな内情があったのか。
「つまり、セルロド教の本来の信仰は『人間は他のヒューマンより弱い。よって、幾ばくかの援助が必要』というものなんですね?」
「そうです。『人間は弱者なればこそ、女神セルロドシア様の慈愛の対象となり、他のヒューマンより多くの恩恵を受けている。故に人間は身と心を慎み、エルフやドワーフ、獣人の皆様には感謝の念を抱きつつ懸命に生きなければならない』……これこそが、セルロド教の正しい信条であり、私たち真正セルロド教の教理なのです」
「では、どうして聖セルロドス皇国は現在のような惨状になってしまっているんですか? 皇国の役人や冒険者が、獣人の森で、獣人の皆さんを対象にした奴隷狩りを行うなど……」
酷すぎる。
僕の問いを受け、シスター・アンジェリーナは悔しげに唇を噛み、ブラザー・ガイラックは顔を顰めた。
「拙僧は教会本部の地下図書館に秘蔵されている、古い文献を調べたことがあるのですよ。そして、悟りました。建国後……長い年月を経る間に、セルロドシア様の教えはいつしか歪んで伝えられるようになってしまっていたのです。今では殆どの教徒が、誤った考えを〝セルロドシア様と聖女様のご意思〟と頭から信じ込んでいます」
「教会本部が掲げる信仰を〝セルロド教〟と名付けることは、もはやセルロドシア様への侮辱です。その説くところは、『人間は、他のヒューマンより優れている。セルロドシア様からの恩寵をエルフやドワーフ、獣人より多く受けているのが、その証拠だ』などという妄語。あまつさえ、『獣人は、穢れた生き物である』なんて戯言まで口にする始末。セルロドシア様も聖女様も、そんな馬鹿げたことは決して仰らなかったにもかかわらず! 高位の聖職者は特権階級となり腐敗し、聖典も自分たちに都合の良いように書き換えてしまった……」
慨嘆する、アンジェリーナさん。
ガイラックさんが、しみじみと呟く。
「結局、自分自身の有り様に自信を持てない者が、己を高めようとするのではなく、他者を引きずり下ろして束の間の安心を得ようとしているだけなのです。客観的に見て、それは醜い姿でしかあり得ません」
「現在の皇国において、正しい教えを奉ずる者は残念ながら少数派です。けれど、私達は諦めません。必ずセルロド教を、あるべき姿へと戻してみせます。セルロドシア様も聖女様も、それを望んでおられるはずです」
「シスター。頑張りましょう」
これは……アンジェリーナさんとガイラックさんを応援したい気持ちになっちゃうな。
「シスターとブラザーは、正しいセルロド教の教えを広めるために、ベスナーク王国へ来られたんですか?」
ベスナーク王国は聖セルロドス皇国よりはマシとは言え、やはり獣人への差別はある。知らず知らずのうちに皇国の政策の影響を受けてしまったのだろうか?
アンジェリーナさんとガイラックさんが顔を見合わせる。
「恥ずかしながら、シスターと拙僧は亡命のような形で皇国より王国へ逃れてきたのです」
「亡命?」
「はい。私達がナルドットへ参って、既に4年になります」
「シスター・アンジェリーナは教会の主流派を気取る俗物どもとは主張を異にするとは言え、皇国貴族のご出身。その敬虔な人柄もあり、シスターを慕う信者は皇国の中にも数多く居たのですよ。しかしながら、7年前に新しい皇帝陛下が即位して以降、真正派への締め付けがとみに厳しくなり……シスターのお命までが危ぶまれる状況となってしまいました。そのため、拙僧が無理にシスターを皇国より連れ出したのです。『何があっても皇国に留まりたい』とのシスターのご決意を無下にしてしまい、申し訳ありませんでした」
ガイラックさんがアンジェリーナさんへ頭を下げる。
「いえ。今になって考えれば、真正派への弾圧は、あの時、既に尋常ではない激しさになっていました。意地を張っていたら、とっくに私は死んでいたでしょう。ブラザーの判断は間違っていなかったと思います」
「シスター……」
そうか。お2人はそんな艱難辛苦の道を踏み越えて、今この場に居るんだな。ナルドットで真正セルロド教の布教を続けながら、孤児院の運営までしている。本当に立派な人々だ。
僕も、セルロド教への認識を改めなくちゃね。
そもそも、どれほど素晴らしい人間であっても、心の中から差別や偏見の感情を完全に消し去ることなど出来はしない。大事なのは、そんなマイナスの思いを宗教や思想で正当化しちゃわないことだ。
そう。本来の教えを歪めてしまった〝似非セルロド教〟のように……。
「ところで、7年前に戴冠なされた皇帝陛下は、かなり問題が多い方のようですね」
獣人差別撤廃令を公布した、ベスナーク王国の賢王とは随分と違う。メリアベス2世陛下は、ベスナレ教の教えに基づいた政策を採っておられるんだろう。
アンジェリーナさんは、少しばかり考え込んだ。
「はい……とは言っても、即位された当初、皇帝陛下は8歳であられたのです。誤った国策の多くは、側近どもの手によるものでしょう」
「獣人の森における奴隷狩りも、佞臣らの策謀に違いありません。前帝在位の折にも獣人の方々は奴隷身分ではありましたが、〝積極的に狩り集めろ〟などという愚劣な指示が王宮より発せられたりはしませんでした」
怒る、ガイラックさん。
シスターが憂い顔になる。
「7年前から、皇国の情勢は加速度的に悪くなっているように感じます」
聖セルロドス皇国の皇帝陛下……か。登極時の7年前は8歳……即ち、現在15歳。オリネロッテ様と同じ歳だね。
そしてフイコマシー様とオリネロッテ様の母上は、7年前に亡くなられている。その時から、姉妹の仲はオカしくなっていった……。
どちらも同じ、7年前。単なる偶然?
一方は、大国家の政治の中枢。もう一方は、ある侯爵家の家庭の事情。その規模や重大さは、違いすぎる。
もとより、比較すべき対象ではあり得ない。
けれど、引っ掛かるな……。7年前。何かを契機にして、ビトルテペウ大陸……いや、ウェステニラの世界そのものが狂い始めた……。
誰かが仕掛け、何かが壊れ、暗闇で奇怪な笑い声が響き――――
不意に、背筋に寒気が走る。馬鹿なことを。考えすぎだ。
僕はイヤな予感を払い落とすべく、頭を軽く振った。