激・怒女とサブ犬
ウメボシスター・アンジェリーナさんによるお仕置きタイム《こめかみグリグリ・ウメボシ地獄》が、ようやく終わった。
そのままお説教タイムに移行しそうな気配が見えたため、地べたに正座しつつ「申し訳ありません! 僕の眼は節穴でした。よくよく見れば、シスターは外見もお若い! まさに、身も心もヤング・シスターと言えるでしょう!!!」と陳述する。
別に、おべんちゃらという訳では無い。
実際、シスターは背筋が伸びているし、足腰もしっかりしている。お顔のシワシワ具合に目をつぶれば、とても80歳とは思えないほど、その姿勢はシャンとしておられるのだ。
「分かってくれたようですね、人間の少年くん。素直なのは良いことです」
ウメボシスター……では無く、シスター・アンジェリーナさんは快く僕の謝罪を受け入れてくれた。
さすがは、聖職者。心が広い。
僕やシスターを遠巻きに眺めていた孤児院の子供らが、ヒソヒソ声で話し合っている。
耳を澄ますと、その内容が聞こえてきた。
「すげ~な、あの兄ちゃん。形勢不利と見るや、すぐさま土下座したぜ」
「一瞬の躊躇もなかったわね」
「あれこそが、過酷な社会で生き残るための処世術なんだな。危機回避のお手本にしなくては」
お子様がたは、年齢の割にはお喋りが達者なようで。
シスターたちの教育が行き届いているのだろう。結構なことです。
平伏より顔を上げると、ミーアがシスターに「若さの秘訣は何かにゃ?」と訊いている。
ただ素直に尋ねているのか、僕の失敗をミーアなりにフォローしてくれているのか、どっちなのかな?
シスター・アンジェリーナさんは「女神セルロドシア様のお恵みによるものです」と返事しているが…………セルロドシア……か。
女神セルロドシアは、セルロド教の主神だ。と言うか、セルロド教の信仰の中では唯一神に近い。
セルロド教の教義において、セルロドシア以外の神は無視同然の扱いを受けている。殊更に他の神々の存在を否定している訳ではないが、信者達のセルロドシアへの傾倒が極端すぎるのだ。
その辺りも、多様な神々を緩やかに受け入れつつ女神ベスナレシアを尊重しているベスナレ教とは違う。
詳しくは知らないが、女神セルロドシアは遙かな昔に『命あるものの中で人間こそが最も尊い存在であり、他の生物は人間に仕えなくてはなりません』との託宣を教徒らへ下したと聞いた。
セルロド教の教えの中では、人間は最上クラスに位置づけられており、エルフやドワーフは一段劣ったヒューマン、獣人は更に下で奴隷として虐待しても一向に構わない下等な生き物――とされている。魔族は邪悪で、発見次第、退治すべき対象だ。
その教条は極めて偏狭で、『全てのヒューマンは平等な存在』と説くベスナレ教とは、理想とする世界が正反対だ。
まぁ、ベスナレ教でも、魔族は〝ヒューマンの敵〟とされているが……。
言うまでもなく、僕はベスナレ教のほうに好意を持っている。セルロド教なんて大嫌いだった……今日までは。
……現在、僕の眼前で繰り広げられている光景はなんなのだろう? 人間の子供と獣人の子供が、何の屈託もなく、仲良く遊んでいる。みんな、笑顔だ。
差別や蔑みは勿論、如何なるわだかまりも、そこには無い。ここは、セルロド教の教会であるにもかかわらず。
疑問は、ひとまず置いておこう。まずは、慰問だ。
「何をすれば良いのでしょう?」とアンジェリーナさんやガイラックさんへ問うと、「子供らに、少年くんと娘さんが見聞きしてきた、外の世界に関する知識や体験を話してあげて欲しいのです」「いろいろな情報に幼いうちから接することは、いずれ社会に出て行く子供らの力になるはずです」との答えを返してくれた。
なるほど。ウェステニラに、TVやラジオは無いからね。新聞らしき出版物や書籍はあるけど高価だし、庶民にとっては、あまり縁が無い。
他者、それも世慣れた人の経験談を折に触れて子供らへ聞かせることは、教育における重要な一項目なのかもしれない。
いわゆる、〝耳学問〟というやつだ。
良し! 子供達へ、とっておきの話を披露するぞ! と意気込む僕へ、アンジェリーナさんが「語らいは午後にお願いします。今は、子供達と遊んであげてください」と頼んできた。
ふむ。
そうだね。シスターの仰る通りだ。何はともあれ、子供達と親密にならなくちゃ。
やっぱり〝見知らぬ誰か〟より〝遊んでくれたお兄さん〟の話のほうが、子供らもちゃんと聞いてくれるに違いない。
そんな訳で、子供達の相手をする。
子供らは、2つのグループに分かれて遊んでいた。
僕は、女の子1人・男の子3人のグループへ、ミーアは女の子2人・男の子2人のグループへ向かう。
ミーアが相手してあげる子らのほうが、集団の平均年齢が低い。3歳くらいの子も居る。
子供らは、ワッと喜びの声を上げながらミーアを取り囲んだ。「猫のお姉ちゃん。遊ぼう!」といった幼い口調の言葉も、僕の耳へ届く。
ミーアは歓迎されているみたい。良かった。
僕が担当する子供らは、全員7~8歳くらいかな?
ミーアのほうには獣人の男の子が1人居たけど、僕のほうは、女の子が獣人だ。なんかリーダーっぽい。……獣人の女の子が、人間の男の子3人を従えているように見えるんだが。
女の子が尋ねてくる。
「お兄ちゃん。アタチたちと遊びたいの?」
「うん。宜しく頼むよ」
「しょうが無いわね~。面倒を見てあげるわ」
キレイな人間語で喋るね、この女の子。それにしても、種族は何だろう?
……イタチ? いや、違う。この美しい白と茶色の毛並み、クリッとした目、愛らしい仕草…………う~ん。
分かったぞ! この子は、オコジョ族だ!
いや~。まさかウェステニラの獣人の間でも極めて珍しく、滅多に姿を見せないと言われる伝説的部族――オコジョ族の女の子に、このような場所で会えるなんてね。
幸運だ。
ブルー先生による、勉強特訓を思い出す。
オコジョ族語は、かなり特異な言語だったなぁ……。何と言っても、語尾が全て『オコジョ』になるんだから。まんま過ぎる。
無論、眼前の女の子は人間語を話しているので『オコジョ』などとは言わないのだが。
「それじゃ、何をして遊ぼうか?」と子供らへ訊いてみた。
ミーアたちのグループは、じゃれ合ってキャイキャイするだけで盛り上がっているけど、年齢高めのこちらのグループは、そう言う訳にはいかないはず。
鬼ごっこ……では無く、〝オーガごっこ〟とかどうだろう?
少し、怖い感じもするな。ウェステニラにはオーガが実在しているため、逃走や捕獲のマネっこが、リアル寄りになりすぎる危険性がある。
〝オーガ役に捕まったら、即、(人生が)終了〟とかなりそう。
僕がアレコレ迷っていると、オコジョっ子が声高らかに宣言した。
「おままごとをするわよ!」
「え~。僕たちは、騎士ごっこをしたいのに」
「そうだよ。ケイトちゃん」
男の子2人は不満そう。どっちの子も、手に小枝を握っている。あれを使って、チャンバラごっこをする気だったようだ。
男の子にとって、剣や刀は憧れなんだよね。日本の男子中学生も、修学旅行先の土産物屋で衝動的に木刀を買ってしまって、帰宅してから後悔したりするのだ。
孤児院の男の子たちは、僕が腰に提げているククリを羨ましそうにチラチラ見ている。
自身の提案に反対されて、オコジョっ子のケイトちゃんは全身の毛を逆立てた。
おかんむりみたい。
「アタチに、逆らう気?」
「そ、そんなこと……」「分かったよ……」
あっと言う間に、男の子2人は屈服した。騎士を目指す勇敢な少年たちも、冠をかぶったオコ女王の命令には逆らえない模様。
残りの1人の男の子がコソコソと僕に耳打ちする。
「お兄ちゃんも、ケイトちゃんに言い返したりしちゃダメだよ。ケイトちゃんは普段は良い子なんだけど、一旦激怒すると荒れ狂って、手が付けられなくなるんだ。僕らは陰でケイトちゃんのことを『激・怒女』と呼んでいるんだよ」
そうなのか。ケイトちゃんは、怒りっぽい女の子なのか。怒女なのか。
確かに、オコジョは気性が荒いことで有名だけど。
「おままごとの配役に、騎士を取り入れるわ。それなら、良いでしょ?」
ケイト女王、意外に親切。アメとムチの使いどころをご存じでいらっしゃる。
男の子たちの顔つきが明るくなった。
おお~。怒りっぽいのに、ケイトちゃんが男の子に人気がある理由が分かったぞ。単に、オコジョ的容姿の可愛さによる贔屓だけでは無かったのだ。
一見ワガママなようでいて、周りへの配慮もキチンと欠かさないために好かれているに違いない。優れたリーダーシップだ。僕も見習わなくては。
「それじゃ、役を発表するわよ~」と仕切り屋のケイトちゃん。
「アタチは、オコジョ……じゃ無くて、淑女。貴婦人よ!」
ほうほう。
男の子3人はそれぞれ、貴婦人の旦那である領主様・騎士甲(領主の側近の騎士)・騎士乙(貴婦人を崇拝する騎士)という役になった。
僕? ……僕は貴婦人が飼っている犬。つまりは、ペット。…………ペット!?
♢
貴婦人「騎士乙。アナタの忠誠は誰のモノ?」
騎士乙「もちろん、奥方様のモノでございます。奥方様への奉仕は、我が喜び」
サブ犬「わんわん」
領主様「見付けたぞ! お前は、ワシの妻でありながら、騎士乙と不倫をしていたのだな!!!」
サブ犬「わん!?」
貴婦人「そんな! 誤解です」
騎士乙「その通りです、御領主様! 私の奥方様への思いは、あくまで貴婦人へ捧げる騎士としての忠義。やましい心など、一切ありません」
貴婦人「アタチと騎士乙は、清い関係なのですわ!」
サブ犬「わんわんわん、バウ~」
領主様「ええい! 聞く耳など、もたぬわ。そこへ直れ、手討ちにしてくれる!」
貴婦人「きゃ!」
サブ犬「わわん、わん」
騎士乙「奥方様! いかに御領主様と言えど、この暴挙を許すわけにはまいりません」
領主様「ふん! だったら、騎士乙よ。どうする気だ」
騎士乙「私は奥方様へ剣を捧げた騎士。奥方様の潔白を証明すべく、御領主様へ決闘を申し込みます」
サブ犬「わん?」
領主様「良いだろう。貴様が勝てば、妻の無実を信じてやる。だが、負ければ貴様は死ぬのだぞ」
騎士乙「覚悟の上です」
貴婦人「騎士乙! ああ、アタチって罪な女」
騎士乙「奥方様。私はアナタ様の騎士。アナタ様のために戦います。どうか私が身につける品を、お下げ渡しください」
貴婦人「そうですね。ならば、このハンカチーフを……」
騎士乙「ありがとうございます。奥方様のかぐわしきハンカチーフを懐に入れて、私は決闘に挑みます」
サブ犬「バウバウ」
領主様「決闘におけるワシの代理人は、騎士甲だ。騎士甲は、我が家臣の中で最も強い。貴様に勝ち目などないぞ 騎士乙よ。ぶざまにくたばるが良いわ。ワッハッハ……よし、決闘開始だ!」
サブ犬「わんわんわん」
騎士甲「騎士乙よ。お前の命を奪うのは心苦しいが、これも互いに騎士として生きるが故の逃れられぬ運命。観念せよ」
騎士乙「私が敗れるようなことがあれば、奥方様の不貞が事実とされてしまう。敬愛する奥方様のためにも、正義のためにも、私は負けるわけにはいかないのだ!」
騎士甲「テエィ!」
騎士乙「トリャ!」
サブ犬「ババウ!」
騎士甲「そりゃ!」
騎士乙「よっせ!」
サブ犬「わわん!」
騎士甲「な! 騎士乙が、いつもより手強いぞ」
騎士乙「見たか。これが、貴婦人へ捧げる騎士の誠心、愛の力だ!」
サブ犬「わんわんわん」
騎士甲「うわ~。ま、負けた」
領主様「騎士乙、天晴れだ。貴様が勝利した上は、ワシも妻の無実を認めるしかなかろうて」
サブ犬「わん」
騎士乙「奥方様……。奥方様が贈ってくださったハンカチーフが、私の身を守ってくれました。我が勝利を、アナタ様へ捧げます」
貴婦人「感謝します、騎士乙よ。淑女たるアタチは、アナタの献身に報いなくてはなりませんね」
騎士乙「では、褒美をいただきたく」
貴婦人「お礼は、ベッドの上でするオコジョ」
サブ犬「バウ!?」
ちょっと、待てぇぇぇぇ!!! え? 何なの、この展開? オカしすぎない? 結局、貴婦人と騎士乙はデキちゃってるの? それなら、潔白でもなんでも無いじゃん。
あと、子供達の語彙力が豊富なのは結構ですけど、余計な知識がありすぎなのでは? シスターたちは、どういう学習を子供らへ施しているの?
それに、これのどこが〝おままごと〟なの? 〝支配階級の夫婦生活を模倣した遊び〟ってこと?
なんて殺伐とした〝おままごと〟なんだ……。
更に言うなら、僕の役柄、別に要らなかったよね? 犬だし。存在感ゼロだし。みんな無視してたし。
♢
ケイトちゃんと3人の男の子は、おままごと終了後「お兄ちゃん。絶妙な犬っぷりだったわ」「完璧なサブ犬でした」「こんなペット、僕も欲しいです」「尊敬します」と口々に褒めてくれた。
全然、嬉しくない。むしろ、悲しいです。わんわん。
オコ女王は、おかんむり……。




