ウメボシスター
「ミーアと一緒にセルロド教の教会へ赴け……と仰るのですか?」
僕の声音に不穏な気配を感じたのであろう。スケネービットさんが、表情を硬くする。
「……サブローくんはセルロド教について、どの程度知っているの?」
「聖セルロドス皇国の国教ですよね。〝人間至上主義〟を掲げており、人間以外のヒューマン……特に獣人を蔑視し、差別的に扱うことをむしろ奨励しているとか。皇国では……」
僕は、傍らにたたずむミーアをチラリと見遣る。ミーアは口を開かず、僕とビットさんの会話にジッと耳を傾けている。
「皇国では、獣人の方々は迫害され、奴隷の境遇へと落とし込まれていると聞きました」
「……そうね。その通りよ」
「正直、ナルドットにセルロド教の教会が存在すること自体が驚きなんですが」
「メリアベス陛下の強いご意向により、ベスナーク王国では信教の自由が保証されているの。そして国内には一定数、セルロド教を信じる人々も居るわ」
ベスナーク王国と聖セルロドス皇国は緊張関係にあるはずだが……潜在的敵国の国教も許容するとは、太っ腹な方針ではある。女王陛下の政策は理念としては正しいのだろうけど、敢えて火種を抱え込んでいるようにも思えるな。
そう言えば、ロスクバ村での晩にバンヤルくんが『最近のナルドットでは、セルロド教の布教活動が活発化してきている』と述べていたっけ。
事態の裏側で、皇国の手の者が暗躍しているなんてことは……。
思想戦や宣伝戦において、自由主義国家が全体主義国家に敗北するケースは、地球の歴史でもしばしば見られた。正しい理想は、必ずしも正しい結果には繋がらないのだ。
僕が王国の行く末に余計な気を回していると、ビットさんが訓戒してきた。
「サブローくん。貴方が冒険者であろうと無かろうと、物事を判断する上で早合点しちゃうのは禁物よ。貴方はセルロド教の全てを知っている訳ではないわ。まず実際に教会へ行き、関係者と触れあってきなさい」
彼女のセリフが、胸にズシンと響く。やはり、年長者(推定年齢90歳)の言葉には、それだけの重みがある。
「私は……いえ、私達、ナルドット冒険者ギルドは、サブローくん、貴方に期待しているの。クエスト先も、厳選しているのよ」
厳選? その結果が、ゴリラやティラノサウルスなの? なんか、オカしくない?
「私を信じて、サブローくん。私と貴方の仲は、そんなに浅いものじゃ無いでしょう?」
僕とビットさんは、別に親密な仲ではありませんけど。付き合いの深さは、干上がり寸前の路上の水溜まりくらいかな。
あと、わざとらしくオッパイを両腕で挟んで強調しなくても良いですよ。無意味です。連日の値引き・安売りの影響で、貴重品の価値がバッタもんレベルまで低下していますから。
過剰なアピールをしたところで、現在の僕の心眼には、ビットさんの双丘は風船玉としか映りません。
オッパイと風船。どっちも、ボヨヨン。
「私と貴方は、気が遠くなる程の長い刻を掛けて、相互の信頼を積み上げてきたはず。そうよ! 2人の間の歴史を思い出して!」
気が遠くなる……出会って4日の歴史ですよね?
いくら何でも、テキト~に喋りすぎではなかろうか? このギルド職員。
ビットさんとコマピさん。スケネー姉弟のせいで、僕の中におけるエルフの評価がだだ下がりなんですけど。
お色気作戦を含めた口説き文句に僕がちっとも反応しないので、スケネービットさんはつまらなそうな顔になった。
「ともかく、これは正式なクエストです。キャンセルは出来ませんよ」
「僕は構いませんが、ミーアが……」
「サブロー。アタシ、教会へ行くにゃ」
ミーアが発言する。
「アタシは、冒険者になるのニャ。苦手なクエストだからって、逃げたりしちゃいけないと思うのニャン」
「ミーア……」
ミーアも、当然ながらセルロド教には嫌悪を感じているはず。ひょっとしたら、怖がっている可能性もある。何と言っても、獣人の森では皇国の人間による、獣人たちを対象とした奴隷狩りが現在も行われているのだ。
けれど今、ミーアは勇気を振り絞っている。〝冒険者として〟正しい道を選ぼうと頑張っている彼女の姿が、眩しい。
ミーアのひたむきさに、胸が熱くなる。心が、揺さぶられる。
ああ……僕の瞳に映るミーアの容姿が、猫耳JCになってるな。真美探知機能が働いているのか。
可愛い女子中学生風のミーア。猫耳をピコピコ動かしつつ、頬を赤らめている。ギュッと固く握りしめられた両手。左右に大きく振れる尻尾……怖じ気づかないように、自身を鼓舞しているのかな?
「……サブローくん。貴方がミーアちゃんを大切に思っているのは知っているけど、ちょっとばかり熱い眼差しで見つめすぎじゃない? ミーアちゃんも恥ずかしがってるわよ」
呆れたような口調で、ビットさんが声を掛けてくる。僕は、ハッと我に返った。
「あ、ス、スミマセン。ミーアもゴメンね」
「べ、別に良いのニャ……」
ミーアが普段の猫娘の姿に戻る。妙にモジモジしているような……尻尾もクネクネしている。
……そうだね。過度に心配しすぎるのは、冒険者を目指すミーアに対してむしろ失礼だ。いざとなったら、僕が全力でミーアを守れば良い。
「よし。ミーア、行こうか!」
「ハイにゃ」
ミーアは、元気よく答えてくれた。
「あ! 待って、サブローくん。これ、教会の方へ渡す寄付金よ」
「けっこう、沢山ありますね。ビットさん」
「贈り主は、冒険者ギルドの職員一同。私のお給料からも、ちょっぴり出ているの」
「そうですか」
「落としちゃダメよ」
「落としません」
「盗られちゃダメよ」
「スリには気を付けます」
「着服しちゃダメよ」
「〝僕〟という存在に対する貴方の見解に、深刻な疑問があります。今から別室で話し合いを始めましょうか? ビット女史」
「女史なんて……他人行儀ね。〝ビットお姉様〟と呼んでくれても良いのよ?」
「ビットお婆さま」
「〝私〟という存在に対する貴方の見解に、深刻な疑問があります。今から別室で話し合いを始めましょうか? サブローくん」
「サブロー、早く出掛けるにゃん」
♢
向かうべきセルロド教の教会は、冒険者ギルドより徒歩で1ヒモク(1時間)ほどの距離、ナルドットの街の南西部にある。
ミーアと2人でテクテク歩く。
……目にする建物が、次第に見窄らしくなっていくな。見渡す限り、平屋しか存在しないぞ。路地も狭くなり、なんだかゴミゴミしてきた。
貧困地区……という程のものでも無いが、昨日ティラを散歩させた高級住宅街とは明らかに〝生活のニオイ〟が違う。お世辞にも、治安が良いとは感じられないな。
昼間だから平気だけど、もし夜だったらこのエリアには足を踏み入れたくはないね。トラブルに巻き込まれそうだ。
ビットさんより渡された地図を頼りに足早に進む。
「サブロー。教会には、どんにゃ人が居るのかにゃ?」
ミーアが訊いてくる。やっぱり、少し不安なんだろうな。
「心配いらないよ、ミーア。孤児院を運営しているような方なんだ。きっと、優しいシスターさんだよ。間違いない」
「シスターさん?」
「そう。子供思いで、誠実で、健気で、ピュアピュアなシスターさん。そんで、お金に困ってる」
「にゃんで分かるニョ?」
それは、異世界ラノベの定番設定だから。……うん。教会へ近づくにつれ、だんだんワクワクしてきたぞ。
早く、清純なシスターさんにお会いしたい。
年齢は10代後半から20代前半だろう。若い身空で、一生懸命、勤めに励んでいるのだ。信仰の枠を超え、その姿は清く儚く美しいに違いない。
と、ミーアが動きを止める。
「サブロー。あそこじゃないかニャ?」
ミーアの指し示す方向に、聖堂らしき建築物が見える。トンガリ屋根で、この周辺では最も高さがある建物だ。軒下には女神像が安置されている。
あれが、セルロド教における崇拝の対象、女神セルロドシアか。
邪教の神に見下ろされている……そんな不快感を覚える。
僕は女神像を睨み返し、ミーアの肩へ手を置いた。
「サブロー。アタシは大丈夫にゃ」
「うん。何があっても、僕がついてるからね」
2人揃って、聖堂の中へ入る。
玄関より、神を祭っている内陣へと身廊が続いている。両側に長椅子が並んでいるが、特に人は居ない。礼拝の時間では無いのだろう。それとも、セルロド教の信者の数そのものが、ナルドットでは少ないのかな?
あ……祭壇前に跪いている人が居る。
聖堂内部が薄暗くて、よく見えないな。シスター(清純派を希望)さんかな?
「あの~」
少し離れた距離より恐る恐る声を掛けると、その人物はゆっくりと立ち上がり、僕らのほうへ振り返った。
大きな体格だった。笑顔は爽やかだった。頭はハゲだった。
…………中年の男だった。女性じゃ、無かった。オッサンだった。
「拙僧は、ブラザー・ガイラックです」
ブラザー……か。無念。
現実は、非道で非情で悲惨だ。
教会を切り盛りしている聖職者は、修道女では無く、修道士だったのだ!!!
ナイスミドルな聖職者、ガイラック殿が述べる。
「おや、初めてお見えになった方ですね?」
ブラザーの声が、渋い。
僕は、頷く。
「女神セルロドシア様を拝みに来られたのですか?」
ブラザーの歯が、白い。
僕は首を横に振る。
やっぱり、セルロド教と僕は相容れない。よもや、教会の管理者としてブラザーを準備していようとは!
聖堂内部に、シスターらしき姿は影も形も無い。オッサン・ブラザーが1人、ポツンと立っているだけ。
セルロドシアめ、女神失格だ!
……しかしながら、不思議なこともある。ブラザー・ガイラックのミーアを見る眼差しが、とても優しいのだ。
その瞳の中に、嫌悪や差別の感情は露ほども感じられない。オカしいな。彼は、セルロド教の司祭のはずだが?
「スミマセン。ここは、セルロド教の教会ですよね?」
「その通りです」
ブラザー・ガイラックが穏やかに頷く。
実のところ、現状、かなりあからさまな体勢で僕はミーアを背後に庇っている。
その無礼な態度を見ても、ブラザーは怒らない。のみならず、口もとに微笑みさえ浮かべている。……うん、理由は良く分からないけど、彼は信頼できる人柄みたいだ。
「孤児院を慰問するため、冒険者ギルドより参りました。僕は、サブローです」
「アタシはミーアにゃ!」
ミーアがハキハキとした声で名乗る。ブラザー・ガイラックに、ミーアは気を許したようだ。こういう場合のミーアの直感は、的中率が高い。と言うことは、ブラザーは良い人なのか?
ブラザーへ、紹介状と寄付金を手渡す。彼は一礼しつつ、恭しげな手つきで受け取った。
「おお! 冒険者ギルドのご厚意には、いつも感謝しているのですよ」
そうか。ギルドは、このような奉仕活動を定期的に行っているのだな。さすが、〝地域に愛される冒険者ギルド〟を目指しているだけのことはある。
「本当に有り難いことです。子供達のために、大事に使わせていただきます」
「えっと……子供達は……」
「孤児院は、すぐ隣にあります。サブローさん、ミーアさん、早速、子供達に会ってあげてください。子供らも喜びます」
何のわだかまりも無い様子で、ブラザー・ガイラックがミーアへ語りかけてくる。彼に獣人への偏見が無いのは、確かだ。
どうなっているんだ? セルロド教に関する、僕の知識が間違っていたのか?
いや、そんなはずは……少し、探りを入れてみよう。
「分かりました。……ところで、ガイラック様」
「出家の身である拙僧に、敬称は不要です。サブローさん」
「……では、ガイラックさん」
「何でしょう?」
「ガイラックさんは、お1人で教会と孤児院の管理をなさっておられるのですか?」
だったら、かなり大変だと思うんだが。
「いいえ、拙僧1人ではありません。シスター・アンジェリーナが手助けしてくれています」
…………………………。
「どうかされましたか? サブローさん」
「いえ。……その、アンジェリーナさんにはお目に掛かれますか?」
「勿論ですとも。彼女は今、子供達の面倒を見ています」
おおおおおお!!! シスター!!! アンジェリーナ!!!
やはり、セルロドシアは紛うことなき女神だったようだ。
教会に、うら若きシスターは御座しましたのだ! しかも! しかも! ご芳名が、『アンジェリーナ』!!!
〝アンジェリーナ〟……何という、麗しい響き。間違いなく、純真で可憐で内気な乙女だね。
異世界テンプレに、外れは無いのだ。
でも一応、念押しで尋ねてみるか。
「アンジェリーナさん……ですか。美しいお名前ですね」
あんまり、庶民的な名ではないよ~な?
「ええ。彼女は、貴族の出なのですよ。身分を捨てて、信仰の道へと入られたのです」
おおおおおお!!! もとは、貴族のご令嬢なのか!
アンジェリーナさん、素晴らしすぎる! 完璧すぎる。〝シスター〟として、隙が無さ過ぎる。
これは、是非とも拝謁の栄誉を賜らねば。
ガイラックさんの案内に従い、孤児院へ行く。〝隣〟って言ってたけど……なるほど、教会の敷地内にあるのか。
ガイラックさんの説明によると、孤児院で世話している子供の数は15人ほど。ガイラックさんやアンジェリーナさんと同じ建物で寝起きしている。
子供達のうちの約半数、年長組は昼間は働きに出ているそうだ。現在、院に残っているのは幼少組という訳か。
う~ん……〝慰問〟と言っても、彼らを相手に何をすれば良いんだろう? 具体的な指示は、ガイラックさんやアンジェリーナさんが出してくれると思うけど。
聖堂の西側にちょっとした広場があり、子供らの歓声が響いている。目的地は、そこらしい。
おお、子供達が青空の下、楽しそうに遊んでいるぞ。
5~6歳くらいの子が多いね。みんな活発だ。しかも人間の子供に交じって、獣人の子の姿も見える。
ここは、セルロド教の教会が運営している孤児院なんだよね? 本当に、訳が分からない……。
子供たち全員を見渡せる位置に、1人の女性がしゃがみ込んでいる。
彼女へ、ガイラックさんが話しかけた。
「シスター! お客さんです」
ついに、シスター・アンジェリーナとの対面だ!
……随分と小柄だな。修道服を着ているね。黒いベールを被っていて、髪は隠れている。彼女は、おもむろに僕らのほうへ身体を回した。
真正面より、シスターを見つめる。ドキドキ。
彼女のご尊顔は………………………………あれ? 予想と違うぞ。どう見ても…………シワシワ……クタクタ……ヨレヨレ……ショボショボ……梅干し……としか思えない…………赤くは無いけど。肌は、白いけど。
シスターのお顔は、何に似ているか? それは、白い梅干しだ。紙くずをギュッと拳で握りしめたような形容……まぁ、早い話がシワクチャだ。
ああ……うん、お年寄りなんですね。別に『シスター詐欺だ!』とか叫ぶつもりは無いよ。僕は常識を弁えていますので。
人間は、生きているだけで歳を取る。それは、至極当たり前の事象。シスターと言っても、若いとは限らない。年齢は、ピンからキリまであるのだ。
どっちがピンで、どっちがキリか知らんけど。
「ブラザー・ガイラック。如何なされたのです? そちらのお2人は?」
やや嗄れながらも軽快に響く、シスターの声。丁寧な言葉遣いに、優雅な物腰。加えて、陽気な雰囲気を身にまとっている。
お歳の割には、ハツラツとなさってますね。
しかし、シスターの年齢……シワシワ具合より推察するに、100歳は優に超えている感じ。そうだなぁ……150歳くらいか?
ガイラックさんが「こちらの方々は、冒険者ギルドよりお見えになったのですよ」と僕らの素性を彼女へ伝える。
うんうんと頷く、梅干し……じゃ無かった、シスター・アンジェリーナ。
「そうですか、そうですか。よく来ましたね、人間の少年くんと猫族の娘さん」
梅干し……じゃ無かった、シスターも、ガイラックさん同様、獣人への蔑視や反感は無いみたいだな。良かった。
「冒険者を目指しておられるのですか……〝若さ〟とは、素敵なものですね」
酸っぱそうに目を細める、梅干し……じゃ無かった、シスター。
面倒くさいな。なんか、無性にご飯を食べたくなる。
認めるんだ、サブロー。彼女はシスターであるが、同時に梅干しでもあるのだ。
混乱を避けるために、心の中では彼女のことを『ウメボシスター』とお呼びすることにしよう。そうしよう。
「貴方がたは、お幾つなのですか?」
「僕は16歳です」
「アタシは14にゃん」
「シスター。子供達のお世話、ご苦労様です。拙僧が代わりますから、少し休んでください」
「ブラザー・ガイラック! 私を年寄り扱いするのは止めてください。私は今年で80歳になりますが、若い者にはまだまだ負けませんよ!」
「えええええ!」
驚愕する。
「なんです? 人間の少年くん。何に驚いているのです?」
「いえ……シスターが見掛けによらず、随分とお若いので……」
「あら、〝若い〟なんて……ホッホッホ。少年くんは、見る目がありますね」
ウメボシスターさんが喜ぶ。
「サブロー。それ、褒めてないにゃ」
「シスターも、〝若い〟という単語があるだけで条件反射的に喜ばれるのはどうかと……」
ミーアとガイラックさんの言葉を受け、ウメボシスターさんが考え込む。
「〝見掛けによらず、若い〟……。では、人間の少年くん。貴方は私を幾つだと思ったのですか?」
「え……! そうですね~、梅干しの賞味期限くらいですね」
「????? 梅干しとは、何です?」
ウメボシスターさんが首を傾げる。
ウェステニラに、梅干しは無いのか。
伝統的な製法による日本の梅干しは、100年以上保つと聞いたことがあるのだが。
分かりやすく、答えよう。正直に。女性相手なので、推定年齢よりマイナス10歳で。
「シスターのお歳は、パッと見では140歳。どう若く見積もっても、90歳以上……」
「少年くん。ちょっと、しゃがんでください」
「こうですか? え? どうして、シスターは両手を握りしめておられるのですか? なんで、その拳を僕の頭に近づけて……」
「お仕置きです」
僕は、ウメボシスター=アンジェリーナ(仮名)さんより〝こめかみグリグリの刑(通称ウメボシ)〟を受けた。
痛かった。
あけましておめでとうございます。
本年も、どうぞ宜しくお願いいたします。




