ウェステニラのサブロー
オリネロッテ様たちを乗せた馬車が、遠ざかっていく。車輪が回る音は小さくなっていき、やがて聞こえなくなった。
しばらくの間、互いに無言を貫く、僕と細目の少年。
タントアムでは取り逃がしてしまったが、よもや、こんなところで再会するとはね。
名前は……アルドリューだったか? 興味深そうに、僕をジロジロと見つめてくる。
伯爵の息子とか言っていたけど、品性の欠片も無いな。騎士であるクラウディのほうが、容貌も立ち居振る舞いもよっぽど貴族的だぞ。少しは見習え!
いつまでも相手が口を開かないため、僕より話しかけることにする。無論、すぐに攻撃を仕掛けられる体勢を堅持しつつ。
「……お前、何者だ?」
「え!? さっきのロッテちゃんたちとの会話を聞いていなかったの? やだな~。サブローくんったら、ウッカリさん。オレの名は、アル――」
「何者だ? 人間か……それとも、魔族か?」
最後まで名乗らせない。茶番を続ける気は、無い。
「ふふふ」
ニヤニヤ笑い続ける、少年。正直な回答を得るなど、望むべくもない……か。
「狙いは何だ?」
「狙い?」
「タントアムの町ではフィコマシー様を襲い、このナルドットではオリネロッテ様へ助力する……王子の命令? 王子とは……ベスナーク王国の王太子のことか? オリネロッテ様を孤立させ、彼女の傷心につけこむのが目的か?」
「おお!」
アルドリューが目を見開く。露わになる、青鈍色の瞳。
「ロッテちゃんの傷心につけこむ! マシーちゃんが死んだりしたら、ロッテちゃんは間違いなく、スッゴく悲しむだろうね。そこで殿下が付きっきりで慰めれば、もどかしかった2人の仲も進展するかも。いや~、とっても良い案。善良なオレでは、考えつきもしなかったよ。サブローくんは、頭が回るんだね。こんな姑息な手段を思い付くなんて、いやはや、キミは悪いヤツだな~。嬉しいよ!」
「――っ! コイツ!」
落ち着け。安易に腹を立てるな。相手のペースに乗せられるな。
手足は熱く、頭は冷静に――――
記憶を探る。
コイツは確か、タントアムの旅館で〝当分の間は標的――フィコマシー様には手を出さない〟といった意味の発言をしていたような……。
しかし――
「お前は、信用ならない」
腰を落とし、ククリの柄に手を掛ける。
路上の闇の中を、血なまぐさい風が吹き抜けた。
「へ~。ここで、オレとやり合う気?」
「返答次第では」
「う~ん」
ボリボリと頭を掻く、アルドリュー。
「オレは、キミと戦うつもりは無いよ。サブローくん、キミは強いからね。ま、オレだって腕に覚えはあるし~。能力を全開にして張り切っちゃえば、勝てないことも無いと思うんだけど……」
少し、分かる。
アルドリュー――コイツは、戦い慣れている。しかしながら、クラウディやリアノンとは違う。損得ずくで、戦場を選ぶタイプだ。無益な争いはしない。
タントアムの町でも、僕が攻めるや、腹に一発食らったにもかかわらず、反撃もせずにアッサリと引いてしまった。
「ねぇ、サブローくん。多分オレとキミがココで殺し合いを始めたら、そう簡単に決着はつかないよ。無関係な街の人たちを、戦いに巻き込んじゃうだろうね。それでも、良いの?」
痛いところを突いてくるな、この糸目。
「それにさぁ。オレのことを『信用ならない』ってキミは主張するけど、オレに言わせてもらえば」
アルドリューが口角を上げる。
「キミのほうが、よっぽど〝信用できない存在〟だと思うけどね」
「――なんだと!?」
「どこからともなく現れた、平民の少年。異様なほど腕が立つのに、その正体も目的も不明。タントアムではマシーちゃんを守り、ナルドットではロッテちゃんを救う。何の意図を持って、侯爵家の姉妹に近づいたの?」
「…………」
「どうやら、恩賞目当てでも、立身狙いでも無さそうだね。なのに、その身を挺して戦うとか……〝英雄気取りのオッチョコチョイ〟にも見えないし、ひょっとして、キミは〝無欲の聖者〟か何かかな? その歳で、悟りでも開いてるの?」
「…………」
「一番奇怪しいのは、ロッテちゃんに魅了されず、マシーちゃんに嫌悪の情を感じていないこと。これ、通常の人間なら、あり得ない状態なんだよね」
「お前!」
「問うよ」
アルドリューの瞳の色が、変わる。墨色がかった青から、鮮血の赤へと。
「サブロー。キミこそ、何者だ?」
重苦しい空気。極度の緊張。アルドリューより放たれる、有無を言わせぬ圧迫感。
コイツのほうこそ、いったい何なんだ!? 〝オリネロッテ様の魅了の力〟について、どこまで事情を知っている? そして、先程のセリフ――『フィコマシー様に嫌悪を感じる』とは、どのような意味なんだ?
くそ! 素直に白状するはずもないか。
コイツ、むしろ、心理戦で僕の精神を潰そうとしてきやがる。
〝自分は貴様より、生物として格上の存在である〟と見せつけるかのような、アルドリューの不気味なオーラ。
息を吸う。
己の呼吸に、意識を集中させる。
撥ね返すんだ! 僕には大切な人――守るべき人たちが居る。フィコマシー様、シエナさん。そして……そして、ミーア。
そうだ。こんな場所で、こんなヤツに負ける訳にはいかない。
乾いた声を、喉の奥より絞り出す。
「僕は…………」
臆するな。踏み出せ! 振り切れ! 覚悟を決めろ!
「俺は、俺だ。ウェステニラのサブローだ」
言葉にし、今更ながら自覚する。
俺は――僕は、もう、地球の……日本の高校生、間中三郎じゃ無い。
どれほど懐かしかろうと、過去には戻れない。
僕は、サブロー――――ウェステニラの大地で生きていく、ただのサブローなんだ。
「へぇ。ウェステニラの……ね。くく、良い、名乗りだ」
アルドリューが妙に納得したように頷きつつ、笑う。瞳の色が、元に戻る。
「それじゃ、改めて自己紹介。オレは、アルドリュー=セットンギア。ベスナーク王国ラダーメレ伯爵家の嫡男」
「そして、王太子殿下の側近……か」
「まぁね」
更には、魔族……。いや、これは、あくまで僕の憶測だ。決定的な証拠がある訳ではない。軽率な断定は避けるべきだ。
問い詰めたところで、コイツは返事をはぐらかすだけだろうし。
そして……どうする? こんな危険なヤツを、ナルドットで野放しには出来ない。
バイドグルド家の屋敷には、フィコマシー様とシエナさんが居るのだ。
「心配しなくても大丈夫だよ、サブローくん。マシーちゃんたちに、オレは手を出したりしないから」
「前科者のたわ言など、信じられるか」
「傷つくな~。オレって、逮捕されたことは無いよ。品行方正なので」
「…………」
「あのさ~」
アルドリューが〝やれやれ〟と言いたげに溜息を吐く。
「睨み合っていても、埒は明かないよ。サブローくん。ここで、殺し合いをおっ始める? それならそれで、オレは一向に差し支え無いよ。面倒くさいけどね」
「…………」
戦ったとして、コイツに勝てるか? もし勝てたとして、その後の始末を如何につける?
コイツの本性はどうあれ、表向きの身分は伯爵家の令息だ。
貴族階級に属する者を害してしまったら……僕自身は、何とでもなる。いざとなったら、ミーアを連れて国外逃亡してしまえば良い。
しかし、その場合、フィコマシー様とシエナさんをベスナーク王国に置き去りにしてしまうことになる。
彼女らが僕と親しい間柄なのは、既にバイドグルド家の人々には知られている。フィコマシー様たちの境遇は、間違いなく、今より悪化してしまう。
アルドリューの危険性について、アズキが少しは分かってくれていると思うけど……。先刻、一生懸命に彼女へ目を使って伝達したしね。
アズキの黒い瞳は、理知の光で輝いていた。いつもは、眠たそうにボンヤリしているのに。いざとなったら、彼女がフィコマシー様たちを弁護してくれるかも……。
いや、それは単なる責任の押しつけだな。
アズキはオリネロッテ様の護衛役。彼女が何よりも優先するのは、オリネロッテ様の安寧なのだ。フィコマシー様の無事を確保するために動いてくれるとしても、それは余力を用いての片手間作業になるはず。過度に期待するのは、良くない。
ならば。
気付く。
そうだ。1人で抱え込んでいるから、いろいろ迷ってしまうんだ。
ここは、出来るだけ早く、多くの人に相談するのが賢い選択だ。アルドリューの正体に関して、僕が抱いている疑いも含めて打ち明けよう。
語るべき相手は、信頼の置けるバイドグルド家の関係者……フィコマシー様とシエナさん。更に、アズキ。この3人には、必ず聞いてもらわなければ。
アズキは『フィコマシー様たちに話すのは、ちょっと待つのじゃ。状況を下手に変化させるのはマズい』とか言ってたけど、アルドリューのヤツがナルドットに姿を見せた以上、迅速に対応しないと。
後手に回ってしまう怖れがある。
加えて、出来ればクラウディと……オリネロッテ様……彼女の真意は、イマイチ読めないが……。
オリネロッテ様には、アズキを通して子細を伝えるかな。そのほうが、無難かも。
キーガン殿は……止めといたほうが良いね。彼はしっかりとした大人だけど、立場上、情報を受け取ったら直ちに侯爵様へ報告してしまうはず。
そして侯爵様がアルドリューより僕を信じてくれる可能性は、ゼロだ。
え~と、他には……誰か居たっけ? 何か片目に眼帯をつけた女騎士の姿が脳裏にチラホラ…………幻だな。気のせいに違いない。
表情をなるべく変化させずに思考を高速回転させている僕へ、アルドリューが気安げに声を掛けてきた。
「なぁ、サブローくんよ。一つ、提案があるんだが」
「……なんだ?」
「オレと、手を組まない?」
〝ふざけるな!〟と反射的に叫びそうになり、危ういところで思いとどまる。無分別な言動をしちゃダメだ。
……コイツの思惑は、何だ? どんな薄汚い算段を?
「恐い顔をしないでくれよ! そんなに悪い話でも無いと思うよ。タントアムにおけるキミの行動から考えるに、サブローくんがもっとも気に掛けているのは、マシーちゃんの身の安全でしょ?」
「……だったら?」
「親切なオレはサブローくんの気持ちに配慮して、今後一切、マシーちゃんには危害を加えないようにするよ」
アルドリューはそう述べて、大袈裟に両手を広げてみせる。
「その代わり、サブローくんは、オレが先日やったことや、それに基づくキミの推測のアレコレを……他人へ喋らないようにして欲しいんだよね。特に、ロッテちゃんの周辺の人たちには」
「王太子の指示を受けてフィコマシー様を傷つけようとした悪行や、お前が魔族であることか?」
「そうそう……って、イヤイヤイヤ! 〝悪行〟って表現、酷すぎない!? あと、オレは魔族じゃ無いよ! 人間だよ。将来の伯爵様だよ! そこんとこは、勘違いしないでよね!」
コイツの申し出……受け入れる余地はあるか?
「損な取引じゃないよね? サブローくんだって、朝から晩までマシーちゃんに引っ付いてる訳にはいかないでしょ?」
「お前が約束を守る保証が、どこにある?」
「それを言うなら、サブローくんが約束を守ってくれる保証だって無いよ?」
確かに。
「それに、もしオレが約束を破ってマシーちゃんにちょっかいを掛けたりしたら、サブローくんは知っている内容を洗いざらいロッテちゃんたちにぶちまけちゃうよね? ロッテちゃんはどうやらキミに、一定の信頼を寄せているみたいだ。だから、キミに『アルドリューが王太子の命令でフィコマシー様を襲った』なんて事実無根な告げ口をされてしまう展開は、オレとしても困る訳よ」
〝事実無根〟だと? いけしゃあしゃあと…………眉をハの字に曲げるとか、わざとらしいな、コイツ。
「ロッテちゃんはきっとキミの証言に耳を傾けちゃうだろうし、結果、態度を硬化させてしまうに違いない。そうなったら、《王太子とロッテちゃんを婚約させちゃおう計画》はご破算だ。オレは是非とも、殿下とロッテちゃんには結ばれて欲しいんだよね」
「何の為に?」
「オレって、忠義に厚いので」
嘘を吐け。
「お前の真の狙いは? オリネロッテ様を王太子妃にして、それから先、何を企んでいる?」
「ふふ。それをキミに言う必要は無いなぁ、サブローくん。キミがオレたちの本当の仲間になってくれるのなら、話してあげても良いよ」
「……断る」
「残念。それで、どうするの? オレの提案を呑むの? 呑まないの?」
素早く、考えをまとめる。
メリットとデメリットは……。アズキには既に様々な知見を披露しちゃってるけど、アルドリューと話し合う前だから、これは当然ノーカウントだよな……だよね?
「……良いだろう」
「やった! これで、オレたちは親友だね」
「違う」
「キミのこと、今より『サブロー』と呼ぶよ。オレのことは『アルドリュー』と呼んでくれ。あ、愛情たっぷりに『アル』と言ってくれても構わないよ?」
コイツ、人の話を聞いちゃいねぇ。
「……アルドリュー、約束しろ。フィコマシー様は勿論、シエナさんにも手を出すなよ」
「お、メイドさんもか。サブローは、気が多いね。マブダチのオレは、キミに忠告するよ」
「ダチじゃ無い」
「守る対象は極力少ないほうが良いよ、サブロー。多くなればなるほど、手の隙間よりこぼれ落ちていっちゃうから」
「余計なお世話だ。約束するのか、しないのか?」
「良いよ~。約束する」
コイツの言葉は、軽すぎる。
念押しだ。
「取り決めを守るのは、お前だけじゃないぞ。お前の仲間や、配下の者もだ。決して、フィコマシー様やシエナさんを傷つけるな」
「くっくっく……あーはっはっは」
アルドリューの不快な笑い声が、夜道に響く。
「サブローは、疑い深いねぇ。了解、了解。オレも、オレの手の者も、絶対に彼女たちを害したりはしないよ。もし、合意を破らなきゃならないような事態になっちゃったら、あらかじめ、ちゃんとサブローへ通知するよ。その辺、オレは律儀なんだ」
つまり、王太子あたりから新たな指令が下る――そんな成り行きも、あり得るってことか。
「……3日前だ」
「え?」
「申し合わせを破棄するなら、最低でも3日前に連絡を寄こせ」
それだけの日数があれば、対策も立てられるはず。
「おお~。サブローは慎重だね。承知したよ。けど、サブローもオレとの取り決めを無効にする場合には、必ずその3日前までに教えてくれるようにしてよね」
「分かった」
アルドリューが腕を差しだしてくるので、しぶしぶながら、握手する。
「契約成立だね、サブロー」
「ああ。アルドリュー」
「オレのことは、『アル』と呼んで……」
「イヤだ」
「ねぇ」
「何だ?」
「サブローこと、親しみを込めて『サブ』と呼んでも」
「絶対、止めろ」
あだ名が『サブ』とか、それじゃ、まるで〝十把一絡げのサブキャラ〟みたいじゃね~か!
僕は《僕の物語》の主人公なんだよ! ……おそらく。
『サブ』……男同士の〝さぶ〟には色んな意味がありますが(自粛)。




