偉大な光源氏
一通りパープルへの未練混じりの恨み節を述べたあとに、グリーンは気を取り直したのか『恋愛の特訓』の話を再開する。
「ハーレムを夢見るサブローに参考にして欲しいのが、ハーレムフィクションに登場する男主人公です。現実世界でハーレムを構築しているのは権力者か凄いお金持ちですから、サブローの目標にするのは難しいので」
確かに異世界に行ったからといって、後宮持ちの中国皇帝や大奥がある徳川将軍家みたいになるのは無理だよね。
「つまり、ラノベのハーレム系主人公のようになれば良いんですね?」
生前、ラノベはたくさん読んだぞ。その中には、ハーレムを謳歌している男キャラもいっぱい居た。
あれをマネれば良いのかな?
「いえ、違います。ハーレム系主人公が活躍するラノベの作者の多くは、男性です。そこに女性の意見は反映されていません。したがって、現実世界でラノベのハーレム系主人公のように振る舞っても、モテはしないのです」
手厳しいな、グリーン。
しかし女性作者の手になるライト文学のハーレム系と言うと、いわゆる逆ハーレムしか思い当たらないんだが……。あれって参考になるのかな?
「サブローが何を考えているのか分かりますよ。けれど女性の望みがてんこ盛りだからと言って、逆ハーレム系のフィクションは参考になりません。そもそも逆ハーレム小説に登場する男性は、イケメンでお金持ちで身分が高くて頭が良くて運動神経抜群でヒロインに一途です。ハーレムを望むような下劣な男は間違っても出てきません。ヒロインを囲む逆ハーレムメンバーとサブローとの間には、月とスッポンどころか太陽とミジンコほどの違いがあるんです」
グリーンの物言いに悪意を感じるんだが。
「逆ハーレム小説ではなくても、女性が執筆した立派なハーレムノベルは存在します」
グリーンの発言に僕は首を傾げる。
全然思い付かない。勿体ぶらずに教えてほしい。
「それは『源氏物語』です」
『源氏物語』! 盲点だった! 『源氏物語』の作者である紫式部は、確かに女性だよね。
「サブローは『源氏物語』に関して、どの程度知っていますか?」
「作者が紫式部で、千年前に書かれた日本の有名古典だと言うことくらいしか……」
「それだけ承知していれば充分です。主人公の光源氏は作品の中で、あらゆる女性の憧れを一身に浴びつづけます。まさに、女性が男性に求める全ての要素を凝縮したような日本一のモテ男です。サブローには、光源氏に少しでも近づくための特訓を受けてもらいます」
グリーンの話には、なかなか説得力がある。『源氏物語』の主人公である光源氏とは、どのような男性なのだろうか?
「目標とすべき光源氏の人物像について教えてください」
「光源氏は、天皇の息子という高貴な身分です。帝に愛されて、優遇されまくりの人生を送りました。もちろん財産家で絶世の美男子です」
「目標地点が、北極星くらいの高さなんですけど」
「案ずるには及びません。参照すべきは光源氏の身分や美貌では無く、その性格や行いです」
なるほど。身分や容貌は変えられなくても、行動や考え方はモテる方向への改良が可能だよね。
「光源氏は、実母そっくりな義理の母親に恋します」
「マザコンだ」
「また、幼女を気に入って自分の屋敷へ連れ去ります」
「ロリコンの誘拐犯だ」
「ついでに、兄の婚約者に手を出します」
「お兄さんが可哀そう」
「心配無用です。お兄さんは『源氏に女性が惚れるのは当たり前で、仕方ない』と思っています。加えて、『自分が女性だったら源氏に抱かれるのに』なんてことを考えてもいます」
え? 『源氏』って、そんなにカオスな物語なの?
「とても、源氏が恋愛特訓の参考例になるとは思えないんですが……」
「肝心なのは、ここからです。サブローは、源氏のハーレムメンバーは美女だけだと思っているでしょう?」
「違うんですか?」
ハーレムメンバーと言えば、美女・美少女限定。稀に、ロリあり。
それが、僕の知ってるラノベの定番設定だけど。
「源氏のハーレムには〝美しくない女性〟も複数人、混じっており、それぞれを源氏は大切にしています。もちろん源氏も美女好きですが、表面上の美醜のみで女性を判断したりはしないのです」
「つまり、美女や美少女ばっかり追いかける男はモテないと?」
「性別を逆転させて考えてみてください。イケメンのみを追いかけて非イケメンにつれなくする女性に、男は魅力を感じますか?」
ふむふむ。確かにそうだ。
グリーンが、光源氏の解説を続ける。
「過去に自分を拒絶した女性が零落しているのを見た源氏は、引き取って面倒をみてあげました」
「『ざまぁ』は、しないんだ」
どうやらモテるためには、心の広さも必須のようだ。
「更に、老女も恋愛対象でした。源氏にとって、年齢など些細な問題だったのです」
何それ。光源氏が、偉大すぎる。尊敬と崇拝を通り越して、お近づきになりたくない。
全力で距離を取りたいのに……。
「すなわち、女性にモテるための前提条件とは、容貌や年齢に関係なく女性を愛せる心を持つことなのです。光源氏に一歩でも近づくための訓練をしましょう」
〝逃がさない!〟とばかりに、グリーンが尤もらしい論評や提案をしてくる。
理屈は、まさしくその通りなんだろうね。でも、光源氏の性格や行動が斜め上すぎて、別の銀河からやって来た宇宙人としか思えないよ。
それに『容貌や年齢に関係なく女性を愛せる心を持つ』ための特訓って、何かイヤな予感がする……。
「さぁ、『ビキ』たちよ。入ってきてください」
な――――っ!
今、グリーン、『ビキ』って言ったよね。もしかして〝美姫〟!?
え、美姫が特訓につきあってくれるの? ビューティフル・プリンセス降臨? ここは地獄なのに、天国気分を味わっちゃって良いのかな?
グリーンのこと、誤解していたのかも。彼はやっぱり、親切な鬼なんだ。
〝太陽の直下で光合成でもしていろ、このミドリムシ!〟なんて思ってて、ゴメンね。
僕が脳内で『リンゴ~ン、リンゴ~ン』と祝福の鐘を鳴らしつつ、入り口へ期待に満ちた眼差しを向けていると――――。
グリーンの呼び出しに応えて、茶・橙・灰色の肌を持つ鬼たちがぞろぞろ室内に入ってきた。みんな長髪で、衣装は腰巻き以外に胸も寅縞の布で覆っている。
ビキはビキでも、筋肉ムキムキの〝美鬼〟だった。
そうだよね。ここは、地獄なんだよね。一瞬でも夢見た僕が馬鹿だったよ。
頭の中の鐘の音、よく聞くと『ゴ~リン~ジュウ~』って響いてるし。
「ブラウン・オレンジ・グレイは、鬼族の中でも選りすぐりの美女たちです。サブローは人間ですので、鬼である僕たちとは美的価値観が異なることは分かっています。しかしモテる男になるためには、その違いを乗り越えなければなりません。彼女たちに心からの愛の言葉を囁けるようになったら、合格です。さぁ、サブロー。〝異世界の光源氏〟を目指しましょう!! 恋愛特訓スタートです!」
グリーンの掛け声とともに、茶橙灰色の美鬼たちが、僕を取り囲む。
「サブローって、名前だったかね。そんなに怯えなさんな」とブラウン。
「ふふ、可愛い顔をしてるじゃないか。イジメ甲斐があるよ」とオレンジ。
「鬼族の女の良さを、アタシたちがタップリ教えてあ・げ・る」とグレイ。
まさに、『地獄の特訓』だ。
赤青黄黒の訓練は、何て心と身体に優しかったんだろう。
スミマセン、ハーレムなどと寝言をほざいた僕が間違っていました。
僕は、僕はちょっと可愛い女の子と喫茶店で5分ばかりお喋り出来れば、それで充分です。
『光源氏になりたい』なんて身の程知らずの目標は取り下げるので、特訓を中止してください。
後悔と絶望の思いに包まれる僕に向かって、グリーンはにっこり笑う。
「どうしたんですか? サブロー。念願の美女たちとのイチャイチャですよ。もっと楽しそうな顔をしてください」
僕の女性との初イチャイチャは、恐怖と圧迫のヘルモードだった。
作者による『源氏物語』の解釈は、独断と偏見に満ちています。
『源氏物語』はホントに素晴らしい古典ですので、是非一度現代語訳を読んでみてください。