アズキンちゃんの年齢は?
《虎の穴亭》に突如としてやって来た、アズキ。
僕が話しかける前に、ミーアが発言する。
「あ! アズキんにゃ」
ちょ! ……あ、そうだった。ミーアは僕の『アズキ殿』という呼び方を真似しようとして、『アズキん』って言っちゃってるんだよな。
「アズキンちゃん?」と首を傾げる、バンヤルくん。
彼はどうやら、アズキとは初対面らしい。
まぁ、アズキは侯爵家に仕える魔法使いだからね。普段は王都に居るみたいだし。ナルドットの庶民であるバンヤルくんにとって、面識がない相手なのは当然かも。
チャチャコちゃんがアズキへと駆け寄り、丁寧に声を掛ける。
「いらっしゃいませ」
さすが、《虎の穴亭》の看板娘。10歳とは思えぬ、接客態度。
一方、バンヤルくんはアズキの素性を確認すべく、僕へ語りかけた。
「アズキンちゃんは、サブローの知り合いか?」
「う、うん。彼女とは、侯爵様のお屋敷で会ったんだ。それより、彼女の名前なんだけど……」
「あんな小さい子が夜遅くに訪ねてくるなんて、よっぽどの事だぞ? お前とアズキンちゃんは、いったいどういう関係なんだ?」
不審がる、バンヤルくん。少しばかり黙考したのち、ハッと何かに気付いたかのように顔を強ばらせる。
「ま、まさか、サブロー。お前、ミーアちゃんという天上の星に等しき女神がありながら、出会ったばかりの幼気な少女と怪しげな仲に……黒すぎるぜ」
「違うよ!!!」
なに、変な勘違いしてんだよ、バンヤルくん! そりゃ、髪とか瞳とか服装とか、アズキの見た目は真っ黒だけど!
「む! 宿屋の少年よ。何やら、オカしなたわ言を述べているようじゃな」
いつの間にか、アズキが僕らへ近寄ってきていた。
改めて見ると、アズキはミーアより若干、背が低いね。ほんと、チンマリしている。
「悪いが、妾はサブローと付きあう気など微塵もないぞ」
勝手な言い分をほざくな、このアンコロ餅! 冷凍庫に入れて長期保存の刑に処してやろうか!?
……でも、良かった。バンヤルくんが喋った内容のうちの『小さい子』や『幼気』といった単語は、アズキの耳に入らなかったみたい。
聞こえていたら、大変なことになっていたよ。
宿屋の1階に、〝怒りのアンコまみれハリケーン〟が発生した可能性がある。
「サブローと妾とでは、釣り合いがとれんのでな」
エラそーに胸を張る、アンコロ餅。
僕とアズキを見比べる、バンヤルくん。
「ま、そりゃそうだ。サブローとアズキンちゃんじゃ、年齢に差がありすぎるからな」
「ほぉ。分かっておるな、宿屋の少年よ。妾とサブローは、8歳ほど離れているのじゃ」
「えええええ!」
バンヤルくんが、驚く。チャチャコちゃんも、まじまじとアズキの顔を見つめた。
「……そ、そうか。アズキンちゃんは、随分と大人びているんだね」とバンヤルくん。
チャチャコちゃんは、アズキのおかっぱ頭を撫でた。
「アズキンちゃんは、立派なお姉さんなのね」
「――っ! そうなのじゃ。妾は、〝大人なお姉さん〟なのじゃ。そのほう等は、兄妹か? どちらも、賢いのう」
ニマニマする、アズキ。何やら、鼻息が荒い。僕のほうへ、自慢げな視線を走らせてくる。『大人なお姉さん』として見てもらえて嬉しい模様。
だが、僕は察してしまった。
アズキは『妾は24歳、サブローは16歳。なので、差は8歳』と申告したつもりなのだろうけど、バンヤルくんとチャチャコちゃんは『サブロー(さん)と8歳差。つまり、アズキンちゃんは8歳。8歳にしては身体が大きく、言動も大人びている』と思ったに違いない。
8歳と間違われる、24歳……。アンコロ餅の販売価格が安すぎる。割引きしすぎだ。
僕が1人白目になっている傍らで、アズキ・バンヤルくん・チャチャコちゃんの3人は、揃ってうんうんと頷いていた。
♢
後日。
「なぁ、サブロー」
「何だい? バンヤルくん」
「御領主様のお屋敷には、〝アズキ〟というお名前の魔法使い様が居られるんだよな?」
「居るよ~」
「もしかして、あの夜、うちの宿屋に来たアズキンちゃんは、アズキ様の身内なのか?」
「……違うよ」
「そうか、他人か。でも、きっとアズキ様に憧れてるんだろうな。だから、あんな魔法使いの仮装をして……。小さいのに、健気だぜ」
「……バンヤルくんは、〝アズキ様〟ってどういう人だと思ってるの?」
「アズキ様は、あのオリネロッテ様の近侍だそうじゃないか。凄腕の魔法使いと聞いているぜ。噂では、艶やかな黒髪、黒い瞳の謎めいたレディだとか。眉目秀麗にしてお色気満点、ナイスバディなお姉様に違いない」
「……そうだね」
「ま、ミーアちゃんと比較すれば、所詮は黄金の前の石炭だがな」
「……そうだね」
♢
アズキは「サブローに会ってもらいたい方が居られるのじゃ。すぐ近くで、お待ちになっている」と言って、僕を宿の外へ連れ出した。
誰だろう?
しばらく歩くと、一台の馬車が見えてきた。人目を避けるように、大通りの端に停めてある。
馬車の扉の前で、1人の青年が背筋を伸ばしつつ佇んでいる。
「クラウディ様!?」
「サブロー殿。先日は、面倒をお掛けしてしまって……」
クラウディが、僕へ会釈をする。彼は簡素ながらも武装していたが、騎士の正装はしていなかった。
おや? 中年の御者にも、見覚えがあるような気がする。確か……。
「キーガン様ですか?」
「おお。さすが、サブロー。目敏いな」
破顔する、キーガン殿。彼は腰に剣を提げているものの、あくまで御者の身なりをしていた。
目立たないための用心かな?
アズキ・クラウディ・キーガン殿……この3人が付き従っている人物となると…………アズキが、馬車のドアを開く。
中に居たのは、美貌の令嬢。オリネロッテ様だった。
アズキが、僕に勧める。
「サブロー、中へ入ってくれ。少し、話すだけじゃ」
僕へ続いて、アズキとクラウディも乗車する。
僕はオリネロッテ様の対面に腰掛けた。芳香が、鼻腔をくすぐる。
アズキはオリネロッテ様の、クラウディは僕の隣に座った。
馬車の中なのに、仄かに明るい。
ランタンみたいなのが、吊されているね。けれど光源は油とかでは無く、それ自体が輝きを放っている石か何かのようだ。やっぱり、ウェステニラは魔法の世界なんだなぁ……。
と。ポクポクと蹄の音を立てつつ、馬車が動き出す。
咄嗟に腰を浮き掛けさせる僕を、アズキが宥める。
「なに、心配は要らん。一周回って、元の場所へ戻るようにするでな」
単なる、ドライブか。
オリネロッテ様と、視線を合わせる。
「それで、ご用件は……?」
「サブローさん。2日前の夜……私に仕える騎士、それにヨツヤが狼藉を働き、ご迷惑をお掛けしたこと、心よりお詫び申し上げます」
オリネロッテ様が深く頭を下げてくるので、僕は仰天してしまった。
「頭を上げてください! オリネロッテ様」
「しかし、これは私の責任でもあります」
「そんな事は、ありませんよ! あれはヨツヤさんや騎士達が、身勝手に暴走した結果でしょう? 僕のほうこそ、ヨツヤさんに大怪我を負わせてしまって……」
ヨツヤさんの負傷のことは気になっていた。ドラナドとエコベリは、どうでも良いが。
「ヨツヤは、もう大丈夫じゃ」とアズキ。
「そうですか。あの時、アズキ殿が応急手当をしていましたしね。良かったです」
ホッとする。
別にヨツヤさんへの警戒を解いたわけじゃないが、僕の攻撃が原因で彼女が再起不能に陥ったりしたら、さすがに寝覚めが悪い。
「ヨツヤには、しばらく謹慎させます。ただ、彼女は私にとってとても大切な者なのです。厚かましい申し出ですが、サブローさん。ヨツヤを許してやっては頂けないでしょうか?」
頭を上げようとしないオリネロッテ様に、焦ってしまう。
「分かりました! 許します。小競り合いをした際に僕も彼女をかなり痛めつけてしまいましたし、お相子と言うことで」
「ありがとうございます。サブローさんは、優しいのですね。寛大なお心に、感謝します」
オリネロッテ様が、安堵の息を漏らす。
一方、クラウディは苦渋の表情を浮かべる。
「ドラナドとエコベリについては、オリネロッテ様の護衛隊から除籍することが取りあえず決まりました。出来れば、騎士の身分をも剥奪してしまいたいのですが……」
「オリネロッテ様の護衛隊の隊長を務めるランシスが渋っていてな。あの馬鹿、『ドラナドたちの行動は間違っていたが、心情は理解できる』などと世迷い言を申しおってからに……」と憤慨する、アズキ。
「申し訳ありません、サブロー殿。あの夜、2人に関して、確実に処罰すると約束したにもかかわらず……しかしながら、降格への段取りだけはキチンとつけるつもりです」
クラウディが謝ってくる。
彼としては、ドラナドたちから騎士の身分を取り上げるところまで持っていきたかったに違いない。だが如何にバイドグルド家随一の使い手とは言え、クラウディも一介の若手騎士に過ぎない。自分の主張を全て通すことは、不可能なのだろう。
オリネロッテ様を見遣ると、沈んだ顔をしている。
彼女も、騎士の処遇については口出し出来ないのか? ……それは、そうだ。組織の人事を決めるのは、トップなのだ。侯爵様や騎士団長たちの意向に、オリネロッテ様やクラウディが逆らえるはずがない。意見の具申が、せいぜいだろう。
オリネロッテ様が魅力を振りまけば……いや、下手に彼女が僕を庇い立てすると、状況が更にややこしくなる怖れがある。侯爵様や騎士団長が、〝余計な虫〟として、僕の排除を考え出すかもしれない。もしもそうなったら、ヤバすぎる。
聡明なオリネロッテ様は、その事が分かっているに違いない。
「ええ、それで構いませんよ。僕は、遺恨を残すつもりはありません」
僕の言葉に、オリネロッテ様たちの顔が晴れやかになる。
「ただし、ミーアや《虎の穴亭》の方々、マコルさんたち……僕の知り合いに害が及ぶ事態だけは、決して無いようにお願いいたします」
「ハイ」
オリネロッテ様が真剣な表情で頷く。
「あと、ドラナドたちとの決闘の折に僕に助太刀してくれたリアノンさん。バイドグルド家において、彼女の立場が悪くなるようなことはありませんか?」
「それは、大丈夫です」
クラウディは力強く言い切ると、馬車の進む方向へチラリと目を遣った。
「むしろ、キーガン様などはリアノン殿のことを褒めていましたよ。『お客人の身を率先して守るとは、リアノンはバイドグルド家の騎士としての務めを立派に果たしている』と」
「リアノンさんは、とても勇敢な方ですね。闊達な人柄を好ましく感じます」
オリネロッテ様がリアノンを称賛する。
おお!
リアノン。ひょっとすると、『オリネロッテ様の専属護衛騎士になる』という君の夢が、実現するかもしれないよ!
興奮する僕を横目に、アズキが言い添える。
「キーガン殿は、『これで、リアノンに思慮分別と礼儀正しさと考える脳みそがあれば、護衛隊への加入を推薦できるんだが……』と述べておったな」
やっぱ、夢はどこまでいっても夢かもね。エターナル・ドリームだね。
揺れを殆ど感じさせない、馬車による移動。
キーガン殿は、馬を操る腕前も確かなようだ。
「それにしても、キーガン様ほどの方がわざわざ御者を務められるとは……」
意外だ。キーガン殿はバイドグルド家騎士団の重鎮だったはず。それに、彼はオリネロッテ様の護衛隊メンバーでは無いよね?
僕の疑問に、アズキが答える。
「キーガン殿はサブローに好意的な方であるし、オリネロッテ様に対しても節度を弁えて接してくださるため、信任できるのじゃ。今夜は、お忙しいところを敢えてお願いし、同行してもらっておる」
「御者の役割に関しても、キーガン様が自ら申し出てくださったのです。オリネロッテ様のお出掛けを、なるだけ人目につかないようにしたかったため、助かりました」
クラウディが、キーガン殿への謝意を示す。
「その事についてなんですが……オリネロッテ様。こんな夜更けに外出されて、問題は無いのですか?」
オリネロッテ様は、侯爵家の令嬢なのに。
「けれど、サブローさんは、お昼は冒険者ギルドでお仕事をなさっているのでしょう? それに、お屋敷よりコッソリ忍び出るには、暗くなってからのほうが都合が良くて」
オリネロッテ様が、微笑む。
お茶目な口調の彼女に、少し親近感を抱いてしまった。
「アズキやクラウディ、キーガン様には無理を言ってしまいましたが……」
「ならば、お屋敷へ僕を呼びつけてくだされば良かったのに」
「それは、ダメです」
真面目な顔になる、オリネロッテ様。
「お詫びしなければならない相手に、ご足労をお掛けする訳にはいきません。こちらより出向くのが、当然です」
「オリネロッテ様……」
やっぱり、フィコマシー様の妹なんだな。律儀なところが、ソックリだ。
「でも、夜間の外出は、やはり危ないです。気を付けてください」
「平気ですよ。お父様が統べるナルドットは治安が良いですし、何より、アズキとクラウディ、それにキーガン様が側に居て、守ってくれているのですから」
オリネロッテ様は、アズキとクラウディに万全の信頼を寄せているみたいだな。
まぁ、確かにこの2人は強い。加えて、キーガン殿までお供しているわけだし、滅多なことは起こらないだろうけど。
「妾とクラウディが居れば、数十人の敵が来ても、打ち勝ってみせるぞ」
「オリネロッテ様には、かすり傷一つ、負わせません」
アズキとクラウディが断言する。
僕の杞憂だったかな?
「スミマセン。余計な進言でした」
「いいえ。サブローさんが私の心配をしてくださったことは、とても嬉しいです」
オリネロッテ様のエメラルドの瞳が潤む。銀糸の髪が煌めく。無邪気さと妖艶の同居。ふと目まいが…………くそ! 油断すると、オリネロッテ様の魅惑の力に引き込まれてしまいそうになる。意図しているのか、いないのか? 彼女の真意は、どこにある?
「どうかなさいまして? サブローさん」
「……いえ。それより、フィコマシー様がお乗りになっていた馬車への襲撃について、調査結果は出たのでしょうか?」
クラウディとアズキが、僕のほうへ顔を向けた。
「まだです。ロスクバ村へ向かった騎士が戻ってきておりませんので」
「サブローは、明後日にお屋敷へ来るんじゃろう? その時までには、事の次第はそれなりに判明しているじゃろうて」
そうか。今日から2日後には侯爵邸へ出向くよう、執事に言われていたっけ。冒険者ギルドにおける僕の研修が終わるのは明日だし、タイミング的には丁度良い。フィコマシー様やシエナさんへ、研修についての報告が出来る。……ゴリラとかティラノサウルスとか……。ロクでもない話題しか無いね。僕、泣いても良い?
「……サブローさん、お顔が崩れていますよ。お姉様やシエナに会えるのが、それほど嬉しいのですか?」
「そ、そんな事はありませんよ」
オリネロッテ様の語調がやや不穏だったため、慌てて否定する。けど『顔が崩れてる』って表現は、酷くない!? せめて、『表情が崩れてる』と言ってください。
馬車の振動が、止まる。
どうやら街中をグルリと周回していた馬車が、《虎の穴亭》へ戻ってきたようだ。
そろそろ、話は終わりかな。
「それでは、オリネロッテ様。謝罪のお言葉は、確かに受け取りました。今晩はわざわざ御出くださり、ありがとうございました」
「いえ。こちらこそ改めてお詫びとお礼を申し上げます、サブローさん」
僕はオリネロッテ様へ一礼し、それからクラウディに先導されつつ馬車を下りた。
すると、御者台の上よりキーガン殿が語りかけてくる。
「おお、クラウディ。サブローとは、キチンと和解できたか?」
「ハイ。サブロー殿は、良き方です」
「止めてくださいよ!」
「はっはっは。サブロー、照れることは無い」
キーガン殿が豪快に笑う。
「クラウディは真面目で仕事熱心、行く末が頼もしい若者なのだが、如何せん強すぎてな。親しい友人が居ないのが、悩みの種なのだ。同世代のヤツらは、クラウディの剣才に臆してしまうらしい」
「止めてください! キーガン様」
先程僕がクラウディに示したのとそっくりな態度を、今度はクラウディがキーガン殿へ見せる。
「その点、サブローはかなりな腕前な上に、性格も厚かましいみたいだしな。クラウディと隔意なく、付き合えるのではないかな? 叶うなら、良き友、良き競い相手となってやってくれ」
「それは、こちらのほうこそ、願ってもないことです。けれど……」
「身分差など、つまらぬことは気にするな。サブロー」
キーガン殿は面倒見が良い方のようだ。
でも、キーガン殿。僕は厚かましい性格ではありませんよ。繊細で気弱で慎み深い質なのです。誤解しないでくださいね!
「サブロー殿。あの夜に貴殿……貴方と交わした金打、自分は忘れてはいませんよ」
クラウディは莞爾として笑い、馬車へ乗り込んだ。
《虎の穴亭》前へ僕を残し、馬車が出発する。侯爵邸へ帰るのだ。
僕は、闇夜に消えていく馬車を見送った。
……何だろう? なにか、胸騒ぎがする。
サブローのそれぞれの人物に対する、内心での呼び方と、声に出しての呼び方。
アズキに対して → 内心『アズキ』、発言『アズキ殿』
クラウディに対して → 内心『クラウディ』、発言『クラウディ様』
キーガンに対して → 内心『キーガン殿』、発言『キーガン様』
オリネロッテに対して → 内心と発言、どちらも『オリネロッテ様』となります。
ややこしくてスミマセン……。




