月下の攻防
流血の描写があります。
頭上より襲ってきた刺客――ヨツヤさんの顔をマジマジと見つめる。相変わらず前髪が長すぎて、その表情は読めない。
ヨツヤさんは、ドラナドたちの一味と言うことか。
事態の急転を受けて、状況を整理してみる。
僕が今晩オリネロッテ様と面会したこと、更にはオリネロッテ様の誘いを断ったことをドラナドたちに告げたのは、ヨツヤさんで間違いないだろう。
つまり、この闇討ちの企画者兼首謀者はヨツヤさん……?
「ドラナド様。一旦、お下がりください。サブロー様のお相手は私がいたします」
「ヨツヤ、テメェ! 半端者のメイドの分際で、生意気な口をきくんじゃねえよ! 俺様に指図するつもりか?」
「いいえ、滅相もございません。ドラナド様が呼吸を整えるための時間を、稼がせてもらうだけでございます。それにご存じの通り、私の攻撃方法は周辺の人間も巻き込んでしまいますので……」
「ち! 分かったよ」
ヨツヤさんに説き伏せられ、ドラナドがしぶしぶ後方へ退く。
僕はヨツヤさんと1対1で対峙する形となった。
「ヨツヤさん。幾つか、お尋ねしてもよろしいでしょうか?」
「何でしょう? サブロー様」
この修羅場においても、丁重な言葉遣いを崩さないヨツヤさん。それが、かえって不気味だ。
「オリネロッテ様の部屋での会話の内容を、ドラナドたちに伝えたのは貴方ですね?」
「その通りです」
「僕を襲撃するように、彼らを唆したのも?」
「『唆す』とは、心外な仰りようです。私は、あくまでドラナド様たちに注意を促しただけ」
「注意?」
「サブロー様、貴方様の危険性についてです。オリネロッテお嬢様を惑わし、そのご要望を拒絶し、あまつさえ白豚の側に回る。許しがたい所業です。しかも、貴方様は……強い」
「僕は、オリネロッテ様の敵ではありませんよ」
「今は、そうでしょう。しかし、将来は分かりません。貴方様の存在は、あまりにも不確定すぎる。危うすぎる。私は、オリネロッテ様が歩まれる道を綺麗に掃き清めておきたい。そこには、小石ひとつ、僅かな汚れもあってはならない」
……ヨツヤさん……歳は、シエナさんとそう変わらないように見える。
シエナさんがフィコマシー様に心より仕えているのと同じように、ヨツヤさんもオリネロッテ様へ誠心誠意の忠義を捧げているのだ。
シエナさんとヨツヤさん。
似た立場、似た身分、似た心情の2人のメイド。
だが、シエナさんとヨツヤさんとでは、決定的に違うものがある。それは、己と主以外の者に対する思い遣りや共感だ。
シエナさんには、ヨツヤさんのような偏狭さや病的さは無かった。他者の不幸を踏み台にして自身の幸福を追求しようなどとは、シエナさんは夢にも思わないだろう。
篤信と狂信は、違うのだ。
ヨツヤさんを説得するのは無理だ。彼女の言動から感じ取れるのは、オリネロッテ様にとっての邪魔者をことごとく排除しようとする妄念のみ。
話が通じる相手じゃ無い。
それどころか、彼女をこのまま放置しておけばフィコマシー様やシエナさんの身にまで魔の手を伸ばすかもしれない。目下はオリネロッテ様の意向に従っているんだろうが、何かの拍子でタガが外れたら……。
現に、僕はこうして襲われている。
ククリの柄を握り直す。
ヨツヤさんは、棒立ちだ。
しかし、全身に緊張感をみなぎらせている。僕への敵意と憎悪を隠そうともしない。
ヨツヤさんは1人で僕と戦う気なのか? だが、武器はどうした? 彼女は、右手にも左手にも何も持っていない。
徒手で、僕のククリに勝つ自信があるとでも?
……油断するな。先程の、首にまとわりついてきた感覚を思い出せ。
あれがいったい何であったのかは、皆目見当が付かない。けれど、ヨツヤさんが僕を殺す気で仕掛けてきた攻撃だったという一点については、疑う余地など無い。
ヨツヤさんが、右手を軽く振る。
ん? 視認できる脅威など……その刹那、僕は殺気に満ちた圧力が迫ってくる気配を感じ、咄嗟に右後方へ跳び退いた。
パシッと、何かが顔面に触れる。頬が傷つく感触。
左頬が裂け、血飛沫が飛んだ。寸秒遅れて、左顔面に焼け付くような痛みを覚える。
く! ……くそ! 何が起こった!?
更に、ヨツヤさんは左腕を大きく振るう。
ヒュン! 風を切る音。
僕の右前方。空間を割りつつ急速に接近してくるモノがある。怖気を感じるプレッシャー。
反射的にククリで払う。
キン!
間違いない! ククリに、手応えがあった。
どのような攻撃を、ヨツヤさんは仕掛けているんだ? 飛び道具? それとも、魔法?
ヨツヤさんが縦横に両腕を振り回す。
己が直感に従いつつククリで弾き返すが、全てを撥ねのけることは出来ない。
着用している革鎧に、無数の切れ目が刻まれていく。顔、腕、足に次々と出来ていく傷。
全身より、血が滴り始める。
マズい……このままだと、ジリ貧だ。いずれ、動けなくなってしまうに違いない。いや、それ以前に致命傷を負ってしまったら…………弱気になるな! 戦いの基本を忘れるな! 『攻撃は、最大の防御』だ!
僕も、ただヤられっぱなしでいた訳じゃない。ヨツヤさんの攻勢を浴びながら、少しずつ魔素を魔力へと変換させておいたのだ。
よし! 頃合いだ。
風魔法を秘かに唱え、自身の身体の動きを加速させる。
ダッシュだ!
ヨツヤさんとの距離を一瞬で詰め、真っ向からククリで斬りつける。
ギャン!
ヨツヤさんの僅かに鼻の先。ククリの打ち込みが、止められる。
宙でククリを阻んでいるのは……糸? 単なる糸では無いな。ククリで切断できない糸とは……鋼、それも、特殊な鋼の糸か。
ヨツヤさんが、鋼糸をククリに巻き付けようとする。僕の武器を奪う気か!?
慌てて、後ずさる。
ヨツヤさんは、鋼糸の使い手だった。
最初の攻撃を受けた際、もしあの糸で首を締め上げられていたら……僕の頭は、確実に胴体より刈り落とされていたに違いない。
正真正銘、危機一髪だったんだ。
背中に冷や汗が流れるのを感じる。
ヨツヤさんから少し離れると、鋼糸は闇に溶けて見えなくなってしまった。だが正体が判明した以上、対処のしようはある。
切っ先はヨツヤさんに向けつつ、ククリを小刻みに揺らす。
ヨツヤさんは僕の動作に戸惑いを覚えたのか、一瞬だけ躊躇する。しかし、迷いを断ち切るように、大きく右腕を振ってきた。
僕は、避けるために身体の位置をずらす。糸は、カスリもしない。
続いて左腕を振るうヨツヤさん。難なく、ククリで糸を弾き返す。
月光のもと、ヨツヤさんの腕の動きに注目する。
彼女は、両手で鋼の糸を操っている。手や腕のモーションを注意深く見定めれば、糸の軌道を読むことも不可能では無い。
更に激しくなる、鋼糸の攻勢。
けれど、もはや僕には通用しない。時に躱し、時にククリで撥ねのける。
ヨツヤさんは、次第に焦りを覚えてきたようだ。僕のほうへ向かって、突如として走りだした。
僕に接近することで、事態の打開を図るつもりなのだろう。
でも、それは悪手だよ、ヨツヤさん。両手以外の部分を働かせれば、その分だけ糸の制御は疎かになる。
近づいてくるヨツヤさんは、右手と左手を同時に振るう。狙ってくるのは、おそらく僕の頭部。
しかし、僕は意に介さない。むしろ踏み込んで、ククリを袈裟懸けの逆方向へ斬り上げた。
身を捩るヨツヤさん。が、回避しきれない。彼女の脇腹を、ククリが切り裂く。
肉を抉る感触。血煙を上げて、ヨツヤさんが吹っ飛ぶ。
人を……それも、女性を斬ってしまった。
迷うな! 後悔や反省は、戦闘が終わった後だ。
ヨツヤさんに歩み寄ろうとした僕に、ドラナドが剣で斬りかかってくる。
ドラナドがしばらく休息して体力を回復させたのに対し、僕はヨツヤさんとの立ち回りで疲労が溜まっている。出血も、それなりにしてしまった。
ドラナドの攻勢に、防戦を余儀なくされる。けれど、ドラナドの剣は、やはり甘い。隙が見える。
即座に片付けてやる!
ククリでドラナドを倒そうとした間際、鋼糸が飛んでくる。すんでのところでククリで弾き、ドラナドより離れる。
見ると、ヨツヤさんが起き上がっている。
え!? ククリの一撃によって、ヨツヤさんは間違いなく深手を負ったはず。それなのに、もう復調しているのか? どうなっている?
「ヨツヤ、だらしねぇな」
「申し訳ありません。不覚を取りました。しかし、さすがはサブロー様です。オリネロッテお嬢様がバイドグルド家へ勧誘なさっただけのことはありますね」
「ああ。腹立たしいが、その点は同意だ。平民の小僧は、確かに腕が立つ」
「気を緩めずに、まいりましょう」
ドラナドとヨツヤさんは連携して僕を攻撃してくるつもりのようだ。
出血は止まらないし、さっきは少しだが魔法も使ってしまった。かなりエネルギーを消耗している。体力が無くなると、集中力も低下するからな。このままだと、ちょっとヤバいかも。
くそ! 地獄の武器特訓では、糸を扱ったトレーニングなんかしなかったぞ! ブラックめ。耳かきや歯ブラシ(ウェステニラには、歯ブラシが存在する)を用いた戦い方まで伝授してくれたのは良いが、肝心の糸を教え忘れるとは! 先生失格だ!
思わず心中でブラックに八つ当たりしそうになり、すんでのところで思いとどまる。
いかんいかん。ウェステニラに転移するまでは『ブラックのヤツ、実戦では使い道がないモノばっかり紹介して! 剣や槍みたいなカッコイイ武器だけ教えてくれれば充分だよ!』とか考えていたくせに、さすがに都合が良すぎる。
ブラックの訓練は、今にして思えば為になる内容が満載だった。
現在のこの状況で役に立つ武器は……。
そうだ!
僕は、懐に手を突っ込んだ。
ゴソゴソ……あった! 銅貨だ。
ふっふっふ。銅貨は、単なる小銭では無いのだ。扱いようによっては、とても強力な武器になる。
銅貨は、恐るべき投擲アイテムなのである。それは、日本の歴史が証明している。江戸時代、銅製の小銭である寛永通宝を悪人に投げつけて打ち倒す、正義の岡っ引きが実在したことは有名だ(※注 フィクションです)。
僕は、ブラックから石が如何に有用な武器であるかをしつこいほど習った。
ウェステニラの銅貨は、掌に収まる手頃な大きさだ。重さも、丁度良い。ここは、銅貨を石の代用品とさせてもらおう。
左手でククリを持ちつつ、やにわ右手で銅貨を投げる。標的はドラナド。
鼻っ柱に銅貨をぶつけられたドラナドは、衝撃のあまり、凄い勢いで後方へ倒れ込んだ。間髪入れずに、ヨツヤさんへも銅貨を飛ばす。
パシッと、鋼の糸で銅貨を弾くヨツヤさん。でも、それは想定内。
僕は駆け出すや、複数枚の銅貨を同時にヨツヤさんへ撃ち込む。正確に数えてはいないが、5枚以上。いくらヨツヤさんでも、全ての銅貨を叩き落とすのは不可能だ。
顔面へ向かってくる銅貨は辛うじて防ぐヨツヤさん。しかし、それ以外の数枚が身体に命中する。
ヨツヤさんは体勢を崩し、糸を上手く操れなくなる。彼女へ、肉薄する。
そして、2度目の斬撃。今度は肩から胸へ掛けての袈裟切りだ。骨をも断つ勢いで、ククリを振り下ろす。
返り血が、僕の顔面へビシャッと掛かる。
声も無く地面へ膝をつくヨツヤさん。その肩を、手加減なしに蹴飛ばす。
路上で仰向けになる彼女を、上から見下ろす。
ヨツヤさんは先ほど脇腹に深い裂傷を負ったはずなのに、あっと言う間に動けるようになった。不可解な回復力だ。治癒系統の光魔法を用いた形跡は見られなかったが……。ともかく、こちらが優勢であっても気を抜いて良い相手じゃない。
ククリを逆手に持つ。
心臓がある胸の部分に突き立てれば、いくら彼女でも絶命するに違いない。
突き下ろせ、ククリを! 殺せ、ヨツヤさん……ヨツヤを! 今日の午後、冒険者ギルドで始末したゴブリンと同様に……息の根を止めるんだ!
僕の手によって命を奪われた、2匹のゴブリン。脳裏をよぎる、2対の赤い目。
ヨツヤさんの荒い息。彼女の長い前髪が乱れる。簾のような髪の隙間から、片方の目が僅かに垣間見える。彼女の目を、初めて確認した。
視線が合う。瞳が赤い――――
硬直する。ククリを突き下ろせない。もう1歩が踏み出せない。
この期に及んで、僕の覚悟は――
「ぐ!」
僕は呻き声を発し、ヨツヤさんの上より跳び退いた。いつの間にか起き上がってきていたドラナドが、長剣を横薙ぎにしたのだ。
鼻筋を打ち砕かれたにもかかわらず、闘志の衰えなど一切見せない。さすが、オリネロッテ様の専属護衛騎士。タフだ。
着地するや、ガクンと片膝が落ちる。右足に激痛。
しまった! 今のドラナドによる攻撃で、太腿を傷つけられた。マズい! 太腿には太い血管が走っている。これ以上の出血は……。
だが、敵側も満身創痍だ。
ヨツヤさんは血まみれの状態で地に横たわったままだし、ドラナドは立ち上がったもののフラフラだ。盛大に鼻血も出している。
エコベリがドラナドたちを助けにくる可能性も、ほぼ無いだろう。
すこし離れた場所から、エコベリの悲鳴が聞こえてくる。「うあああ! 自分はオークでは無い! オークでは無いのだ! 人間のままでいさせてくれ!」とか「《被害者の会》どころか、《犠牲者の会》に入れられてしまう!」とか「〝出血させる大サービス〟を押し売りしないでくれ!」とか。……リアノン、容赦ないな。
リアノンがエコベリを倒す前に、僕も決着をつける!
「よ……よぉ、小僧」
鼻血で息が詰まっているのか、聞きづらい声でドラナドが語りかけてきた。
「何ですか? そろそろ諦めて負けを認めてくださいませんかね?」
平然とした口調で述べる。こちらの苦境を相手側に悟られるわけにはいかない。
「貴様。こんなところで、俺様たちと悠長に遊んでいて良いのか?」
……何を言っている?
「貴様には、連れが居たよな。猫族だったか?」
ミーアのことか?
「あの猫族の小娘に対して、俺様たちが何の手も打ってないとでも思ったか?」
え!?
「そろそろ、小娘の居る宿屋に、俺様たちの仲間が踏み込んでいるだろうよ」
………………………。
「さぁて。現在、あの猫族の小娘はどうなっているかな?」
…………………なん……だと?




