ナルドットの裏路地で
6章スタートです。
夜の街を、ミーアと連れだって歩く。
フィコマシー様もシエナさんも『もう夜も更けたので、お屋敷に泊まっていかれては?』と勧めてくれたが、いきなりの予定変更は各所に迷惑を掛ける。バンヤルくんの両親には『今晩より、お世話になります。夕飯を用意しておいてください』と事前に告げちゃってるしね。
それに、フィコマシー様たち以外のバイドグルド邸の人々に『アイツ等、フィコマシー様の関係者だからって、2日連続で泊まり込みやがって。図々しい』などと思われたくない。
僕のせいでフィコマシー様の印象が悪くなったりしたら、後悔しちゃうよ。気の回しすぎかも知れないけど。
フィコマシー様たちに丁重な別れの挨拶をして、僕とミーアはお屋敷を出た。
侯爵様の優れた統治のおかげもあって、ナルドットの街は治安が良い。
ただ、さすがに夜なので、大通りより逸れないように足早に進む。
中世的な雰囲気の街並みでもあるにもかかわらず、ナルドットの夜間は〝真っ暗闇〟ではない。
理由の1つとして、ウェステニラの天空に2つの月が存在することが挙げられるだろう。
地球でも、街の明かりが届かない田舎で夜更けに外出する際、月が出ているか出ていないかによって、足もとの確かさは段違いになる。
良く時代劇なんかで『月の無い夜には、背中に気を付けな』といったセリフを悪漢が口にするけど、あのフレーズ、都会に住んでたら今いちピンと来ないんだよね。
しかし、人工の光が無い山とかでキャンプをすると、月光の有り難さは即座に実感できる。
ムーンライト。それは、まさに闇夜の道しるべ。
……で、ウェステニラの月は2つ。大きい月は『親月』、小さい月は『子月』と呼ぶ。
月光の恩恵は、地球の2倍。
更に驚くべき事に、ナルドットの街には〝街灯〟まであるのだ。あの光源は、何なのだろう? ガス灯では無いのは、確実なんだが。
オイルランプかな?
イヤイヤ、ここは《異世界ウェステニラ》。
地球で読んでいたファンタジー小説には、しばしば〝魔光石〟といった類いの名称を持つ不可思議な物体が登場してた。
もしかしたら、そんな自然発光するマジックアイテムを活用しているのかも。
まぁ、街灯が設置されている箇所は、あくまでメインストリートに面している大きな建物の側だけなのだが……。
加えて、多くの獣人の方々は人間と違って夜目が利く。
そんな訳で、夜ではあっても、表通りを外れて裏路地にでも入り込まない限りは、ナルドットの街は比較的安心して歩けるのだ。
もちろん、女性や子供の夜間外出はお勧めしないけどね。
……ようやく、《虎の穴亭》が見えてきた。
素朴な外観の2階建ての宿屋。なんだかホッとする風情がある。ホントに、アットホームな感じ。
冒険者ギルドの〝自称アットホーム〟とは、大違いだ。
《虎の穴亭》の扉をノックしようとして、思いとどまる。……やはり、気になる案件は今日中に片付けておこう。
「ミーア。親父さんたちに挨拶を済ませて、先に部屋へ行っておいて」
「サブロー……」
ミーアが訝しげに僕を見上げる。どことなく、不安そうだ。
僕はニコッと笑う。
「大丈夫。少し用事を済ませてくるだけだから。チャッチャと終わらせるよ。なので、ミーア」
ミーアの黄金の瞳を見つめ、念押しする。
「くれぐれも、《虎の穴亭》からは出ないでね」
「――にゃ! り、了解したにゃん」
ミーアは何度も頷く。
そして、その場より離れようとする僕の背へ、言葉を掛けた。
「サブロー、気を付けて……にゃん。あと、頑張ってニャ」
「ああ、任せといてよ。ミーア」
右手を上げて、軽く1、2度振ってみせる。
背後のミーアへ、『何も心配いらない』と示すために。
僕は《虎の穴亭》から遠ざかり、人気の少ない裏通りへと足を運んだ。
ある程度スペースがあり、いざとなれば逃走するのも容易であろう地点で立ち止まる。
「……そろそろ、お出ましになられては如何ですか? いい加減、鬱陶しいですよ」
僕の挑発に応じるかのように、2つの影が姿を現す。
「……勘づいていたのか」
「当たり前でしょう? お屋敷から、ズッと後をつけていましたね」
月光に照らし出されたのは、2人の騎士。
1人は、ドラナドだ。昨日の晩、食堂で僕に蹴り飛ばされて気を失った男。不覚を取った屈辱を忘れかねているのか、それともいつもの癖なのか、相手を皮肉るような歪んだ笑みを口もとに浮かべている。
もう1人は、初めて見る顔である。ドラナドより長身。横幅もあり、体格が良い。
2人の騎士は、軽装ながらも武備を整えていた。チェインメイルを着込み、腰に剣を提げている。
「俺様の名は……」
「ドラナド様ですね」
ハッキリ言ってゲスなヤツだが、騎士なので、取りあえず〝様づけ〟で呼ぶ。
「……俺様の名前を知っているとはな」
「ええ。アズキ殿より、伺いまして」
「ああ、あの胡散臭い魔女か」
嘲るような声音。
ドラナドの発言に苛立ちを覚える。
アズキは、確かに〝あんころ餅〟で〝石炭女〟で〝座敷童〟だ。けれど、お前みたいな3流騎士より、はるかに優れた人物だぞ。
「こっちは、エコベリだ」
ドラナドが、自身の隣に立っている大男を紹介する。
「はじめまして。エコベリ様」
「…………」
無視しやがった。このデクの坊。
「教えといて何だが、エコベリの名前は覚えなくても良いぞ」
「……それは、何故ですか? ドラナド様」
「貴様は、今ここで死ぬんだからな」
言い放つや、ドラナドは剣の柄に手を掛けた。エコベリも戦闘態勢に入る。
良からぬ儀を考えているとは思っていたけど、まさか『殺害宣告』までしてくるとは予想していなかった。ちょっとばかり横っ腹を蹴っただけなのに……そこまで恨むか?
しかし、面と向かって殺意をぶつけられているにもかかわらず、僕、意外と冷静だな。
今日の冒険者ギルドでの経験が、早速活きているということか。
過酷な体験ではあったが……〝ドーテー卒業〟は、決して無駄ではなかったのだ!
「どうして、僕を殺そうと? 昨晩の遺恨ですか?」
「貴様に蹴られた脇腹……でっかい青アザが出来ちまったよ。幸い、骨は折れて無えみたいだが……1日経っても、ズキズキ痛んで仕方がねえ。けれど、そんな詰まらん事で、貴様を殺そうとまでは思わない」
暗がりの中、ドラナドのツリ目がギラつく。
「平民。貴様、オリネロッテ様直々のお誘いを断ったそうだな」
「――っ!」
……つい、さっきの出来事だ。誰に聞いた? 僕とオリネロッテ様のやり取りを、ドラナドへ伝えたのは何者だ? アズキは……違う。オリネロッテ様は……あり得ない。となると……。
「オリネロッテ様の慈悲を無下にするとは……その罪、万死に値する」
怒気をはらんだドラナドの脅し。
エコベリも賛同するかのように、ゆっくりと点頭する。
「あまつさえ、何をとち狂ってるのか知らねぇが、貴様はあの白豚に妙な肩入れをしてやがる。俺様には、分かる。貴様は、危険だ。貴様の存在は、いつかオリネロッテ様の害になる。護衛騎士として、毒虫は早い内に排除しとかねえとな」
「オリネロッテ様が、『サブローを殺せ』と命じられたのですか?」
そんな訳ないよね。
「あの方が、些末な事柄に関する指示をイチイチ、口にされるはずがないだろう? だが言われずとも、仕える主の心を察して、成すべき事をなすのが、騎士の務めだ」
「はぁ……つまりは、独断専行……。勝手な思い込みの挙げ句に暴挙に及ぶとは、呆れて声も出ませんよ」
これが、アズキの案じていた『オリネロッテ様を信奉する輩の暴走』か。
自分が標的にされてしまうと、今更ながらそのヤバさを痛感してしまうね。
「エコベリ様も……ドラナド様と同意見なのでしょうか?」
「無論だ。自分も、オリネロッテ様の護衛騎士。尊い御方の心の患いとなりそうな人間は、片っ端から処分させてもらう」
バカ騎士の連れは、やっぱりバカだった。
オリネロッテ様の護衛騎士に、マトモなヤツは居ないのかな? 周辺が愚か者ばかりとは、オリネロッテ様も心労が絶えないね。同情してしまうよ。
アズキやクラウディのような例外も居るが……。
それにしても、クラウディ! ちゃんと監督してよ!
……クラウディはその若さ故か、護衛騎士たちのリーダーでは無さそうだったけど。でも、〝最強〟なんでしょ!?
意地でも、バカ騎士どもに臆した姿勢は見せたくない。
僕は、意図して余裕の態度を演じてみせた。
「それで、お2人で僕をコロコロしちゃおうと? ご苦労なことですね。言っておきますが、僕はかなり強いですよ」
「いいや、2人じゃない。3人だ」
ドラナドがそう嘯くと同時に、闇の中より騎士がもう1人……え!?。
間違いなく、女性だ。一見、男っぽくはあるが。
ノッポで硬そうな体躯。赤茶けた髪を、無造作に束ねている。そして、右目を覆う黒い眼帯。
「……リアノン」
呟く。……あれ? もしかして、僕、ショックを受けている?
女騎士リアノン……ナルドットへ来る道すがら、少しだけお喋りした仲だ。それなりに気安い関係を築けたと思っていたけど、考えてみれば、別に彼女は僕の〝友人〟あるいは〝仲間〟という訳じゃない。
アズキとは契約を交わしたが、リアノンとは特に約束なんてしてないしね。
なのに、漠然とながら期待していた。リアノンは、敵には回らないと。
そんなの、僕の一方的な願望だ。
リアノンは、歴としたバイドグルド家の騎士。しかも、オリネロッテ様に心酔している。僕のことを〝オリネロッテ様の敵〟と認定したら、彼女は見逃したりなんかしない。容赦なく攻撃してくるのは、当然すぎる成り行きだ。
唇を噛みしめる。
今から、リアノンと戦うのか? ……殺し合うのか?
「……サブロー」
リアノンが、ボソボソと語りかけてきた。気まずそうな顔をしている。なにやら、落ち着かない物腰だ。
「リアノンさん……リアノンさんは、ドラナドの味方なんですね?」
リアノンまで、巻き込みやがって!
もはや、ドラナドへ〝様づけ〟は不要だろう。
「味方……か。そうでは無い。だが、ドラナド殿の決心は固く、私にそれを覆すことは不可能だったのだ」
「なので、彼の加勢をすると?」
「加勢……いや、違う。見届けだ」
見届け? リアノンは、僕とドラナドたちの決闘を検分するつもりなのか?
中立の立場を守ってくれるだけでも、御の字ではあるが……。
「サブロー。ドラナド殿の気持ちも分かってやってくれ」
リアノンの表情が冴えない。
あ? リアノンは何をフザケたことを言ってるんだ? 〝僕を殺しに来た男の心〟を察しろと?
トンチンカンなセリフを述べるリアノン。
僕には、彼女の気持ちのほうが分からないよ。
「いきなりな状況で、サブローも、なかなか受け入れがたいかもしれない。けれど、ドラナド殿の思いを、聞くだけは聞いてやって欲しい」
「……?」
「彼も悩んだのだ。苦しんだのだ。この場に来るには、ありったけの勇気を掻き集める必要があったに違いない」
リアノンが、変に悟った口調で喋る。
「いくら騎士連中に『ハ・ガクーレ』の愛読者が多いとは言え、世間様の目もある。男が男へ恋の告白をするのは、とても大変なことなんだよ。それほどまでに、ドラナド殿のサブローへの愛は強烈で……」
「「ちょっと、待てぇ!!!」」
僕とドラナドの絶叫が、見事にハモった。
「なんで、俺様がコイツに恋の告白なんぞしなくちゃならんのだ?」
「そうですよ! なんで、僕が男から恋の告白なんぞされなくちゃならないのですか?」
リアノンが、不思議そうに小首を傾げる。
え? なに? その『この人たち、どうして反論してくるの? 私、理解できないわ』って顔は!
理解できないのは、コッチだ!
「しかし、ドラナド殿は先程お屋敷で私に仰ったではないですか。『サブローにハートを射止められた』と」
「『ハードな蹴りをもらった』だ!」
「『サブローの一撃を受けて、心の動悸が抑えきれない』と」
「『攻撃を受けて、身体の鈍痛が抑えきれない』だ!」
「『サブローのことを考えるだけで、ドキドキする』と」
「『アイツのことを考えるだけで、ムカムカする』だ!」
「『もう、耐えられない。今より告白しに行く』と」
「『もう、我慢がならん。今より殺しに行く』だ!」
「そ、そんな……」
ドラナドとの問答がショックだったのか、リアノンがよろめく。
「では、愛の公開告白は……」
「する訳ないだろう! リアノン、お前はアホか!?」
そこは、ドラナドに同意する。
「ま、まぁ、良い。俺様たちは、今晩この場で無礼な平民を始末する。リアノン、手を貸せ。お前の腕を見込んで、連れてきたんだ」
「あわわわ……」
慌てふためくリアノン。キョロキョロと忙しなく、僕とドラナドの顔を交互に見遣る。
「何を躊躇っている、リアノン。お前は、オリネロッテお嬢様の専属護衛騎士になりたいんだろう? 俺様たちに協力すれば、推薦してやるぜ。なぁ、エコベリ?」
「うむ。リアノン殿の力量ならば、オリネロッテ様の守り手になるのにいささかの不足も無い。同僚になってくれたら、心強い。共に励み、オリネロッテ様のお役に立とう」
「オリネロッテ様の専属護衛騎士……」
リアノンが、眼帯で隠されていない左眼を輝かせる。……彼女、オリネロッテ様の護衛騎士になるのを切望していたな。馬車の中で、将来の目標を熱く語っていたっけ。
雑念を払うかのように、リアノンは首を振った。そして、隻眼で僕をひたと見据える。
僕へ向かって歩き出すリアノン。緩慢な足取りだ。
「お、やる気になったか、リアノン。いいぜ、初手は譲ってやる」
茶化すようなドラナドの発言。
リアノンと僕の間の距離が、次第に縮まっていく。
息を詰める。リアノン、何を考えている?
……彼女と剣を交えた記憶を掘り起こす。
彼女は、手強い対手だった。
薩摩の示現流の如き奇声。……うん。思い返してみれば、あれは女性が上げても許される領域のボイスじゃ無かったね。更に、激烈な斬撃。僕が抱いていた〝異世界女騎士への幻想〟を木っ端微塵に打ち砕いてくれたよな。
ソッと、ククリの柄に手をやった。
僕からは、仕掛けない。けれど、瞬時に対応できるだけの体勢は整える。
ついに、リアノンは僕の真正面まで来た。もう、彼女の呼吸音まで聞こえる。
リアノンの左眼と、僕の両眼がぶつかり合う。
彼女の眼差しは、涼やかだった。焦げ茶色の瞳に、殺気は籠もっていない。
フッと。緊張が解ける。
リアノンは身体を横にずらし、反転させた。そして、僕の隣に並ぶ。
「悪いな。ドラナド殿、エコベリ殿。オリネロッテ様の専属護衛騎士になるのは、紛うことなき私の夢だ」
リアノンの力強い宣言。
「しかし、私にも騎士としての矜持があってな。闇討ちのようなマネは、許せんのだ。私は、サブローの側に付かせてもらう」
2つの月光が差す路地裏に、リアノンの凜とした声が響いた。




