夕日が差し込む部屋
後半にミーア視点が入ります。
暗鬱な部屋に整然と設置されている、多数の檻。
幾十ものモンスターの息づかいに、一瞬だが気圧される。
監禁している以上、危険性は無いにもかかわらず。
サッと見まわしたところ、ゴブリンやオークといった人型モンスターが大半のようだ。但し、動物型のモンスターも、それなりに混じっている。
あるモノは叫び、あるモノは鉄格子に身体をぶつけ、あるモノは隅に縮こまっていた。
死刑囚が収容されている牢獄……そんなイメージが脳裏に浮かぶ。
いや、違う。モンスターは、〝人〟では無い。
敢えて連想するなら、屠殺場行きの家畜を入れているケージのほうが形態的には近い……。
……余計なことを考えるな!
思索の方向性を切り替えろ!
僕は頭を振る。
「サブロー、こっちだ」
ゴンタムさんが、前方で僕を呼ぶ。
部屋の中央を貫く一本道、無数の鉄の囲いが両側に並んでいる箇所を通り抜ける。
僕を見つめる沢山のモンスターの眼。
たどり着いた壁には、ドアが付いていた。
ゴンタムさんとスケネーコマピさんが扉を開き、僕を次の部屋へと誘導する。
ドアをくぐる。先程まで居た空間より、やや明るい。ランプの数を増やしているのか……。広さは前室と同じぐらい。けれど、置いてある檻は1つのみだった。
とても、大きい鉄の箱。高さは僕の身長の倍程度。底面積は目測で約30畳。
あれだけのスペースがあれば、囲いの内部で軽く走り回れるな。
鉄格子の向こう側に、ゴブリンが居る。2匹。
「サブロー。アレをヤれ」
ゴンタムさんの口調はぶっきらぼうだが、不思議と優しさを感じる。端的で冷酷なセリフ。しかし、イントネーションは穏やかだ。
僕を思い遣ってくれている彼の心持ちが、伝わってくる。
スケネーコマピさんが、フォローを入れてきた。
「サブロー同志。あのゴブリン達は、凶悪なモンスターです。近在の村を群をなして襲い、女子供を含めた大勢の人間を殺しました。冒険者たちが救援に駆けつけた際に目にした光景は、それは酷いものだったそうです。襲撃に参加していたゴブリンの多くは討伐されましたが、情報収集のために数匹の個体が捕らえられました。あの2匹は、その生き残りです」
「巣の場所やどういうルートで村にやって来たかなど、コチラ側が知りたかった内容はだいたい吐かせた。裏付けも取っている」
「あとは、殺処分するだけです。なので、同志。遠慮は、いりませんよ」
様々な内情を明かしてくれるゴンタムさんとコマピさん。
彼らは、僕へ暗に告げている。
『アイツ等は、忌むべきゴブリンなのだ』と。
『殺されて当然のモンスターなのだ』と。
これよりゴブリンを手に掛ける僕の心理的負担を、なるべく軽くしようとしてくれているのか……。
「僕は大丈夫です。ゴンタムさん、スケネーコマピさん、ありがとうございます」
2人に礼を述べ、檻へ接近した。
2匹のゴブリンはギラギラした眼で僕を睨んでくる。赤い瞳が、地下の部屋の中で光る。
僕は、腰に提げているククリの柄をソッと握りしめた。
ゴブリンは、手強いモンスターでは無い。
1匹につき一太刀浴びせるだけで、呆気なく倒すことが出来るだろう。簡単に始末できてしまう。それこそ、片手間の作業だ。
戦闘のシミュレーションを、脳内で行う。
無手で攻撃してくるゴブリン。その首を、ククリで刎ね飛ばす。…………楽勝だ。あたかも、瓶のフタを開けるような容易さ。
そうやって、殺すのか? 命を刈り取るのか?
……くそ!
「申し訳ありません、ゴンタムさん。彼らに武器を与えてやってくれませんか?」
僕の提案に、ゴンタムさんもコマピさんも特に驚かなかった。
「ああ、了解した。短剣で良いか?」
ゴンタムさんは僕の確認を取ると、檻の中へ粗末な短剣を2本投げ入れた。ゴブリンどもはササッと動き、短剣を各々1本ずつ拾い上げる。
動作を見る限り、それほど弱っているようには見えない。
「我が侭を言って、スミマセン」
「いえ、サブロー同志の心情は分かります。一方的に処理するのでは無く、戦って殺したいのですね?」
コマピさんの発言に、僕は頷く。
甘いか? 愚かか? でも、ギルドの2人は僕の思いを理解してくれている。
ここまでお膳立てしてもらって、今更泣き言を漏らしてなどいられない。
……よし! 踏ん切りは付いた。
一度深呼吸し、ゆっくりと息を吐く。ジャンプしたり肩を回したりして、軽く身体をほぐす。
集中しろ。
ゴブリンだからと言って、侮るな。何しろ、僕は人型モンスターとの戦闘は初めてなのだ。
頭脳の回路と肉体の稼働を、直結させるんだ。
ゴンタムさんは鉄格子へ近付くと、扉の鍵を開けた。ゴブリンどもが出口へ寄ってくる前に、僕は素早く囲いの中に入る。
ゴンタムさんとコマピさんは、檻の外で僕の童貞卒業を見守っている。
2匹のゴブリンと、対峙する。
身長、およそ2ナンマラ(1メートル)。
体つきより推察するに、2匹ともオスだ。
粗末な腰布。
茶色の汚れた皮膚。
ギラつく赤い瞳。
……ああ、分かる。コイツ等は、モンスターだ。
〝人外〟と言うなら、猫の姿をしているミーアも、熊の姿をしているゴンタムさんも、人外ではある。けれど、見れば分かる。接すれば理解できる。言葉を交わせば納得する。
ミーアやゴンタムさんは、僕の同胞だ。仲間。絆を築ける、友人になれる存在だ。
だが、ゴブリンは違う。
考えようによっては、ゴブリンは獣人よりも人間に近い容姿をしている。
しかし、遠い。
理解云々以前に、生物としての本能的拒絶感が先に立つ。共感しうるポイントを、発見できない。
感情を交流させようとしても、ゴブリンと人との間にある峡谷が大きすぎて、橋を架けることなど不可能だ。
これが、人型モンスターか。
『殺ス! 殺ス! 殺ス!』
『殺スナ! 殺スナ! 殺スナ!』
1匹のゴブリンは『(お前を)殺す!』と叫び、もう1匹のゴブリンは『(自分を)殺すな!』と喚く。威嚇と怯え。
当たり前だけど、人型モンスターには感情がある。そして、言葉も発する。
思わず、僕にゴブリンやオークの言語まで教え込んだブルー先生を恨みそうになってしまった。
でも、腹を立てるのは筋違いだ。
知らないで殺す行為は、知ってから殺す行為より、時に罪深くなる。
無知に逃げ込んじゃダメだ。不明を言い訳にしてはいけない。
『殺ス! 殺ス! 殺ス!』
『殺スナ! 殺スナ! 殺スナ!』
雑音は、シャットアウトしろ。手足は熱く、頭は冷静に。
僕は、ククリを抜いた。
♢
ミーアは、待合室のベンチに腰掛けていた。
部屋の中に居るのは、ミーア1人きり。スケネービットは、しばらく前より席を外している。
入室してから、約1ヒモク(1時間)経った。
窓より入ってくる夕日の光が、眼をさす角度になる。地平の彼方に太陽が沈みかけているのだ。
眩しさのあまり、ミーアは眼を細め、瞬いた。
ギィ、と扉が開く音がする。
振り向いたミーアの目に映ったのは、サブローの姿だった。
普段通りの顔をしているサブロー。一見、何事も無かったかのようだ。
けれど、ミーアには分かった。
あの時と同じだ。
獣人の森を抜けたミーアたちは、馬車が襲撃されている現場に出くわした。
ククリを振るって、アッと言う間に賊どもを片付けてしまうサブロー。
彼の強さを改めて思い知り、ミーアの胸は躍った。
事が終わってサブローの側へ駆け寄った彼女。そこで初めて、少女は少年の異変に気付く。
平静な表情。平然とした態度。しかし、落ち着いた素振りとは裏腹に、サブローの内面は消沈していた。刑罰を申し渡された直後の咎人のように、ミーアには見えた。
一刻も早くサブローを慰めたくて、思わず彼の胸に飛び込んでしまったミーア。
……今のサブローは、あの時と同じ雰囲気だ。いや、より一層深刻かもしれない。
サブローはベンチへゆっくりとした足取りで歩み寄り、ミーアの隣に腰を下ろした。
「ミーア」
「うん」
「ちょっと、ゴメン。良いかな?」
サブローはそう言うや、身体をミーアのほうへ傾けた。彼女の腰に手を回し、その胸へ片耳をくっつける。
(にゃにゃ!?)
サブローの突飛な行動にビックリしながらも、ミーアは辛うじて無言を貫いた。但し、恥ずかしさのあまり心臓の鼓動が激しくなってしまったことは、自分でも分かった。
「……ああ、ミーアの心音が聞こえるよ」
「…………」
「ミーアは、生きてるんだね」
サブローが、安心したように独白する。
ミーアは黙ったまま、サブローの頭を軽く抱きしめた。何だか、そうしなければいけない気がした。
「……ミーア」
「ん」
「僕は、童貞を卒業してきたよ」
「…………」
「ゴブリンを殺してきたんだ」
「そうにゃ」
「僕のために用意されていたゴブリンは、2匹。檻に閉じ込められててね。僕が中へ入ると、1匹がすぐに短剣を振りかざし、飛びかかってきた。避ける必要も無かったよ。踏み込んで、ゴブリンの剣が僕の身体に達するより早く、ククリの刃を打ち込むだけで良かった。ククリは、凄い切れ味だね。さすが、ダガルさんの得物」
「今は、サブローの刀にゃ」
「そうだね」
「…………」
「もう1匹は、同族の死を目の当たりにして怯えきってしまったのか、囲いの端に寄って頻りに『殺スナ! 殺スナ!』とがなり立ててたよ」
「ん」
「でも、可笑しいんだ。命乞いをしているのに、そのゴブリン、手に持っている短剣を放そうとはしないのさ」
「…………」
「僕は、ピーンと来たね。それで、ククリを構えていた腕を下ろして、ちょっとばかり無防備な体勢を装ってみたんだ」
「サブロー、それは危ないニャ」
「一切、気は抜かなかったよ。そしたら、案の定さ。隙が出来たと思ったのか、ソイツ、僕へ剣を投げて、更に躍り上がってきた。僕の首筋に噛みつくことを狙ったようだね。馬鹿なヤツだ」
「……うん」
「短剣をククリで弾いて、アッサリ返り討ちにしてやったよ」
「そうなんニャ」
「ゴブリンは、本当に弱かったよ。巨大蟹のほうが、よっぽど強敵だった。拍子抜けだよ。これなら10匹、いや、30匹を一度に相手しても、余裕で切り抜けられそうだ。尤も、オークはゴブリンよりもはるかに手強いらしいんだけどね。今度は、オークと戦わせてもらおうかな? ギルドは、オークも多数捕らえているんだ。どっちみち、冒険者になったらオークとはそのうちやり合うことになるだろうし、実戦練習として……」
「サブロー」
「なんだい? ミーア」
「サブロー、辛いのかにゃ?」
「…………辛い」
「苦しいのかにゃ?」
「…………苦しい」
「後悔しているのかにゃ?」
「………………後悔は、していないよ」
「そうニャ」
「ミーア。冒険者になるって言うのは、そういうことだったんだ。モンスターではあっても、言葉を喋る相手を殺す。自分の考えを伝えることが出来て、相手の意思を把握することも出来る。そんな生き物の息の根を止める。人型モンスターばかりじゃない。場合によっては、人間や獣人といったヒューマンの命も奪わなくちゃならない。護衛すべき対象が居て、もしも人間の盗賊が襲ってきたら、手加減することは許されない」
「…………」
「ついさっきまで生きていた、息をしていた、話をしていた……命あるモノが、肉塊に、ただの物体になる。変えたのは、僕だ。僕の刀だ。もう2度と息をしない。もう2度と話さない。もう2度と心臓は動かない」
熱に浮かされているとしか思えない様子で呟き続けるサブロー。彼はミーアの胸へ、より強く己が頭部を押し付けてきた。
少女の鼓動を、一音たりとも聞き逃すまいとするかのように。
(にゃんか、サブロー……子供みたい)
ミーアにとって、サブローは憧れの存在だった。武術と魔法の達人。側に居てくれるだけで安心できる。頼もしい。全てにおいて信じられる。まるで、ヒーロー。
そんなサブローが、いまミーアに縋りついている。ミーアの腕の中に収まっている。ミーアへ向かって弱音を吐いている。
それが、堪らなく嬉しい。
サブローが、自分を頼ってくれている。サブローが、自分を必要としてくれている――――
「サブロー。アタシは、ココに居るニャ」
正直、ミーアにはサブローが何に悩んでいるのか今ひとつ理解できない。
馬車を襲った賊たちを倒した際にサブローが動揺したのは、分かる。あの折は、相手が人間だったのだ。
でも、今回はゴブリン。
言葉を話すと言っても、所詮はモンスターに過ぎない。
ミーアの父親のダガルは『今日は、森をうろついていたゴブリンを3匹退治してきたぞニャ』などと誇らしげに述べたりしていたものだ。ミーアを含めた家族全員、そんな父を素直に称賛した。
ゴブリンやオークは、生きているだけで害だ。
見付けたら駆除するのは、むしろ冒険者としての義務ではないのか?
けれど、サブローはゴブリンを殺し、ショックを受けている。
そんなサブローに、ミーアは失望しない。
サブローを軟弱だとも、臆病者だとも思わない。
だって、ミーアは知っている。
サブローの強さを。
サブローの勇気を。
サブローの優しさを。
「サブロー、アタシはズッと一緒に居るニャ。サブローと、冒険者になるにゃ」
「ミーア……冒険者になったら、いずれミーアも……」
口籠もるサブローに、ミーアは元気よく明日への希望を語る。
「スナザ叔母さんみたいな立派な冒険者になるにょが、アタシの目標にゃ!」
「ミーア……」
「アタシ、頑張るニャン。サブローの足手まといにならニャいように」
「……そうだね、僕も頑張るよ。いざという時、ちゃんとミーアを守れるように」
頭を起こしたサブローは、その顔に微笑みを浮かべていた。
「サブローは今日、いっぱいいっぱい働いたのにゃ。努力したのニャ。奮闘したのニャ。だから、こうするニャン」
ミーアはサブローの身体を引き寄せ、彼の頭を自分の両腿の上に載っけた。いわゆる、膝枕だ。
「ミ、ミーア」
「サブロー。目をつぶって、少しだけお休みするにゃ」
「……ありがとう、ミーア」
サブローは目を閉じ、そしてクスクスと笑い出す。
「どうかしたニョ?」
「ミーアは、やっぱり猫族なんだね。膝枕をしてもらっても、毛並みの感触が……」
「気になるかにゃ? 短パンはやめて、長ズボンにするニャン」
「そんな、勿体ない! むしろ、心地良いよ。サラサラでフサフサでモコモコだ」
「サブローが何か意味不明なこと、言ってるにゃん」
「あ~、コマピさんがミーア信者になった原因……ホンのちょっぴり分かった感じ」
「そこは、分からなくても良いニョ」
夕日が差し込む待合室で、サブローとミーアは僅かな間、2人きりの時を過ごした。