カラーマン=コマピ
スケネーコマピさんが勧めてくる『マコルさん謹製の福音書』を、読む。
ちなみに〝福音〟とは〝喜ばしい知らせ〟という意味である。新約聖書の中では、〝イエス・キリストの教えや生涯を表す言葉〟として用いられており、『マルコによる福音書』なる一編も存在する。
となると、現在僕の手元にあるこの書簡は『マコルによる福音書』と呼ぶべきなのかな? ……ただの推薦状のはずなのに、宗教色がハンパないね。
マコルさんとスケネーコマピさんの頭の中身が心配だ。
ついでに、こんな怪しげな文章に見入っている自分自身の精神の行く末も心配だ。
『マコルによる福音書』の記述は、マコルさんたちが獣人の森で僕やミーアと出会った場面から始まる。
延々と続く、ミーアへの賛美。
ところどころ、緊迫した描写も入る。例えば、以下の一節。
『貴き乙女と、その乙女を守らんとする少女
悪漢に襲わりき
我ら、足が竦んで動けず
恥ずべきことに、見捨てんとす
されど、その時
ミーアちゃん、我らに、向かうべき道を指し示しけり
〝恐れるにゃ、行くのニャ。行って、乙女と少女を救うべし〟
我らの心、勇気で満ち溢れ
ミーアちゃん第1の従者と、我らのうちの最も猛き者
悪漢を打ち倒し、乙女と少女を救えり
悪漢にトドメを刺さんとする我ら
ミーアちゃん、我らを制して述べたまえけり
〝悪しき命も、命であることに変わりにゃし、奪うべからず〟
ミーアちゃんの慈愛に接し、我ら感泣すること限り無し』
…………………………え~と、これって、街道で賊どもの襲撃に遭っていたフィコマシー様とシエナさんを助けた出来事の回想だよね。
そうか、マコルさんの頭の中では、あの件はこのように記憶されているのか。
まぁ、概ね間違いはないが……イヤ、ちょっと待て。〝我らのうちの最も猛き者〟って、モナムさんだよね。モナムさんは、行商人の皆さんの中で特に武芸に優れていて護衛的なポジションだったし。
なら、この〝ミーアちゃん第1の従者〟とは僕!?
う~む。そうか……マコルさんから見て、僕は〝ミーアの従者〟なのか。でも、〝第1の従者〟と言ってくれてるし、むしろ喜ぶべきなのかな……?
迷うところである。
推薦状の中で、ミーアは〝神聖〟〝尊貴〟〝高潔〟〝可憐〟〝珠玉〟〝恩寵〟〝癒し〟などといった表現によって褒めちぎられていた。
ミーアは人間語は随分上手になったが、まだ文章記述には不慣れだ。従って、推薦状の内容については知らない。
それだけが、救いか……。
同じケモナーであっても、マコルさんはバンヤルくんよりはるかにマトモだと思っていたので、推薦状の文面チェックを怠ってしまった。
これは、僕のミスだ。
しかし、考えてみれば、フィコマシー様が書いてくれた僕のための推薦状に関しても、テキスト確認を念入りにした訳じゃない。フィコマシー様は信頼に値する方だし、わざわざ検めるのも失礼かな? と思ったし……。けど『マコルによる福音書』を実見した今となっては、少しだけ不安。
スケネービットさんに提出した後なので、今更、気にしても遅いが。
フィコマシー様は推薦状を書き上げたあと、満足そうにされつつもチョッピリ照れてたな……どんな言葉を、綴ってくださったんだろう?
よもや、『サブローさんはモブっぽいですが、モブなりに、モブ的活躍をすると思います』なんて記述では……?
それにしても、マコルさんのこの妄想……いや、ミーアのために一生懸命したためてくれたであろう推薦状、妙に説き伏せてくるパワーがあると言うか、魔的な吸引力があると言うか、読んでいるうちに紙面へ引き込まれてしまう文章だね……ミーア……ミーアちゃん……ミーアさん……ミーア様。
「サブロー、サブロー」
「なんですか? ミーア様」
「サブロー、にゃんか眼がグルグルしてるけど大丈夫なのニャ? あと、サブローまでアタシのことを変な風に呼ばないで欲しいのニャ」
ミーアが縋るような口調で話しかけてくる。
そうだね! ミーアは僕にとって、〝貴きミーア様〟では無い。〝いつも隣に居てくれるミーア〟だ。
一方、〝ミーア様〟を敬仰してやまないスケネーコマピさんは、双子の姉であるスケネービットさんと同僚のゴンタムさんによる説得攻勢を受けていた。
「コマピ。貴方のミーアさんに対する思慕の念は理解したわ。けれど、貴方はギルド職員なのよ。特定の個人を贔屓にしてはいけないわ」
「そうだぞ、スケネーコマピ。職務に私情を持ち込んではダメだ」
「姉さんもゴンタムも、分かっていません! 僕は今まで、真摯に勤めに励んできました。その結果、咬まれたり、巻かれたり、折られたり、ひっ掻かれたり、囓られたり、砕かれたり、絶叫させられたり、窒息させられたり……思い出すのもおぞましい過酷な体験を、10日に1回のペースで強いられてきたんです!」
え?
「でも、ミーア様は他の獣人少女と全く違いました! 僕の誘惑を撥ねのける強い心、それでいてあの無邪気な微笑み、気高くも愛くるしい仕草……まさしく感動! 解放される精神! 魂の充足! 僕の心は震えた……」
…………。
「そんな奇跡の瞬間に、更なる啓示が。光栄にも、教祖様の手になる福音書を閲覧する機会を賜ったのです。そして、僕は悟りました。ミーア様こそ光、ミーア様こそ恵み、ミーア様こそ救世主であると!」
僕も、獣人の森でミーアのことを〝女神〟と思った覚えはある。
しかし、コマピさん。いくら何でも〝救世主〟はマズいでしょ。
さすがの僕も、ミーアを〝救世主〟呼びした過去は無いよ。無い……はず……だよね?
やや、心許ない。
※注 実はサブローは一度だけ、ミーアを〝救世主〟と心の中で呼んだことがあります(2章参照)。
……けど、少し分かってきたぞ。
スケネーコマピさんは、冒険者ギルドの面接担当官だ。
新人採用に関する業務の一環で、将来性に見込みがある少女たちの人格調査を行ってきた。方法は、色仕掛け。
エルフは、ただでさえ異種族から好意を寄せられる存在だ。
加えてコマピさんは男性なのに、色気過多。
ハンサムなのだ。
色男なのだ。
カラーマンなのだ。
さぞや、少女たちから熱烈なアプローチを受けたに違いない。しかし、コマピさんにとって、それは不本意な成り行きだったのだ。
とりわけ、獣人少女の愛情表現は苛烈さを極めて……コマピさんは身も心も疲れ切っていた。と言うか、壊れてきていた。
ビットさんも、姉なら少しはフォローしてやれよ!
クレーム受付係をやらされているサラリーマンのような立場のコマピさん。超過勤務手当なしで過重労働を課される日々。
そんな彼のもとへ、ミーアが現れる。
自分の誘いに全く靡かないミーア。
自然体で接してくるミーア。
可愛いミーア。
天使降臨。
コマピさんの心は、とても安らいだことだろう。
別に異性的な関心は無くとも、彼がミーアに好感を抱いてしまったとしても不思議では無い。
そこへ、『マコルによる福音書』の登場だ。
マコルさんが滔々と語る〝ミーアへの熱い想い〟が、コマピさんの弱った心に流れ込んだのだ。乾いた砂地に雨水が染みこんでいくような容易さで、コマピさんは〝ミーア信者〟となってしまった。
猫族少女に心を救われたエルフの青年(推定100歳。正確な年齢は不明)。介添え役は、ケモナー商人。
迷える人が霊感を受けて信仰の道に入る宗教ストーリー。
劇的要素は満載なのに、ちっとも興味を惹かれない。
登場人物の思考が、トンチキでアンポンタン過ぎるせいかな?
あ、ミーアの配役は神様なので、登場〝人物〟じゃ無いよ。
頑なにミーアへの信心を捨てようとしないコンコンチキなコマピさんを、ゴンタムさんとビットさんは持て余し気味だ。
「これだけ言っても、納得してもらえないとは……」とゴンタムさん。
「仕方無いわね」とビットさん。
まさか、説得を諦めるのか? そんな! 狂信者を放置するなんて、いつ暴走してしまうか分かったもんじゃない!
責任を持って、ちゃんと地雷処理してください。
ビットさんが、決意を秘めた表情で言い放つ。
「身体に直接、忠告を刻み込むしか無いわ」
全然、諦めてはいなかった。
ビットさんは僕に「少しの間だけ、ミーアさんと待っていてね」と言い含めると、ゴンタムさんと協力し合ってコマピさんをふん縛り(その縄、どこから出したんですか?)、部屋の外へと引きずっていった。
直後、扉を開閉する音が廊下より響いてくる。
ビットさんたちは、コマピさんを隣室へ連れ込んだようだ。
壁を通して、打撃音とコマピさんの悲痛な叫びが隣の部屋より漏れ聞こえてくる。
ドカ! バキ! 「僕に『背教者になれ』と言うんですか!」
是非、棄教してくれ。神も、迷惑してます。
ボコ! グシャ! 「僕は負けません!」
負けてくれ。
ベチ! ドゴゴン! 「僕は屈しません!」
屈してくれ。尺取り虫なみに、屈してくれ。
コマピさんの悲鳴に混じって、ゴンタムさんやビットさんの気合いがこもった掛け声も聞こえるな。「熊パーンチ!」とか「エルフキック!」とか。
熊にパンチされるエルフ、惨い。
姉にキックされる弟、哀れ。
「サブロー、いったい何が起こっているのニャ。アタシにも、よく分かるように教えて欲しいニャン」
事態の展開に付いていけないミーアが、僕へ問いかけてくる。
「良いんだよ。ミーアは、知らないままでいて」
僕はミーアを安心させるべく、なるだけ優しい声で言い聞かせた。
そうです。〝神〟は、下界の雑事に関わってはいけないのです。
やがて、ビットさんたちが戻ってきた。
コマピさんは、もう拘束されてはいない。
但し、その顔はボコボコになっていた。新築の如き端正な麗しさを誇示していたコマピさんのイケ面は、廃墟同然の有り様へと変容している。
コマピさんの青白い肌。
透きとおるような美しさだったのに、もはや見る影も無い。そこかしこが、赤く腫れ上がったり、黒く鬱血した状態だ。
まだら模様である。
カラフルすぎて、気の毒だ。
これがホントの色男。
入室するや、カラーマン=コマピはミーアの前に跪いた。
「にゃ?」
「申し訳ありません、ミーア様。横暴な姉と凶悪な熊により、表だった信仰表明を禁止されてしまいました。これからは、〝隠れミーア教徒〟となって生きていきます。殉教への道を歩めなかった、心弱き信徒をお許しください」
「にゃ? ニョ!? にゃにがニャンだかサッパリ分からにゃいけど、もちろん許すにゃ」
「おお! やはりミーア様は慈悲深い。至高の女神……」
〝ミーア教〟とか〝殉教〟とか〝信徒〟とかヤバ気な単語が、コマピさんの口からスルスルと滑り出てくる。
『もう、コイツ、ダメじゃね?』とビットさんへ憐憫の眼差しを向けると、彼女は『私は、決して弟を見捨てたりなんかしない! 私は家族を大切にする女なの!』と強い眼光で僕を見返してきた。
スケネービットさん、貴方、先程はその〝大切な弟〟に隣室で容赦なくキックを喰らわしていたようですけど。
姉が弟に語りかける。
「ねぇ、コマピ。ベスナーク王国では、賢王メリアベス2世陛下のおかげで、信仰の自由は保障されているの。だから、お姉ちゃんは、貴方が〝ミーア教徒〟になるのを引き留めはしないわ」
引き留めろよ!!!
ゴンタムさんが、苦々しい口調で呟く。
「自分としては、メリアベス陛下にセルロド教を禁止して欲しいのだがな。セルロド教は前から問題の多い教えだったが、ここ数年は教徒の行いが過激化する一方だ」
ゴンタムさんは、熊族だ。
人間至上主義を掲げ、獣人差別を当然視するセルロド教は、嫌悪の対象だろう。
しかも近年、セルロド教は教義の偏り具合をより一層先鋭化させているらしい。
気になる情報だな。
ビッチとこまし……では無く、ビットさんとコマピさんの姉弟問答は膠着状況に陥っている。
「ただ、ギルド内でミーアさんを特別視することを止めてほしいだけ」と要望する姉。
「しかし、神と人とを同列に扱う訳には……」と苦悶する弟。
ここで、ゴンタムさんがミーアへ質問した。
「ミーアは、冒険者ギルドで格別な待遇を受けたいのかな?」
純真で真面目なミーアは「依怙贔屓されるのはイヤにゃん! 他の人たちと同じように扱ってくださいニャ」と答える。
ミーアの発言を受けて、コマピさんは即座に「了解しました。ミーア様のご意向に従います」と承服した。
神の威光は、信徒へ抜群の影響力を持っていた。
その後、僕とミーアはビットさんたちと1ヒモク(1時間)ほど質疑応答を交わした。
主に、ウェステニラの社会情勢に関する見解を問いただされる。
ミーアは素直に、〝知っていることは知っている。知らないことは知らない〟と述べる。
僕は、慎重に言辞を選択した。
王国や貴族階級への批判はしない。全ての種族(魔族とモンスターは除く)へ友好的な言及をする。更に、さりげなくナルドットの街を褒めたり、冒険者ギルドの対応力の高さに感心したりと、ヨイショに努めた。
ゴマすりと美辞麗句は、面接合格の基本。
「なるほど、2人とも賢いな。特にサブローは、一歩間違えると詐欺師になりかねないほど口と頭が回る」
ゴンタムさんがフムフムと頷く。
なな! 誤解です、ゴンタムさん!
僕は、道端に落ちてる10円玉を交番にちゃんと届けるほどの正直者なんですよ。100円玉や500円玉は……拾っても、届けるのをちょっとだけ躊躇しちゃいますが。ちなみにお札を見付けたら、ビビって全速力で届けます。
「現時点での、仮登録期間についての私の見立てを述べるわね。サブローくんは半月、ミーアさんは1ヶ月というところよ」とビットさん。
半月か……。
「もう少し、短く出来ませんか?」
「出来るわよ」
僕の問い合わせに対し、ビットさんは打てば響くように言葉を返してきた。
「登録志願者は、望めば武術の試験を受けられるわ。そこで自分の実力を示すことが出来たら、仮登録期間を大幅短縮することも可能よ。サブローくん、ミーアさん、どうする? チャレンジしてみる?」
「無論、受けます!」
「やるニャ!」
僕とミーアは、声を揃えて挑戦の意志を示した。
お金を拾ったら、交番へ届けましょう。