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GNN


朝6時、HND空港、最近就航した合衆国からの直行便から、一人の女性が到着ゲートに姿を現す。


「この暑さ・・・久しぶりね・・・」


セミロングの金髪にサングラス、キャリーケースを引き颯爽と歩く。190cm以上はある長身。ノースリーブから覗く引き締まった腕は白くまぶしい。年齢は20代後半に見える。保安検査を終えた彼女は一人の日本人女性が掲げるサインに気が付く。


<Miss. R. Bass / R.バース様>


「あなたが岡田さん?」


「はい。バース社長ですね?お会いできて光栄です。岡田文と申します。国際電話で数回、お話しさせていただいたことがあります」


「レイチェルと呼んで。ファミリーネームで呼ばれるのは好きではないの」


「承知しました。長時間のフライト、お疲れでしょう。滞在先のお住まいに向かいますか?」


「このままオフィスに。今寝ても、ジェットラグを引きずるだけだし、それほど疲れてないから」


レイチェルと名乗った女性は、ほぼ完ぺきな日本語で会話を交わしたのち、彼女の新しい部下に荷物を預け黒塗りの高級車の後部座席に乗り込む。


彼女は世界的なニュースチャンネルGNNグローバルニュースネットワークの創設者デイジー・バースの21人いる一族の一人である。


GNNは世界的に有名な24時間ニュース専門放送局である。しかし、一定の視聴者規模があるはずのこの国のケーブルテレビ業界において、GNNは苦戦を強いられている。

視聴占有率は低く、ホテルなど限られた施設での外国人向けのチャンネル、といった程度の認識しか得られていない。このためケーブルテレビ局からは足元を見られ、低い放送権料に抑えられている。


レイチェルは、この状況を打開するため、新たにGNN-Japonの現地法人社長として赴任してきた。


彼女の母親、エマ・バースは、最近まで軍人だった。退役後、GNNの軍事専門解説員に就任したが、現役中は、長くヨコスカ・ベース司令官としてこの国に滞在した。そのとき、この国の独特の文化に魅せられ、あえて、ベース外の大学に進学したレイチェルは、この国の言葉と気象学博士号を取得し帰国した。


今回、彼女に社長の白羽の矢が立った理由は、表向き彼女の経験と語学能力を買われてのことだ。赴任にあたっては、一定の成果を出すまでは、長期にわたる赴任も覚悟することが言い渡されていた。


彼女には目算があった。GNNが販売するチャンネルは、ほとんど合衆国で制作されており、本来現地の情報を示すべき気象予報まで、合衆国向けの内容となっている。これでは視聴者獲得は難しい。しかし、独自のニュースプログラムを準備するほどGNN-Japonに能力はない。それは、アジア地区ヘッドクオーターのGNN-Hongkuonの仕事だ。

だが、気象予報については、視聴者の地域に根差したプログラムにしないと意味がない。


彼女は現地法人社長就任にあたり、現地視聴者向けの気象予報のプログラムをGNN-Japon独自に制作する許可と予算を得てきた。当面の彼女の仕事は、GNN-Japonに気象予報番組を制作できるだけの組織と施設をゼロから立ち上げることだ。


目指す気象番組は、極めて専門的で、様々な職業のプロ(例えばパイロットや航海士など)の視聴にも耐えうるほどの情報量を備えた、国内随一の専門的気象情報プログラムだ。これを武器に、劣勢に立たされている放映権価格の交渉に弾みをつけるのがレイチェルの狙いだ。


彼女は並々ならぬ決意をもって今回の赴任に臨んだ。4人いる彼女の姉妹はいずれもGNN内では冷遇されていた。彼女の母親が親の期待に背き海軍士官学校に進学したことがその原因だ。3代にわたりGNNに尽くしてきた叔母・従妹にすればレイチェル達は血がつながっただけの新参者にすぎない。


GNN本社は英語を基本言語とするニュースチャンネルをこの国で広げることに限界を感じており、今回の任務が実を結ぶことをまったく期待していなかった。達成が不可能とも思える任務と最低限の予算と共に、バース一族の将来の出世争いに邪魔者となるレイチェルを、極東の島国に押し込める言い訳として今回の措置をとったのだ。


だが、レイチェルは今回の措置を好機ととらえている。そもそもこの国を気に入ったからこそベース外の大学に進学したのだ。滞在は少しも苦痛ではない。現地の視聴者と正面から向き合えば、視聴者は必ず増える。それに、この国の航空宇宙局は他国では入手不可能なほどアジア広域にわたる質の高い気象情報を提供しており、気象情報番組ならGNN-Hongkuonに勝るだけのプログラムを制作する自信があったのだ。


時刻は早朝8時前、人の少ないGNN-Japonオフィスの社長室に着いたレイチェルは、テレビをつける。チャンネルを変えるうち、天気予報らしき番組を見つけ、一人の少年に目が行く。


「どうしてこんな男の子が放送を?」


レイチェルにお茶を入れている岡田が答える。


「あ!その子はこの国では有名なお天気キャスターですよ。確か今年19歳になる子で、こう見えて正式な予報士ライセンスを持っているんです。

可愛いですよね?」


「今年19歳?中学生ぐらいに見えたわ。確かにかわいいわね。よくこんな子がライセンスを取得できたわね」


番組では、その少年が必死に女性出演者に対して何かの説明を行っている。その表情に強い保護欲を掻き立てられるレイチェル。


『・・・ということで、2つ以上の台風が100㎞以下の距離で近接する場合は、互いに引き寄せられたり、逆に離れたり、あるいは互いに動かなくなったりと、とても複雑な動きをすることがあるんです。』


『何よ、くっついたり離れたりって。磁石じゃあるまいし、おかしいじゃない?どういうこと?』


『この効果は水面に渦が複数ある時の動きと似ていて、とても複雑な動きをすることが分かっています。現時点でこれらをうまく模擬する数値計算プログラムの開発は困難な状況です。したがって、複数の台風が接近しているときには・・・』


彼の説明に聞き入るうちに、レイチェルはその内容に驚愕する。


「これ・・・フジワラ・イフェクトの説明?

・・・まさか・・・なぜそんなことを高々5分ぐらいの放送で説明するの?」


「なんですか?フジワラ・イフェクトって?」


「台風間相互作用の専門用語よ」


レイチェルは無言で暫し少年の説明に聞き入る。正直、予報士としての実力はまだ半人前だ。だが、必死に理解してもらおうと説明する彼の表情に魅せられる。自分にもまだこんな感情があったのだ。


彼の魅力にすっかり取り込まれたレイチェルは、画面から目を離すことなく岡田に命令を下した。


「岡田さん、急いで彼について詳しく調べてちょうだい。すぐに彼に会いにいきましょう」


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