ドルフィンとクジラ
久しぶりに解析部からの呼び出しを受け、田尾洋子は今年も忙しい季節の到来を感じた。
おそらく、南の太平洋で最近、連続して発生した2つの台風のことだろう。
運用第二チームのリーダーだったころは、所属キャスターの派遣契約に関する業務などに追われ、予報に関する議論に参加する機会は限られていた。
現在は特別運用チームのリーダーとなり、チームに所属するお天気キャスターは雪緒君ただ一人。
おかげで、契約関連の雑多な業務から解放され、最近は予報そのものにかかわる時間を持てるようになった。これこそ、気象予報会社の醍醐味だと思う。
会議室に顔を出すと、すでに解析部隊の主要メンバーと運用第1チームリーダーの宇野、それに田尾の後任の新第二運用チームリーダーの彦野がいた。
田尾の到着を見て、解析部の仁村チーフスペシャリスト(CS)が切り出す。
「さて、みんな揃ったわね。もう、分ってると思うけど、先週、発生した2つの台風、“ドルフィン”(17号)と“クジラ”(18号)について、現状の私たちの認識を共有させていただくわ。手元の資料の1ページは現在の雲、海水温と気圧、2ページは5年前の迷走台風が発生したときのほぼ同じタイミングの情報よ」
図を見て彦野が切り出す。
「似てますね。やはりこれは難しいことになりそうですね」
「“藤原効果”ね」
宇野が返す。“藤原効果”とは、近くに複数の台風があるときに、それらが関係して起こる現象のことであり、迷走台風を生む原因の一つである。専門家の間では知られているが、現在、この国の気象庁では一般向けの資料では使用が控えられている用語の一つだ。
続けて仁村CS。
「例年だったら通常の解析体制で、しばらくは様子見をするところだけど、今年は特別だから。計算機リソースの確保も含めて、周到に対応するつもりよ」
うん?何が特別なんだ?
「ちょっと田尾、あなた、どうしてこの時期に私たちがこうやって集まったと思ってるの?」
え?台風が迷走しそうだから、皆で今後に備えようってことでしょ?
「・・・もう。あなた、特別チームのリーダーなんだから、もうちょっと雪ちゃんのこと、考えてあげて」
雪緒君のこと?
「台風が迷走したら、あのオバサン、どうすると思う?」
・・・ああ・・・まずいな。
「きっと、あの手この手で雪ちゃんのことイジメるわよ。だからこうして、集まってウチが使える計算機資産の確保と大規模計算の投入タイミング、当社の台風予報の公表タイミングをすり合わせましょうってことで集まってるのよ。しっかりしてね!」
確かに。宇野の言うとおりだな。そうなんだけど、どうして宇野と彦野も?
「田尾さん、篠塚さん一人が台風予報の時期を遅らせたら、あのオバサンすぐ気づきますよ。ここは、当社のすべての予報士が足並みをそろえて出来るだけ確実な時期に予報を公表すべきと思います」
そりゃ助かる。いろいろ気を使ってもらって済まないね。
「いいえ。私のところの第二チーム所属の予報士全員、篠塚さんのファンですし、宇野さんのチームも同じですので、これはわが社の全予報士の総意でもあります。とにかく今度のドルフィンとクジラの迷走から、なんとかわが社唯一の男性予報士を守りたいと思ってるんです」
「そうよ!もう絶対あのオバサンの好きにはさせないんだから!さあ、仁村CS!今年は5年前とは違うんでしょうね?」
宇野よ、鼻息荒いね。よっぽど北別府さんのことが嫌いなんだね。その割には、先日の女装時の映像記録、DVDでよこせって言ってたけど、あれは許しちゃうわけ?
「あれはいいの!いやよくない!仁村さん、早く話、進めて!!」
おい!どっちだ?いいのか?
「私たちも、雪ちゃん命であることに変わりないわ。今年はこれまで研究してきたバイアス法を適用するつもりよ。この手法は・・・」
*****
解析部の連中はひとしきり彼女らの覚悟を表明したのち、会議室から引き揚げていった。
気づいたら部屋には宇野と田尾だけが残っており、宇野が口を開く。
「まあ、解析屋さんには可能な限り頑張ってもらうしかないけど、やっぱりむつかしいわね。あれだけ接近した状況で予測は困難だわ」
「そうだね」
「で、どうするつもり?」
「さて、どうしたものか」
「・・・のんきなものね。雪ちゃんが責められてもよいの?」
「よくはないさ。でもあのオバサンの言うことには一理ある。確率50%と言われても、一般の人に価値はないよ。単なる気圧配置図の解説だ」
「予報と予言は違うわ。現状が五分五分の状態にあることを正しく伝えることは意味があるわ。それをするのが予報士よ」
「その通り。一般人代表のあのオバサンキャスターに言いくるめられている時点で、予報士としては力不足なんだ。私は雪緒君が責められることは悔しいけど、それは自分たちの力不足に対する悔しさだと思ってる。うちのチームの3人は毎日必死で頑張っている。目に見えて成長してるよ」
「・・・その懐の深さ、あなたらしいわね。成長はうれしいことだけど、私は彼の涙は見たくないわよ。フォローは頼んだわよ」
宇野も会議室を後にする。言われなくてもそのつもりだ。
田尾は一人、会議室に残り、解析チームが示した2つの台風が映る衛星写真を見ながら、これからの予報をどうするか考える。
だが、いくら考えても、答えは得られなかった。




