飾られた写真
目が覚めた次の日の午前。
僕は脳を専門とする先生の診察を受けた。30分近くの時間をかけて行われた診察の結果は、高木先生の見立て通り突発性の記憶障害。
お昼頃にはさすがの僕もこの世界について気付き始める。これは単なる異世界転移とか転生とかそういうものではなさそうだ。なぜならこの病院、先生は女医さんばかり。それどころか、移動中に見かける患者さんやその家族も殆どが背の高い女性だ。そのうえ彼女たちの視線はとても奇妙だ。僕が視界に入る間はほぼ全員がこちらを凝視してきてとても不安な気分にさせる。
朝、歯を磨くときに鏡を見て若干、若返っていることには驚いたけど、基本的に外見は変わっていない。僕自身はそれほどイケメンというわけではなく、特徴のない醤油顔の普通の男だと思うけど・・・。
ケータイ小説が好きな僕は、すでに転移状態を受け入れていた。というか、受け入れる以外に選択肢がないのだけど。加えて、徐々にこの世界の異常さについても察し始める。帰宅したらよく調べる必要がありそうだ。
しかし、返す返すも許せないのは気象予報士試験に合格した事実が恐らくリセットされたことだ。あんなに勉強したのに無かった事になってしまった。でも夢はあきらめきれない。幸い勉強して身に着けた気象関係の記憶や知識、技能が失われていないことはなんとなく分かる。できれば、もう一度チャレンジしたい。ていうか、この世界でも、気象予報士の試験ってあるのか?帰ったら、それも調べないと。
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「色々とありがとうございました」
敏子さんと泪さんが、高木先生に別れのあいさつをする。僕も頭を下げる。
「退院できてよかったですね。今日は木曜日ですが、今週はゆっくり、家で休んでください。1週間ほどしたら、念のためもう一度診察しましょう」
高木先生と目が覚めた時に面倒を見てくれた看護師さんを中心に、関係者の方々に見送られ病院を後にする。見送りは全員女性だ。かなり名残惜しそうにしてくれている。
「さあ、雪ちゃん、帰ろうか。車、駐車場に駐めてあるから」
「母さん、私が運転するよ。安全第一だからね」
「何?泪は私の運転が信用できないの?これでもゴールド免許なのよ!!」
「母さん、雪緒のことが気になって運転に身が入らないでしょう?だったら私のほうが良いよ」
「ふーん・・・・ま、それもそうね。じゃ、よろしくね」
敏子さんは車のキーを泪さんに渡し僕の隣の後部座席に座る。ようやく帰宅か。でも少しも楽しみと思えない。僕の家は前の世界の一人暮らしのワンルームか田舎の実家であって、今から連れて行ってもらう所は、多分、知らない家だ。せっかく退院したのに・・・なんだろうこの残念な感覚。
「家に帰ったらお昼ごはん食べましょうか。雪ちゃん、何か食べたいものある?」
「いえ。なんでもいいです」
正直に言うと、全然、食欲はない。
「「・・・」」
ほら。会話も弾まないし。
二人とも心配そうな感じで僕を見てくる。ちょっと申し訳ない。でも、正直、昨日会ったばかりの人たちと、すぐに家族同様に会話なんてできない。僕にとっての母さんと姉さんは、前の世界にいる。まあ、名前は同じでほんの少し似た雰囲気はあるけど。
「雪緒、もう着くよ」
後部座席で窓の外を眺めていると泪さんが声をかけてきた。病院から15分ほど、周りは閑静な住宅街。家ってどれかな?・・・せめて前の実家に似ているといいけど。あの雰囲気なら帰ってきたって感じがするし。
「ほら、雪ちゃん、あれが我が家よ。どう? 何か思い出すことある?」
敏子さんが示す家を見る。だめだ。全然、実家には似てない。都会の住宅街の立派な一戸建てで、駐車場も並列で2台。実家はもっと庶民風な家だよ。二人に気づかれないようにため息をつく。
「いえ。・・・すみません」
「まあ、焦る必要はないさ。ちょっと待ってね。止めるから」
家の前の駐車場に車をバックさせる泪さん。その恰好は様になっており男前だ。駐車後、車を降りた僕たちは、敏子さんを先頭に立派な玄関から家に入る。
「お邪魔します」
「ここはあなたの家なのだから ”ただいま” よ、雪ちゃん」
思わず口をついて出た言葉に敏子さんに軽く指摘される。
「さて、ひとまずリビングでお茶でも飲む? お母さん、食事の準備でもしようかしら?」
「そうだね。もう一時半だし。お腹空いたね」
二人の後について初めて見るリビングルームに行く。開放感があり広くて綺麗な見知らぬリビング。
「ラーメンでもよい?それならすぐできるよ?」
「はい。お願いします(お腹、空いてないけど)」
「母さん、ラーメンなら私が作るよ。それよりも、雪緒を部屋に案内してあげたら?いろいろあって疲れているだろうし。食事の準備ができるまで、自分の部屋で一人にしてあげたらどう?」
「じゃあ、泪、ラーメンお願い。雪ちゃん、お部屋に行こうか?」
泪さんの心遣いや敏子さんの優しさはとても有難いのだけど。正直、全く帰宅した感じはしないし、実際、疲れてもいる。できれば少しでも一人になりたい。
「ここが雪ちゃんの部屋よ」
通された部屋を見る。ベッドと勉強机に小さな棚があり、さっぱりとしていた。壁にはクローゼットがある。ベッドのわきの壁に貼られた大きな写真に目が行く。
え?・・・この写真・・・
「あ、この写真、わかるの?好きだったものね」
敏子さんが何か喋っている。でも、今の僕にはほとんど聞こえない。この写真。これは僕が大好きで、前の世界でも部屋に貼っていたものだ。
「この写真、あなたが自分で撮ったのよ?何か思い出す?」
そう、僕もだ。それほど高価ではないコンパクトデジタルカメラで、趣味の空の写真を撮っていたのだ。そして、お気に入りの1枚を大きく引き伸ばして、部屋の壁に飾っていた。よく見ると微妙に違うけど、構図はほとんど同じだ。
・・・・・そうか。分かったよ。
僕はこの世界の「僕」のことは知らない。
だけど、確かに君と僕にはつながりがあった。
その風景は僕が大好きだった幻想的な<天使のはしご>だった。