初出社
4月1日、僕のジャポン・ウェザー・ニュース社(JWN社)の入社日。
僕はいま、新しいスーツを着て瞳ちゃんと一緒に駅に向かっている。要らないって言ったんだけど大学の入学式が10時からで暇らしくて駅までついて来てくれた。緊張しているから本当はとてもありがたい。
この4月から僕たちは同じ大学の同級生になるはずだった。でも僕は高卒でJWN社の社員に、彼女はJWN社の企業奨学金を受け進学することになった。
3週間ほど前のあの日、JWN社の説明を聞いてすぐに僕の意思は固まっていた。会社が提示した条件に瞳ちゃんの件も含まれていたから、その場で返事はできなかったけど。
会社が提示してくれた条件はそれほど多くない。
・僕には高卒ですぐ就職して欲しい。
(入学取消しの手続きは会社が行う)
・3か月の研修後、民放のお天気キャスターとしてデビュー。
・給与・福利厚生はJWN社規定に従い高卒初任給。
(番組出演時は規定の手当てがつく)
・瞳ちゃんにもJWN社に就職してもらいたい。
当面は進学し就職時返済免除の奨学金を提供。
(今年から制度開始。瞳ちゃんが適用第1号)
報酬面では特別なことは何もない。でも僕の希望や瞳ちゃんの将来に配慮が感じられる。特に瞳ちゃんに対して当面は進学を勧めてくれたことが僕や彼女の家族の好感を呼んだ。田尾さんが考えてくれたらしい。僕達の事をちゃんと考えてくれた条件だと思う。会社にとってもきっと悪い話じゃない。瞳ちゃんはたった3か月で難関の気象予報士試験に合格するぐらい優秀なのだから。
瞳ちゃんは、この話を聞いたとき、進学に否定的だった。僕が就職するなら自分もすると言ったのだ。だけど田尾さんの説明を聞いて僕も瞳ちゃんは進学するほうが良いと思った。やっぱり学歴はあるに越したことはない。だから進学してほしいってお願いしたら折れてくれた。僕が強くお願いすると断り切れないって感じなのかな。
母さんも喜んでくれた。小さなお店を経営してきた母さんにとって、仕事をするならどんな業種でも業界の最大手に就職するのがリスクが低いと感じていたらしい。理由は国民性だって。良い意味でも悪い意味でも全体の利益を優先するので、何かあった時、小さい会社は見捨てられても大手は国が支援をするかららしい。だからJWN社が国内最大手と聞いたときから、よほど変な話でない限り僕の選択次第だと覚悟したみたい。
姉さんといえば、僕が就職希望を会社に伝えた以降、個人的に部長さんや田尾さんと連絡を取り合っているみたいだ。何を話しているのと聞いても詳しくは教えてくれない。本人曰く、友達らしい。ちなみに姉さんは、来月には司法試験を受ける。受かったらお祝いしなきゃね。
そんなことを考えて歩いていたら、駅について瞳ちゃんとお別れした。
気合を入れなおした僕は男性専用車両に乗り込んだ。
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田尾洋子は朝から気合が入っている。
いよいよ今日は彼の初出社の日だ。彼の家に説明に伺った翌日、以外にもあっさりと「よろしくお願いします」という電話が彼から直接あった。彼と単独で言葉を交わしたのはそれが最初だ。可愛い声にお姉さんはドキドキしたよ。これからこの子を受け入れ、たった3か月で生放送に出せるまで教育することを思うと強いプレッシャーも感じる。
得意先からは彼の売り出し方針を既に聞かされている。単に若さと可愛さを売りにするのではなく、新米男子お天気キャスターの成長過程もコンテンツとして重視しているとのこと。お茶の間の独身女性の母性本能を如何に掴むかも重要であり、擦れてないほうが良いらしい。正直、高卒3か月で1人前にするのは厳しいと思っていたけど、その方針なら何とかなるだろう。あの素直そうな話し方と笑顔さえあれば、お望み通り世の女性はイチコロだろう。まずは生放送で気を付けなければいけない最低限のルールと、話し方の教育が必要だ。
彼女自身は先日、新たな内示を受けていた。今日から発足する特別運用チームのチームリーダーとなる辞令だ。所属するお天気キャスターは雪緒君、唯一人。残りは彼のための教育係兼サポート2名と彼女自身の全部で4名の小さなチームだ。
彼の採用が決まり得意先は夏以降の長期大型の派遣契約をサインしてくれた。それを受け会社も彼の為に投資を決めた。小さなチームに個室が与えられ隣室には男子トイレまで準備されている。お天気キャスターはタレントに近く、急な衣装のフィッティング等もあり得ることを踏まえた対応だ。だが個室にした最大の理由は彼の過去を考慮してのこと。彼は過去に周囲からの視線に耐えられず登校できなくなった経緯があると報告があったためだ。大部屋で不特定多数の女性の視線に晒されるよりは気が休まると思う。
今、この真新しい特別チームの部屋では、田尾を含めた3名の女性社員が彼の初出社を待ち構えている。
田尾洋子TL(33歳)、木俣恵美SL(30歳)、立浪 薫(28歳)。田尾以外の二人は、今回、希望者全員に実施した適性検査に合格済みの安全・安心メンバーだ。それでも彼女たちの興奮は最高潮に達している。
一番興奮気味なのが若い立浪。ポニーテールが似合う元気なサラリーウーマンだ。彼女自身、この春までラジオでお天気コーナーを担当していた。たまたまこのタイミングで彼女の契約番組が終了することとなり契約は満了した。契約を切られたわけではないから不運ではあるが本人は気にしていない。むしろこのタイミングの契約満了は運命だと感じており彼の教育係兼サポートという新しい役割に気合十分だ。その立浪が笑顔で話しかけてくる。おい、顔がてかてかだぞ!昨晩はちゃんと眠れたのか?ま、仕方ないか。健康的でよろしい。
「田尾さん、もうすぐですよね。私、玄関まで迎えに行きましょうか?」
「彼には部屋の場所を知らせてあるし一人で来れるはず。お出迎えは甘やかしすぎだろう」
立浪ほどあからさまではないが木俣も興奮しているようだ。
彼女はメガネが似合う知的な雰囲気の女性で、運用第2チームの前サブリーダーとして田尾をサポートしていた。田尾がいなくなった後のチームリーダー候補だったが、こちらも彼の入社を知ると新しいチームでのサポート役を強く希望した。彼のインタビュー動画を見た瞬間に全身に電気が走るような衝撃があったらしく、彼の教育に命を懸けると部長に詰め寄ったらしい。その入れ込みようは少し心配だが、以前の彼女の働き具合を見るに大丈夫だろう。チーム全体をよく見てそつなく周りをサポートしていた。
私の視線に気づいた木俣がうれしそうに話しかけてくる。
「入社式の出席免除は英断と思います。おかげで彼の必要以上の露出も減るし無駄な時間も減るしで、いいことづくめではないでしょうか?私の経験でも、入社式をやってよかったことといえば、社長の顔を覚えたことぐらいです」
「あいかわらずの厳しい言葉だね。まあ、部長も思い切ったね」
そんなことを話していると、ノックされたドアが開く。
私たちは一斉にそちらを注目する。
「お早う」
「お早うって、なんだ、宇野じゃないか。何か用か?」
ドアを開けて顔を出したのは同期出世頭の宇野だ。その後ろから雪緒君も顔を出す。
「おはようございます。遅くなり申し訳ありません」
「あ!篠塚くうん、おはよう!大丈夫だよ。まだ始業前だから。さ、こちらへ。まずは自己紹介ね」
早速、立浪が食いつき自己紹介なんかを始めている。木俣も一緒だ。このあと彼に社員証などを渡すと共に社内の案内をする予定だ。木俣と立浪に任せればよいだろう。
このような説明は本来なら新入社員を集め人事部が実施すべきことだが、彼の研修は一般と異なるため我々のチームで実施することにした。ほかの新入社員と一緒に人事部に任せると、名刺の渡し方から始まる一般教育で丸々2週間つぶれてしまう。デビューまで3か月しかないのでのんびりとはしてられないのだ。
部屋に入った宇野が私に近づき小さな声で話しかけて来る。何だ?どうかしたか?
「どうして玄関に迎えに行ってあげないの?彼、会社の玄関前でナンパされて困ってたわよ」
「え?玄関の前でナンパ?!本当?」
「嘘言ってどうするの。見たら分かるわよ。あの爽やかな新品のリクルートスーツと如何にも慣れてないっていうスキの多さ。あれじゃ声かけてくださいって言ってるようなもんよ」
みると、確かに雪緒君は新しいスーツを着ていた。腰回りの細さが強調された新しいそれは明らかに着慣れていない感じだが、清潔感がむしろ若々しい男の子の魅力を倍増しいやらしさまで感じてしまう。くっ!た、確かにこれは襲ってくれと言わんばかりだ。判断を誤った。高卒男子ってこんなにも初々しくて無防備な天然エロなのか?
「た、確かにこれは危ないな。分かった。明日からは最寄駅からチームの誰かと一緒に出社することにする」
「頼むわよ。彼、未成年なんだから、そういう輩から守ることもあなたの役目なんでしょ?なんなら変わってあげましょうか?」
「結構だ!君はそろそろ自分のチームに戻ったらいいんじゃないか?」
この女も雪緒ファンであることを隠しもしない輩の一人だ。いや、もしかしたら本気で彼との結婚を狙っている社内要注意人物かもしれない。驚いたことに、彼女は自分を降格してくれてかまわないから彼の教育係にしてくれと申し出て部長を困らせたらしい。出世コースなんてそこそこ歩けば先が見える。それより男を婿に迎えるほうが女としてよっぽど幸福だと判断したのだろう。気持ちはわかる。
まいったな、周り中、みんな彼を狙っているような気がしてきた。彼には当分、独身男子として活躍してもらわなければうちの社が困るんだぞ。超レアものの若い独身男性、しかも清楚でかわいく、スキの多い新卒男子の貞操を、男に飢えた女どもの中で守りながら、その魅力を引き出していくのが自分の仕事か。
田尾は改めて自分の仕事の大変さをかみしめる。
「ま、しょうがないか。おかげで彼の直属の上司という唯一無二のポジションを確保できたわけだしな。しかし、あのスーツいいな。きっちりしていて、それがかえってエロい。ふふ。ふへへへ」
雪緒を眺める自分もまた、その危ない輩に成り下がっていることに気づかない田尾洋子、33歳の独身処女であった。