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交渉はしない

姉さんが部屋に戻ってきた。僕と目が合うと笑顔になる。


「帰ってくれたよ。優しい人たちさ」


あの人たちがそんなに簡単に納得するなんて、姉さんは何を言ったんだろう?


外はすっかり静かになったようだ。母さんは姉さんにマスコミとのやり取りについて尋ねている。ぼんやりと二人のやり取りを眺めていると、玄関のインターホンが鳴り僕たちは顔を見合わす。


「何?別のマスコミかしら?」


「いや、あの場にいた人たちは、全員、帰ることに同意してくれたよ」


「僕がでようか?」

「「ダメ!!!」」


二人して制止される。母さんは姉さんに短く指示する。


「泪、お願い!」

「うん」


泪姉さんがカメラ付きインターホンに応じる。僕と母さんも後ろから様子をうかがう。画面には、門の外に立つ二人組の女性の映像が映っている。先ほどのマスコミ関係者の服装は割とカジュアルだったけどこの二人は典型的なスーツ姿だ。


『私たちは、ジャポン・ウェザー・ニュース社のものです。篠塚雪緒さんに話があり伺いました』


姉さんが僕たちを振り返る。僕は突然の話で全く反応できない。姉さんは再びインターホンに向かい、落ち着いて声をかける。


「どのようなご用件でしょうか?」


『雪緒さんに、ぜひわが社に入社していただきたく、話を聞いていただきたいのです』


そこまで聞くと母さんが早口で僕に聞いてきた。


「雪ちゃん、ジャポン・ウェザー・ニュース社って?」


「大手の気象予報専門会社だよ。っていうか国内最大手」


「話を聞きたい?聞くだけでもいいわよ?」


「・・・・聞きたい」


「分かったわ。泪、ちょっと代わって」


母さんの表情は真剣だ。ここまではずっと姉さんが対応してたけど、ここにきて母さんに頼りがいが出てきた。


「代わりました。雪緒の母親です」


『お母様ですか、我々はジャポン・ウェザー・ニュース社のものです。本日は雪緒さんの件でお話をさせて頂きたく伺いました』


「承知しました。失礼ですが何か身分を証明頂くものはお持ちですか?はい。ではリビングにお通ししますが、その前に少しだけ片づけますのでお待ちいただけますか?」


それだけを言うと、一旦、インターホンを切りこちらに振り返る。

僕たち3人はインターホンの前で輪になっている。母さんが泪姉さんに告げる。


「泪、あの人たちが家に上がったら貴女が対応してくれる?私はなるべく黙って話を聞いているわ。何を言いに来たかは大方察しが付くけど、とにかく貴女が必要と感じたことを確認して。ただしこれだけは守って。絶対にあの人たちと ”交渉” をしてはだめよ。とにかく話を聞くだけ。分かった?」


「分かった母さん。所詮、私は学生だからね。立場を弁えて話を聞く事に徹するよ」


「そうよ。最初に言っちゃえば良いわ、私たちは何かの交渉をする気はなく話を聞くだけだ、って」


「うん。了解」


「それから、雪ちゃん、貴方にも言っておくことがあるの」


「何?」


「貴方は男性であるが故に、これまで随分と不自由な生活を送ってきたわ。でもこれからは出来るだけ貴方がやりたいことをやって欲しいの。何かを決める時には、私たち家族や周りに遠慮せず、とにかく自分のしたいようにするのよ。それが悪い事や危険な事じゃなければ母さんたちは何があっても貴方の決めたことを応援するから」


「わかった。ありがとう、母さん」


「それじゃあ私はコーヒーでも用意するわ。泪、よろしく」


気象関係の仕事に就くのが僕の夢だ。この来訪がその夢と関わりがあることは僕にもわかる。それはつまり、僕のこれからの人生を左右するかもしれない話だ。母さんも姉さんも普段見せない気合が入った表情をしている。


それぞれの思いを抱きながら、僕たち家族は気象業界最大手の会社の人の話を聞くことになった。



*******



「部長、なんだか疲れましたね。長い1日でした」


私たちの一方的な ”説明” を終え、常務への電話報告も終えた今、部長と私は自宅に直帰するために駅に向かって歩いている。説明は意外にも1時間程度で終わった。


「田尾君、今日はありがとう。伝えるべき事はすべて今日中に伝えたのだから、君はやり切ったよ」


「でも部長、よかったのですか?予定では先方がこちらの話に乗って来てから提示するはずだった件まで全て話してしまって」


今日の交渉でこちらが提示する条件は事前に計画していた。鹿取 瞳の件は後から切るカードだった。にも関らず私の予定していた説明が終わると部長から例の件まで説明しろと促され、結局、持っているカードはすべて切ってしまった。まあ、最初にあの姉が話を聞くだけと言ってきたから、こちらから提示しないと後付けはできない状況ではあった。


「・・・田尾君、説明してみてどう?」


「いや、実物はめちゃくちゃ可愛かったです。やっぱ、本物の男の子っていいですね。なんだか良い匂いもしたし」


「・・・・まあ、否定はしないけど。私が聞きたいのは雪緒君の家族についてだよ」


「う、すみません。(今のはまずかったか?でも部長も否定はしないって言ったよね?)やはりあの姉はやり手ですね。男性の労働安全・衛生面について人事から言われていたことは、ほぼすべて向こうから確認してきましたよ」


「母親については?」


「あの場ではあまり発言していませんでしたね。輸入雑貨店を営んでいるようですが。特別な印象はないですが」


「君はずっとお姉さんに説明していたからね。あの母親、リビングに座っている間中、ずっと私を見ていたよ・・・ずっと。あまりに居心地が悪いから何度かその視線を切ろうと試みたけど駄目だった。こんなに疲れたのは久しぶりだ」


「そうなんですか?コーヒーを入れてくれたりして、優しそうな顔で座っているだけのような気がしたのですが。だから鹿取 瞳の件も説明しろとおっしゃったんですね」


「そう。でもこれでよかった。あとで後悔するよりはましだね」


篠塚家の家族の話をしているうちに、私たちは駅に到着した。部長と私は乗る電車が違うので、ここでお別れだ。


「私たちの提案を受けてくれますかね。本人は前向きな感じでしたよね」


「そう願いたいね。では、お疲れ様、田尾君」


「はい。お疲れ様です」


「あ、そうだ、田尾君」


「はい?」


「予報士試験、合格おめでとう。来週、ちゃんと報奨金の申請書を出しなさい」


・・・・まったく、この人はとんだ部下たらしだな。



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