帰宅
合格祝いは回転しないお寿司屋さん。
4人だとテーブル一つでちょうどよい。おいしいお寿司に舌鼓を打ちつつ今後の学生生活の話に花を咲かせる。成人男性として自分で身を守るよう危機感をもって生活することを僕に説いていた母さんも、お酒が進むにつれ本音が出てくる。
「雪ちゃん、私、本当にうれしいの。だって、一時期は完全な引きこもりだったじゃない?別に、無理に外に出る必要はないけど、これで本当に雪ちゃんが幸せになれるか心配だったの。それが今じゃあ試験に合格し大学にも進学するって、あのころに比べたら夢のようよ。しっかりと青春して人生を謳歌してね、雪ちゃん。一度しかないんだから」
余程、嬉しいんだね。しゃべり上戸なのかな?まあ誰にも迷惑をかけてはいないし、そんなに悪いお酒ではないようだ。おいしいお寿司を食べ楽しく語り合ったところで姉さんが時計を見ながら切り出す。帰りの車の運転手だからお酒は飲んでいない。
「そろそろ帰ろうか?瞳君、うちに来てコーヒーでもどう?まだそんなに遅くないよね?」
「はい。いただきます」
姉さんが会計を済ませ寿司屋を後にする。母さんは千鳥足という程ではないけど、一応僕が支えている。僕とくっつける事も嬉しいようだ。お酒のせいもあり必要以上に抱き着いてくる。まあ、今日はサービスだな。こんなに嬉しそうだし。
運転席に姉さん、助手席に瞳ちゃん、後部座席に僕と母さんを乗せ車はゆっくりと走り出す。僕は乗り物酔いをするけど姉さんの運転する車は大丈夫だ。姉さんは僕が酔わない運転のコツとして船を運転する感じだとかなんとか瞳ちゃんにアドバイスしている。やめてよ姉さん。恥ずかしいじゃん。
そんなことを思いながら車に乗って15分程で我が家に近づく。ここで姉さんが異変に気が付きいつも曲がる角を敢えて素通りする。瞳ちゃんも何かに気付いたようだ。
「どうしたの?姉さん?」
家の近くの見えないところで車を駐車させた姉さんがこちらを振り向く。
「家の前に人だかりができていた。何があったのか見てくる」
そういって車を降りた姉さんが警戒しながら我が家に向かい歩いていく。
「何かしら?火事か何か?火の始末と施錠には気を使っているけど」
不安になる僕と母さんに、振り向いた瞳ちゃんが冷静に話しかける。
「私、多分わかります。あの人たち、きっと雪緒に会いに来たのだと思います」
「へ?僕に?なんで?」
「雪緒には余計な心配かけたくなかったから話してなかったけど。私、ネットとかよく見てるの。それでね、試験の日、雪緒はインタビューされたでしょ?あの動画、ネットではちょっとした話題になってたの。史上初の美人男性気象予報士の誕生なるかって」
「は?」
「しかも貴方の受験番号がネットに流れていたようなの。席が近かった人から漏れたのでしょうね。一部の人には身元もばれていたのよ。それで今日の合格発表でしょ。それ絡みだと思う。実際には動画配信元やプロバイダーレベルで個人情報はかなり消して回ったみたいだけど。男性絡みの情報が世の中に回るのは想像以上に速いみたいね」
この世界の女性の執念のようなものを感じた僕は少し恐怖する。
「大丈夫よ雪ちゃん、私たちがいるから。でも、そうだとするとどうやって家に入ろうかしら。あの人だかりを抜けるしかない?あたしたちで雪ちゃんをガードしながら家に入る?」
そんなことを話していると、戻ってきた姉さんがしなやかな動作で運転席に座りこちらを振り向く。
「あの人だかりはマスコミのようだ。気象予報士の試験に合格した男子高校生である雪緒にインタビューがしたいらしい。ただ、あの状態で君が姿を現したら混乱するかもしれない」
瞳ちゃんの言う通りか。でも、混乱すると言っても・・・
「裏の堀内さんに話を付けてきたよ。暫く車を家の前に駐めさせてもらうことと庭を通してもらうことについて了承を得た。一旦、堀内さんの敷地を通って勝手口から家に入ろう。マスコミの対応はその後に私がするよ」
さすが姉さん。頼りになる。
「瞳君、悪いけどコーヒーは別の機会にしてもいいかな?」
「はい。私はこのまま帰ります。あの、もしかしたら私の顔を覚えている人がいるかもしれないですよね」
「たしかに。あの時、瞳君も少しテレビに出ていたね」
「私、おとり役としてあの人だかりのなるべく近くを通って家に帰ります。そうすれば私の方に注意を呼び込むことができるかもしれません。その間に家に入ってください。家に帰ったらお姉さんにメールします」
「助かるよ。それじゃあ一旦、堀内さんの家の前に車を寄せるよ」
姉さんと瞳ちゃんの阿吽の呼吸でこれからの僕たちの行動が決まる。瞳ちゃんは事前にある程度の情報があったみたいだけど姉さんもそうなのかな?手際よすぎなくらいだ。相談が終わると瞳ちゃんが車を降りてあいさつする。
「それじゃあ、瞳君。移動はゆっくり頼むよ」
「瞳ちゃん、ごめんなさいね」
姉さんと母さんが瞳ちゃんに別れを告げる。
「いえ、こちらこそお寿司、ご馳走になりました。雪緒、またね?」
「うん。またね」
車はすぐに裏の堀内さんの家の前に停まる。この家は僕の家の南側にあり隔てるのは薄いフェンスだけ。フェンスには扉もあったから、そこを通ればあの人だかりを通らなくても家の敷地に入れる。そしたら後は勝手口から入るだけだ。
僕たちは車を停車したまま堀内さんの敷地を通り我が家の敷地に移動する。玄関の外の人だかりが騒がしくなり始める。瞳ちゃんに気づいたらしい。作戦通り、上手くやってくれたみたいだ。
「よし、空いた。勝手口と玄関の鍵を一緒にしておいて正解だね」
姉さんが開けてくれた勝手口から帰宅する。家に入ると安心する。瞳ちゃんのおかげだ。母さんも瞳ちゃんのことが気になったみたいだ。
「瞳ちゃんは大丈夫かしら。結構騒がしかったけど今は静かになったようね」
「瞳君のことだから大丈夫だろう。お!メールが来たよ。えーっと・・・・」
姉さんは瞳ちゃんからのメールを確認する。あの人だかりのことだろう。姉さんはそれを確認すると上着を着ながら言う。
「ちょっと話してくる。雪緒は男性でしかも未成年だ。取材といっても家まで来るのは行きすぎだろう。そのことを伝えてお引き取り願うことにする。まあ何か情報を欲しがるだろうから、合格して喜んでいることぐらいを私から伝えるよ。それで納得してもらうしかないね」
姉さんが玄関から外に出ていくと途端に人だかりが騒がしくなる。
*******
私と部長は彼の家が見える場所で様子を窺っていた。マスコミは何度か呼び鈴を押しているようだが応答がないらしく待ちの姿勢だ。
「田尾君、君から見てあの集団の中に我々の同業者は居そうかい?私にはそれらしい人物は見当たらないが」
「私も見当たらないですね。しかし、いくらインタビューがしたいからって未成年の男性宅にこんな押しかけて。これ、違反行為じゃないですか?」
「未成年男性相手だからね。常識的にアウトだろう」
まあ、それを言ったら私たちも・・・やめておこう。少なくとも私たちは、あからさまに彼の家の前にはいない。
実はテレビ局の仲介で彼を調べた興信所の調査員らしき女に今も協力してもらっている。篠塚家が現在、寿司屋で祝勝会中であることを我々は把握していた。
私の携帯が鳴る。興信所の調査員からだ。電話に出ると要件は短く伝えられる。電話を切ると部長が尋ねてくる。
「帰宅はもうすぐ?この人だかりだけど、大丈夫かな」
「姉の機転で篠塚家は裏の家から勝手口を通って既に帰宅済みだそうです。ほんの1・2分前のことだとか」
「手際がいいな、あの姉は。やはり交渉では重要な相手か」
「ええ。大学在学中の司法試験合格を狙っているぐらいですからね」
突然、人だかりが騒がしくなる。見るとちょうど噂をしていた彼の姉、篠塚泪が出てきてマスコミ連中に何かを訴えている。5分ほどやり取りをするとマスコミ連中は帰り支度をはじめ、徐々にその場を離れ始める。彼女達を帰らせることに成功したようだ。
「マスコミが帰り始めますね。やはりあの姉、やり手です。うまく連中を納得させたようです」
「そもそも連中も自分たちの行動が100%順法と言えないことは承知の上での行動だろう。素人相手で舐めていたんだろうね。その辺りを突けば連中も帰るしかない。あれだけあっさりと引き上げるってことは交渉上手なんだろうな。ただ、私たちにとってもあのマスコミは邪魔な存在だったから、手間が省けた」
「では私たちも暫くしたら行きますか?」
「10分だけ待って、そのあと伺おう」
「はい」
私たちは、マスコミ退去後、しばらくしたら篠塚家に伺い、篠塚雪緒君のわが社への就職について交渉する。この交渉に大手民放との予報士派遣契約がかかっている。
いよいよ正念場だ。